2019年10月10日木曜日

改めて感じたアトキンソン氏「最低賃金引き上げ論」の苦しさ

小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が主張する「最低賃金引き上げ」論はやはり問題が多い。9日付で東洋経済オンラインに載った「最低賃金引き上げ『よくある誤解』をぶった斬る~アトキンソン氏『徹底的にエビデンスを見よ』」という記事を読んで改めてそう感じた。

記事の一部を見ていこう。
瑞鳳寺(仙台市)※写真と本文は無関係です

【東洋経済オンラインの記事】

疑問1:最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?

この件に関しては、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授が、以下のようにコメントしています。

There's just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.(少なくとも現代のアメリカのように最低賃金が低い場合、それを上げることが雇用に悪影響を及ぼすという証拠は存在しない)

また、今年の7月8日には、以下のようなコメントも残しています。

There is a diehard faction of economists who refuse to accept the overwhelming empirical evidence for very small employment effects of minimum wages.(最低賃金が雇用に及ぼす影響が極めて小さいという圧倒的な証拠を受け入れることを拒否する、経済学者の頑固な一派が存在する)
つまり、最低賃金が低ければ低いほど、引き上げによる雇用への影響は少なく、この件を立証する圧倒的な量のデータが存在するとおっしゃっているのです。

最低賃金引き上げの影響を否定的に捉える論文もあるにはあります。しかし、各国で行われた約20年間の検証の結果、データがそろってきたこともあり、雇用への影響はあっても、その影響は以前考えられていたより、だいぶ小さいと考えられるようになってきています。170カ国以上が実施している最低賃金引き上げに関する分析は、ドイツ、フランス、アメリカ、中国、韓国などのほか、途上国も含むさまざまな国で行われています。

また、最低賃金引き上げは現在雇用されている人には影響はなく、将来の雇用にのみ影響を及ぼすなど、次第に論調が変化する傾向も認められます。

日本はアメリカ同様に、最低賃金が極めて低く設定されていますので、クルーグマン教授のコメントを真摯に受け止めるべきでしょう。

また、人口が増加している国にとっては、将来の雇用への影響を懸念することも重要ですが、日本では今後人口が減少するので、事情が違うことも忘れるべきではありません。


◎きちんと質問に答えてる?

最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?」という疑問にきちんと答えていないのが気になる。「雇用への影響はあっても、その影響は以前考えられていたより、だいぶ小さいと考えられるようになってきています」という記述から判断すると「失業が増える可能性は十分にあります」といった答えになりそうだ。

だとすると「最低賃金を上げると、失業が増えるのではないか」と懸念するのは当然だ。これでは「『よくある誤解』をぶった斬る」ことになっていない。

イギリスで最低賃金引き上げが成功したというデータは、各国の最新の研究で否定されているのでは?」という「疑問2」に答えた部分も見ておこう。


【東洋経済オンラインの記事】

イギリスはLow Pay Commission(低賃金委員会)が徹底的な分析に基づいて、政府に対して提言する仕組みを設けています。この低賃金委員会が2019年4月2日に発表した286ページにも及ぶ報告書には、以下のように記載されています。

Rather than destroy jobs, as was originally predicted, we now have record employment rates.(当初は雇用破壊が危惧されていたが、就業率は過去最高を記録している)

The overwhelming weight of evidence tells us that the minimum wage has achieved its aims of raising pay for the lowest paid without harming their job prospects.(最低賃金は、低所得者の雇用を破壊することなく彼らの賃金を高めるという目的を達成した。これには圧倒的な証拠が存在する)

直近のデータでは、イギリスの労働参加率は76.1%という記録を更新して、失業率も3.9%と、1974年以降の最低水準にあります。

最低賃金を引き上げても失業率が上がらないことは、このデータで証明されています。ですから失業率が上がると主張するならば、このイギリスの事実を否定することになりますが、厳然たる事実を否定することなど可能なのでしょうか。


◎「証明されて」いるのなら…

最低賃金を引き上げても失業率が上がらないことは、このデータで証明されています。ですから失業率が上がると主張するならば、このイギリスの事実を否定することになります」とアトキンソン氏は述べている。だったら「最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?」との疑問には「最低賃金を引き上げても失業率が上がらないことは、英国のデータで証明されています」と答えれば済むはずだが…。

疑問3」も見ておく。

【東洋経済オンラインの記事】

疑問3:イギリスのデータは特殊ではないのですか?

