2022年8月31日水曜日

週刊エコノミスト:「出生率向上のヒントはドイツに」が苦しい藤波匠氏の記事

週刊エコノミスト9月6日号に藤波匠氏(日本総合研究所上席研究員)が書いた「エコノミストリポート:出生率向上のヒントはドイツに~2030年が少子化対策リミット 日本が迎えるラストチャンス」という記事は興味深い内容だったが、結局は「カネをつぎ込んで少子化対策をやるしかない」的な提言になっているのが惜しい。

宮島連絡船

まずは現状分析のくだりを見ていこう。

【エコノミストの記事】

フランスやフィンランドなど、積極的な少子化対策によって合計特殊出生率(TFR)の押し上げに成功した欧州諸国で、近年、TFRの低下が目立っている。一方で、以前はTFRが低く、日本と同程度であったドイツなど欧州の一部の国で、TFRが上昇傾向を示している。この背景には何があるのか。欧州諸国のTFRの動向などから、日本の少子化対策について考えてみたい。

TFRとは15~49歳の女性の年齢別出生率の合計で、1人の女性がその期間に生む平均の子どもの数を示す。人口維持のためには、TFR2.07以上が必要とされている。図1は、OECD(経済協力開発機構)加盟38カ国中、36カ国の2010年から20年までのTFR変化率をまとめたものだ。10年のTFRが他の国々から乖離(かいり)しているイスラエル(TFR3.03)とTFR下落率が30%を超える韓国は除外している。

図1を見ると、10年にTFRの高かった国ほど高い下落率を示していることが分かる。例えば、子育て支援先進国として名高いフィンランドは、TFR1.87(10年)から1.37(20年)と著しく低下している。政策効果によって一時的にTFRを高めることができたとしても、その状況を持続することが容易ではないことがうかがえる

ドイツやハンガリーなど、10年にTFRが低かった国の一部には、その後上昇傾向がみられた国もあるが、全体としては、低下した国の方が多かった。その結果、イスラエルと韓国を除くOECD36カ国の平均TFRは、10年の1.72から20年には1.57に低下し、しかも多くの国が平均値近傍に収束する傾向がみられる。TFRが平均値±0.1の範囲に入る国の数は、10年は20カ国だったが、20年には26カ国へ増えている。


◎先進国的である限りは…

少子化対策を論じる人の多くはフランスをなど欧州先進国を手本にしたがる。しかし、そこに答えはないことを上記の分析は示唆している。

子育て支援先進国として名高いフィンランドは、TFR1.87(10年)から1.37(20年)と著しく低下している」のに「欧州を見習って先進的な子育て支援をやろう。そうすれば少子化も克服できる」などと訴える方がどうかしている。

政策効果によって一時的にTFRを高めることができたとしても、その状況を持続することが容易ではない」という分析は同意できる。「子育て支援」をするなとは言わないが、少子化対策と絡めるのはやめた方がいい。

結論としては(1)少子化克服を諦める(2)先進国的であることを諦めて少子化対策を進めるーーのどちらかだと感じる。

しかし藤波氏はそういう結論に辿り着かない。そこも見ておく。


【エコノミストの記事】

ドイツをはじめとする欧州諸国の状況を踏まえると、日本の少子化対策に示唆されることは、「少子化対策とは総合政策」との認識が重要なポイントだということだ。ドイツでは、政策面のみならず、経済環境の好転がTFR回復の起爆剤となった。30年までの少子化対策の好機に、社会政策と経済政策の両面において、全力で若い世代を支える発想が必要といえよう。


◎ドイツを見習う?

