2019年1月12日土曜日

恵方巻きは雑煮より人気? データ曲解が残念な日経「春秋」

理解力が足りないのか、あえて曲解したのか。12日の日本経済新聞朝刊1面コラム「春秋」では、強引な解釈で「いまどきの子どもたちは、正月の雑煮よりも節分の恵方巻きのほうが身近らしい」「伝統的な七草がゆなど引き離し、雑煮をも上回るその人気」と書いていた。
名護屋城跡(佐賀県唐津市)
       ※写真と本文は無関係です

記事の前半部分は以下の通り。

【日経の記事】

いまどきの子どもたちは、正月の雑煮よりも節分の恵方巻きのほうが身近らしい。国立青少年教育振興機構が小3~中3の約3万4千人に、年中行事の体験を聞いた結果である。調査によれば「雑煮」は79%で「豆まきや恵方巻き」が87%。「七草がゆ」は27%だった。

豆まきだけならこれほど高い数字にはなるまい。近年みるみる普及した恵方巻きが、節分イベントに大いに寄与していよう。伝統的な七草がゆなど引き離し、雑煮をも上回るその人気なのだ。もともとは関西で生まれ、コンビニがキャンペーンを打って全国区になったのが20年ほど前。平成日本の巨大ヒットといっていい。


◎二重に問題が…

まず「身近」について考えてみたい。「年中行事の体験を聞いた結果」として「『雑煮』は79%で『豆まきや恵方巻き』が87%」となった場合、「正月の雑煮よりも節分の恵方巻きのほうが身近」と言えるだろうか。「恵方巻き」だけを取り出しての比較はできないと考えるのが普通だ。

例えば「野球」の経験者より「サッカーやフットサル」の経験者が多いとしても、ここから「フットサルは野球より身近」という結論は導けない。これが理解できないで新聞の1面コラムを執筆しているとしたら、かなり問題だ。

次は「人気」かどうかだ。「年中行事の体験」の多さは、その「行事」の人気を表すとは限らない。ちなみに「国立青少年教育振興機構」の調査では「雑煮」の「79%」に対して、「年末に家の大掃除をした」は80%だった。この場合「大掃除は雑煮並みに人気がある」「大掃除の人気は七草がゆを圧倒している」と筆者は理解するのだろうか。

ついでに記事の後半にも注文を付けておきたい。

【日経の記事】

とはいえ、昨今はアルバイト店員が販売ノルマを課せられたとか、達成できずに自腹で買い取らされたとか、後味の悪い話も聞く。あげくの果ては売れ残り商品の大量廃棄である。きのう農林水産省は需要に見合った販売をするよう業界団体に呼びかけたが、食品ロスの極みのような行いは自発的にやめるのが賢明だろう。


◎人のこと言える?

「印刷した新聞の99%以上は読者の元に届いています。読まれないまま廃棄される新聞は我が社の場合ほとんどありません」と日経が自信を持って言えるのならば「食品ロスの極みのような行いは自発的にやめるのが賢明だろう」と書くのも分かる。しかし、現実は違うのではないか。

次は最後の段落について。

【日経の記事】

余るとわかっているのに作っては捨て、また作る。昨年の節分の夜も、大幅に値引きされてなお売れぬ光景を眺めて悲しくなった。もちろんのり巻きになんの罪もなく、すこし見える断面のうまそうなことよ。丸かじりもいいが、サンドイッチよろしく流行の「萌(も)え断」を楽しめば、食べ物の尊さが身に染みるかもしれぬ。


◎いきなり「萌え断」と言われても…

十分な説明なく「萌え断」を使っているのが気になる。流行語を使うなとは言わないが、馴染みのない読者も多いはずなので説明はしっかりすべきだ。

さらに言えば「のり巻き」の「断面」を見て「楽しめば、食べ物の尊さが身に染みるかもしれぬ」と考えたのも理解に苦しむ。「うまそう」な「断面」に食欲をそそられるのは分かるが、そこから「食べ物の尊さが身に染みるかもしれぬ」となるのは飛躍が過ぎる。

そもそも、消費者が「萌え断」を楽しんでも「余るとわかっているのに作っては捨て、また作る」供給側の行動に変化が生じる訳ではない。「食品ロス」を減らすには供給側に訴える必要があると思える。

ひょっとすると、作り手に対して「節分の夜」に「萌え断」を楽しめと提案しているのか。その場合、万が一「食べ物の尊さが身に染みる」としても、今年の「食品ロス」を減らすには手遅れだ。


※今回取り上げた記事「春秋:いまどきの子どもたちは」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190112&ng=DGKKZO39958730S9A110C1MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。

