2019年10月9日水曜日

土地が自然に返ると「国土縮小」? 日経 斉藤徹弥論説委員の「中外時評」

「自分とは正反対の解釈をする人もいるんだなぁ…」と思えたのが、9日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に載った「中外時評~『国土縮小計画』への覚悟を」という記事だ。筆者の斉藤徹弥論説委員は、「人口減少」に伴い日本が「国土縮小」へ向かうと訴える。しかし、個人的には「相対的な国土拡大」だと感じた。
金華山黄金山神社(宮城県石巻市)
      ※写真と本文は無関係です

記事の冒頭を見ていこう。

【日経の記事】 

兵庫県の淡路島から船で10分ほど。ハモ漁で知られる沼島(ぬしま)に渡ると、船着き場に戦後間もない島を空撮した写真がある。小高い山の頂近くまで段々畑が広がっているのが印象的だ。周囲10キロの島に当時、3000人が住み、食糧増産のため開墾が進んでいた。

山は今、かつて畑だったとは想像できないほど青々としている。島の人口は400人あまりになった。不動産問題に詳しいオラガ総研の牧野知弘代表は「人口減少で使われなくなった土地が自然に返る象徴的な光景だ」と話す。

沼島で観光案内をする小野山豪さんは「数年前にイノシシが島に渡ってきて耕作放棄に拍車をかけた」と言う。いったん畑が荒らされると高齢農家の耕作放棄が一気に進むため、鳥獣との緩衝地帯になる里山の管理が重要になる。牧野氏は「管理すべき土地と自然に返す土地を色分けした国土のグランドデザインが必要だ」と指摘する。

国土交通省の国土審議会は月内にも、2050年までの国土の姿を描き直す作業を始める。50年の推計人口は1億192万人。1キロ四方に区切ると、50年には住む人がいなくなる地域が全国の2割近くになる。これを前提に2年かけて長期展望をつくり、次の国土計画に反映させる


◎人が住まなきゃ「国土」じゃない?

斉藤論説委員が取り上げた「沼島」で考えてみよう。かつては「3000人」が住んでいたのに「島の人口は400人あまりになった」。「沼島」が1つの国だとしたら「国土」は「縮小」したと感じるだろうか。

実際の広さは変わらないと仮定しよう。自分が「沼島」の住人だったら「相対的に国土が広くなった」と考える。住民1人当たりの「国土」が増えたからだ。

しかし斉藤論説委員は「国土縮小」の事例と捉えている。「住む人がいなくなる地域」は「国土」ではないとの認識があるようだ。

斉藤論説委員の考え方が間違いとは言わない。例えば砂漠化が進んだ結果として「住む人がいなくなる地域」が増えてくれば、自分も「国土縮小」と考えるだろう。しかし日本はそうではない。「居住可能なのに住む人がいなくなる地域」が増えるだけだ。

記事の最後で「近く着手する戦後8度目の国土計画は、いわば『国土縮小計画』にならざるをえない。新たな国造りに覚悟を決めるときである」と斉藤論説委員は訴える。そこに「『国土拡大計画』とも言えるかも…」という視点を加えてみたら、それほど「覚悟」を決めなくても良いと思えるのではないか。

沼島」で言えば、人が増え続けているのに「開墾」する土地もないという状況は憂慮すべきだ。一方、人が減って「400人あまり」になった島には大きな問題が起きているのだろうか。「人口減少で使われなくなった土地が自然に返る」のは、そんなに困った話でもない気がする。


※今回取り上げた記事「中外時評~『国土縮小計画』への覚悟を
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20191009&ng=DGKKZO50751160Y9A001C1TCR000


※記事の評価はC(平均的)。斉藤徹弥論説委員への評価も暫定でCとする。

0 件のコメント:

コメントを投稿