藤波氏も結局は「欧州を見習え」から脱却できていない。この記事ではドイツに頼っている。

90年代後半に移民容認政策にかじを切ったドイツでは、外国籍の親から生まれる子どもが増えている」「ドイツで12~16年にかけて出生数が増加したのは、少子化対策の効果によるものばかりとは言い難く~」と藤波氏自身が記事の中で認めている。

移民容認政策にかじを切った」効果が出た上に「経済環境の好転がTFR回復の起爆剤」となったドイツでさえ出生率は1.5程度。「人口維持のためには、TFR2.07以上が必要とされている」のに遠く及ばない。なのに欧州の“優等生”ドイツから学ぶべきなのか。

政策効果は時間とともに逓減することが懸念されるため、若い世代に対して、絶えず『よりよい未来を提示』する必要がある」とも藤波氏は言う。その結果として少子化を克服した国がそもそもあるのか。

個人的には、少子化は放置で良いと見ている。日本は人口が多すぎるし先進国的な部分を捨てることへの抵抗も大きいだろう。減るところまで減れば自然と人口は上向くのではないか。減り続けて日本列島から日本人が消えるとしても、人々の自由な選択の結果としてそうなるのであれば受け入れたい。

出産の中心的世代が大きく減ることのない今後10年程度は、本格的な少子化対策を講じるラストチャンスといえよう」と藤波氏は言うが同意できない。明治初期の人口は今の3分の1以下だった。そこから人口を急増させた実績もある。「チャンス」は20年後にも30年後にも100年後にもあるだろう。



※今回取り上げた記事「エコノミストリポート:出生率向上のヒントはドイツに~2030年が少子化対策リミット 日本が迎えるラストチャンス

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220906/se1/00m/020/041000c


※記事の評価はC(平均的)

2022年8月29日月曜日

「電力不足対策」で自分なりの案を出せない日経ビジネス田村賢司編集委員

 コラムを書く時には「自分だから書けることとは何だろう」と必ず考えてほしい。編集委員というご利益ありそうな肩書を持っているならなおさらだ。そういう意味で日経ビジネスの田村賢司編集委員が8月29日号に書いた「ニュースを突く~迷走する電力不足対策」という記事には落第点しか与えられない。中身を見ながら問題点を指摘したい。

錦帯橋

【日経ビジネスの記事】

電力不足の危機が今冬また襲ってきそうだ。夏の需給逼迫懸念に続き、需要がピークを迎えるたびに起こるこの問題は、日本のエネルギー政策の立ち遅れを示している。

「できる限り多くの原発、この冬でいえば最大9基の稼働を進め、(中略)火力発電の供給能力を追加的に10基を目指して確保するよう指示致しました」。岸田文雄首相は7月14日、記者会見で冬の電力不足解消への強い姿勢を示した。

それほど需給の状況は厳しい。電力の広域需給の司令塔となる電力広域的運営推進機関(OCCTO)は6月末、全国の電力需給見通しをまとめた。大手電力会社管内の毎月の想定最大需要に対する供給の「余力」を示したもので、安定供給のためには供給力が最大需要を最低3%上回る必要がある。これによると、来年1月は東北、東京電力管内が1.5%、中部、北陸、関西、中国、四国、九州の各電力管内は1.9%と極めて厳しい状況になる。東北、東電管内は2月も1.6%で、綱渡りの状況が2カ月も続くと予想されている。

岸田首相の指示は、この危機的状況に対するものだが、これを十分な対策と呼んでいいものか。まず、9基稼働する原発は、定期点検などが終了して稼働が既に予定されていたもので、新たに加わるわけではない。しかも、九州電力の川内原発1号機は来年2月途中から定期点検に入る予定で、首相の言う9基が動くのは数週間でしかない。

火力の10基は追加だから、これで3%に届かない分を埋めるのだろう。だが、その対象のほとんどは老朽火力発電所である。「当然、故障は起こりやすい。発電効率の悪い老朽火力を動かすのだから、固定費の一部を国が負担するなど、特別な対応も必要になるだろう」(電力担当アナリスト)。厳しく言えば短期的な弥縫策(びほうさく)にすぎない

老朽火力発電所の故障が続いたらどうなるのか。再稼働できる原発が増えなければどうなるのか。来年夏以降の需要期にまた同じような危機がやってくる可能性は消えない。


◎おさらいはしてもいいが…

ここまでは「おさらい」だ。「厳しく言えば短期的な弥縫策(びほうさく)にすぎない」「来年夏以降の需要期にまた同じような危機がやってくる可能性は消えない」などと書いているので、ここから田村編集委員が自分なりの具体策を披露してくれるのだろうと期待してしまうが、そうはならない。続きを見ていこう。


