2018年5月21日月曜日

東洋経済「近藤誠理論の功罪」に感じる鳥集徹氏の罪

週刊東洋経済5月26日の特集「医療費のムダ」の中にジャーナリストの鳥集徹氏が書いた「『近藤誠理論』の功罪」という記事が出てくる。「近藤医師の主張に対して、医療界は認めるべきところは認めるべきだろう」といった近藤医師寄りの記述が多めだが、「功罪」の「」に関する説明には問題を感じた。人の主張を否定するならば、きちんと根拠を示すべきだ。それができていない。
田主丸駅(福岡県久留米市)※写真と本文は無関係です

記事の前半を見てみよう。

【東洋経済の記事】

「ぼくは日本のがん診療界はかつての非科学的な態度や診療を大反省すべきだと思う。総括もすべきだと思う。そして近藤氏に当時の非礼と不見識を謝罪すべきだと思う。少なくとも当時の近藤氏の名誉を回復することなしに、ただただ人物批判、人格否定してもただのいじめではないか」

これは医療界を代表する論客の一人、神戸大学大学院医学研究科感染治療学分野教授・岩田健太郎医師が、ブログ「楽園はこちら側」に書いた一文だ。岩田医師は、近藤誠医師(元慶応義塾大学放射線科講師)のワクチン否定論などに対し、厳しい批判を向けてきた。しかし各論を批判する前に、まずは近藤医師に謝るべきだというのだ。

岩田医師は近藤医師が1990年代に展開した主張の例として、1.がんは手術すればよいとは限らない2.抗がん剤を使うとデフォルトで決めるのは間違っている3.がん検診をすれば患者に利益があると決め付けるのは間違っている4.ロジックとデータが大事、統計も大事、という4点を挙げ、「まったく『当たり前』の主張である。現在の日本では『常識』だし、当時だって世界的には普通の考え方だった」と評価する。

そして近藤医師の言説が多くの人の健康と人命をリスクにさらしているという批判は正しいが、「同じことは90年代の日本がん診療界にもあったのではないか。多くの患者が間違ったがん診療のフィロソフィーに苦しめられ、近藤氏がいなかったらもっとたくさんの人たちが不当に苦しんでいたかもしれない」と書く。筆者はこれまで複数のがん専門医や医師から同様の意見を聞いている。

80年代末に論壇に登場した近藤医師は、『患者よ、がんと闘うな』(文春文庫)をはじめ、現代医療を批判する数々の著作を世に問うてきた。近年は主張をより先鋭化させ、2012年に出版された『がん放置療法のすすめ』(文春新書)や『医者に殺されない47の心得』(アスコム)がベストセラーとなった。だが、現代医療をことごとく否定するかのような論調に、多くの医師が反発している。

筆者も近年の近藤医師の主張は無理筋が多いと感じている。だが、一方的に断罪できない気持ちもある。近藤医師が極論を展開しなければ、日本のがん医療は問題を抱えたまま変わらなかったのではないかと思うからだ。


◎どこが「極論」?

筆者も近年の近藤医師の主張は無理筋が多いと感じている」と鳥集氏は言うが、「無理筋」と言い切る理由には全く触れていない。「近藤医師の言説が多くの人の健康と人命をリスクにさらしているという批判は正しい」というのは「神戸大学大学院医学研究科感染治療学分野教授・岩田健太郎医師」の主張なのだろう。これに関しても鳥集氏は「(近藤医師への)批判は正しい」と言える根拠を示さないまま「岩田医師」の見方を紹介している。こうした姿勢こそ「大反省すべきだと思う」。
大分県立宇佐高校(宇佐市)※写真と本文は無関係です

それだけではない。「近藤医師が極論を展開しなければ、日本のがん医療は問題を抱えたまま変わらなかったのではないか」と鳥集氏は思っているようなので、「がん医療」に関する近藤医師の主張を「極論」と確信しているのだろう。これも奇妙だ。

近藤医師が1990年代に展開した主張」について「岩田医師」は「まったく『当たり前』の主張である。現在の日本では『常識』だし、当時だって世界的には普通の考え方だった」と述べている。鳥集氏も異論はなさそうだ。なのになぜ「近藤医師が極論を展開」したことになるのか。ごく「当たり前」の主張をしただけではないのか。