2019年1月11日金曜日

(上)と話が違うような…日経「70歳雇用の条件(中)」の矛盾

11日の日本経済新聞朝刊1面に載った「70歳雇用の条件(中)未完の『人生100年の計』 『鬼門』の年金は後回しに」という記事は色々と問題が目立った。10日の(上)と矛盾するような説明も出てくる。まずは冒頭部分を見ていこう。
田島神社(佐賀県唐津市)
   ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

「政府として全く考えていない」。2018年10月22日、政府の未来投資会議。公的年金の支給開始年齢の一律引き上げが話題に上ると、茂木敏充全世代型社会保障改革担当相はこう切り捨てた。同席した安倍晋三首相も「全く考えていない」と完全に否定した。

 政府は「人生100年時代」をうたい、意欲と能力があれば年齢に関係なく働ける選択肢を用意しようとしている。70歳までの就業を企業や個人に強制するわけではないが、年金を受け取り始める時期も70歳より遅らせることを認める。



◎結局どうなの?

上記の説明は解釈に迷う。「公的年金の支給開始年齢の一律引き上げ」に関して「政府として全く考えていない」などと「完全に否定した」はずなのに、なぜか「年金を受け取り始める時期も70歳より遅らせることを認める」となってしまう。「認める」主体は「政府」と考えるしかない。

「茂木敏充全世代型社会保障改革担当相」や「安倍晋三首相」が虚偽答弁をしたと言いたいのか。それとも「政府」の別の誰かが「年金を受け取り始める時期も70歳より遅らせることを認め」たとの趣旨なのか。

あるいは「年金を受け取り始める時期も70歳より遅らせる」とは「一律引き上げ」ではなく部分的な「引き上げ」ということか。記事からは何とも判断できない。

さらに続きを見ていこう。

【日経の記事】

日本は少子高齢化で人手不足に直面し、支え手の減る年金制度に将来不安がつきまとう。政府は雇用を切り口に「年金だけに頼る老後」を変えようとしているわけだが、年金制度にメスを入れずに「人生100年」の計を描けるだろうか。

みずほ総合研究所の試算によると、65~69歳の就業率が今より約9ポイント高い5割台に上昇すれば、その分、保険料を払う人と年金受給が70歳以降となる人が増え、30年時点の厚生年金の収支は今の想定より2千億円改善する。一方、労使が払う厚生年金の保険料負担は計2300億円増える。

確かに高齢者の働き方を見直せば年金制度にとってプラスだ。だが年間給付が50兆円を超える公的年金全体からみれば効果は小さい。厚生労働省が高齢者雇用について検討するため昨春に省内に設けたプロジェクトチーム(PT)は「定年の延長などで年金の支給開始年齢までの雇用保障を図ってきた」と指摘した。高齢者雇用と年金制度のあり方は表裏一体の関係だ。



◎判断材料を提示できてる?

「年金制度にメスを入れずに『人生100年』の計を描けるだろうか」と問題提起してみたものの、それを判断するための材料を提示できていない。「30年時点の厚生年金の収支」で見るのならば、まず「どの程度の資金不足になるのか」を示すべきだ。でないと「2千億円改善」の多寡は論じられない。例えば不足額が3000億円ならば「効果」は大きい。
玄海エネルギーパークの観賞用温室(佐賀県玄海町)
          ※写真と本文は無関係です

記事ではなぜか「年間給付が50兆円を超える公的年金全体からみれば効果は小さい」と「厚生年金」から「公的年金全体」に話を移してしまう。しかも「年間給付が50兆円を超える」ことを「効果は小さい」とする根拠に挙げている。問題は「年間給付」の額ではなく「不足額」のはずだ。

付け加えると「年金だけに頼る老後」にも無理がある。「65~69歳の就業率が今より約9ポイント高い5割台に上昇すれば」と書いているので、今でも「65~69歳の就業率」は4割を超えているはずだ。こうした人は「年金だけに頼る老後」を送っているのか。答えは明らかだ。

さらに続きを見ていく。

【日経の記事】

平均寿命が60歳代半ばだった1960年代初め、厚生年金の受給期間は平均約9年だった。平均寿命が80歳代前半となる2030年、厚生年金の受給期間は平均17年超に延びる。支給開始年齢を65歳から一律に引き上げなければ「長い老後」が制度の重荷となる。

もっとも、どの国の政権にとっても年金は「鬼門」だ。年金の支給開始年齢を65歳から67歳まで引き上げる途上のドイツでは高齢者の就業率が上昇した半面、貧困高齢者も増え、極右勢力などの拡大につながった。オーストラリアのモリソン首相は昨秋、年金の支給開始年齢を70歳まで引き上げる計画を撤回。総選挙向けの人気取りに走った。