【日経ビジネスの記事】

中長期の対策としてなのだろう、政府は2020年に「容量市場」というものを立ち上げた。これは、実際の電力を取引する卸市場とは異なり、発電事業者が数年先などに発電できる能力を売る市場。発電事業者が数年先に「○万kWの発電力を確保する」という将来の供給力を取引するものだ。買い手はOCCTOで、資金は小売事業者が負担する。

狙いはまさに将来の発電能力を確保するためだった。需給逼迫の一因は、16年にほぼ終わった電力自由化と脱炭素化の大波だ。自由化で経営に必要なコストを電力料金に上乗せできる総括原価方式が崩れ、一方で新電力との競争が激化した。そこに脱炭素化が迫り、電力会社はコストが高く、温暖化ガス排出抑制で不利な火力発電所の新設に慎重になり、老朽火力の廃止にも動いた。

それが結果として発電所の縮小を招いた。容量市場は発電力の確保で一定の収入を得られるようにして事業者に発電所投資を促すものだ。ところが、この制度設計が十分に進まない。20年に実施した初回の容量市場では事前設定した上限価格に張り付き、昨年は逆に大幅下落した。初年度は逆数入札と呼ばれる特殊な仕組みを設けたことなどで高値になったが、昨年はそれを廃止したためと言われる。軌道に乗ったとは言えない状況の中、来年は再生可能エネルギーなど脱炭素電源(発電設備)の新市場を設けるという。

今の容量市場は4年後の1年間の発電能力の取引だが、新市場は複数年の発電能力の値付けをする案が検討されている。容量市場が発電設備維持の効果を生むかも分からない中で、また新たな改革が始まる。短期だけでなく、中長期対策まで弥縫策にならないか。それが心配だ


◎脱線させて終わり?

いよいよ本題に入るかと思ったら「容量市場」の話に移り「短期だけでなく、中長期対策まで弥縫策にならないか。それが心配だ」で話を終わらせてしまう。電力不足の問題と関連はあるが話は脱線気味だ。

容量市場」の話をしたいならば、そこに絞った方が良かった。「初年度は逆数入札と呼ばれる特殊な仕組みを設けたことなどで高値になった」と書いているが「逆数入札」の説明を省いているので制度の問題点が伝わってこない。しかも結局は「心配」しているだけで、田村編集委員が考えるあるべき姿は示していない。

短期的な弥縫策(びほうさく)にすぎない」「短期だけでなく、中長期対策まで弥縫策にならないか。それが心配だ」と言うのならば、自分の具体案を出してほしい。「そんなの難しくてできない」と感じるのならば「弥縫策」に理解を示してもいい。それだけ難しい問題ということだ。

岸田首相の指示は、この危機的状況に対するものだが、これを十分な対策と呼んでいいものか。まず、9基稼働する原発は、定期点検などが終了して稼働が既に予定されていたもので、新たに加わるわけではない」といった記述からは田村編集委員が原発推進派だと推測できる。

自分とは違う考えだが、それはそれでいい。だが推進派ならば2つのことは必ず考えてほしい。

まず高レベル放射性廃棄物の最終処分問題。これをどうするのか自分なりに結論を出してから推進論を展開してほしい。

もう1つは安全保障との絡みだ。ウクライナの状況を見ても分かるように、原発が敵国から攻撃を受けたり占拠されたりといった状況は日本でも起こり得る。これについてどう考えるのか。

火力発電所ならば破壊されてもまた作ればいい。だが戦闘などで原発に重大な事故が起きた場合、影響は広範囲かつ長期に及ぶ。損害も甚大になりやすい。それでも原発を動かすべきなのか。その判断からは逃げないでほしい。


※今回取り上げた記事「ニュースを突く~迷走する電力不足対策」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00108/00194/


※記事の評価はD(問題あり)。田村賢司編集委員の評価はDを維持する。田村編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

