2021年1月2日土曜日

男女半々ならば「能力のある人」も半々? 出口治明氏が東洋経済オンラインで発信した誤解

 1日付の東洋経済オンラインに載った「日本の男は自分の履く『ゲタの高さ』を知らない~袋小路に入っている日本に突然変異は起こるか」という記事でAPU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明氏と東京大学名誉教授の上野千鶴子氏が対談している。その内容のいい加減さに驚いた。特に問題だと感じた部分を見ていこう。

耳納連山に沈む夕陽

【東洋経済オンラインの記事】

出口:方法としては、要職につく女性を一定数に定めるクオータ制を導入するしかないのではないでしょうか。そこから日本型経営を変えていく。

上野:最近「202030」が実現できないと、政府が声明を出しました。

2003年に小泉政権下で、社会のあらゆる分野において2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30パーセント程度にする、という数値目標を作った時は、17年もかけたらなんとかなると期待がありました。私はなぜ「202050」じゃないの? と思ったくらい。ところが2020年になっても状況はほとんど変わっていません。

出口:そもそもなぜ30だったのでしょう。

上野:経営学の用語に「黄金の3割」という言葉があります。「クリティカルマス(臨界質量)」とも呼ばれます。集団の中で少数派が3割を越すと、少数派は少数派でなくなって、組織文化が変わる。その分岐点だと言われています。ですから意味のある数字ではあります


◎「クリティカルマス」の説明が…

デジタル大辞泉によると「クリティカルマス」には以下の3つの意味がある。

臨界質量のこと。

広告で、ある結果を得るのに必要とされる数量。商品やサービスが広く普及するために、最低限必要とされる供給量。

自転車利用の促進をめざす市民運動の一。都市部を集団で走行するもので、1992年に米国サンフランシスコで始まった。


1の「臨界質量」ではなく2の意味で上野氏は使っているのだろう。「クリティカルマス(臨界質量)」と表記したのは編集側の問題かもしれないが好ましくはない。

2の意味だとしても問題は残る。シマウマ用語集では「クリティカルマス」について「商品やサービスの普及が爆発的に跳ね上がる分岐点、もしくはその爆発的な普及に必要な市場普及率16%のこと。アメリカの社会学者エベレット・M・ロジャース(Everett M. Rogers)が1962年に『イノベーター理論』で提唱した」と解説している。

こちらを信じれば「クリティカルマス」は「3割」ではなく「16%」だ。

続きを見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:フランスは2000年に、国会議員選挙の候補者は各政党で男女同数にしなくてはならないという「パリテ法」を制定しました。

それによって、制定当時、国会の女性議員の割合は日本とさほど変わらない1割程度だったのが、今では4割近くに達しています。

上野:それは強制力のあるクオータ制を作ったからですね。

出口:男女同数の候補者を揃えないと政党交付金が減らされるというものでした。

日本の候補者均等法にはペナルティがない

上野:日本の候補者均等法には、ペナルティがありません。

出口:インセンティブのない制度はワークしませんね。フランスのように思い切ってやらないと


◎フランスは良くなった?

クオータ制」が絶対にダメだとは言わない。しかし男女平等の原則に反する以上、導入には慎重であるべきだ。導入に当たっては男女平等の原則を崩しても余りあるメリットを提示してもらわないと困る。しかし上野氏も出口氏もフランスでどんな効果があったのか教えてくれない。なのに「フランスのように思い切ってやらないと」となってしまう。

さらに見ていく。

【日経の記事】

上野:韓国も改革のスピードが速く、あっという間に女性家族部という省庁ができました。性暴力禁止法も成立しました。日本は立ち遅れました。

出口:韓国は一度、経済が潰れそうになったので危機感が強くあったのかもしれません。

上野:やはり危機が来ないとダメなんでしょうか。日本の危機はすでに相当深刻だと思いますが。


◎それだけ?

韓国では「女性家族部という省庁ができ」て「性暴力禁止法も成立」したらしい。これが「クオータ制」とどう関係するのか上野氏は明らかにしていないが、クオータ制の成果だとしよう。だとしても、これだけならば導入の必要は乏しい。

日本では「性暴力」は元々禁止されている。後は女性関連の「省庁」を作るだけだ。それだけのために「クオータ制」を導入する必要はない。

導入後は国民の幸福度が急激に上昇したとか、そういう話が欲しい。ないのならば男女平等の原則を貫く方がスッキリする。

さらに見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

クオータ制は、これまでずっと女性団体が提案してきました。ですが日本では、政財界にいる人が、クオータ制は賛成できない。能力のない人をポジションにつけるという逆差別になるといいます。ある財界トップの、「クォータ制はわが国の風土になじまない」という発言を聞いてのけぞりました。反対の理由を合理的に説明できない、と言っているのと同じです


◎反対の理由は「差別だから」で十分では?

