2019年8月3日土曜日

「敗戦」の基準見えぬ日経ビジネス特集「医薬品はなぜ高い?」

日経ビジネス8月5日号の特集「1回の投与で2億円も 医薬品はなぜ高い?」は悪い出来ではない。しかしPART2の「2度目の『敗戦危機』取り残される日本」という記事は引っかかった。何を以って「敗戦」とするか明確になっていない。
大浦天主堂(長崎市)※写真と本文は無関係です

当該部分を見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

現在、世界で最も売上高の大きい医薬品は、米製薬大手アッヴィが販売する「ヒュミラ」という関節リウマチの薬だ。欧州で特許が切れ始めたため増収のペースは落ちたが、それでも米国での値上げが功を奏し、2018年は前年比8.2%増の199億ドル(約2兆1500億円)を売り上げた。これだけで、日本の製薬最大手、武田薬品工業の18年度の売上高(約1兆7880億円。アイルランドのシャイアー買収の影響は除く)を上回る。

この薬は、免疫反応の主役である「抗体」という物質を利用したバイオ医薬品だ。実は世界で売上高トップ10の製品の約半分はバイオ医薬品が占めている。遺伝子組み換え技術を利用して製造するバイオ医薬品は、1980年代後半から医薬品市場に姿を現し、2000年代半ばごろからは抗体を利用した製品が市場で頭角を現していった。それまでの化学合成に基づく製剤の技術が大きく変わったことを意味する。

ところが日本の製薬企業の多くは、このバイオ医薬品の台頭に乗り遅れた。米国のベンチャーなどから日本市場での権利を獲得して販売している例はあるものの、早い時期に自社でバイオ医薬品を製造する技術を手に入れられたのは、協和キリンとロシュグループ傘下の中外製薬だけ。日本の高額医薬品の先駆けは、当初、1人あたり年3000万円以上かかった小野薬品工業のがん治療薬「オプジーボ」だが、小野薬品はバイオ医薬品の生産ノウハウを持たなかったので、米メダレックス(その後米ブリストル・マイヤーズスクイブが買収)と提携した経緯がある。


◎そこそこ頑張っても「敗戦」?

最初の「敗戦」は「バイオ医薬品」市場で起きたようだ。「協和キリンとロシュグループ傘下の中外製薬」は「早い時期に自社でバイオ医薬品を製造する技術を手に入れられた」。そして「小野薬品工業」も「米メダレックス」と提携して「オプジーボ」を生み出した。そこそこ健闘している気もするが、結果は「敗戦」だ。どうなれば「勝利」だったのかは分からない。

記事の説明では、勝者となった国がどこかも不明だ。「世界で売上高トップ10」に入る「バイオ医薬品」を生み出した企業の母国が勝者なのか。だとしたら米国は入るのだろう。後ははっきりしないが「世界トップ5」の製薬企業を抱えるスイス、英国辺りが候補か。

勝敗の基準を明確にしてもらわないと「2度目の『敗戦危機』」と言われても説得力を感じない。例えば世界で3カ国だけが勝者で残りが敗者だとしたら、「敗戦」はそんなに「危機」的なことなのか。

また、最初の「敗戦」が「バイオ医薬品」市場で起きたのならば、日本の製薬企業は「化学合成に基づく製剤」の分野では勝者だったのだろう。しかし、そういう印象はないし、記事でも「日本はかつて勝者だった」と言える材料を提示していない。

ついでに言うと「協和キリンとロシュグループ傘下の中外製薬」という書き方は好ましくない。「『協和キリンとロシュグループ』傘下の中外製薬」とも読めるからだ。「協和キリンと、ロシュグループ傘下の中外製薬」と読点を入れれば問題は解消する。

次に「2度目の『敗戦危機』」の舞台となる「遺伝子治療」について見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

バイオ医薬品に続いて、押し寄せるのがPART1で見た遺伝子治療の技術革新の波だ。日本でもバイオベンチャーのアンジェス、タカラバイオ、桃太郎源、IDファーマと、ベンチャーまで視野に入れれば、遺伝子治療の治験(承認申請を目的に実施する臨床試験)を進める企業はある。大塚製薬はタカラバイオと、杏林製薬は桃太郎源と契約して共同開発しているし、武田薬品はシャイアーが開発中の品目を手に入れた。ただ、米国に比べると、層の厚さが全く違う。

下の世界地図を見てほしい。これは米国立衛生研究所(NIH)が運営するデータベースを基に作成したものだ。7月10日時点で、遺伝子治療の臨床試験を実施している場所を示す。

国・地域別では358件の米国が最多だ。米国で食品医薬品局(FDA)に医薬品を申請する企業はこのデータベースへの登録が義務付けられるため、当然かもしれないが、それにしても日本は少ない。わずか8件。中国(31件)、韓国(19件)にも及ばない。

日本にはiPS細胞があるので、細胞医薬や再生医療が強いのではという声もある。確かに、京都大学が特許を持つiPS細胞の研究では日本がリードしているが、いわゆる万能細胞はiPS細胞だけではない。受精卵から作るES細胞の研究は米国でも盛ん。血液などから採取した幹細胞と呼ばれる万能細胞を使った細胞医薬や再生医療の開発も活発だ。何より、世界的に見れば細胞医薬、再生医療より、遺伝子治療が実用化で先んじている。

バイオ医薬品に続き、遺伝子治療でも世界に後れを取れば、日本は「2度目の敗戦」を迎えることになる


◎臨床試験の数で勝敗が決まる?

遺伝子治療の臨床試験」の多寡で勝敗が占えると筆者ら(橋本宗明編集委員と古川湧記者)は考えているようだ。全く無関係とは言わないが、かなり無理がある。そもそも「日本での臨床試験=日本企業による臨床試験」「米国での臨床試験=米国企業による臨床試験」となっている訳ではない。

例えるならば「米国での自動車の生産台数が多い=米国の自動車メーカーは強い」と判断しているようなものだ。しかし米国で日本の自動車メーカーが生産している場合もある。

「(臨床試験が)それにしても日本は少ない。わずか8件」と記事では書いている。記事に付けた地図を見るとスイスはさらに少ない6件。だからと言って「世界1位のロシュと3位のノバルティスを擁するスイスも遺伝子治療では敗戦危機に」と捉えてよいのだろうか。

バイオ医薬品に続き、遺伝子治療でも世界に後れを取れば、日本は『2度目の敗戦』を迎えることになる」という見方を否定はしない。しかし「かつては勝者だった日本の製薬企業がバイオ医薬品で負け、遺伝子治療でも敗戦の危機に」と納得できる材料がこの記事には見当たらなかった。

付け加えると「日本でもバイオベンチャーのアンジェス、タカラバイオ、桃太郎源、IDファーマと、ベンチャーまで視野に入れれば、遺伝子治療の治験(承認申請を目的に実施する臨床試験)を進める企業はある」という説明も気になる。この書き方だと「タカラバイオ」は明らかに「ベンチャー」だ。

しかし記事には「宝ホールディングス子会社のタカラバイオ」という説明もある。一般的には、上場している大企業の子会社を「ベンチャー」とは呼ばない気がする。


※今回取り上げた特集「1回の投与で2億円も 医薬品はなぜ高い?
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00176/


※特集全体の評価はC(平均的)。橋本宗明編集委員への評価はCで確定とする。古川湧記者への評価は暫定D(問題あり)から暫定Cへ引き上げる。


※橋本編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「オプジーボ巡る対立」既に長期化では?  日経ビジネス橋本宗明編集委員に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_20.html

光免疫療法の記事で日経ビジネス橋本宗明編集委員に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/blog-post_5.html

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