15日の日本経済新聞朝刊1面に載った「教育岩盤:漂流する入試(1)偏差値時代、終幕の足音~大学『推薦・総合型』が過半に 入学後の指導、重み増す」という記事。「偏差値時代、終幕の足音」という見出しにはインパクトがあるが、中身を伴っていない。「偏差値で大学が序列化される時代が終わろうとしている」と言い切った根拠に関する記述を見ていこう。
有明海 |
【日経の記事】
リクルート進学総研が今春、約1万1千人を対象にした調査では第1志望の大学に入れた受験生は68.3%で、前回の19年より14.8ポイント増えた。年内入試が主流になれば一般入試の難易度を示す偏差値は意味を失う。小林浩所長は「大学選びの軸が偏差値しかない時代ではなくなった」と語る。
◎意味は失わないのでは?
「年内入試が主流になれば一般入試の難易度を示す偏差値は意味を失う」と日経は言うが、なぜそう思うのか謎だ。今回の記事では「全国の大学でのAOと推薦による入学者は00年度に33.1%だったが、21年度は50.3%で初めて半数を超えた」と説明している。つまり「年内入試が主流」になっている。日経の見立て通りならば、既に「偏差値」は意味を失っていてもいい。そうなっているのか。
「年内入試が主流」になっても「偏差値」は意味を失わないだろう。厳密に言えば「偏差値」で表される大学・学部の序列は意味を失わない。
「AOと推薦」の難易度も、その序列に従って決まるはずだ。「付属・系列校」を考えれば分かりやすい。基本的には大学入試の難易度に沿って「付属・系列校」の難易度も決まる。「大学が付属・系列校や指定校からの推薦などで入学者を年内に『囲い込む』動きが止まらない」らしいが、その時に「入学者」の多くは「付属・系列校」の「偏差値」を学校選びの基準にするだろう。その「偏差値」が大学のそれと連動するのだから「年内入試が主流」になっても「偏差値」は意味を持つ。
「大学選びの軸が偏差値しかない時代ではなくなった」と見るのも無理がある。「大学選びの軸が偏差値しかない時代」がそもそもあったのか。学びたいこと、立地、学費なども以前から「軸」だったと思える。
今回の記事に驚くような内容はない。何とかインパクトを持たせようとして「偏差値で大学が序列化される時代が終わろうとしている」と大きく出たのだろう。しかし、書いた本人も「終わろうとして」いないことに気付いている気がする。
※今回取り上げた記事「教育岩盤:漂流する入試(1)偏差値時代、終幕の足音~大学『推薦・総合型』が過半に 入学後の指導、重み増す」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220815&ng=DGKKZO63430360V10C22A8MM8000
※記事の評価はD(問題あり)
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