2021年12月1日水曜日

「人口減時代にも成長が必要」との前提が引っかかる日経1面トップの記事

日本経済新聞にとって「経済成長が必要」は自明なのか。1日の朝刊1面トップを飾った「生産年齢人口、ピークの95年比13.9%減 国勢調査確定値~生産性改善が急務 規制緩和・DXに活路」という記事では「人口減時代の成長は一人ひとりの能力を高め、規制緩和にも取り組んで生産性をどう押し上げるかにかかる」と訴えるが、そもそも「人口減時代」に国としての「経済成長」を追求すべきなのか。

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記事の一部を見ていこう。

【日経の記事】

こうした女性や高齢者の就労拡大にも限界はある。生産性を高めなければいずれ生産年齢人口の減少の影響を補いきれなくなる。

日本の労働生産性(労働時間あたりベース)の伸び率はアベノミクス下の12年から19年まで年平均1.1%と一定の改善があった。

それでも20年時点で1時間あたりに生み出す付加価値は48.1ドルと主要7カ国(G7)で最も低い。経済協力開発機構(OECD)各国平均の54.0ドルも下回る。

内閣府の試算によると、働く人や労働時間が増えたことによる2010年代の平均的な経済成長率(潜在成長率、年平均0.7%)の押し上げ効果はゼロポイントにとどまる。1980年代には労働による押し上げは年平均で0.7ポイントあった。

人工知能(AI)など先端技術の活用やデジタルトランスフォーメーション(DX)を通じて生産性を上げなければ根本的な成長につながらない


◎何のための「成長」?

経済成長」が必要なのは、どんな状況だろう。「人口が増えているのに国民は十分に栄養を摂取できていない。だから食糧生産を増やす形での経済成長が不可欠」といった話なら完全に同意できる。「海外では誰もが当たり前にスマホを使っているのに、日本では貧しさゆえに普及率が10%以下。だから経済成長して国民の多くがスマホを買えるようにしたい」という話でもいいだろう。

しかし今の日本で、さらに「生産性を上げ」てでも手に入れたいものがそんなにあるのか。食べ物もスマホも、あるいは衣服やクルマもほぼ行き渡っているように見える。脱炭素の流れが正しいとの前提で言えば「経済成長」を求めない方がむしろ好ましい。

1時間あたりに生み出す付加価値は48.1ドルと主要7カ国(G7)で最も低い。経済協力開発機構(OECD)各国平均の54.0ドルも下回る」と日経は書いているが、こうした比較に意味があるのか。

そもそも何位になれば満足するのだろう。「G7」で3位以内に入り「OECD」平均を上回れば、それで解決なのか。仮にそうだとして、日本が順位を上げれば「G7」のどこかが最下位になる。その国が今度は上位を目指して国民に鞭を打つべきなのか。そうやって各国が際限のない生産性向上競争に身を投じていくのが、あるべき姿なのか。

生きていくうえで必要なものがそこそこ手に入るようになったら「経済成長」はなくてもいい。「人口減時代」であれば1人当たりGDPが一定でも「経済」は縮小していく。人々が幸福に暮らすために「経済成長」が欠かせないならば、そこを求めるべきだろう。ところが日経は「経済成長」自体を自明の目標と捉えているのではないか。

経済成長」を実現しても、国民の幸福度が高まらないなら意味はない。「経済成長」していなくても、国民が今の暮らしに満足しているなら問題はない。そうは考えないのか。

思考停止に陥らず自問してみてほしい。


※今回取り上げた記事「生産年齢人口、ピークの95年比13.9%減 国勢調査確定値~生産性改善が急務 規制緩和・DXに活路

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211201&ng=DGKKZO78039180R01C21A2MM8000


※記事の評価はC(平均的)

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