2021年4月22日木曜日

自分への称賛を誌面で紹介する宮嶋巌FACTA編集人兼発行人への違和感

こんなの載せて恥ずかしくないのか。持ち上げられたのが、そんなに嬉しかったのかーー。そう思わずにはいられなかった。FACTA5月号の「From Readers」では、同誌の編集人兼発行人の宮嶋巌氏をベタ褒めする井山哲氏(玉木雄一郎衆院議員秘書)の声を紹介している。

岡城跡

全文は以下の通り。 

【FACTAの記事】

お仕えしている上司が公党の代表を務めている関係で、毎週記者会見があるのだが、発行人の宮嶋巌さんの質問にはいつもハッとさせられる。新聞やテレビなどの既存メディアにはない視点で、鋭く切り込むのだ。切り込みが鋭いと、自ずと切り返しも鋭くなる。宮嶋さんに答えた上司の発言が既存メディアの記事になることも少なくない。その感度と分析力は、毎月の誌面にも表れている。

宮嶋さんは霞が関の大先輩(旧行政管理庁、私は旧科学技術庁出身)。会見での質問にも、国を支える官僚への「愛」を感じることが多い。吏道の廃れを憂う記事も「愛」があればこそ。「国家の『中枢』に迫る」はFACTAの柱の一つで、官界記事は密度が濃いが、情報が集まるのも、また「愛」の結果ではないだろうか。政権を担うためには「社員」である官僚との人間関係が欠かせない。政権を狙うのなら野党にこそ「愛」が必要だ。雑誌斜陽の時代と言われる中、15年という年輪を重ねられたことに敬意を表しつつ、毎月21日を楽しみにしている一人である。


◎そっと喜んでいた方が…

宮島氏に会ったことはないが「発行人の宮嶋巌さんの質問にはいつもハッとさせられる。新聞やテレビなどの既存メディアにはない視点で、鋭く切り込むのだ」などと、おだてられて満面の笑みを浮かべている姿が想像できる。嬉しいのは分かる。自分だったら「俺、こんなに褒められちゃったんだよ」的なことを周囲には言わない。舞い上がっている姿を晒すのが編集人兼発行人として恥だと感じるからだ。

しかし宮島氏は自らが編集人兼発行人を務める雑誌でこのヨイショを堂々と紹介している。編集人兼発行人なのだから「自分が知らない所で掲載が決まった」との言い訳は通らない。

From Readers」で前向きな声を紹介するなとは言わない。だが、基本は記事への称賛にしてほしい。それも、ただ褒め称えるだけではく「こういう視点があれば良かった」などと条件付きのものが好ましい。

今回は宮島氏個人への称賛が前面に出ている。これを載せて良しとする宮島氏の気持ちが理解できない。既に「裸の王様」になり切っているのか。

FACTAでは読者からの間違い指摘を無視してミスを放置する対応が常態化している。そのことに耳を塞ぎ、露骨なヨイショは喜んで受け入れて誌面で紹介する。「15年という年輪を重ね」た上で辿り着いた境地がそこでいいのか。

井山氏には宮島氏が立派な人物として映っているのだろう。しかし自らが発行する雑誌に関して間違い指摘を平気で無視する人物だと知ったらどうか。「政治家に『鋭く切り込む』前に、自分たちの誤りをきちんと正すべきだ」と思うのではないか。

「忠言耳に逆らう」

宮島氏にはこの言葉を贈りたい。「耳に逆らう」内容でも受け止めて改善に努められる編集人兼発行人になれているのか。その答えは明らかなはずだ。


※今回取り上げた記事「From Readers

https://facta.co.jp/article/202105039.html


※記事への評価は見送る。宮嶋巌氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

記事の誤りに「説明なし」 宮嶋巌FACTA編集長へ贈る言葉https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/facta.html

0 件のコメント:

コメントを投稿