2021年5月15日土曜日

三浦まり上智大学教授が日経ビジネスで訴えたクオータ制導入論に異議あり

「クオータ制の導入で女性議員を増やすべき」との主張に説得力を感じたことがない。日経ビジネス5月17日号に上智大学教授の三浦まり氏が書いた「気鋭の経済論点~世界で圧倒的に低い女性議員比率、クオータ制などで抜本改革を」という記事もそうだ。これを題材に「クオータ制」はなぜ筋が悪いのか考えたい。

夕陽と鉄塔

まず、海外との比較に問題がある。

【日経ビジネスの記事】

現在、世界では約60%が何らかのクオータ制を導入している。日本はこうした動きについていかず、大きく立ち遅れたのである。


◎「立ち遅れ」なの?

クオータ制」の導入が正しいとの前提に立てば「日本」は「大きく立ち遅れ」ているかもしれない。しかし、その前提を反対派は共有していない。「世界」の多数派が常に善ではないし、少数派は常に多数派に合わせるべきとも言えない。

クオータ制」導入国の比率が50%を切る流れになったら、日本も導入の必要はなくなるのか。三浦氏もそうは考えないだろう。この問題で海外との比較は基本的に意味がない。

さらに三浦氏の主張を見ていこう。


【日経ビジネスの記事】

ところでこの議論をするとよく疑問をぶつけられる。①意思決定の場に男女格差があるデメリットは大きいのか②女性自身に議会など決定の場に立ちたい人が多くない③議員などの候補者になる力のある人が女性に多くない④男性にとってのメリットがないと改革は進まないのでは──といったものだ。

①と④についてはこう言える。女性が立候補しにくい状況は、男性も多様な候補が出にくいことにつながる。日本の国会には2世や官僚出身の男性議員が相変わらず多い。男性も普通の会社員は立候補しにくい。議会での男女格差解消は、その問題を多くの人に改めて気づかせる。女性が立候補しやすくする改革は、候補者の多様化につながる。多くの男性にとってもメリットになる話だ。

②と③についてはこうだ。女性のなり手がいないように見える原因は、選ぶ側が男性ばかりなので、女性の潜在的候補者層を見つけにくいこと、家庭責任がある女性への支援や配慮に欠けていること、男性とは異なる女性特有のキャリア経験を評価していないことがある。まずは政党が数値目標を掲げ、必死で女性候補者を探し、声をかけ、支援する体制を整えることだ。


◎色々と問題が…

まず「①意思決定の場に男女格差があるデメリットは大きいのか」については答えを出していない。「日本の国会には2世や官僚出身の男性議員が相変わらず多い。男性も普通の会社員は立候補しにくい」という三浦氏の見方が正しいとしても、個人的には大きな「デメリット」は感じない。「2世や官僚出身」が多いとどんな「デメリット」があるのか。その「デメリット」がなぜ大きいと言えるのか。三浦氏は教えてくれない。

議会での男女格差解消は、その問題を多くの人に改めて気づかせる」かどうか怪しいが、とりあえず受け入れてみよう。だとしても「議会での男女格差」を解消すれば「その問題(男性も多様な候補が出にくい問題)」が解決するとは限らない。

「女性議員は増えたけれど、そのほとんどは『2世や官僚出身』」という可能性も十分にあり得る。女性は「普通の会社員」でも立候補しやすい環境が整う一方、男性は以前と変わらずという結果になるかもしれない。

②女性自身に議会など決定の場に立ちたい人が多くない」に関しても、答えになっていない。「多くない」のは事実なのか。実は「多い」のか。そこを教えてほしい。「多くない」のならば、女性議員が少ないのは当然だ。だとしたら三浦氏もまずは「女性よ。議員を目指そう」と呼びかけるべきではないか。

クオータ制」の導入推進論者はなぜか、そこから逃げたまま「クオータ制」に頼ろうとする。

選ぶ側が男性ばかり」などと嘆くならば、女性が新党を立ち上げて大量の女性候補者を擁立し、その候補者を女性有権者が支持すればいいい。男性に頼らなくても女性の力だけで女性議員は増やせる。それを妨げる制度的な障害はない。なのに、なぜそこに挑まないのか。

④男性にとってのメリットがないと改革は進まないのでは」についても触れておこう。女性議員を増やすための「クオータ制」は男女平等の原則に反する。三浦氏の言葉を借りれば「明らかな性差別」(この記事では森喜朗元首相の問題発言を指したものだが…)だ。男女平等主義者の自分からすると、正当化の難しい制度と言える。

しかし絶対反対とは言わない。圧倒的な「メリット」があれば「明らかな性差別」を受け入れてもいい。女性議員の比率を100%とする「クオータ制」でも構わない。

女性が立候補しやすくする改革は、候補者の多様化につながる」と三浦氏は言うが、その程度の「メリット」なら男女平等の原則を崩してまで導入したいとは思わない。そもそも「候補者の多様化」が必要なのか。個人的には、立候補したい人が自由に立候補できれば、属性は偏っていても構わない。

幅広い人が意思決定に関わり、様々な働き方ができる社会は、イノベーションの生まれやすい社会にもつながるはずだ」とも三浦氏は言う。これは希望的観測に過ぎない。「イノベーション」が多少増える程度ならば、実現するとしても「メリット」は小さい。

例えば「『クオータ制』を導入すると大きな『イノベーション』が生まれ、今世紀中には太陽系外の第2の地球に何億人もの人類が移住できるようになる。結果として、環境問題なども解決に向かう」と言えるのならば、「クオータ制」に前のめりになれるが…。

そもそも「幅広い人が意思決定に関わ」るようにしたいのならば「クオータ制」を女性のみに適用するのはおかしい。若い世代の「クオータ制」は導入しなくていいのか。非大卒への「クオータ制」も考えられる。

属性は無数にあるので、この作業に終わりはない。この終わりなき「クオータ制」導入に足を踏み入れるべきだと三浦氏は考えるのか。それとも「クオータ制」を性別に限って導入することを正当化できる根拠があるのか。

結局「クオータ制」はこうした批判に耐えるのが難しい。それでも導入すべきだと三浦氏が考えるのならば、その理由を教えてほしい。


※今回取り上げた記事「気鋭の経済論点~世界で圧倒的に低い女性議員比率、クオータ制などで抜本改革を

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00120/00023/


※記事の評価はD(問題あり)

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