2021年6月13日日曜日

Newsweek「世界があきれる東京五輪」のあきれた論理展開

自分は東京五輪の開催賛成派だ。だからと言って中止派の考えが間違っているとは思わない。結局は好みの問題だ。しかしNewsweek6月15日号の「世界があきれる東京五輪」という特集は納得できる内容ではなかった。グレン・カール氏(本誌コラムニスト、元CIA工作員)が書いた「人名喪失コストに目を向ける時~GAMES OVER LIVES?」という記事の一部を見ていこう。

夕暮れ時の筑後川

【Newsweekの記事】

五輪が日本の新型コロナ感染状況にどのような影響を及ぼすかについて、正確な推計は不可能だ。そこで控えめな計算をして、五輪閉幕後の1カ月間、(感染が爆発的に広がることは避けられて)5月前半とほぼ同水準の1日7000人程度の新規感染者が発生すると仮定しよう。

この場合、1カ月間の新規感染者の合計は21万人。日本の医療体制は極度に逼迫するだろうが、「崩壊」までは行かないかもしれない。しかし、新型コロナの致死率は約2%と言われているので、1カ月で4200人が死亡する計算だ。

米政府は、さまざまな分野で安全性に関する規制を設ける際の基準にするために、複雑な計算式に基づいて人命の価値を約1000万ドルと算出している。これに従えば、1カ月で4200人が死亡した場合、約420億ドルの損失という計算になる。

五輪閉幕から2カ月目、1カ月の死者数が2100人に半減するとしよう。その場合には五輪閉幕後の人命喪失による損害は、わずか2カ月で合計630億ドル相当ということになる。

このように命の価値を金額に換算するという不愉快な計算をするまでもなく、五輪開催のコストが社会的・経済的な利益を大きく上回ることは明らかだろう。


◇   ◇   ◇


問題点を列挙してみたい。


(1)前提が間違ってない?

カール氏の主張で最も問題なのは「五輪がなければ新型コロナによる感染者・死者はゼロ」との前提で考えていることだ。「五輪閉幕から2カ月」で新型コロナによって6300人が死亡したとしても、全て五輪の影響とは言えない。なのにカール氏は、6300人の死亡で生じる「合計630億ドル相当」の「損害」を「五輪開催のコスト」と見なしている。

論外だ。出発点から間違っている。


(2)どこが「控えめ」?

五輪が日本の新型コロナ感染状況にどのような影響を及ぼすかについて、正確な推計は不可能」というのはその通りだ。しかし「そこで控えめな計算をして」「1日7000人程度の新規感染者が発生すると仮定」するのは納得できない。どこが「控えめ」なのか(開催による上乗せ分の新規感染者として、ここでは考える)。

産経新聞の記事によると「東京大大学院経済学研究科の仲田泰祐准教授と藤井大輔特任講師」の試算では「海外の選手や関係者ら入国者数は10万5千人でワクチン接種率が50%として試算した結果、都内における1週間平均の新規感染者数で約15人、重症患者数で約1人、上昇させる程度にとどま」るらしい。

この場合「五輪」開催によって生じる追加の重症者は「五輪閉幕から2カ月」で10人前後。死者はさらに少なくなる。「控えめ」と言うなら、せめてこのレベルで「五輪開催のコスト」を見るべきだ。


(3)コストが利益を上回ってる?

五輪閉幕後の人命喪失による損害は、わずか2カ月で合計630億ドル相当」というカール氏の計算を取りあえず受け入れてみよう。だからと言って「五輪開催のコストが社会的・経済的な利益を大きく上回ることは明らか」とは言えない。

記事の中で「(五輪の)長期的効果は27兆円」という「日本の試算」に触れている。これは「恐ろしいほど楽観的」かもしれないが「五輪開催のコストが社会的・経済的な利益を大きく上回ることは明らかだろう」と言うならば「27兆円」を大きく上回る「コスト」が見込めるはずだ。

しかし「630億ドル」(約7兆円)では「27兆円」に全く届かない。これだと「五輪開催のコストが社会的・経済的な利益を大きく」下回る可能性が十分にある。


(4)死者の内訳は見なくていい?

人命の価値を約1000万ドル」と見ていることについても考えたい。カール氏は「複雑な計算式」としか書いていないので、野村総合研究所の「新型コロナウイルス対策緊急提言」を参考にしたい。そこでは以下のように説明している。

人的資源の価値は『Value of Statistical Life:VSL(統計的生命価値)』を用いている。これはある一定期間の死亡率を下げるためにどの程度の金銭を支払う意思(Willingness-to-pay)を持っているかを測定した上で、その金額を平均余命に当てはめた上で『命』の経済的価値を金銭価値で表したものである。アメリカのVSLは平均的に一人あたり1,000万ドル(約11億円)となっている(このVSL値は政府などで広く用いられている)

ここからは「余命」が長いほど「『命』の経済的価値」は高くなると取れる。一般的な考え方とも合致する。

では新型コロナによる死者の年齢層はどうなっているか。言うまでもなく、圧倒的に高齢者に偏っている。であれば、百歩譲って「1カ月で4200人が死亡した」としても「約420億ドルの損失」と見なすのは無理がある。

今回の記事をカール氏は以下のように締めている。

何千人もの死者を出してまで陸上短距離やレスリングの試合を行う価値はない。東京五輪は中止すべきだ

既に述べたように五輪開催によって追加的に「何千人もの死者」が出るとは考えにくい。感染拡大につながる可能性はもちろんあるが、これまでの傾向から推測すると「死者」は高齢者に偏るだろう。その多くは、元々わずかしか「余命」がなかった人々だ。

そうした人を守るために、多くの若者の夢を犠牲にしてまで、なぜ「東京五輪は中止すべき」なのか。

若者が「何千人も」追加で死亡する可能性が高いのならば「東京五輪は中止すべき」だ。しかし、現状でその可能性はゼロに近い。ならば開催でいい。


※今回取り上げた記事「人名喪失コストに目を向ける時


※記事の評価はE(大いに問題あり)

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