この指摘には一理あります。というのも、科学的な根拠に基づいて最低賃金の引き上げを実施していることが、イギリスの特徴の1つと言われているからです。

イギリス政府は低賃金委員会に対して、雇用への影響のない、ぎりぎりの線で最低賃金の引き上げを提言する使命を与えています。雇用への影響が出ないのは、偶然ではないのです。それに比べて、日本の最低賃金を決める中央最低賃金審議会の委員の専門性は相対的に低いと、日本総研が報告しています。

ここでの教訓は、「ぎりぎりの線」を狙えば、雇用に影響を与えることなく賃金を高められるということです。イギリスでできたことが日本でできないとは思えません。


◎だったら最初の疑問には…

ここでの教訓は、『ぎりぎりの線』を狙えば、雇用に影響を与えることなく賃金を高められるということです」とアトキンソン氏は言う。ならば「最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?」という疑問には、さらに明確に答えられる。「『ぎりぎりの線』を狙えば失業率は上がりません。しかし『ぎりぎりの線』を超えると上がるかもしれません」でいいのではないか。

ついでに言うと「『ぎりぎりの線』を狙えば、雇用に影響を与えることなく賃金を高められるということです」という説明には矛盾がある。最低賃金を「ぎりぎりの線」まで引き上げると「賃金を高められる」のならば、「雇用に(プラスの)影響を与え」てしまっている。細かい話ではあるが…

アトキンソン氏の説明にはもっと大きな矛盾がある。

疑問8:最低賃金を引き上げると、地方の企業は倒産するかリストラを進めるのでは?」に答える形で「海外では、最低賃金の水準や労働分配率が日本より高いにもかかわらず、最低賃金を引き上げて倒産、廃業、解雇が増加したというような事実は確認されていません。なぜ他の国でできていることが、日本ではできないのか、科学的な根拠をベースにして説明をしてほしいといつも思います」と述べている。

ところが「疑問10:韓国は最低賃金を上げて経済が崩壊しています。日本も、韓国のようになってしまうのではないですか?」への回答では以下のように説明している。

【東洋経済オンラインの記事】

韓国は、最低賃金を2年間で30%も引き上げてきました。アメリカのある分析によると、最低賃金を1年間で12%以上引き上げると、短期的に失業率が上がるおそれがあるとしています。日本ではもっと緩やかな引き上げが議論されていますので、比較すること自体に意味がないと感じます。

最低賃金の引き上げの効果を測るには、収入増加と失業率のバランスを天秤にかけるべきです。残業の調整なども含めて、最低賃金が上がることによるネットの所得増加によるプラスと、失業率が高まることによるマイナスを両方見るべきです。失業率だけに注目する議論は視野が狭いと言わざるをえません。

韓国の失業率は、過去20年間の平均で3.7%でした。確かに2019年の1月には4.4%まで大きく上がりましたが、そのあとは落ち着き、直近の8月は2002年に更新された最低記録の3%に近い3.1%まで下がっています。倒産件数も落ち着いています。

若い人の失業率が高く、長期的な影響はまだ見えず、失業率が低下しているデータポイントが少ないため、韓国の最低賃金の直近の引き上げがどのくらいの失業につながったかは、専門家として判断するには時期尚早です。トレンドを冷静に見守る必要があります。

韓国は2年間で最低賃金を30%も引き上げているにもかかわらず、まだ言われるほどの崩壊は現実になっていません。一方、日本では5%引き上げたら大変なことになるとあおられている。韓国に比べて、日本経済が極めて貧弱であるという指摘には、とうてい賛同できません。


◎韓国では「確認」されているような…

海外では、最低賃金の水準や労働分配率が日本より高いにもかかわらず、最低賃金を引き上げて倒産、廃業、解雇が増加したというような事実は確認されていません」と言い切っていた割に、「海外」の一部である韓国に関しては歯切れが悪い。

最低賃金の引き上げ」を受けて「韓国の失業率」は「2019年の1月には4.4%まで大きく上がりました」と言うのならば、「倒産、廃業、解雇が増加したというような事実」があると考える方が自然だ。実際、「企業倒産件数、過去最悪に~製造業を中心に18年度実績」と統一日報は報じている。

長期的な影響はまだ見えず~」などとアトキンソン氏は逃げているが、「最低賃金を引き上げて倒産、廃業、解雇が増加したというような事実は確認されていません」と言える状況なのか、かなり疑問だ。

以前にも指摘したが、アトキンソン氏の「最低賃金引き上げ」論で最大の問題は「いつどの程度の引き上げをすべきなのか」を教えてくれないことだ。

英国の事例から「『ぎりぎりの線』を狙えば、雇用に影響を与えることなく賃金を高められる」との「教訓」を得たのならば、日本にとっての「ぎりぎりの線」はどこにあるのか「科学的な根拠に基づいて」示してほしい。

最低賃金を1年間で12%以上引き上げると、短期的に失業率が上がるおそれがある」のだから、どの程度の時間をかけて「ぎりぎりの線」まで持っていくべきなのかも知りたい。

「それは分からない」と言うのならば、アトキンソン氏の「最低賃金引き上げ」論に耳を傾ける意義は感じない。


※今回取り上げた記事「最低賃金引き上げ『よくある誤解』をぶった斬る~アトキンソン氏『徹底的にエビデンスを見よ』
https://toyokeizai.net/articles/-/307134


※記事の評価は見送る。アトキンソン氏の最低賃金引き上げ論に関しては以下の投稿も参照してほしい。

D・アトキンソン氏の「最低賃金引き上げ論」に欠けている要素
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/d.html

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