2021年3月12日金曜日

MMTを「単純な主張」と見誤った前田栄治ちばぎん総合研究所社長

12日の日本経済新聞朝刊オピニオン面にちばぎん総合研究所社長の前田栄治氏が書いた「エコノミスト360°視点~新型コロナ下での『MMT』考察」という記事は、MMT否定論の中ではまともな方だ。しかし、もちろん問題はある。 

大城橋

具体的に見ていこう。

【日経の記事】

MMTは「政府はインフレになるまで国債発行を拡大し、中央銀行が購入し続ければよい」というのが基本的な考え方だ。

私の認識は、物価上昇につながりうるとの点でマネタリーベースに着目したリフレ派の議論に比べまだマシな一方、インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張は非現実的というものだ。

日本の消費税率引き上げや社会保障改革の経験からも分かるとおり、民主主義のもとではMMTによってインフレが訪れたからといって、増税や歳出削減を進めることは容易でない。金融政策については急速に引き締めに転じると、金融市場に大きなショックを与え、金融経済の安定を損なう。


就業保証プログラムは無視?

まず「MMT」は「インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張」ではない。

なお、ここではステファニー・ケルトン氏が書いた「財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生」という本の内容を「MMT」の主張と見なす。そこにはこんな記述がある。

インフレが加速し始めたとき、それを抑制する手段として議会の支出と税制の調整だけに頼るのでは力不足だ。MMTは政府の裁量的財政政策(ハンドルさばき)を補完するものとして、政府による就業保証プログラム(JGP)を推奨する。いわば完全雇用と物価安定を促す、非裁量的な自動安定化装置だ。(中略)財政政策というハンドルを、政府による就業保証という新しい強力な衝撃吸収装置で補強せよ、というのがMMTの主張だ

政府による就業保証プログラム」に関して、ここでは詳しく説明しない。しかし「MMT」は「インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張」をしていないことは明らかだ。前田氏は知らなかったのか、あえて無視したのか。いずれにしても問題がある。

記事の続きを見ていく。

【日経の記事】

さらに、MMTに関連した2つの論点を指摘したい。

第一に、そもそも財政政策の判断をインフレにひもづけることの是非だ。積極的なポリシーミックスにより、局所的に物価が上昇する可能性はあるが、グローバル化やデジタル化などにより、世界的に物価が上がりにくい経済構造が長く続きそうだ。

そうであれば、インフレを政策の判断基準とした場合、積極財政が長引く結果、例えば非効率な公的部門が肥大化し、経済の活力が失われる可能性が十分ある。債務残高の拡大が国債格下げにつながり、企業の外貨調達が困難になるリスクもある。財政政策は多面的な議論が必要だ。


◎当たり前の話では?

財政政策は多面的な議論が必要」というのは当たり前の話だ。「多面的な議論が不要」とは「MMT」も主張していない。

MMTが目指すのは、国家の財政権力を活かして経済の潜在力を最大限引き出しつつ、財政権力に対する適切なチェック機能を働かせることだ。(中略)大いなる力には大いなる責任がともなう。国家の財政権力は、国民みんなのものだ。それを行使するのは民主的に選ばれた議員だが、その目的はすべての国民に奉仕することだ。過剰な支出は力の濫用だが、インフレリスクを抑えつつより良い暮らしを実現する方法があるにもかからわず、それを実行しないこともまた力の濫用である

MMT」は「インフレにならない限り無駄な支出もドンドンやれ」と訴えている訳ではない。「インフレリスクを抑えつつより良い暮らしを実現する」ための政策があるのならば「実行」をためらうなとの立場だ。「過剰な支出は力の濫用」とケルトン氏も断言している。

非効率な公的部門が肥大化」して「より良い暮らしを実現」できなくなるならば、その「支出」は好ましくない。この点で前田氏と考え方に差はないはずだ。

財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生」をじっくり読んで「MMT」への誤解を解くことを前田氏には勧めたい。


※今回取り上げた記事「エコノミスト360°視点~新型コロナ下での『MMT』考察」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210312&ng=DGKKZO69889310R10C21A3TCR000


※記事の評価はD(問題あり)

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