◎これも根拠に欠ける気が…

「平均寿命が60歳代半ばだった1960年代初め、厚生年金の受給期間は平均約9年だった。平均寿命が80歳代前半となる2030年、厚生年金の受給期間は平均17年超に延びる」というデータを根拠に「支給開始年齢を65歳から一律に引き上げなければ『長い老後』が制度の重荷となる」と主張しているが、説得力はない。

「受給期間」が「平均約9年」なら何歳から「平均17年」なら何歳からなどと機械的にあるべき「支給開始年齢」を導き出せる訳ではない。「厚生年金の受給期間は平均17年超に延び」たとしても、負担と給付のバランスが取れていれば「支給開始年齢」は「65歳」で問題ない。

バランスが崩れるのならば「支給開始年齢を65歳から一律に引き上げなければ」ならないとの主張に説得力が出てくるが、記事では「2030年」にどの程度の資金不足となるのか示していない。

ここから記事の終盤を見ていく。

【日経の記事】

日本の政府がまず高齢者雇用に焦点を絞るのも、政権への打撃となりかねない年金改革の議論を先送りしたい思惑があるからだ。現行制度でも可能な66~70歳に年金受給を遅らせる選択をしている人は全体のわずか1%程度と、年金依存の壁は厚い。背景には60歳を境に賃金が大きく下がる企業の給与制度がある。

大手銀に嘱託で勤める女性(62)の給料は60歳の定年前からほぼ半減した。出費はなかなか減らないため、あと1年は働くという。厚労省の調査でも65~69歳の正社員の平均賃金は28.4万円と55~59歳に比べ27%低い。賃金だけでは足りず、年金で収入減を補う高齢者の実像が浮かぶ。

雇用制度と社会保障制度。両者を一体で改革しなければ、「人生100年の計」は描けない。



◎どう「改革」したい?

「雇用制度と社会保障制度。両者を一体で改革しなければ、『人生100年の計』は描けない」と言うものの、どう「改革」したいのかが分かりにくい。「支給開始年齢」を引き上げるべきだと取材班が考えているのは分かる。問題は「雇用制度」だ。

今回の記事から判断すると「60歳を境に賃金が大きく下がる企業の給与制度」が原因で「年金依存」から抜け出せないので、これを改めるべきだと読み取れる。

しかし(上)では正反対とも言える主張を展開していた。「社会に持続可能なシニア雇用を定着させ、働く意欲も高める解はなにか。清家篤・前慶応義塾長は『年功型の賃金カーブの見直しは欠かせない』と指摘する」と解説していた。だとすると「60歳を境に賃金が大きく下がる企業の給与制度」は「年功型の賃金カーブ」に逆行する好ましい「制度」ではないのか。

「雇用制度と社会保障制度。両者を一体で改革しなければ、『人生100年の計』は描けない」と言うぐらいだから「両者を一体で改革」すれば「人生100年の計」が描けると取材班は確信しているだろう。ならば、どう「改革」すべきかを具体的に示してほしい。

取材班にも明確な解決策はないとは思うが…。


※今回取り上げた記事「70歳雇用の条件(中)未完の『人生100年の計』 『鬼門』の年金は後回しに」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190111&ng=DGKKZO39892950R10C19A1MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。

2019年1月10日木曜日

「人生100年時代」が苦しい日経「70歳雇用の条件(上)」

キリも響きもいいので「人生100年時代」を記事で使いたくなる気持ちは理解できる。ただ、その多くは使い方が強引だ。10日の日本経済新聞朝刊1面に載った「70歳雇用の条件(上)働き方の『再設計』号砲 シニアを『負担』にしない」という記事も例外ではない。
名護屋城跡(佐賀県唐津市)
      ※写真と本文は無関係です

記事では以下のように説明している。

【日経の記事】

厚生労働省によると、17年の日本の平均寿命は男性が81.09歳、女性が87.26歳で、高度成長期の60年よりそれぞれ15.77歳、17.07歳延びた。男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳以上まで生きる「人生100年時代」になった。

◎既に「人生100年時代」?

