「女性登用」を推し進めようとする主張は性別にこだわる時点で説得力がなくなる。20日の日本経済新聞朝刊スポーツ面にWEリーグチェアの岡島喜久子氏が書いた「スポートピア~女性登用、不変のテーマ」という記事もその一例だ。まず以下のくだりにツッコミを入れてみたい。
下関駅前 |
【日経の記事】
2009年以降、国際大会で優勝したチームの96%が女性監督だったというデータをご存じだろうか。数少ない例外の一つが佐々木則夫監督。男性指導者の力を否定するわけではない。ヨーロッパなどサッカー先進国では、女性が男性を脅かす存在だとはとらえていないのだと思う。
ビジネスゴルフを4人で回った日のこと。この手のラウンドは往々にして男性3人に対して女性1人、という比率が多い。その日は逆だった。
3人いる女性陣のペースに男性が合わせる。プレー後、女性がシャワーや身だしなみに時間をかける間、男性は待つ。いつもとは勝手の違ったその男性はつぶやいた。「マイノリティーになるとは、こういうことなんだとわかった」。その立場になってみると、分かるのだ。
◎女性が1人でも同じことでは?
まず女性は「マイノリティー」なのか。「2009年以降、国際大会で優勝したチームの96%が女性監督だった」のであれば「男性指導者」の方が「マイノリティー」だ。日本は逆と言いたいのかもしれないが、そうしたデータは示していない。
さらに引っかかるのが「ゴルフ」の話だ。「女性がシャワーや身だしなみに時間をかける間、男性は待つ」のは「女性」がいれば1人でも同じことは起きる。例えば同じ車で帰るのならば「女性」が1人でも残り3人の「男性は待つ」。当然の話だ。
「マイノリティーになるとは、こういうことなんだとわかった」と「その男性はつぶやいた」らしいが本当かなとは思う。
さらに見ていこう。
【日経の記事】
日テレ東京VやACミラン(イタリア)など強豪6クラブが米国で競ったカップ戦をみてきた。ミランの快足、早いパス回しに日テレ東京Vは圧倒され、自分たちのパスは通らない。1-3で屈した内容は、東京五輪で日本代表が喫したやられ方をなぞるかのようだった。
世界は進んでいる。プレー面にとどまらない。その大会に米国外から集結した4チームの監督、団長はみな女性。日テレ東京Vの男性監督、男性団長は珍奇なようで決まりが悪いというか、これでいいのだろうかとも感じたという。そんな違和感に男性が気づいてくれること、女性への視線を変えることが変革の一歩だと思う。
◎「4チームの監督、団長はみな女性」?
上記のくだりには誤りがあると思える。日経には以下の内容で問い合わせしている。
《日経への問い合わせ》
日本経済新聞社 運動部 担当者様
20日の朝刊スポーツ面にWEリーグチェアの岡島喜久子氏が書いた「スポートピア~女性登用、不変のテーマ」という記事についてお尋ねします。
記事では「日テレ東京VやACミラン(イタリア)など強豪6クラブが米国で競ったカップ戦」に関して「その大会に米国外から集結した4チームの監督、団長はみな女性」と説明しています。これを信じれば日テレ東京Vの「監督、団長」は「女性」のはずです。しかし、この直後に「日テレ東京Vの男性監督、男性団長は珍奇なようで決まりが悪いというか、これでいいのだろうかとも感じたという」と岡島氏は記しています。
日テレ東京Vの「監督、団長」が男性であれば「その大会に米国外から集結した4チームの監督、団長はみな女性」とは言えません。日テレ東京Vの監督は当時も男性のようなので「その大会に米国外から集結した4チームの監督、団長はみな女性」との記述に問題があると思えます。
記事の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。
せっかくの機会なので上記のくだりに関してさらに指摘しておきます。
「6クラブ」のうち日テレ東京V以外は「監督、団長」が「みな女性」だったのならば「日テレ東京Vの男性監督、男性団長は珍奇なようで決まりが悪いというか、これでいいのだろうかとも感じた」との説明もまだ分かります。なぜ米国のクラブは除いたのでしょうか。
米国の2つのクラブと日テレ東京Vを除く「チームの監督、団長はみな女性」だったのだとすれば「チームの監督、団長はみな女性」と言えるのは参加クラブの半数です。かなり話が変わってきます。
「世界は進んでいる」と訴えるために、その趣旨に添わない米国のクラブは無視することにしたのでしょう。気持ちは分かりますが、こうしたご都合主義的なデータの使い方は感心しません。
問い合わせは以上です。「4チームの監督、団長はみな女性」で正しいのかどうかは回答をお願いします。御紙では読者からの間違い指摘を無視してミスを放置する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある対応を心掛けてください。
◇ ◇ ◇
問い合わせは以上。岡島氏は記事を以下のように締めている。
【日経の記事】
意識的に女性の指導者やリーダーをつくり、登用する道筋をつくっていかねば、変わらない。トップが誰であろうと変わらぬテーマであり続ける。
◎なぜ性別にこだわる?
「意識的に女性の指導者やリーダーをつくり、登用する道筋をつくっていかねば、変わらない」と岡島氏は言うが、なぜ変える必要があるのか。
重要なのか「指導者やリーダー」としての資質だ。性別に関係なく優れた「指導者やリーダー」を登用してくのが基本ではないのか。
「意識的に女性の指導者やリーダーをつくり、登用する」ために「指導者」としての実力が見劣りしても、あえて女性を選ぶのか。それは日本の女子サッカーのためになるのか。
※今回取り上げた記事「スポートピア~女性登用、不変のテーマ」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220920&ng=DGKKZO64451060Z10C22A9UU8000
※記事の評価はE(大いに問題あり)
日経の記事を書いている会社員は、数字の間違いをよく起こします。ビジネスマンは、数字の間違いは許されませんが、日経ではそれが常態化していますので、ビジネスマンではないのでしょうが。単なるサラリーマンです。
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