2022年5月26日木曜日

女性だけが改姓を強いられる? 毎日新聞 佐藤千矢子論説委員の誤解

女性論者が女性問題を論じると雑な主張になりやすい。おかしな主張でも許してしまう雰囲気がメディアの中にもあるのだろう。毎日新聞の佐藤千矢子論説委員が5月23日付のプレジデントオンラインの書いた「『オッサン』かどうかを判断するリトマス試験紙になる"ある質問"~多くの人の幸せを奪う"オッサンの壁"」という記事にも色々と問題を感じた。

夕暮れ時

一部を見ていこう。

【プレジデントオンラインの記事】

なぜ選択的夫婦別姓の問題に私がこだわるのか。それは、女性の「生きづらさ」を解決するために、これが「一丁目一番地」のように感じるからだ。

選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い。もちろんその問題は大きい。しかし、それだけではない。氏はその人の人格を構成する重要なアイデンティティの一部だ。改姓に抵抗のない人もいるが、改姓によって、それまでの自分の人生が否定されたように感じる人もいる。この感覚は私には経験はないが、よくわかる気がする。もちろん男性が改姓してもいいわけだが、実際には女性が改姓するケースが96%と圧倒的だ。女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない。なぜ女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されないのか、説明がつかない。


◎そんなに「強制」ある?

女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない」という認識は明らかに間違っている。

まず「改姓を強いられ」ることは基本的にない。男性が「改姓」してもいいと佐藤論説委員も認めている。どうしても「改姓」が嫌ならば「結婚」をやめてもいい。その自由もある。

選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い」と佐藤論説委員は書いているが「夫の姓への改姓を事実上、強制される」という事例がそんなにあるのか。

改姓」を拒めば家族を皆殺しにすると脅されて「改姓」に応じた女性もいるかもしれない。その場合は「事実上」の「強制」と言えなくもない。しかし、そうした話は稀だろう。

実態にはそぐわないが「改姓した人=改姓を強いられた人」との前提で考えてみよう。この場合でも「女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されない」とは言えない。

女性が改姓するケースが96%」と佐藤論説委員も書いている。言い換えれば「男性が改姓するケースが4%」ある。ここに属する男性も「生まれながらの姓で生きることが許されない」人に当たるはずだ。

ついでに言うと「選択的夫婦別姓の問題」が「女性の『生きづらさ』を解決するため」の「一丁目一番地」ならば日本の女性が抱える問題は大きくない。「選択的夫婦別姓」が実現しなくても生活苦に陥る訳ではない。貧困や差別などで目立った問題がないから「選択的夫婦別姓の問題」を「一丁目一番地」と感じるのだろう。やはり日本の女性は恵まれている。

もう少し見ていく。


【プレジデントオンラインの記事】

私は男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない人を「オッサン」と称しているが、これだけ選択的夫婦別姓容認派が多数を占めてもなお、「家族の絆」や「日本の伝統」を理由に「選択的に」夫婦別姓を認めることにさえ反対するのは、年長の男性が家庭で権力を持つ「家父長制」や性別役割分担の意識に縛られた「オッサンの壁」の象徴のように思える。

立法府で重い責任を負う国会議員たちが、この問題に賛成するか反対するかは、私にとって「オッサン」(オッサン予備軍を含む)かどうかを判断するリトマス試験紙のような役割を果たしている。だから、こだわらざるを得ない。男性の既得権、もっとやわらかく言えば、男性が生まれながらにはいている「下駄」に気づかず、男性優位社会を当たり前のこととして守ろうとする「オッサンの壁」が、多くの人たちの幸せを奪っているのではないだろうか。選択的夫婦別姓問題はそのわかりやすい例のように思う。


◎「オバハン」もあり?

佐藤論説委員は「男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない人を『オッサン』と称している」らしい。

男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない女性」がいたら「オバハン」と佐藤論説委員は呼ぶのだろうか。

あるいは「女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ」ると誤解する佐藤論説委員のような女性を「オバハン」と称する人がいたら受け入れられるのか。そこを考慮した上で「オッサン」という言葉を使ってほしい。

選択的夫婦別姓」に賛成するかどうかは、自分から見れば好みの問題だ。国民の過半数が導入を望むなら導入すべきだし、そうでないなら見送っていい。自分と意見が異なるからと言って反対派を「オッサン」と称して蔑むような態度は感心しない。

佐藤論説委員はそうは思わないのか。


※今回取り上げた記事「『オッサン』かどうかを判断するリトマス試験紙になる"ある質問"~多くの人の幸せを奪う"オッサンの壁"」

https://president.jp/articles/-/57345


※記事の評価はD(問題あり)

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