取材班では、日本は既に「人生100年時代」に入ったと認識しているようだ。「男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳以上まで生きる」からと言って「人生100年時代」だと思えるのが不思議だ。「100年」に関しては何のデータもない。

「男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳以上まで生きる」程度では「人生90年時代」かどうかも微妙だ。

今回の場合「男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳以上まで生きる時代になった」でいいのではないか。強引に「人生100年時代」にしてしまうと、記事への信頼感が失われてしまう。

ついでに、記事で示した「解」にも注文を付けたい。

【日経の記事】

社会に持続可能なシニア雇用を定着させ、働く意欲も高める解はなにか。清家篤・前慶応義塾長は「年功型の賃金カーブの見直しは欠かせない」と指摘する。

定年制がないライフネット生命保険は昨年4月に人事制度を見直し、1年間の技術や意識の成長評価を賃金に反映するようにした。65歳定年のSCSKは、シニアの活躍次第で500万円近くも年収が変わる。

成長を目指して成果を上げれば、年齢を問わずに報いる。体力などに応じ、緩やかな働き方も用意する。シニア雇用の実現に求められているのは、従来型の人事・賃金制度や働き方の「再設計」にほかならない。



◎そもそも「年功型の賃金カーブ」がある?

「シニア雇用を定着させ、働く意欲も高める解」として、記事では「年功型の賃金カーブの見直し」を挙げる。しかし、そもそも「シニア雇用」に関して「年功型の賃金カーブ」があるのが普通なのか。

記事では「ホンダは17年、定年を60歳から65歳にした。基本は以前と同じ仕事にし、海外駐在もある。賃金水準は59歳時点の8割と厚くし、対象者の大半が定年延長を選んだ」とも書いている。

「60歳」以降の「賃金水準は59歳時点の8割」なので「年功型の賃金カーブ」にはなっていない。「8割」でも「厚く」と言えるのならば、一般的にはもっと落ち込むはずだ。

「清家篤・前慶応義塾長」のコメントは「全世代で年功型の賃金カーブを見直さないとシニア雇用を定着させるのは難しい」との趣旨かもしれない。ただ、20代や30代での「年功型の賃金カーブ」がなぜ「シニア雇用」の「定着」と関連するのか説明がない。


※今回取り上げた記事「70歳雇用の条件(上)働き方の『再設計』号砲 シニアを『負担』にしない」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190110&ng=DGKKZO39821670Z00C19A1MM8000


※記事の評価はC(平均的)。

2019年1月8日火曜日

慶大生の就職激変? 当たりそうもない田中浩也慶大教授の「予想」

日経ビジネス1月7日号の「会社とは何か~組織と働き方の未来」という特集の中に興味深い「予想」を見つけた。「予想」をしているのは「慶應義塾大学教授の田中浩也」氏。記事では以下のように書いている。
玄海エネルギーパークの観賞用温室(佐賀県玄海町)
          ※写真と本文は無関係です

【日経ビジネスの記事】

そして、若者の「会社」に対する考え方が大きく転換しようとしている。

慶大教授の田中は、新入生を対象にした「働き方と生き方」というテーマの講義を担当している。例年、200人を超える受講者が集まる人気を誇る。昨年春のこと、田中はある異変に気付いた。

「これまで、学生は『どこの会社が合っているか』『どうやって就職活動を乗り切るか』に興味があった。ところが今の大学1年生は、入学した瞬間から、大企業に就職する気がない」

東大でも同様の傾向があるという。

「大企業をターゲットにしていない学生がだいぶ増えた」(柳川)

現在、大学に入学してくる世代の親は、多くが「就職氷河期」を経験し、企業の苛烈なコストカットやリストラを目の当たりにしてきたことが特徴だ。

「大企業に入っても、ろくなことはない。そう親から聞き続けた世代ではないか」

そう見る田中は、変化を続ける日本の「会社」が、数年後の採用活動で衝撃を受けると予想している。



◎楽しみだが、当たらない気が…

慶大の就職先企業の上位を見ると大手の金融機関や商社がずらりと並ぶ。田中教授の「予想」が当たれば、メガバンクや大手商社に就職する慶大生は3年後にはほぼゼロになるはずだ。「今の大学1年生は、入学した瞬間から、大企業に就職する気がない」のだから。

これが本当ならば確かに「衝撃」だ。だが「予想」は外れる気がする。

慶大の状況について田中教授の方が圧倒的に詳しいとは思う。それでも「予想」を信じられないのは、変化が急すぎるからだ。

今の2年生や3年生の就職観は従来の延長線上にあるのに、1年生は「入学した瞬間から、大企業に就職する気がない」と突然変異を起こしてしまう。「入学」直前にそう思わせてしまう大事件でもあったのなら話は別だが、そうでもなさそうだ。

「現在、大学に入学してくる世代の親は、多くが『就職氷河期』を経験し、企業の苛烈なコストカットやリストラを目の当たりにしてきたことが特徴だ」との説明も腑に落ちない。今の2年生の親は、1年生の親と基本的に同「世代」だろう。1年生の親の「多くが『就職氷河期』を経験」しているのならば、それは2年生の親にも当てはまる。

