2016年11月9日水曜日

ソ連参戦は「8月15日」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う

少し古くなるが、7日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に芹川洋一論説主幹が書いた「核心~北方領土は『2+α≒4島』 歴史の重み忘れずに」という記事を取り上げたい。最も気になったのは「8月15日以降、ソ連軍により命をおとした人々」という記述だ。なぜ「8月15日以降」限定なのかが気になったのだが、これは最後に述べる。まずは記事の冒頭部分を見ていく。
亀山八幡宮(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

すっかり忘れ去ってしまっている歴史上のできごとがあるものだ。昨年が戦後70年だったのは、だれもが知っている。ところが今年が海外からの引き揚げ70周年というのは、恥ずかしながら知らなかった。国文学研究資料館の加藤聖文・准教授に教えてもらった。

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◎戦後の引き揚げ者を「すっかり忘れ去った」?

芹川論説主幹は、戦後に海外からの引き揚げ者がいたことを「すっかり忘れ去ってしまって」いたのだろうか。だとしたら、太平洋戦争に絡めて記事を書くのはやめた方がいい。「海外からの引き揚げ」を「すっかり忘れ去ってしまっている歴史上のできごと」にしてしまったのは、ついつい出てしまった大げさな表現だとは思うが、本当だったら怖い。

引き揚げに関しては、他にも疑問を感じた。

【日経の記事】

戦時中、海外にいた兵士・民間人は630万人にのぼる。その大多数が1946年の1年間で日本国内に引き揚げてきた。それこそ命からがら、着の身着のまま、日本に向かった民族大移動だった。祖国の土を踏む目前で無念にも亡くなった方もいたに違いない。

(中略)「(舞鶴発)ソ連からの最後の帰国集団1025名を乗せた興安丸は、ダモイ(帰国)の喜びを船腹一杯にふくらませながら、予定通り26日朝8時粉雪のちらつく舞鶴に入港」――56年12月26日付の本紙夕刊はこんなふうに伝えている。11年間のシベリア抑留からやっと帰国した人たちだ。

(中略)「最後の集団帰国」といわれたのは、これによって旧満州、北朝鮮、千島列島、ソ連からの帰国がおおむねおわったからだ。同年10月19日、鳩山一郎首相とブルガーニン首相が日ソ共同宣言に署名、国交が正常化したのを受けたものだった。

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◎大多数が「1946年に引き揚げてきた」?

大多数が1946年の1年間で日本国内に引き揚げてきた」と芹川論説主幹は言っているのに、1956年の「最後の集団帰国」では「1025名」が帰国したとも書いている。46年に帰国したのは「630万人」のうち500万人程度とされているようだ。これが事実ならば「大多数が1946年の1年間で日本国内に引き揚げてきた」と言い切るのは誤解を招く。

次は記事の結論部分を見ていく。

【日経の記事】

12月15日の山口での日ロ首脳会談に期待が高まっている。ここで進展がなければ4島の帰属はこのまま固定してしまうとみる向きが多い。関係者は異口同音に「最後のチャンス」という。ただすんなりいくとは、とても思えない。

外交筋の話を総合すると、インフラ整備が進んだ択捉島や、軍事的に大きな意味を持つ国後島をロシアが手放す可能性は極めて小さい。ロシアの国内事情について「クリミア問題でナショナリズムが高揚しており、歯舞・色丹で手を打つことさえむずかしくなっている」とも解説する

4とゼロの間で、どこに解をさぐるのか。本紙の世論調査でも4島一括ではなく一部返還でも可とみる人が54%と過半をしめるなど国民意識の変化も見える。4島にはロシア人が居住、旧島民も帰還希望者はほとんどおらず、むしろ求めるのは自由な往来だという。

安倍首相とプーチン大統領の首脳会談は14回を数え、本音で話のできる関係になっているらしい。北東アジア情勢を考えた場合も、日ロ関係の改善は強大化する中国への抑止効果が期待できるのはたしかだ。

ここは平和条約で2島プラスα。αをいかに大きくして限りなく2に近づけるかの勝負ということか

8月15日以降、ソ連軍により命をおとした人々。極寒の「異国の丘」で亡くなった人々。そうした歴史の重みは忘れずに、米欧諸国との関係も頭に入れつつ、リアリズムで何が全体的な利益かを考えて答えを求めていくしかないのだろう。

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◎「α」の中身になぜ触れない?

北方領土は『2+α≒4島』」という思わせぶりな見出しを付けているのに、記事を読んでも何が「α」になるのか不明だ。これは辛い。どういう「α」が考えられて、それがどの程度のものになれば「≒4島」になるのかは必ず触れてほしい。できないのならば「論説主幹」の肩書は返上すべきだ。


◎いきなり「異国の丘」?

極寒の『異国の丘』で亡くなった人々」と言われても「異国の丘」という歌を知らない読者にとっては「なぜここで『異国の丘』が出てくるのか」を理解できないだろう。「異国の丘」を日経の読者ならば誰でも知っているはずだと考えるのは無理がある。芹川論説主幹にありがちな説明不足だ。


◎誰が「解説」?

ロシアの国内事情について『クリミア問題でナショナリズムが高揚しており、歯舞・色丹で手を打つことさえむずかしくなっている』とも解説する」と言うものの。誰が解説するのはは謎だ。これは感心しない。「外交筋」による解説なのかもしれないが、断定できる材料はない。この辺りは明確にしてほしい。

ついでに言うと「むずかしく」ぐらいは漢字表記してほしい。やたらと平仮名が多いのは芹川論説主幹の悪癖だ。平仮名が続くとかえって読みづらい。


◎なぜ「8月15日以降」限定?

8月15日以降、ソ連軍により命をおとした人々」がいたという「歴史の重みは忘れずに」と芹川論説主幹は訴えている。「歴史の重みは忘れずに」は見出しにもなっている。だが、なぜ「8月15日以降」限定なのか。ソ連は1945年8月8日に日本へ宣戦布告し、9日に参戦したとされている。だとすると8月9~14日にも「ソ連軍により命をおとした人々」がいたはずだ。

8月14日までに命を落とした人を「歴史の重みは忘れずに」の対象に入れないのは解せない。それとも「ソ連参戦で日本側に初の死者が出たのは8月15日」と芹川論説主幹は認識しているのだろうか。だとしたら、芹川論説主幹に「歴史の重みは忘れずに」と訴える資格はあるのか。

※記事の評価はD(問題あり)。芹川洋一論説主幹への評価はE(大いに問題あり)を維持する。芹川論説主幹に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_50.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_98.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_51.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html

「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_13.html

日経 芹川洋一論説主幹 「新聞礼讃」に見える驕り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_33.html

「若者ほど保守志向」と日経 芹川洋一論説主幹は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_39.html

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