ワクチン信仰は捨て切れない? 日経ビジネス「危機は去ったのか」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/12/blog-post_6.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_8.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_12.html

日経ビジネス「村上氏、強制調査」田村賢司編集委員の浅さ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_6.html

日経ビジネス田村賢司編集委員「地政学リスク」を誤解?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html

日経ビジネス田村賢司主任編集委員 相変わらずの苦しさ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_12.html

「購入」と「売却」を間違えた?日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/09/blog-post_30.html

「日銀の新緩和策」分析に難あり日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html

原油高を歓迎する日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/11/blog-post_12.html

「日本防衛に“危機”」が強引な日経ビジネス田村賢司編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_18.html

「名目」で豊かさを見る日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_3.html

「名目」で豊かさを見る理由 日経ビジネスの苦しい回答
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_14.html

日経ビジネス「東大の力~日本を救えるか」に感じた物足りなさhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post_6.html

2022年8月23日火曜日

台湾有事で肝心な「シナリオ」を論じていない週刊ダイヤモンドの記事

台湾有事を扱うほとんどの記事では肝心なシナリオを検討していない。週刊ダイヤモンド8月27日号に載った「台湾有事で日本人の想像を絶する『過酷シナリオ』、気付けば自衛隊が中国軍と対峙し大損害」という記事もそうだ。冒頭部分を見ていこう。

大山ダムの銅像

【ダイヤモンドの記事】

緊迫する台湾情勢を巡っては、安全保障の専門家の間では常識でも、国民があまり知らない“不都合な真実”がある。それは、米国が日本の自衛隊に中国の人民解放軍への攻撃を要請することが考えられ、日本がそれに応じた場合、大損害を被る可能性が高いということだ。

ほとんどの日本国民は有事の際の日本の役割は「米軍の後方支援」だと考えているだろう。だが、日本が台湾有事に巻き込まれ、気が付いたら中国と直接戦っていたという事態は十分にあり得るのだ。


◎攻められなくても攻めるのか…を考えないと

中国が台湾への軍事行動に踏み切った場合、武器供与などの支援はするが派兵はしないというウクライナ型の対応を米国はすると見ている。これがメインシナリオだが「米国が日本の自衛隊に中国の人民解放軍への攻撃を要請する」事態も当然に想定すべきだ。

この時に最も対応に苦慮するのが日本への攻撃を受けていない場合だ。「日本への攻撃はしないから中立を守ってほしい。しかし米国と共に軍事介入するならば核攻撃を含めあらゆる反撃を日本本土に仕掛けていく」と中国が警告しているとしよう。

そして米国が「自衛隊に中国の人民解放軍への攻撃を要請」してきた。属国である日本に拒否する選択はあるのか。ここを考える必要がある。

日本は台湾を独立国とは認めていないので、台湾有事は中国の“内戦”とも言える。何の攻撃も受けていない日本がその“内戦”に軍事介入するのか。この場合「日本がまた侵略してきた」という中国の主張に説得力が出てしまう。

この状況で中国と戦って多数の日本人が命を落とすことを国民は許容するだろうか。許容しなくても政府が押し切って米国の子分として中国と戦うべきか。台湾有事で最も判断に迷うのはここだ。しかし、今回の記事でも触れてはいない。

気が付いたら中国と直接戦っていた」という想定で話を進めているが、問題なのは「攻められていない状況でも米国と共に軍事介入するのか」だ。

記事の言う「過酷シナリオ」も一応は見ておこう。


【ダイヤモンドの記事】

自衛隊の基地はほとんどが中国のミサイルの射程圏内にあり、圏外に退避するのは難しい。自衛隊は中国の攻撃に耐えながら、海兵隊など退避せずに残った軍による“我慢の戦い”を側面支援するしかない。

数週間後、ようやく米軍が来援したとしても、自衛隊が一息つけるわけではない。

というのも、米軍が、自衛隊の戦闘機Fー35や潜水艦を前線に投入するように求めてくる公算が大きいからだ。米軍の戦死者が増え、米国内で「同盟国である日本も一緒に最前線で戦うべきだ」という世論が高まれば、日本が米軍の要請を断るのは簡単ではなくなる。