さらに言えば「企業の苛烈なコストカットやリストラを目の当たりにしてきた」のは「『就職氷河期』を経験」している世代に限らない。バブル期に就職した「親」も、その後に「コストカットやリストラを目の当たりにしてきた」はずだ。

「大企業に入っても、ろくなことはない。そう親から聞き続けた世代ではないか」と田中教授は見ているようだが、「『就職氷河期』を経験」してきた世代は「なかなか大企業に入れなかった世代」とも言える。その影響で「子供は大企業の正社員になってほしい」と願う傾向が強まっても不思議ではない。

上記のような理由で「田中教授の予想は当たらない」と予想しておく。基準も示しておいた方がよいだろう。2017年度の就職実績を見ると、慶大は全学部でメガバンクに240人が就職したようだ。そこで、今の1年生の卒業時に慶大生のメガバンクへの就職が全学部で10人未満であれば「田中教授の予想は当たり」としたい。「10~100人」ならば微妙か。100人を超えれば「外れ」でいいだろう。

本当に「日本の『会社』が、数年後の採用活動で衝撃を受ける」かどうか楽しみに待ちたい。


※今回取り上げた記事「50周年記念特集 会社とは何か 組織と働き方の未来 エピローグ~フラット&オープン」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/special/122601160/?ST=pc


※記事への評価は見送る。

失敗作と評価するしかない日経正月企画「新幸福論 Tech2050」

日本経済新聞朝刊1面の連載「新幸福論 Tech2050」がようやく終わった。8日の「(7)考える葦 未来の原点」に注文を付けながら、連載を総括したい。
唐津城(佐賀県唐津市)※写真と本文は無関係

まず最初の事例を見ていく。

【日経の記事】

インド生まれのタンメイ・バクシ君(15)。5歳でプログラミングを覚え、9歳でスマートフォン(スマホ)用アプリを開発。11歳のときに世界最年少で米IBMの人工知能(AI)ワトソンの開発に加わった。

この天才少年は学校に通わない。カナダの自宅を訪れると、地下に作った「研究室」で一人、黙々とプログラミングに取り組んでいた。学校の教育は「同じカリキュラムで生徒をひとくくりにしていると思う」。これでは才能があっても十分に伸ばせない。

AIに魅せられたバクシ君は、15歳にして新たな教育ツールの開発を進める。生徒がオンラインで学習を進めると、AIがそれぞれの生徒の学び方を分析。質問に最適な答えを出す。世界中で発表される最新の学術論文まで目配りして個別に必要な情報を選び、アップデートを続ける。目指すのはいわば徹底的に個人に最適化した「学校」だ。

動画配信サイト「ユーチューブ」のバクシ君のチャンネルには30万人近くが登録し、彼の講義に耳を傾ける。2050年までにAIの知が人間に追いつくという予測も飛び交う。学び方を変える必要性を感じる人たちが集まってくる。



◎「個人に最適化」昔からあるような…

「バクシ君」が開発する「教育ツール」が仮に「徹底的に個人に最適化した『学校』」だとしても、「個人に最適化した」ところに目新しさは感じない。家庭教師は「個人に最適化した」教育とも言えるし、日本では個別指導塾も珍しくない。

「動画配信サイト『ユーチューブ』のバクシ君のチャンネルには30万人近くが登録し、彼の講義に耳を傾ける」のであれば、こちらの方が「同じカリキュラムで生徒をひとくくりにしている」感はある。

付け加えると「2050年までにAIの知が人間に追いつくという予測も飛び交う。学び方を変える必要性を感じる人たちが集まってくる」との記述も納得できなかった。

「2050年」以降に「AIの知」が「人間」を超えるのならば、そもそも「プログラミング」などを学ぶ必要があるのかとの問題が生じてくる。AIに「プログラミング」してもらえば済む。なぜ「学び方を変える」ことで対応するのか謎だ。

「AIの知性で解決できない問題は残る。そこは人間の知性でしか解決できない」と言うのならば「AIの知が人間に追いつく」との説明に疑問が湧く。

さらに付け加えると、訳語なしに「アップデート」を使うのは感心しない。日経の読者には高齢者が多いことを考慮すべきだ。「余計な横文字は使わない。使わざるを得ない場合も丁寧な説明を心掛ける」と意識して記事を作ってほしい。

記事の続きを見ていこう。

【日経の記事】

人間の能力は技術の発展と反比例し衰えているとの見方がある。スマホなどの普及は、便利さの代償として考える力を奪うという懸念だ。自然人類学者で総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長は「情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた」と危惧する。



◎そんな傾向ある?

