2022年6月13日月曜日

文藝春秋「日経新聞で何が起きているのか」を読んで思うこと

文藝春秋7月特別号にジャーナリストの小松東悟氏が「日経新聞で何が起きているのか」という記事を書いている。「記者の大量退職、『物言う株主』に狙われたテレ東…」といった話は既に出ているので目新しさには欠けるが、その中でも気になったくだりを見ていこう。

夕暮れ時の原鶴温泉

【文藝春秋の記事】

負担増にあえぐ現場にとってはやりきれない状況だが、さらに悲惨なのは「スクープ至上主義」は一向に収まっていないところだ。「働き方改革」をうたいながらも、スクープがとれない記者への風当たりは厳しい。「夜中まで取材先を回っているのはよくない、という雰囲気がある一方で、他社に抜かれるとみんなの前で編集幹部に怒鳴りまくられる。方針が一貫しないから現場は疲弊する」(日経のベテラン記者D氏)。


◎「スクープ至上主義」からの脱却を!

スクープ至上主義」を問題視するのは分かる。ただ「スクープ」を早耳筋型と発掘型の2つに分ける必要はある。早耳筋型は「待っていれば発表されるネタを発表前に報じるもの」で、発掘型は「報じなければ闇に葬られそうなネタを発掘して報じるもの」と考えてほしい。

早耳筋型に関しては完全に捨てていい。「スクープ」と見なすのもやめた方がいい。「夜中まで取材先を回って」まで報じる価値はない。むしろ取材先に遠慮が生まれやすいので弊害の方が多い。「他社に抜かれ」ても平然としていればいい。慌てて追いかける必要さえない。

どうしても追いかけたいのならば「○○新聞はこう報じている」といった短い記事を載せてもいい。そうすれば「他社に抜かれ」ているのを見て慌てて確認の取材をするといった仕事もなくせる。

「自分たちもこの問題を追いかけたい」と感じたら、じっくり取材を進めて改めて独自性の高い記事に仕上げればいい。早耳筋型の「スクープ」を気にする体質からは1日も早く抜け出すべきだ。

なぜそれができないのか。記事の続きを見た上で考えたい。


【文藝春秋の記事】

そもそも記者の人数は減るばかり。デジタル対応のため仕事は増える一方、スクープ合戦に負けると上層部から叱責される。この八方ふさがりの状況のなかで、編集幹部は現場に圧力をかけて何とか結果を出せと迫るしかない。だからハラスメント事案が増えているのだ。

「井口局長を頭に、編集局の要職にある3人が社内では『パワハラ三銃士』と呼ばれている。彼らの共通点はいずれも若いころは特ダネ記者として鳴らしたこと。おそらく内心では経営トップのやり方に納得していないだろうが、それに迎合せざるを得ない鬱憤が部下に向かっているのだろう」(日経のベテラン記者E氏)。


◎自己否定が難しいから…

日経が早耳筋型の「スクープ」重視からなかなか転換できないのは、自己否定が難しいからだ。「待っていれば発表されるものを少し早く報じたところで大した意味はない」と感じる記者は大勢いるはず。しかし「編集局の要職」に就く人に限れば少数派になりそうな気がする。

パワハラ三銃士」の「共通点はいずれも若いころは特ダネ記者として鳴らしたこと」と「ベテラン記者E氏」も述べている。「特ダネ記者」と認められて「編集局の要職」に就いた人が早耳筋型の「スクープ」は捨てようと主張できるだろうか。自己否定につながるだけに容易には受け入れられないだろう。なので「スクープ至上主義」はなかなか消えない。

夜中まで取材先を回っているのはよくない、という雰囲気がある」のは、せめてもの救いだ。例えば、時の首相の贈収賄といった重要なネタを掴めたのならば「夜中まで取材先を回って」でも「スクープ」をものにすべきだ。「編集幹部」が「現場に圧力をかけて何とか結果を出せ」と迫ってもいい。そこで勝負せずに何のための新聞社かとは思う。多少の「ハラスメント事案」など気にせず突っ走るべきだ。

しかし早耳筋型の「スクープ」は要らない。そんなネタを取るために働き続けるより、さっさと帰って人生を楽しんでほしい。空いた時間を読者などに当てれば、記者としての厚みも増す。

日経が良い方向に動いてくれることを祈る。それが読者のためにもなる。


※今回取り上げた記事「日経新聞で何が起きているのか」という記事を書いている。「記者の大量退職、『物言う株主』に狙われたテレ東…


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