日米と中国の戦いはエスカレートし、双方が大きな損害を受ける。


◎「中国が先制攻撃」なら迷いはないが…

中国が日本に先制攻撃を仕掛けてきたのならば迷いはない。「大きな損害」を覚悟して戦うのもいいだろう。

問題は先述したような状況の場合だ。日本人の多くが戦争を望まないのに、親分である米国に逆らえずに中国の“内戦”に介入する形で戦争が始まり、日本は侵略者として中国からの反撃を受ける。そして「自衛隊の基地」などが「中国の攻撃」の対象となり、自衛隊員だけでなく多くの民間人にも死傷者が出る。

「なぜ日本は再び中国を侵略するのか」「なぜ台湾を守るために、多くの日本人の命が犠牲なる必要があるのか」

難しすぎる問いなのか、多くの書き手がこの問題から逃げているように見える。

週刊ダイヤモンド編集部では、この問題にぜひ答えを出してほしい。


※今回取り上げた記事「台湾有事で日本人の想像を絶する『過酷シナリオ』、気付けば自衛隊が中国軍と対峙し大損害

https://diamond.jp/articles/-/307609


記事の評価はC(平均的)

2022年8月21日日曜日

読者に誤解与える日経 福山絵里子記者「子育て世代『時間貧困』」

21日の日本経済新聞朝刊総合2面に載った「子育て世代『時間貧困』~共働きの3割が確保できず 子どものケアや余暇、日本はG7最少」という記事は読者に誤解を与える内容だと感じた。中身を見ながら具体的に指摘したい。

夕暮れ時の熊本市内

【日経の記事】

時間の余裕のなさを示す「時間貧困」が6歳未満の子どもを育てる世代を苦しめている。正社員の共働き世帯の3割が、十分な育児家事や余暇の時間をとれない状況に陥っている。母子家庭では育児に充てる時間が2人親家庭の半分以下で、家族の形による育児時間の格差も広がる。国際的にも日本人の子どものケアや余暇などに充てる時間は主要7カ国(G7)で最も少ない。

慶応義塾大学の石井加代子・特任准教授らが分析した。1日24時間を(1)食事や睡眠など基礎生活に必要な時間(2)可処分時間――に分け、可処分時間から労働・通勤時間を差し引いた時間が、国の統計で示される一般的な育児・家事時間より少なければ「時間貧困」と定義した。


◎まず定義が…

慶応義塾大学の石井加代子・特任准教授ら」の「時間貧困」の定義がまずおかしい。「育児・家事時間」が平均より少ないというだけで「時間貧困」なのか。ある世帯では「家事や育児より仕事に時間を使いたい。そのために家事代行や保育サービスを積極的に利用しよう」と考えたとしよう。この世帯は「育児・家事時間」が平均より少なくなる可能性が高い。だからと言って「時間貧困」と見るべきなのか。生活スタイルに応じて時間配分をしているだけという場合もあり得る。

この「時間貧困」の定義からは、誰もが平均的な「育児・家事時間」を確保したいはずだとの前提を感じる。しかし、そうとは限らない。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

例えば、6歳未満の子どもが1人いる世帯では、平均およそ1日8時間を家事、育児、介護、買い物に使っている。

分析の結果、6歳未満の子どもがいる正社員の共働き世帯の場合、31%が時間貧困に陥っていた。妻と夫で分けると、妻の80%が時間貧困だったのに対し、夫は17%。石井特任准教授は「夫の家事への参加時間の少なさが、働く妻の余裕をなくしている」と説明する。


◎「働く妻の余裕」を測定できる?