「自然人類学者で総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長は『情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた』と危惧」しているらしい。取材班はそれを真に受けてしまったのか。
仮屋湾(佐賀県玄海町)※写真と本文は無関係です

自宅で動画を観たいと思った時、昭和の終わり頃の子供は「地上波のテレビでどのチャンネルを選ぶか」を考えれば済んだ。自分に選択権がない場合、「情報を自分の力で取捨選択」する術すらなかった。

今はテレビのチャンネル数が増えただけでなく、スマホで「ユーチューブ」を観るといった選択肢もある。無数の選択肢からどの動画を観るか選んでいるのが、今の子供だ。なのに「情報を自分の力で取捨選択する時間が減ってきた」と言えるのか。

次は記事の後半を一気に見ていく。

【日経の記事】

社会にAIの浸透が進み、学生が卒業後に入る職場も減っていく。「工業化社会に適した従来の人材作りは意味がなくなる」(立命館アジア太平洋大学の出口治明学長)。AIに新たな仕事を与えるような発想力がなければ、「人間は衰えていく」(出口氏)。

対策が必要だ。楽天の創業メンバーで元副社長の本城慎之介氏は新しい学校の立ち上げを準備する。20年4月の開校をめざす「軽井沢風越学園」(長野県軽井沢町)。3歳から15歳の子どもが同じ校舎で学ぶ。

伝統的な学年や時間割にこだわるつもりはない。理科の実験なら何時間目といった区切り方をせず、気が済むまでやらせる。本城氏は「AI時代に人間にしかできない役割を発見するには、人間特有の遊びや寄り道が欠かせない」と話す。

「人間は葦(あし)にすぎない。だが、考える葦である」。フランスの哲学者パスカルは「パンセ」の中で、人間の弱さを指摘した上で、考えることができるために尊厳があるとした。さらに「すべての人間は幸福を求める。これこそ人間のあらゆる行動の動機である」とも語った。

テクノロジーが人間に大きな力を与えるとき、人間の存在意義は何になるのか。答えは一つとは限らない。だが答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ。



◎取って付けた「幸福論」が辛い…

今回の連載の最大の問題は「まともに幸福を論じていない」ことにある。最終回もそれは変わらない。記事の終盤で「すべての人間は幸福を求める」という「哲学者パスカル」の言葉を引用し「テクノロジーが人間に大きな力を与えるとき、人間の存在意義は何になるのか。答えは一つとは限らない。だが答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」と連載を締めている。

「個人に最適化した」教育の話の後で、取って付けたように「答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」と言われても「なるほど」とは思えない。

「新幸福論 Tech2050」というタイトルを付けるならば「技術革新によって幸福の概念が揺さぶられているんだな」と思える話が欲しい。最終回も「AIの発達に応じて教育はどう変わるべきか」という教育論にしかなっていない。解決策が「個人」への「最適化」だとすれば、それがどう「幸福」に影響するのかを論じるべきだ。

「答えを求めて考え続ければ未来の幸せをつかむ手掛かりは見つかるはずだ」との意見に異論はない。だが、そんなことは改めて教えてもらわなくても分かる。取材班が「新幸福論 Tech2050」をテーマに取材を続けて最後に導き出した結論が「考え続ければ何とかなるよ」的なものならば、連載は失敗作だったと評価するしかない。


※今回取り上げた記事「新幸福論 Tech2050(7)考える葦 未来の原点」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190108&ng=DGKKZO39583690Q8A231C1MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。連載全体の評価もDとする。今回の連載に関しては「渡辺康仁、前村聡、西岡貴司、上阪欣史、鈴木輝良、堀田隆文、新井重徳、生川暁、加藤宏志、川上尚志、栗本優、小園雅之、佐藤亜美、佐藤初姫、佐藤浩実、高尾泰朗、舘野真治、深尾幸生、丸山大介、宮住達朗、村越康二、八木悠介、兼松雄一郎、細川倫太郎、強矢さつきが担当します」と出ていた。「渡辺康仁」氏を連載の責任者だと推定し、同氏への評価を暫定C(平均的)から暫定Dへ引き下げる。今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「産業革命」の説明に矛盾あり 日経正月企画「新幸福論Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050.html

「空飛ぶクルマ」で「痛勤一変」? 日経「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_4.html

説明が成立してない日経1面「新幸福論 Tech2050(4)」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech20504.html

「ブロックチェーンで銀行口座」の説明が苦しい日経「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_6.html


※渡辺氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経1面連載「砂上の安心網」取材班へのメッセージ
https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/02/blog-post_22.html

