2019年8月29日木曜日

早くも「東京大氾濫」を持ち出す日経「春秋」の東京目線

人は自分を起点に物事を見てしまう。これは本能的で当然ではある。だが全国紙に記事を書くのならば「全国の読者」を考える視点が欠かせない。しかし東京の本社で記事を書いていると、どうしても「東京目線」が前面に出てしまう。

8月28日の雨で道路などが冠水した福岡県久留米市内
例えば日本経済新聞の中村直文編集委員は6月13日付の記事で「ついに梅雨に突入」と地域を特定せずに書いてしまった。この時点で西日本の多くの地域では梅雨入りしていない。これが「東京目線」の悪い例だ。

8月29日の朝刊1面に載ったコラム「春秋」は中村編集委員の記事ほど単純ではないが、やはり「東京目線」に問題を感じた。

記事の全文を見た上でこの問題を考えたい。

【日経の記事】

1982年7月の長崎大水害では死者・行方不明者約300人を数えた。119番通報の生々しい交信記録が残る。夕刻から夜、豪雨による被害の不意打ちをくらった住民が救助を求め相次ぎ受話器を握った。しかし、消防隊員らはすでに現場に出払ってしまっている。

▼「手が回らんです」と謝る隊員らに「見殺しということか?」と怒り出す住民。殺到する要請に「おたくはいま、生きるか死ぬかしてますか?」と逆に問うケースもあった。被災者も消防もパニックに陥っていたことがわかる。80万人以上に避難指示が出た今回の九州北部の記録的大雨。冷静な行動や対処はできたろうか。

▼未明から土砂降りが続き、明け方に道路の冠水や川の増水に気付いた地域も多いようだ。積乱雲が次々通過したり停滞したりしたのが原因とされるが、大気や風の条件がそろえば所は選ばない。東日本大震災で「釜石の奇跡」を生む防災教育に携わった片田敏孝さんが本紙に「東京大氾濫」に備えよ、との寄稿をしている。

隅田川や荒川などに面する都内の5区は1カ所でも堤防が決壊すれば最大で10メートル浸水、250万人が被害を受けるという。行政だけで対応できる数ではなく、指示を待たず自ら逃げよ、と呼びかける。救助活動の限界を知り、早めの避難を心がける。37年前の大水害の尊い犠牲に報いるためにも物心両面で備えを進めよう


東京大氾濫」への備えを語る段階?

80万人以上に避難指示が出た今回の九州北部の記録的大雨」は被害が起きたばかりで、29日の天候次第ではさらに状況が悪化しかねない。なのに記事では早くも「東京大氾濫」に話を持っていき「物心両面で備えを進めよう」と呼びかけている。

日経が配達地域を関東に絞ったブロック紙ならば、この内容でいい。だが、日経は紛れもなく全国紙だ。被害を受けた「九州北部」にも新聞は届く。それで「東京大氾濫」の心配をされてもとは思う。

筆者から「九州北部」が遠いのは分かる。「東京大氾濫」に思いを馳せて初めて「物心両面で備えを進めよう」という気持ちになれるのだろう。個人としてはそれでいい。しかし「春秋」の筆者としては配慮が十分だとは言い難い。

ついでに言うと「1982年7月の長崎大水害」を持ち出すのもどうかと感じた。昨年の西日本豪雨や2年前の九州北部豪雨でも大きな被害が出ている。それらを飛ばして「37年前の大水害の尊い犠牲に報いるためにも~」と書くのはどうも引っかかる。


※今回取り上げた記事「春秋:1982年7月の長崎大水害では~」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190829&ng=DGKKZO49133120Z20C19A8MM8000


※記事の評価はC(平均的)。

0 件のコメント:

コメントを投稿