時間貧困」の分析では「働く妻の余裕」を判断できない。「妻の80%が時間貧困」となるのは「片働き」「正社員+非常勤」世帯の妻の「育児・家事時間」が長いからだろう。夫の場合はどの世帯でも働き方に差が出にくいので「時間貧困」の比率が低くなる。それは当たり前の話だ。夫と妻で「時間貧困」の比率を比べても、あまり意味がない。

それを「妻の80%が時間貧困」と打ち出すと「働く妻の余裕」がないように見える。しかし、そうとは限らない。「働く妻」が「育児・家事」を積極的に外部委託している場合「働く妻の余裕」が専業主婦を超えてもおかしくない。

夫の家事への参加時間」を増やすべきと「石井特任准教授」は考えているようだが、これはおかしな話だ。夫の「育児・家事時間」を増やして妻の「育児・家事時間」を減らすと「働く妻の余裕」は出るだろうが「育児・家事時間」が減ってしまうので「時間貧困」はさらに深刻になる。

働く妻」の「時間貧困」を減らすには「育児・家事時間」を増やすのが効果的だ。「食事や睡眠など基礎生活に必要な時間」を減らすのは現実的ではないとすれば「労働・通勤時間」を減らすしかない。

少子化を加速させないためにも、男性の家事参加はもちろん、働き方の見直し、家事の一層の支援が喫緊の課題となっている」と福山絵里子記者は記事を締めている。

時間貧困」を減らしても「少子化」対策にはならないと思うが、仮になるとしよう。そうなると働く妻の「労働・通勤時間」は削るべきとの結論になる。

記事に付けたグラフを見ると、妻の「時間貧困」の割合は「正社員+非常勤」世帯で30%、「片働き」世帯で0%だ。となると「少子化を加速させないためにも女性たちは仕事を辞めて専業主婦へ」と誘導すべきだろう。

この結論を福山記者は受け入れられる?



※今回取り上げた記事「子育て世代『時間貧困』~共働きの3割が確保できず 子どものケアや余暇、日本はG7最少

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220821&ng=DGKKZO63626740R20C22A8EA2000


※記事の評価はD(問題あり)。福山絵里子記者への評価はDで確定とする。

2022年8月19日金曜日

2021年の豪州戦に負ければ「W杯への道が絶たれ」てた?日経 岸名章友記者の誤解

日本経済新聞の岸名章友記者は悪くない書き手だと思うが、19日夕刊の記事では事実誤認と思える記述があった。日経には以下の内容で問い合わせを送っている。

筑後川昇開橋

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 岸名章友様

19日の夕刊くらしナビ面に載った「スポーツの流儀:日本サッカーの未来図(3) 森保監督、『情と徹』で道開く~和製指揮官成功の試金石に」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは「2021年10月、負ければワールドカップ(W杯)への道が絶たれるアジア最終予選オーストラリア戦」との説明です。

この試合に関して21年10月21日付の日経の記事では「負ければW杯出場が自動的に決まるB組2位以内が厳しくなる日本」と書いています。つまり「負け」でもまだ「2位以内」の可能性が残る訳です。「2位以内」が不可能となっても、3位ならばプレーオフを勝ち抜いて出場権を得る道があるので「ワールドカップ(W杯)への道が絶たれる」ためには「B組」4位以下を確定させる必要があります。しかし「オーストラリア戦」前の段階で7試合を残して3位の日本が、次の試合の負けで4位以下を確定するとは考えられません。

2021年10月、負ければワールドカップ(W杯)への道が絶たれるアジア最終予選オーストラリア戦」という記述は誤りと考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

御紙では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「スポーツの流儀:日本サッカーの未来図(3) 森保監督、『情と徹』で道開く~和製指揮官成功の試金石に

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220819&ng=DGKKZO63569770Z10C22A8KNTP00


※記事の評価はD(問題あり)。岸名章友記者への評価はB(優れている)からC(平均的)に引き下げる。岸名記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。


武藤はCFとして海外で勝負できてない? 日経 岸名章友記者に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/cf.html

2022年8月15日月曜日

「偏差値時代、終幕の足音」が大げさな日経1面連載「教育岩盤~漂流する入試」

15日の日本経済新聞朝刊1面に載った「教育岩盤:漂流する入試(1)偏差値時代、終幕の足音~大学『推薦・総合型』が過半に 入学後の指導、重み増す」という記事。「偏差値時代、終幕の足音」という見出しにはインパクトがあるが、中身を伴っていない。「偏差値で大学が序列化される時代が終わろうとしている」と言い切った根拠に関する記述を見ていこう。

有明海

【日経の記事】

リクルート進学総研が今春、約1万1千人を対象にした調査では第1志望の大学に入れた受験生は68.3%で、前回の19年より14.8ポイント増えた。年内入試が主流になれば一般入試の難易度を示す偏差値は意味を失う。小林浩所長は「大学選びの軸が偏差値しかない時代ではなくなった」と語る。


◎意味は失わないのでは?