2019年1月7日月曜日

理屈が合わない日経 水野裕司編集委員の「今こそ学歴不問論」

日本経済新聞の水野裕司編集委員が7日の朝刊企業面に書いた「経営の視点~人手不足に近づく限界 今こそ『学歴不問論』」という記事は理屈が合っていない。
呼子大橋(佐賀県唐津市)※写真と本文は無関係


記事中で「15~64歳の女性の就業率は既に70%を超え、主要先進国に遜色ない。日本総合研究所は女性とシニアの潜在労働力を足元の就業者数の6%程度とみており、これらの就労が進んでも『22年ごろには労働供給が限界に来る』と予測する」と記した上で「これまで光を当ててこなかった人材の活用余地も大きい。たとえば高卒者だ」と水野編集委員は訴える。

本当に「高卒者」は「人材の活用余地も大きい」と言えるだろうか。日経は2018年5月19日付の「99.7% 都内の高卒就職内定率、好調」という記事で以下のように報じている。

【日経の記事(2018年5月19日)】

高卒者の就職が好調だ。東京労働局によると、2018年3月末に東京都内の高校を卒業した人の就職内定率は99.7%(3月末時点)だった。比較可能な1994年以降で最高。都内の新規高卒者約11万人のうち、就職希望者は6%にすぎない。人手不足が深刻になるなか、大卒者の採用が難しい中小企業は現代の「金の卵」に熱視線を送っている。

東京だけが突出して高いわけではなく、福井県など100%の地域もある。全国平均も99.3%で過去最高となった。都内には大学が多くあり、進学する生徒が多数派。「なんとなく就職、という選択肢があまりない」(同局職業安定課)ことから、就職を選んだ高卒者の働く意欲は高いという。小さなパイに多くの中小企業の求人が集中し、引く手あまたの状況だ。



◎既に「光」が当たっているような…

働く能力も意欲もあるのに就職できない「高卒者」が毎年何万人も生まれているのならば「これまで光を当ててこなかった人材の活用余地も大きい。たとえば高卒者だ」と書くのも分かる。しかし「全国平均」の「就職内定率」が「2018年3月末」で「99.3%」と「過去最高」になっているのならば、「高卒者」の「活用余地」は非常に小さい。

「小さなパイに多くの中小企業の求人が集中し、引く手あまたの状況」下で、企業がいくら「学歴不問」にして「高卒者」の採用に意欲を見せても、日本全体の「人手不足」は解消しそうもない。「女性とシニア」の活用が限界に近付いてきたから、次は「高卒者」でと水野編集委員は考えているようだが、「高卒者」の雇用情勢を誤解しているのではないか。

水野編集委員が「高卒者」に触れた部分を見ておこう。

【日経の記事】

同時に、これまで光を当ててこなかった人材の活用余地も大きい。たとえば高卒者だ。うどん店「丸亀製麺」などを運営するトリドールホールディングスは高卒、大卒の区別なく昇進できる仕組みにした。16~18年に約200人の高卒者を採用。複数の店長を兼務する高卒社員が既にいる。

18年春に高校を卒業し就職した人は18万6千人で、これは大卒就職者の4割強の規模。「学歴を問わず、期待をしっかり伝えれば、高卒者は貴重な戦力になる」(リクルートワークス研究所の古屋星斗研究員)。ベンチャー企業ではデータサイエンティストの高卒社員も登場している。

日立製作所は19年4月、教育研修を担うグループ企業を統合し、人工知能(AI)など最先端ITを操る人材を養成する新会社を設立する。国内外30万人の社員をデジタル武装させる。100年余りの歴史がある社員教育の刷新となる。

世界経済の先行きは混沌としている。変化に対応できないときのリスクは大きい。従来のやり方にとらわれない一手が求められる。



◎漂う「偏見」の香り

上記のくだりでは「高卒者」に対する「偏見」が透けて見える気がする。
グラバー通り(長崎市)※写真と本文は無関係

まず「学歴を問わず、期待をしっかり伝えれば、高卒者は貴重な戦力になる」という「リクルートワークス研究所の古屋星斗研究員」のコメントが引っかかる。「高卒者」が「貴重な戦力になる」のは、あくまで「学歴を問わず、期待をしっかり伝え」るという条件付きなのか。

「総合職は大卒が条件。高卒採用は一般職のみ」と告知して「高卒者」を採用した場合でも「貴重な戦力になる」人はいくらもいると思えるが…。

ついでに言うと「日立製作所」の事例は何のために入れたのか謎だ。流れとしては「日立製作所」も「高卒者」の活用に乗り出したといった話になるはずだ。しかし「人工知能(AI)など最先端ITを操る人材を養成する新会社を設立する。国内外30万人の社員をデジタル武装させる」などと書いているだけで、「高卒者」との関連は見えない。「学歴不問論」から外れてしまっている。

