2015年11月11日水曜日

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(2)

日経ビジネス11月9日号に田村賢司主任編集委員が書いていた「スペシャルリポート 戦後70年の日本経済-最終回- 物価下落はなぜ止まらないのか 『失われた20年』、4つの要因 デフレ脱却は民間活力から」という記事に関して、日経BP社から問い合わせに対する回答が届いた。内容はやはり苦しいが、回答をしたことは高く評価したい。日経本社も見習ってほしいものだ。

では、順に回答を見ていこう。
英彦山山頂(福岡県添田町) ※写真と本文は無関係です

【問い合わせ】

1、60ページに「2001年3月になって金融緩和策に切り替えたが、規模は小さく、2006年3月にはそれも終了してしまった」と書かれていますが、切り替えたのは「量的緩和政策」ではありませんか。記事に付いている表では「日銀、量的緩和政策を実施=01年3月」「日銀、量的緩和政策を終了=06年3月」となっています。記事が正しいとすると、01年3月に引き締め策から緩和策へ転換したと受け取れますが、実際の経緯と一致しません。

【回答】

ご指摘の通り、量的緩和策のことを指していますが、ここではそれを含めての概念として記述しました。引き締め策から緩和に転じたということを書く場所ではなかったので、より分かり易い表現としてこのようにしました。


【回答に対する感想】

表と表記を変えるのが「より分かり易い表現」とは思えない。百歩譲って「金融緩和策」の方が分かりやすいとの判断ならば、表もそう表記すべきだろう。それに「引き締め策から緩和に転じたということを書く場所ではなかった」との説明は意味不明だ。問い合わせでも書いているように、2001年3月になって引き締め策から緩和策へ転換したわけではない。

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【問い合わせ】

2、記事に付けた表で「1999年2月 日銀、ゼロ金利政策実施 日銀が金融緩和に乗り出した」となっています。この書き方だと「それまでは金融緩和に乗り出していなかった」と解釈できますが、実際には1991年7月に公定歩合を引き下げて、金融緩和に乗り出しています。記事の説明は誤りではありませんか。


【回答】

ここも同様でそれまで金融緩和に乗り出しているかどうかを表すためではなく、日銀がゼロ金利という金融緩和政策に乗り出したという大きな動きを示す意図でこのように記述しております。


【回答に対する感想】

どういう意図で記事のような記述になったのかはどうでもいい。正しく意図が読者に伝わるような書き方になっているかが問題だ。記事の書き方では「99年2月に緩和へ転じるまで日銀は金融緩和に乗り出していなかった」と解釈するしかない。

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【問い合わせ】

59ページに「日本では旧三洋証券が会社更生法の適用を申請した。その約3週間後に旧山一証券が自主廃業を決め、後を追うように旧北海道拓殖銀行が経営破綻、深刻な金融危機に陥った。翌98年には日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が公的管理に入り」と書かれています。三洋証券、山一証券、拓銀には「旧」を付けていますが、長銀と日債銀には「旧」がありません。この理由は何でしょうか。一般的に、会社自体が消滅した山一証券などには「旧」が不要で、名称を変えて現存する長銀や日債銀には「旧」があった方がよいと思えます。


【回答】

三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行は事実上、消滅しているので「旧」をつけました。また、長銀と日債銀は形を変えて存続しているため、つけておりません。旧をどのようにつけるかについて、本誌では厳密な決まりを設けているわけではなく、そのときの文脈などで決めております。


【回答に関する感想】

この回答は面白い。「旧電電公社」「旧国鉄」「旧大蔵省」といった使い方は多くの人が目にしたことがあるだろう。これらはいずれも名前を変えて存続している。しかし、田村編集委員はこういう場合には「旧」を付けないらしい。つまり、普通とは逆の感覚で「旧」を付けている。「旧」の使い方に日本語としての明確なルールがあるとは言わないが、ちょっと驚きだ。


回答の紹介が長くなったので、田村賢司主任編集委員のデフレ分析に関しては(3)で言及する。

※(3)へ続く。

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