2017年5月12日金曜日

文藝春秋「東芝前会長のイメルダ夫人」 大西康之氏の誤解

文藝春秋6月号の「スクープ 会長室に出入りし、浜松町の本社を闊歩していた 東芝前会長の『イメルダ夫人」という記事について、「イメルダ夫人」関連の記述に問題が多いことは既に述べた。ここでは筆者であるジャーナリストの大西康之氏が官僚に関して誤解していると思える部分を取り上げたい。
鷹取山頂から見た筑後平野(福岡県久留米市)
          ※写真と本文は無関係です

大西氏は東日本大震災直後に資源エネルギー庁次長だった今井尚哉氏(現・安倍晋三首相秘書官)の責任を問うて以下のように書いている。

【文藝春秋の記事】

今井は、アベノミクスを成立させるために、何が何でも原発のパッケージ輸出を実現したかったはずだ。しかしそれは絵に描いた餅でしかなかった。

「鉄火場の資源ビジネスに素人の東芝が投資するなんて狂気の沙汰ですよ」

大手商社の資源担当者は呆れ顔で言う。しかし東芝にすれば、それも「国策」だった。

最大の問題は官僚の匿名性にある。官僚とは国家試験に合格した公務員であり、国民に選ばれた議員や株主に選ばれた企業の取締役のように、結果による審判を受けない。議員は失政が明らかになれば落選する。しかし官僚は、不祥事を除けばどんな失敗をしても、個人の名前で責任を取ることがない。東芝社内にも、今井の責任を指摘する声は多い。しかし、安倍の側近中の側近である今井は権力に守られ、誰も手が出せない。


◎「官僚は個人の名前で責任を取ることがない」?

官僚は、不祥事を除けばどんな失敗をしても、個人の名前で責任を取ることがない」という説明が引っかかった。2011年8月4日付の「経産次官・保安院長・エネ庁長官を更迭
原発対応巡り引責」という日経の記事に以下の記述がある。

【日経の記事】

海江田万里経済産業相は4日午前、経済産業省内で緊急記者会見し、経産省人事について「人心を一新する」と述べ、松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘資源エネルギー庁長官(58)の3首脳を更迭する方針を表明した。東京電力福島第1原子力発電所の事故の対応など、原子力行政を巡る責任に組織としてけじめをつける必要があると判断した。

◇   ◇   ◇

これは「原子力行政を巡る責任」に関して3人の個人が責任を取ったのではないのか。「東京電力福島第1原子力発電所の事故」は「不祥事」ではない。「官僚は不祥事以外でも個人の名前で責任を取ることがある」と理解する方がしっくり来る。
平尾台(北九州市)※写真と本文は無関係です

大西氏は今井氏の責任を問うが、これにも疑問が残った。記事の一部を見てみる。

【文藝春秋の記事】

東芝からは「WHの新型炉AP1000の安全認定を急ぐよう、日本政府から米政府に働きかけてほしい。トルコでの着工が遅れているため、政府系金融機関から繋ぎ資金を提供してほしい」と要請し、今井は「震災で止まっている日本=トルコ間の原子力事業に関する政府間協定(IGA)を近く再開する」と答えていることが読み取れる。

中略)東芝社内では、無理な案件を通す時「これは国策だ」というのが決まり文句だった。その言葉の後ろに今井を見ている社内の人間は、そういわれると何も言い返せなかった。

だが「国策」とは一体何だったのか。今井と東芝のラインが仕掛けた原発パッケージ輸出は、結局、1つも実現していない。



◎今井氏にどんな責任が?

記事を読んでも、今井氏にどんな責任があるのか理解できなかった。記事からは(1)東芝自身が「パッケージ輸出」には前向き(2)日本政府はそれを後押しする意思がある(3)今井氏は日本政府の窓口役--と読み取れる。そして「パッケージ輸出」は成功しなかった。この場合、「今井氏の責任は重い。何らかの処分を」と考えるべきだろうか。
岡山公園の桜(福岡県八女市)※写真と本文は無関係です

政府の方針に従って東芝の「インフラ輸出」を支援すべく今井氏が必要な手を打っていたのならば責められない。輸出が成功するかどうかは、基本的に東芝の問題だ。「嫌がる東芝を『国策だ』と脅して、独断専行で事を進めたのに輸出には失敗した」といった状況ならば、今井氏の責任を問うのも分かる。だが、そうした話は見当たらない。

5兆円企業を破綻寸前に追い込んだ『国策』の首謀者は、今も首相官邸の実力者として大きな顔をしている」とも大西氏は書いている。だが、筋が違うのではないか。例えば政府が「ベンチャー立国」を標榜して、国民にベンチャー企業の立ち上げを呼びかけたとしよう。それに応えてベンチャー企業を設立し、経営破綻して無一文になった人が「ベンチャー立国政策を考えた人」を恨むのは筋が通っているだろうか。

「政府が成功を保証します」などと謳っていたのならば話は別だが、経営にリスクがあるのは誰でも分かる。それでも自らの意思で経営に乗り出して失敗したのならば、政策立案者を恨む筋合いはない。東芝も同じだ。「国策」があったとしても、自らの経営判断でそれに乗ったのならば、失敗の責任を「『国策』の首謀者」に求めるのは苦しい。

今回の記事で大西氏は「東芝前会長のイメルダ夫人」や今井氏を批判しているが、根拠に乏しく説得力はない。個人を特定して批判するのであれば、もう少ししっかりした材料を集めてほしい。


※記事の評価はE(大いに問題あり)。大西康之氏への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。今回の記事に関しては以下の投稿も参照してほしい。

文藝春秋「東芝前会長のイメルダ夫人」が空疎すぎる大西康之氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/05/blog-post_10.html


※大西氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経ビジネス 大西康之編集委員 F評価の理由
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_49.html

大西康之編集委員が誤解する「ホンダの英語公用化」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_71.html

東芝批判の資格ある? 日経ビジネス 大西康之編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_74.html

日経ビジネス大西康之編集委員「ニュースを突く」に見える矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/01/blog-post_31.html

 FACTAに問う「ミス放置」元日経編集委員 大西康之氏起用
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/facta_28.html

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