年内入試が主流になれば一般入試の難易度を示す偏差値は意味を失う」と日経は言うが、なぜそう思うのか謎だ。今回の記事では「全国の大学でのAOと推薦による入学者は00年度に33.1%だったが、21年度は50.3%で初めて半数を超えた」と説明している。つまり「年内入試が主流」になっている。日経の見立て通りならば、既に「偏差値」は意味を失っていてもいい。そうなっているのか。

年内入試が主流」になっても「偏差値」は意味を失わないだろう。厳密に言えば「偏差値」で表される大学・学部の序列は意味を失わない。

AOと推薦」の難易度も、その序列に従って決まるはずだ。「付属・系列校」を考えれば分かりやすい。基本的には大学入試の難易度に沿って「付属・系列校」の難易度も決まる。「大学が付属・系列校や指定校からの推薦などで入学者を年内に『囲い込む』動きが止まらない」らしいが、その時に「入学者」の多くは「付属・系列校」の「偏差値」を学校選びの基準にするだろう。その「偏差値」が大学のそれと連動するのだから「年内入試が主流」になっても「偏差値」は意味を持つ。

大学選びの軸が偏差値しかない時代ではなくなった」と見るのも無理がある。「大学選びの軸が偏差値しかない時代」がそもそもあったのか。学びたいこと、立地、学費なども以前から「」だったと思える。

今回の記事に驚くような内容はない。何とかインパクトを持たせようとして「偏差値で大学が序列化される時代が終わろうとしている」と大きく出たのだろう。しかし、書いた本人も「終わろうとして」いないことに気付いている気がする。


※今回取り上げた記事「教育岩盤:漂流する入試(1)偏差値時代、終幕の足音~大学『推薦・総合型』が過半に 入学後の指導、重み増す

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220815&ng=DGKKZO63430360V10C22A8MM8000


※記事の評価はD(問題あり)

2022年8月14日日曜日

野口悠紀雄氏のMMT批判が説得力欠くダイヤモンドオンラインの記事

一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏を経済評論家として高く評価してきたが11日付のダイヤモンドオンラインに載った「コロナ禍で“盛況”だった『MMT』はやはりインフレで破綻した」という記事には失望した。「MMT」が「インフレで破綻した」と思える内容になっていないからだ。記事の一部を見ていこう。

夕暮れ時

【ダイヤモンドオンラインの記事】

MMT(現代貨幣理論)という考えがある。

自国通貨で国債を発行できる国は決してデフォルトしない。だから、税などの負担なしに、国債を財源としていくらでも財政支出ができるという主張だ。

コロナ禍ではMMTを地で行くような大規模財政支出が米国や日本などで行われてきた。

従来の正統的な考えは、「国債を財源とすれば負担感がないので、財政支出が膨張しすぎ、インフレになる。だから、こうした財政運営を行ってはならない」とされてきた。

MMTは、従来の経済理論に対する挑戦と言われた。

しかし実は、新しい内容はほとんどない。これまでの経済理論の寄せ集めなのだが、従来の理論との唯一の違いは、こうした財政運営をすればインフレになることの危険を軽視したことだ。

「インフレにならないように注意すれば大丈夫」だと、いわば、最も重要な点をMMT論者ははぐらかしたわけだ


◎逆では?