クオータ制」が「逆差別」かどうかは知らないが「差別」ではある。この「差別」によって不利益を被る男性も必ず出てくる。「反対の理由」としては「差別」だからでほぼ足りている。基本的には「差別」がない方がいい。

ただ、あらゆる「差別」を禁じるべきかと言うと話が難しくなる。「クオータ制」導入の余地もここにある。「わが国の風土になじまない」という「発言」の真意は分からないが「(男女平等を原則とする)わが国の風土になじまない」との趣旨であれば「反対の理由を合理的に説明できない、と言っているのと同じ」ではない。

次は明らかに間違いだと思える発言を見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:人口の男女比は半々ですから、能力のある人の割合も同じはずです。クオータ制がいちばん正しいと思います。逆差別だと騒いでいる人は、男性がいかに高いゲタをはいているかという実態に気づいていないのです。

上野:裏返せば、これまで男だというだけで能力のない人たちをポジションにつけてきたということです。


◎「能力のある人の割合も同じはず」?

人口の男女比は半々ですから、能力のある人の割合も同じはずです」と出口氏は言う。根拠なくそう信じているのだろう。だが明らかに間違いだ。「同じ」にならないケースも当然にある。

例えば、国際数学オリンピックの日本代表は男性ばかりだ。これは選抜方法に不正があるからなのか。代表が6人ならば、成績で劣っていても3人は女性から選ぶべきなのか。海外でも約9割の代表選手が男性だ。これは、どの国も正しい能力判断ができていないからなのか。

仮に「能力のある人の割合も同じ」だとしても、だから「クオータ制」を導入すべきとは限らない。男性は「国会議員」になりたがる人が多いが、女性は敬遠するとしよう。その場合、日本全体で見れば「国会議員」の適性を持つ人の「割合」が同じだとしても、「国会議員」志望者の中で「能力のある人」の割合は男性が高くなる。「国会議員」志望者の9割が男性の場合、「国会議員」志望者の中で「能力のある人」も9割は男性だ。

その状況で「クオータ制」を導入すると、男性の中の「能力のある人」をはじいて、能力のない女性を選ぶ結果になりやすい。基本的に「クオータ制」は問題をはらんでいる。やはり、導入するならば難点を補って余りある大きなメリットが要る。

話はさらに「ロールモデル」に及ぶ。そこも見ておこう。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:ある企業の研修に講師として呼ばれて行ったことがあります。次の幹部候補生を20人くらい集めていたのですが、そこには女性が1人もいませんでした。

上野:幹部候補生の20人に?

出口:はい。社員の男女比は6対4なのに。それで、僕は社長に「なぜ女性がいないんですか?」と聞いたら、「この1年間、女性を抜擢しようと思って目を皿のようにして探しましたが、見つかりませんでした」と言われたので、「その考えが間違いです」と答えました。

これまで幹部に女性がいなければロールモデル自体がないわけですから、ふさわしい人が育っているはずがない。だから、「あみだくじでいいから最低3割くらいは女性幹部を任命してください」と述べました。

最初の1年は社長の目にかなわないかもしれませんが、2年、3年と続ければ立派な人は必ず出てきます。「それがクオータ制の本当の意味です」と話しました。


◎「ロールモデル」がないと育たない?

出口氏はこの「ロールモデル」の話が好きなようだ。ここでも「これまで幹部に女性がいなければロールモデル自体がないわけですから、ふさわしい人が育っているはずがない」と述べている。これは2つの意味で問題がある。

ロールモデル」がないと成長できないのが女性だとしたら、それは女性の能力的な欠点と言える。男性は多くの分野で未知の領域を開拓してきた。例えば坂本龍馬は誰かを「ロールモデル」として脱藩し、亀山社中を設立して薩長同盟を仲介したのか。歴史に詳しい出口氏ならば分かるだろう。

自分も人生で「ロールモデル」となる人物がいた時期はない。それでも、それなりに成長できたのは男性だからなのか。だとしたら「ロールモデル」なしで成長できるという点で男性(少なくとも一部の男性)は女性より優れている。であれば「幹部候補生」を男性から選ぶことに合理性が出てくる。自分が「社長」ならば「ロールモデル」なしでも成長できそうな人物に会社を託したい。

仮に「ロールモデル」が必要だとして、なぜ「社内」の「同性」でなければならないのかとも思う。他の人の生き方や仕事の進め方を参考にすることは自分にもあった。しかし職場内の同性でなければダメとは考えなかった。

最初の1年は社長の目にかなわないかもしれませんが、2年、3年と続ければ立派な人は必ず出てきます」と出口氏は言うが、根拠に欠ける。国会議員で考えてみよう。女性国会議員は何十年も前からいる。党首を務めた人物も出ている。こうした女性を「ロールモデル」として次々と優秀な人材が政界入りし、国会議員に占める女性の割合は「クオータ制」など必要ないレベルに達したのか。

国会議員に占める女性比率の推移を見れば、「ロールモデル」を作ってもあまり意味がないと分かるはずだ。


※今回取り上げた記事「日本の男は自分の履く『ゲタの高さ』を知らない~袋小路に入っている日本に突然変異は起こるか

https://toyokeizai.net/articles/-/399762


※記事の評価はD(問題あり)

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