2021年3月22日月曜日

高野利実がん研有明病院乳腺内科部長の「がん放置」否定論に感じるズルさ

「固形がん治療に抗がん剤を使うべきではない」と訴える医師の近藤誠氏に対する否定論は基本的に説得力がない。反論の材料が乏しいのだろう。遠回しに否定してくるものが目立つ。17日付で読売新聞の医療・健康・介護サイト「ヨミドクター」に載った「Dr.高野の『腫瘍内科医になんでも聞いてみよう』~抗がん剤は絶対に使いたくありません。『がん放置療法』でいいですか」という記事もそうだ。

夕暮れ時の筑後川

中身を見ながら問題点を指摘したい。

【読売新聞の記事】

抗がん剤はつらい副作用を伴うことが多く、世の中にネガティブなイメージも広まっていますので、「できればやらないで済ませたい」と思うのは自然なことです。

医師の近藤誠さんは、手術や抗がん剤などの積極的治療を受けないで、がんを放置する「がん放置療法」を勧めています。「抗がん剤はやらなくてよい」とわかりやすく説明してくれる近藤さんの文章は、多くのがん患者さんの心にしみ込み、実際に、「抗がん剤は絶対にやらない」とおっしゃる患者さんは増えているように思います。

抗がん剤によって期待される効果と、予測される副作用を十分に理解して、それでも抗がん剤をやらないという選択をするのであれば、その判断は尊重されるべきです。ただ、中には、深く考えることなく、最初から「抗がん剤はやらない」と決めてしまっているような方もおられます。「抗がん剤なんて命を縮めるだけ」「この本には、絶対にやってはいけないと書いてある」と言って、医師の話を聞いてくれないこともあります。

これまでも何度か書いたように、抗がん剤というのは、数ある道具の中の一つにすぎません。それが役に立つのかどうかは、それを使う目的、場面、考え方によって違ってきます。ある道具が、自分にとってプラスになると思えるなら使えばよいし、マイナスの方が大きいと思うなら使わなければよく、それは、その時々でよく考えながら決めていくものです。

単なる道具である抗がん剤について、「絶対に使ってはいけない」とか、「絶対に使うべき」というように、一般論で論争すること自体、不毛なものです。この論争では、一人ひとりの患者さんの状況や、治療を行う目的が度外視されています。その道具がダメなものなのか、素晴らしいものなのかは、書籍や雑誌で言い争うものではなく、診察室で、状況に応じて判断されるべきものです


◎議論を否定するとは…

その道具(抗がん剤)がダメなものなのか、素晴らしいものなのかは、書籍や雑誌で言い争うものではなく、診察室で、状況に応じて判断されるべきものです」という主張は酷い。「抗がん剤」を治療に用いるかどうかは第一にエビデンスに基づいて決めるべきだ。そこをベースに使用の可否を「診察室で、状況に応じて判断」すべきだ。エビデンスに関する議論自体を否定してどうする。

抗がん剤使用群と放置群に分けてランダム化比較試験を行い、使用群の死亡率が明らかに低ければ「素晴らしいもの」との見方に同意できる。そうしたエビデンスなしに「診察室で、状況に応じて判断」していいのか。

しかし、がん研有明病院乳腺内科部長の高野利実氏は「一般論で論争すること自体、不毛」と議論自体を否定する。「エビデンスがない」という批判に対し「論争しても意味がない。抗がん剤がダメかどうかは現場に任せておけ。外野は口を出すな」と返しているようなものだ。こういう医師には絶対に診てもらいたくない。

続きを見ていこう。


【読売新聞の記事】

まず考えるべきは、「何のためにその道具を使うのか」「自分にとって大切なものは何か」「これからどのように過ごしていきたいか」という『治療目標』です。一つひとつの道具のプラス面とマイナス面を予測して、マイナスよりもプラスが上回る可能性が高い、すなわち、より目標に近づける道具があれば、それを選ぶことになります

◎議論を封じたはずだが…

「固形がんに抗がん剤は使うべきではない。使用が長生きにつながるエビデンスがない」といった批判があっても「一般論で論争すること自体、不毛」だと言うのが高野氏の考えのはずだ。であれば抗がん剤の「プラス面とマイナス面」をどうやって判断するのか。

エビデンスを重視する場合、「一般論で論争すること」に意味が出てくる。「エビデンスがない」との批判には「明確なエビデンスがある」と反論して「患者さん」が誤った判断をしないように導ける。