厳密に言うと「自国通貨で国債を発行できる国は決してデフォルトしない」と「MMT」では考えない。例外的な「デフォルト」を否定していない。

上記の説明でさらに問題なのは「従来の理論との唯一の違いは、こうした財政運営をすればインフレになることの危険を軽視したこと」とのくだりだ。「最も重要な点をMMT論者ははぐらかした」と野口氏は断言するが、そんなことはない。

MMT主唱者のステファニー・ケルトン氏は著書の中で以下のように述べている。

過剰な支出によってインフレが起きてしまってから、事後的にインフレと戦うのは避けたい。議会が新たなプログラムへの支出を決定する前に、CBOのような政府機関が、新たな法律にインフレリスクがないか評価することで、リスクを事前に抑えるのが好ましい。要するにMMTは、財政支出に対する人工的制約(歳入)を、真の制約(インフレ)に置き換えることを目指している

これを受けて、「MMT」に関して「インフレになることの危険を軽視した」「最も重要な点をMMT論者ははぐらかした」などと訴えるのは無理がある。「過剰な支出によってインフレが起きてしまってから、事後的にインフレと戦うのは避けたい」とまでケルトン氏は述べているのだ。

野口氏の主張をさらに見ていこう。


【ダイヤモンドオンラインの記事】

MMTは、国債依存の財政運営は、「インフレが起きないかぎり、続けられる」としていた。

しかし、コロナの収束が視野に入って経済活動が再開されてくると、アメリカではインフレが起きてしまった。

6月の消費者物価の上昇率は前年比9.1増。ウクライナ戦争による資源価格上昇の影響もあるとはいえ、約40年半ぶりという高インフレだ。

同じような状況がヨーロッパでも他の国でも起きている。

つまり、多くの人が危惧していたように、MMTは実際には機能しないことが証明されたのだ。


◎おかしな説明では?

MMT」が「国債依存の財政運営は、『インフレが起きないかぎり、続けられる』」と主張しているとしよう。この主張は「高インフレ」が起きると「実際には機能しないことが証明され」るだろうか。

国債依存の財政運営でインフレが起きることはない」と訴えていたのならば分かる。しかし、そうした主張を「MMT」はしていない。「過剰な支出によってインフレが起き」ることを「MMT」は想定しているし危惧してもいる。

さらに続きを見ていく。


【ダイヤモンドオンラインの記事】

経済学の教科書には、MMTが主張するような財政運営を行なえば、必ずインフレーションが起きると書いてある。

インフレが起きると人々の購買力が減るから、インフレは税の一種だ。しかも、所得の低い人に対して重い負担を課す過酷な税だ。

その通りであることが実証されたのだ。

誰も負担をせずに、財政支出の利益だけを享受できるという魔法が実現できるはずはない。”打出の小づち”などあり得ないというごく当たり前のことが実証されただけだと言える


◎それはMMTも訴えているが…

”打出の小づち”などあり得ないというごく当たり前のことが実証されただけだと言える」と書いてあると「MMT」は「”打出の小づち”」があり得ると主張しているように見える。もちろん、そうではない。

政府支出には何の制約もないのだろうか。じゃんじゃん紙幣を印刷すれば経済は繫栄するのか。とんでもない。MMTは打出の小槌ではない。非常に重要な制約は存在する。それを見きわめ、尊重しなければ、とんでもないことになる」とケルトン氏は述べている。野口氏の見方とかなり近い。

今回の記事の中で「MMTの主張者の1人、ステファニー・ケルトン・ニューヨーク州立大学教授は、『支出を行なう際に適切な措置が行われなかったからだ』と防戦しているが、説得性に欠けることは否めない」とも野口氏は書いている。どこが「説得性に欠ける」のか。「MMTは、財政支出に対する人工的制約(歳入)を、真の制約(インフレ)に置き換えることを目指している」。その「置き換え」が実現したのに「高インフレ」になったと言うなら、野口氏の主張には多少は説得力があるが…。

「野口氏もそろそろ書き手としての引退を考えた方が良いのでは」と思える記事だった。



※今回取り上げた記事「コロナ禍で“盛況”だった『MMT』はやはりインフレで破綻した

https://diamond.jp/articles/-/307887


※記事の評価はD(問題あり)