2020年6月2日火曜日

山口圭介編集長率いる週刊ダイヤモンドの「不都合な記事」に期待

山口圭介編集長が率いる週刊ダイヤモンドは期待できる--。6月6日号の「From Editors」を読んで改めてそう感じた。山口編集長は以下のように記している。
田主丸大塚古墳(福岡県久留米市)
     ※写真と本文は無関係です

【ダイヤモンドの記事】

「ジャーナリズムとは、報じられたくないことを報じること」。東京高検検事長だった黒川弘務氏と新聞記者が賭けマージャンをしていたとの報道で、この格言をあらためてかみ締めました。

記者と検察の距離感を巡って「権力に迫るには懐に飛び込むことも重要だが、書くべきことは書く覚悟も必要」といった正論を幾人かのメディア関係者が言っていました。

取材先と「持ちつ持たれつ」の日本のメディア業界で、それを実行できている人がどれだけいるのでしょうか。

不都合な記事はさまざまなハレーションを生み、出入り禁止はもちろん、訴訟の覚悟も求められます。確たる覚悟とこびない軽快さとを併せ持ったメディアでありたいものです。


◎「懐に飛び込む」必要はない

権力に迫るには懐に飛び込むことも重要だが、書くべきことは書く覚悟も必要」といった「正論」に山口編集長は懐疑的だ。個人的には「正論」だとも思えない。「ホームランを積極的に狙うべきだが、同時に三振だけは避けなければならない」的な意見だと思える。

どちらに重点を置くか明確にすべきだ。取材先との「距離感」については「フリーハンドを保てる範囲にとどめる」でいい。「懐に飛び込むこと」を重視するとフリーハンドを失ってしまいがちだ。

そして「メディア」には取材対象に厳しく斬り込む姿勢を求めたい。山口編集長の言う「不都合な記事」が「さまざまなハレーションを生み、出入り禁止はもちろん、訴訟の覚悟も求めら」るのは、その通りだ。しかし、そこを避けて通るならば「メディア」の存在意義はないに等しい。

取材対象にとって「報じられたくない」ことの中に、社会にとって意義のあるニュースが埋もれている。リスクを負って戦う「メディア」を一読者としては応援したい。

週刊ダイヤモンドが本当に「確たる覚悟とこびない軽快さとを併せ持ったメディア」であろうとするならば、やはり見捨てる気にはなれない。


※今回取り上げた記事「From Editors
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/29516


※記事の評価はB(優れている)。山口圭介編集長への評価もBを維持する。山口編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

ミス3連発が怖い週刊ダイヤモンドの特集「株・為替の新格言」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_28.html

ミス放置「改革」できる? 週刊ダイヤモンド山口圭介編集長に贈る言葉
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_95.html

「ミス放置」方針を転換した週刊ダイヤモンドの「革命」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html

週刊ダイヤモンド ようやく「訂正」は出たが内容が…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_15.html

山口圭介編集長を高く評価したくなる週刊ダイヤモンドの訂正
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/04/blog-post_26.html

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