極論」と言うが、鳥集氏のような雑な説明が「極論」に見せている面もあるのではないか。記事には「抗がん剤もそうだ。もし近藤医師が『効かない』と言わなければ~」との記述がある。これだと近藤医師が全ての抗がん剤を否定しているように取れる。しかし、近藤医師は著書などで「抗がん剤は固形がんには効かない」と主張しているに過ぎない。

仮に「あらゆる抗がん剤に意味がないというのは極論」と言えるとしても、そもそも近藤医師はそういう主張をしていない。なのに鳥集氏の書き方だと「極論」を展開しているように見えてしまう。

記事の後半を見ていこう。

【東洋経済の記事】

たとえば近藤医師の功績の一つに「乳房温存手術」を広く知らしめたことがある。80〜90年代当時、乳がんは乳房切除術が主流で、中にはあばら骨が浮き出るつらい手術(ハルステッド手術)を受ける患者もいた。しかし欧米では意味のないことがわかり、乳房温存手術が普及し始めていた。

近藤医師は88年に「乳ガンは切らずに治る」という論文を月刊『文藝春秋』誌上に発表。それから乳房温存手術が増えていった。乳がんに限らず、当時がんは「大きく切れば切るほど治る」と信じられ、患者を痛めつける「拡大手術」が横行していた。しかし、多くの臨床試験で否定され、現在では必要最小限に切る手術が主流となった。

抗がん剤もそうだ。もし近藤医師が「効かない」と言わなければ、かつてのように過剰な投与を受け、苛烈な副作用で苦しみ抜いた揚げ句、命を縮める患者が今もたくさんいたかもしれない。また、がんの中には、転移せず、命取りにならない「がんもどき」があるという主張も、当時、学会幹部から「おでんの中にしかない」と頭ごなしに否定された。だが、今では検診関係者ですら、その存在を認めている。

これだけの先見性がありながら、当時、近藤医師は検診関係の学会に呼ばれ、集団で糾弾された。慶応では干されて、「万年講師」のまま定年を迎えた。医療界に絶望しても不思議ではない

ただ、筆者は近藤医師に何度か取材しているが、非常に頭の切れる人で、むしろ極論は「確信犯」ではないかとすら思っている。近藤医師の主張に対して、医療界は認めるべきところは認めるべきだろう。そして、過剰医療をなくすために、ほかの医師たちも近藤医師と可能な限り「共闘」してほしいと願っている。



◎結局、「罪」はどこに?

記事はこれで全てだ。しかし、近藤医師にどんな「」があるのか、具体的な話は全く出てこない。強いて言えば前述した「近藤医師の言説が多くの人の健康と人命をリスクにさらしている」と「近年の近藤医師の主張は無理筋が多い」の2点か。繰り返すが、具体的ではないし、もちろん根拠も示していない。
雲仙地獄(長崎県雲仙市)※写真と本文は無関係です

近藤医師が本当に「多くの人の健康と人命をリスクにさらしている」のならば、激しく批判されてしかるべきだ。ただし、批判を展開する上では「ロジックとデータが大事」だ。そのことを鳥集氏には改めて自覚してほしい。

ついでに言うと「慶応では干されて、『万年講師』のまま定年を迎えた。医療界に絶望しても不思議ではない」との説明も引っかかった。近藤医師が「医療界に絶望」しているような印象を与える書き方だ。

近藤医師は今も「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」で医療者としての活動を続けているようだ。「医療界に絶望」している人ならば、定年後も医療に関わろうとは思わないだろう。

筆者は近藤医師に何度か取材している」ようなので、その時に本人から「医療界に絶望」しているとでも聞いたのか。ちょっと考えにくいが…。


※今回取り上げた記事「『近藤誠理論』の功罪


※記事の評価はC(平均的)。鳥集徹氏への評価も暫定でCとする。

1 件のコメント:

  1. この記事は近藤医師の罪に関しては「前提」としているのでしょ?「これまで語られてきた近藤批判は正しい。だがしかし、、、」
    というのがこの記事なんだから近藤医師の罪が書かれてないと言われても

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