2021年3月28日日曜日

男女一緒の競技は「平等であっても公平ではない」? 東洋経済「少数異見」への異論

週刊東洋経済4月3日号に載った「少数異見~スポーツにおけるジェンダー平等を考える」という記事は興味深かった。「男女」が「一緒に競技」した場合に「上位は男性ばかり」になってしまうことを「平等」と見ている点は評価したい。しかし、それ以外では引っかる部分もあった。記事の一部を見ていこう。

室見川

【東洋経済の記事】

表面的な区別撤廃では問題が解決しない領域もある。スポーツの世界だ。

男女別で競技が行われており、それが社会的にも認められている。当たり前だが、男女が生物学的にまったく等しいわけではないからだ。とくに、一般的には、体格や筋肉の量については男性が女性よりも勝っている。これは生物としてのヒトの特性である。

これを男女平等だといって、一緒に競技をすれば、(少なくともトップレベルでは)上位は男性ばかりになってしまう。それでは平等であっても公平ではない


◎「公平」でもあるような…

男女平等だといって、一緒に競技をすれば、(少なくともトップレベルでは)上位は男性ばかりになってしまう。それでは平等であっても公平ではない」と筆者の彩雲氏は言う。本当に「公平」ではないのか。「公平」とは「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉)だ。

例えばオリンピックで100メートル走の金メダルを「人種、国籍、年齢、性別などにかかわらず人類で最も速く100メートルを走れた選手」に贈るとしよう。この場合、人類に関しては「すべてのものを同じように扱うこと」ができているはずだ。男女別にした方がむしろ「判断や処理」に偏りが生まれる。

男女平等」の原則を徹底させれば「スポーツの世界」でも「一緒に競技」をして勝敗を決めることになる。男女平等主義者の自分としては、その方がスッキリする。F1方式と言ってもいい。女子F1はないし、少数ながら女性ドライバーがF1レースに参加した歴史もある。男女に関して言えば、不平等でも不公平でもない。

男女別で競技」することを完全に否定はしないが、その場合は「男女平等」の原則から外れるという認識は共有されていい。

記事中の「男女が生物学的にまったく等しいわけではないから」という説明も謎だ。そもそも人は同性であってもそれぞれが「まったく等しいわけではない」。「生物学的にまったく等しい」というのが「完全に同一種」という意味ならば「男女」はいずれも同じ人類だ。


※今回取り上げた記事「少数異見~スポーツにおけるジェンダー平等を考える」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26553


※記事の評価はC(平均的)

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