2019年1月8日火曜日

失敗作と評価するしかない日経正月企画「新幸福論 Tech2050」

日本経済新聞朝刊1面の連載「新幸福論 Tech2050」がようやく終わった。8日の「(7)考える葦 未来の原点」に注文を付けながら、連載を総括したい。
唐津城(佐賀県唐津市)※写真と本文は無関係

まず最初の事例を見ていく。

【日経の記事】

インド生まれのタンメイ・バクシ君(15)。5歳でプログラミングを覚え、9歳でスマートフォン(スマホ)用アプリを開発。11歳のときに世界最年少で米IBMの人工知能(AI)ワトソンの開発に加わった。

この天才少年は学校に通わない。カナダの自宅を訪れると、地下に作った「研究室」で一人、黙々とプログラミングに取り組んでいた。学校の教育は「同じカリキュラムで生徒をひとくくりにしていると思う」。これでは才能があっても十分に伸ばせない。

AIに魅せられたバクシ君は、15歳にして新たな教育ツールの開発を進める。生徒がオンラインで学習を進めると、AIがそれぞれの生徒の学び方を分析。質問に最適な答えを出す。世界中で発表される最新の学術論文まで目配りして個別に必要な情報を選び、アップデートを続ける。目指すのはいわば徹底的に個人に最適化した「学校」だ。

動画配信サイト「ユーチューブ」のバクシ君のチャンネルには30万人近くが登録し、彼の講義に耳を傾ける。2050年までにAIの知が人間に追いつくという予測も飛び交う。学び方を変える必要性を感じる人たちが集まってくる



◎「個人に最適化」昔からあるような…

バクシ君」が開発する「教育ツール」が仮に「徹底的に個人に最適化した『学校』」だとしても、「個人に最適化した」ところに目新しさは感じない。家庭教師は「個人に最適化した」教育とも言えるし、日本では個別指導塾も珍しくない。

動画配信サイト『ユーチューブ』のバクシ君のチャンネルには30万人近くが登録し、彼の講義に耳を傾ける」のであれば、こちらの方が「同じカリキュラムで生徒をひとくくりにしている」感はある。

付け加えると「2050年までにAIの知が人間に追いつくという予測も飛び交う。学び方を変える必要性を感じる人たちが集まってくる」との記述も納得できなかった。

2050年」以降に「AIの知」が「人間」を超えるのならば、そもそも「プログラミング」などを学ぶ必要があるのかとの問題が生じてくる。AIに「プログラミング」してもらえば済む。なぜ「学び方を変える」ことで対応するのか謎だ。

「AIの知性で解決できない問題は残る。そこは人間の知性でしか解決できない」と言うのならば「AIの知が人間に追いつく」との説明に疑問が湧く。

さらに付け加えると、訳語なしに「アップデート」を使うのは感心しない。日経の読者には高齢者が多いことを考慮すべきだ。「余計な横文字は使わない。使わざるを得ない場合も丁寧な説明を心掛ける」と意識して記事を作ってほしい。

記事の続きを見ていこう。

【日経の記事】

人間の能力は技術の発展と反比例し衰えているとの見方がある。スマホなどの普及は、便利さの代償として考える力を奪うという懸念だ。自然人類学者で総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長は「情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた」と危惧する。



◎そんな傾向ある?

自然人類学者で総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長は『情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた』と危惧」しているらしい。取材班はそれを真に受けてしまったのか。
仮屋湾(佐賀県玄海町)※写真と本文は無関係です

自宅で動画を観たいと思った時、昭和の終わり頃の子供は「地上波のテレビでどのチャンネルを選ぶか」を考えれば済んだ。自分に選択権がない場合、「情報を自分の力で取捨選択」する術すらなかった。

今はテレビのチャンネル数が増えただけでなく、スマホで「ユーチューブ」を観るといった選択肢もある。無数の選択肢からどの動画を観るか選んでいるのが、今の子供だ。なのに「情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた」と言えるのか。

次は記事の後半を一気に見ていく。

【日経の記事】

社会にAIの浸透が進み、学生が卒業後に入る職場も減っていく。「工業化社会に適した従来の人材作りは意味がなくなる」(立命館アジア太平洋大学の出口治明学長)。AIに新たな仕事を与えるような発想力がなければ、「人間は衰えていく」(出口氏)。

対策が必要だ。楽天の創業メンバーで元副社長の本城慎之介氏は新しい学校の立ち上げを準備する。20年4月の開校をめざす「軽井沢風越学園」(長野県軽井沢町)。3歳から15歳の子どもが同じ校舎で学ぶ。

伝統的な学年や時間割にこだわるつもりはない。理科の実験なら何時間目といった区切り方をせず、気が済むまでやらせる。本城氏は「AI時代に人間にしかできない役割を発見するには、人間特有の遊びや寄り道が欠かせない」と話す。

「人間は葦(あし)にすぎない。だが、考える葦である」。フランスの哲学者パスカルは「パンセ」の中で、人間の弱さを指摘した上で、考えることができるために尊厳があるとした。さらに「すべての人間は幸福を求める。これこそ人間のあらゆる行動の動機である」とも語った。

テクノロジーが人間に大きな力を与えるとき、人間の存在意義は何になるのか。答えは一つとは限らない。だが答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ



◎取って付けた「幸福論」が辛い…

今回の連載の最大の問題は「まともに幸福を論じていない」ことにある。最終回もそれは変わらない。記事の終盤で「すべての人間は幸福を求める」という「哲学者パスカル」の言葉を引用し「テクノロジーが人間に大きな力を与えるとき、人間の存在意義は何になるのか。答えは一つとは限らない。だが答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」と連載を締めている。

個人に最適化した」教育の話の後で、取って付けたように「答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」と言われても「なるほど」とは思えない。

新幸福論 Tech2050」というタイトルを付けるならば「技術革新によって幸福の概念が揺さぶられているんだな」と思える話が欲しい。最終回も「AIの発達に応じて教育はどう変わるべきか」という教育論にしかなっていない。解決策が「個人」への「最適化」だとすれば、それがどう「幸福」に影響するのかを論じるべきだ。

答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」との意見に異論はない。だが、そんなことは改めて教えてもらわなくても分かる。取材班が「新幸福論 Tech2050」をテーマに取材を続けて最後に導き出した結論が「考え続ければ何とかなるよ」的なものならば、連載は失敗作だったと評価するしかない。


※今回取り上げた記事「新幸福論 Tech2050(7)考える葦 未来の原点
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190108&ng=DGKKZO39583690Q8A231C1MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。連載全体の評価もDとする。今回の連載に関しては「渡辺康仁、前村聡、西岡貴司、上阪欣史、鈴木輝良、堀田隆文、新井重徳、生川暁、加藤宏志、川上尚志、栗本優、小園雅之、佐藤亜美、佐藤初姫、佐藤浩実、高尾泰朗、舘野真治、深尾幸生、丸山大介、宮住達朗、村越康二、八木悠介、兼松雄一郎、細川倫太郎、強矢さつきが担当します」と出ていた。「渡辺康仁」氏を連載の責任者だと推定し、同氏への評価を暫定C(平均的)から暫定Dへ引き下げる。今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「産業革命」の説明に矛盾あり 日経正月企画「新幸福論Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050.html

「空飛ぶクルマ」で「痛勤一変」? 日経「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_4.html

説明が成立してない日経1面「新幸福論 Tech2050(4)」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech20504.html

「ブロックチェーンで銀行口座」の説明が苦しい日経「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_6.html


※渡辺氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経1面連載「砂上の安心網」取材班へのメッセージ
https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/02/blog-post_22.html

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