2015年11月3日火曜日

久々の挑戦的特集 ダイヤモンド「ステマ症候群」に思うこと

挑戦的でリスクを負った特集がほとんどなくなってしまった週刊ダイヤモンドで、久しぶりに危険な香り漂う特集を見かけた。11月7日号の特集2「急成長するPR会社ベクトルが掴んだノンクレジット広告の落とし穴 ステマ症候群」は興味深い内容だった。特に、ダイヤモンド社自体についても「お金を払って作られる広告記事にもかかわらず、広告(クレジット)表示をせず、あたかも中立的な記事を標榜する『ステマ広告』が過去にあったことが判明した」と述べている点は評価できる。

福岡県朝倉市の三連水車 ※写真と本文は無関係です
記事内容にもツッコミどころは基本的にない。ただ、「本誌は2カ月に及ぶ取材を重ね、ついにその生態系の一端を解明した」「本誌は2カ月以上に及ぶ取材の中でベクトルの複数の内部資料を入手」と2回も「2カ月以上の取材」を出してきたのは引っかかった。取材期間の長さは読者にとって重要な情報ではないので繰り返す必要はないし、なくてもいい。しかも「2カ月」ならば、取材期間としては声を大にして言うほどの長さではない。

話は戻るが、記事によるとダイヤモンド社で「ステマ広告」を手掛けていたのは編集部ではなく「社内の広告営業部門であるクロスメディア広告部」だったらしい。これが編集部だったら、同じように記事にできただろうか。そう思うのは、週刊ダイヤモンドに記事中の間違いを指摘しても、ことごとく無視される状況が続いているからだ。今回の記事からは「自社の記事に問題があれば積極的に認めていこう」との姿勢がうかがえる。ならば、なぜ間違い指摘は無視の連続なのか。

記事では「後は、読者が各メディアのスタンスをどう思うか、である。結果的にそれが読者の信頼を失うのであれば、メディア側の自業自得といえる」と結んでいる。間違い指摘の無視に関しても「信頼を失うのならば、それはメディア側の自業自得」と考えているのだろうか。

ついでなので、ダイヤモンド編集部が間違い指摘を無視するきっかけとなった「櫻井よしこ氏の記事に関する訂正の訂正」について、田中博編集長に送ったメールの内容を改めて紹介しておこう。

※今回の特集の評価はB(優れている)。後藤直義記者と池田光史記者の評価は暫定D(問題あり)から暫定Bへ引き上げる。小島健志記者の評価も暫定でBとする。




【田中博編集長へのメール】

週刊ダイヤモンド編集長  田中博様

6月13日号の「訂正とお詫び」の中で「60歳を超えると、毎年、年代層に応じて数日間の軍事訓練を受ける義務も負う」との記述を「60歳になるまで」に訂正された件で、私は再訂正を求めました。しかし、6月20日号に続き、6月27日号でも再訂正は掲載されませんでした。6月7日に訂正記事の内容が誤りであることをお伝えし、その後もメールや電話で回答を求めていますが、完全に無視されています。間違い指摘から2週間以上が経過しており、「訂正記事の内容には誤りがあるが、再訂正はしない。指摘に関しては、無視を貫く方針である」と推察するしかありません。この前提に基づいて、一読者としての意見を申し上げます。

「記事を作る側の人間には越えてはいけない一線がある」と私は考えています。明らかな誤りを握りつぶしてしまった方が組織内で大きな波風を立てずに済む場合も多いでしょう。しかし、一度そのやり方に手を染めてしまえば、記事の作り手としての信頼と資格を決定的に失ってしまいます。例えば、社外の知り合いから「訂正記事の中に明らかな誤りがあったのに、握りつぶして無視したって本当ですか?」と問われたら、何と答えますか。「雑誌編集者として後ろめたいことは何もしていません。あれは握りつぶすのが正解です」と胸を張って言えますか。

訂正の訂正は避けたいという気持ちは理解できます。筆者の櫻井よしこ氏が再訂正に強く抵抗している可能性もあるでしょう。櫻井氏の機嫌を損ねて厄介な状況に追い込まれるのは、会社員として致命的なのかもしれません。そうした事情があったとしても、越えてはいけない一線を越えるべきではありません。今もダイヤモンドのサイトには、スイスの徴兵制に関する間違った記述が堂々と載っています。間違いだと気付いているのに放置しているのです。これを読者への裏切り行為と呼ばずして、何と呼べばよいのでしょう。

今回のように間違い指摘を握りつぶしてしまえば、今後の記事で企業の不祥事を批判しても説得力は皆無です。自社製品の欠陥を消費者から指摘されていたのに放置して問題を大きくしてしまったメーカーがあるとしましょう。そのメーカーを週刊ダイヤモンドの誌上で批判できますか。「社内の管理体制に問題がある」「消費者軽視の企業体質を改めるべきだ」などと書けば、その批判は自分たちにそのまま戻ってきます。しかし、取材対象に注文を付ける資格のないメディアでは、存在意義がありません。だから、歯を食いしばってでも、間違い指摘に対してまともな対応をすべきなのです。

私には「一線を越えてはダメだ」と助言することしかできません。今回の対応を見る限り、もう迷いはないのでしょう。雑誌の編集者を志した時には、明らかな誤りを握りつぶして保身へ走る側に回るとは思いもよらなかったはずです。しかし、経験を重ねる中で初心を忘れ、足を踏み入れてはいけない場所へと歩を進めてしまいました。それが残念でなりません。

堕ちてしまった向こう側の世界には、どんな風景が広がっていますか。

0 件のコメント:

コメントを投稿