2015年9月22日火曜日

東洋経済の「東芝特集」で唯一残念な磯山友幸氏の記事

東洋経済9月26日号の特集「東芝 傷だらけの再出発」は基本的によく書けていた。ただ、62~63ページに載っていた経済ジャーナリストの磯山友幸氏による記事「会社との力関係の弱さに起因?~新日本で不正会計がなぜ頻発するのか」は頂けない。理由は2つある。
ルクセンブルクのギヨーム2世広場に建つギヨーム2世の騎馬像
                  ※写真と本文は無関係です

まず、新日本監査法人への取材が少なすぎる。コメントとしては「新日本の幹部は『東芝との関係が年々事務的になっていた』と語る」というくだりだけしかない。「新日本で不正会計がなぜ頻発するのか」という記事を書くならば、幹部以外も幅広く取材して記事を書いてほしい。「取材を断られた」「取材はしたがコメントしてくれなかった」という場合、読者にその情報を提示してほしい。

さらに言えば、新日本の幹部1人には取材できているのだから「新日本で不正会計がなぜ頻発するのか」と問うた結果は書いてもらいたい。第三者委員会の報告書や有価証券報告書の内容に言及するのはそれからだ。記事を読む限りでは「新日本の人間には1人しか当たっていないのではないか。しかも突っ込んだ質問はしていないのでは?」との疑念が消えない。

記事にはもう1つ注文がある。新日本が東芝に対して弱腰な理由を磯山氏は以下のように説明している。


【東洋経済の記事】

なぜそんなに弱腰なのか。監査法人の監査証明が得られなければ会社は上場を維持できなくなる。本来なら、会社よりも監査法人のほうが力は強そうなものだが、東芝と新日本はどうやら逆だったようだ。それを端的に示しているのが監査報酬だ。

東芝は2009年3月期に14億5600万円を新日本に支払っていたが、その後年々減り、15年3月期は10億2500万円。同業の日立製作所が新日本に支払った監査報酬(20億2100万円)の半分以下である。

当然、その分、新日本が東芝の監査に費やす時間も減っていたと思われる。新日本の幹部は『東芝との関係が年々事務的になっていた』と語る。要は、会社に強くモノを言うことができなくなっていたのである。


この説明は苦しい。2つのケースを考えてみよう。(1)年々取引額が増えていて、人的関係も濃密になっている (2)年々取引額が減っていて、人的関係も事務的になっている--。取引を切られる覚悟で厳しい意見を言いやすいのはどちらだろう。常識的に考えれば(2)だ。そして新日本と東芝の関係は(2)に当てはまる。

もちろん(2)のケースでも、「取引額減少に危機感を抱き、何とか回復させようと躍起になっていた」といった事情があれば別だ。しかし、記事からそうした状況は読み取れない。

磯山氏の結論は以下のようなものだ。


【東洋経済の記事】

新日本で会計不祥事の「見逃し」が続くのは、会社との力関係が弱いことに根本的な問題があるのではないか。規模の大きい法人を維持するために、大口の監査先を失いたくない、あるいは、新規の監査を少しでも取りたいという思いが優先し、企業に足元を見られているのではないか。


このくだりがおかしいとは言わない。ただ、新日本が本当に「会社との力関係が弱い」かどうかは取材不足のせいで判然としない。また、「大口の監査先を失いたくない、あるいは、新規の監査を少しでも取りたい」という気持ちは、多かれ少なかれ他の監査法人にもあると思える。新日本が特に「会社との力関係が弱い」とすれば、新日本に固有の要因があるはずだ。そこにも記事では踏み込めていない。筆者の磯山氏には、手間を惜しまずきちんと取材するよう求めたい。


※記事の評価はD(問題あり)、磯山友幸氏の評価も暫定でDとする。東芝特集全体ではB(優れている)と評価できる。富田頌子、前田佳子、渡辺清治の各記者は暫定C(平均的)から暫定Bに評価を引き上げる。山田雄一郎記者は暫定Bを維持する。

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