記事を見る限り「抗がん剤が有効とのエビデンスはない」との主張に正面から反論する気が高野氏にはないようだ。となるとエビデンスを重視せず「使うのか」どうかを決めることになる。それで「プラス面とマイナス面」をどうやって「予測」するのか。医師の勘にでも頼るのか。

さらに高野氏のズルさを感じるのが個別事例の使い方だ。そこも見ておこう。

【読売新聞の記事】

静岡県在住のAさん(71)は、2016年1月、66歳のとき、左乳房とわきの下のしこりに気づきましたが、すぐには病院に行きませんでした。1年半後、しこりが大きくなって、左腕のむくみがひどくなったところで、近くの病院を受診し、進行乳がんと診断されましたが、「抗がん剤は受けたくない」と、病院から離れてしまいました。この頃、近藤さんの本をよく読んでいて、その影響を強く受けていたといいます。近藤さんのセカンドオピニオン外来も受診して相談しましたが、「がん放置療法で大丈夫」と言われたそうです。

その後もがんは悪化し、しこりの痛みも強くなり、途方に暮れていたところで、私の書いた本に出会ったそうです。それまで信じていた近藤さんの考え方とは違うのに、すんなりと受け止められたということで、それをきっかけに、18年1月、私の外来を受診されました。検査をしてみると、左乳房のしこりは皮膚や筋肉まで広がり、反対側の乳房や全身のリンパ節、肝臓、骨などにも多数の転移が認められました。

ご本人とよく相談し、症状を和らげて穏やかに過ごしていくことを目標に、それまで毛嫌いしていた抗がん剤を始めたところ、これがよく効いて、しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善しました。特別なことをしたわけではなく、標準的な抗がん剤を使用しただけです。抗がん剤は4か月行い、それ以降、現在までの3年間、静岡から東京へ通院して、分子標的治療薬の投与を3週に1回受けています。病気は落ち着いていて、元気に過ごしながら、週2回はプールで楽しく泳いでいるそうです。「がん患者とは思えないって、みんなから言われるのよ。あのまま『がん放置療法』を続けていなくて本当によかった」と、診察のたびにたくさんお話をしてくれます。


◎「Aさん」に近藤氏を否定させるとは…

高野氏は近藤氏の主張を否定したくて仕方がないように見える。しかし反論の材料が乏しい。そこで「静岡県在住のAさん(71)」を登場させたのだろう。「あのまま『がん放置療法』を続けていなくて本当によかった」と「Aさん」に語らせている。この辺りに高野氏のズルさを感じる。

抗がん剤を始めたところ、これがよく効いて、しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善しました」と高野氏は言い切っているが、なぜ「よく効いて」と断言できるのか。「抗がん剤を始めた」後に「しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善」したとしても、それだけでは因果関係の証明にはならない。他の要因で「改善」した可能性が残る。

仮に「Aさん」には「よく効いて」結果的に正しい選択だったとしよう。だとしても一般化できる訳ではない。「Aさん」型が全体の1%で、大した効果もなく抗がん剤の重い副作用に苦しむ非「Aさん」型が99%だとしよう。事前にどちらの型か分からない場合「標準的な抗がん剤を使用」すべきだろうか。

そうした点が明らかにならないと「プラス面とマイナス面」の判断はできない。なのに高野氏は自分に都合がいい特定の事例を持ち出して「がん放置療法」を否定している。そうでもしないと否定できないと感じているからだろう。

ちなみに近藤氏は「がん放置」を勧めているが、病状が進行した場合は放射線治療などで対応して生活の質を維持することを推奨している。「しこりの痛み」が強くなっても「放置」を続けるのが近藤氏の主張のような書き方をしているが違うのではないか。

標準的な抗がん剤」が使用に値するものならば、明確なエビデンスを示してほしい。結局はそれに尽きる。使用群と放置群に分けたランダム化比較試験の結果が知りたい。そのエビデンスがないのならば「固形がんに抗がん剤を使うべきではない」という近藤氏の主張に軍配を上げたい。


※今回取り上げた記事「Dr.高野の『腫瘍内科医になんでも聞いてみよう』~抗がん剤は絶対に使いたくありません。『がん放置療法』でいいですか」https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20210316-OYTET50008/?catname=column_takano-toshimi


※記事の評価はE(大いに問題あり)

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