最後に、日経が「学歴不問論」を唱える矛盾にも触れておきたい。

日経の定期採用の募集要項では「応募資格」を「①日本の四年制大学・大学院を2020年3月までに卒業・修了見込みまたは既卒の方②海外の大学・大学院に在籍している方(交換留学は除く)は日本の四年制大学・大学院と同等の学位で、2020年3月までに卒業・修了見込みまたは既卒の方」としている。「高卒ではダメ」と言うことだ。

日経社員の採用に関して水野編集委員の権限が及ばないのは分かる。しかし「日経が学歴不問論を唱える矛盾」は意識して記事を書いてほしい。例えば「記者採用で大卒以上の学歴を求めている日経に『学歴不問論』を唱える資格はあるのかとの批判を覚悟の上で~」といった記述があれば、印象はかなり変わってくる。


※今回取り上げた記事「経営の視点~人手不足に近づく限界 今こそ『学歴不問論』」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190107&ng=DGKKZO39628190U9A100C1TJC000


※記事の評価はD(問題あり)。水野裕司編集委員への評価もDを据え置く。水野編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

通年採用で疲弊回避? 日経 水野裕司編集委員に問う(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_28.html

通年採用で疲弊回避? 日経 水野裕司編集委員に問う(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_22.html

宣伝臭さ丸出し 日経 水野裕司編集委員「経営の視点」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_26.html

「脱時間給」擁護の主張が苦しい日経 水野裕司編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/07/blog-post_29.html

「生産性向上」どこに? 日経 水野裕司編集委員「経営の視点」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_23.html

2019年1月6日日曜日

「ブロックチェーンで銀行口座」の説明が苦しい日経「新幸福論 Tech2050」

日本経済新聞朝刊1面の連載「新幸福論 Tech2050」がさらに苦しくなってきた。6日の「(5)『国境』決めるのは自分」という記事も、まともな説明になっていない。最初に出てくる「少数民族ロヒンギャ」の事例から見ていこう。
名護屋城跡(佐賀県唐津市)
      ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

「国家に支配されないコミュニティをテクノロジーの力で作る」。マレーシアの首都クアラルンプール。起業家のムハンマド・ヌール氏の口調に熱がこもる。

 ヌール氏は少数民族ロヒンギャの出身。ロヒンギャはミャンマーで迫害され、マレーシアやバングラデシュに逃れた難民は100万人規模とされる。1982年にミャンマーの国籍を失い、自分自身を証明するすべを持たない。「銀行の口座を開けず、学校にも行けない」と語る同氏はこう続ける。「この状況を打破できる技術が現れた。ブロックチェーンだ」

仮想通貨の基盤技術であるブロックチェーンは参加者が互いに承認する仕組み。日本の戸籍など国による証明に代わって、IDで個人を特定する。国家が介在しない生活圏がサイバー空間に生まれ、銀行口座を開いて働けるようになる。「人々が経済的に自立できる」とヌール氏は話す。



◎なぜ銀行口座が開ける?

そもそも「自分自身を証明するすべを持たない」状況に陥った「少数民族ロヒンギャ」の難民が「ブロックチェーン」によって「銀行の口座」を開ける仕組みがよく分からない。

少なくとも日本では「『ブロックチェーン』の技術を使って『IDで個人を特定』できます。パスポートなどの身分証明書は持っていないし、国籍も失っています。それでも口座を開設したいのですが…」と銀行の窓口で相談しても「開設は無理です」と言われるはずだ。マレーシアではできると言うのならば、日本との制度の違いは説明すべきだ。

さらに言えば「ブロックチェーン」を使えば「IDで個人を特定」できるという説明も理解に苦しむ。例えば「ロヒンギャ」の難民であるA氏が「ブロックチェーン」の力を借りて口座を作るとしよう。A氏はこれを機に「B」という名前で活動したいと考えている。

A氏が「私の名前はBです」と虚偽の申告をした場合、「ブロックチェーン」の技術を用いると「この人物の本名はBではなくAです」と教えてくれるのだろうか。「ブロックチェーン」に詳しくないので断定はできないが、考えにくい気はする。

判別ができないのならば、偽名での銀行口座開設が可能になるので問題が多い。判別可能ならば、どういう仕組みなのかが知りたい。

「国家が介在しない生活圏がサイバー空間に生まれ、銀行口座を開いて働けるようになる」という説明も謎だ。「銀行口座」を開くのならば「国家が介在しない」とは言えない。日本ならば預金金利に課税される。資産凍結の対象になる可能性もゼロではない。

「働けるようになる」のであれば、所得税も取られそうだ。なぜ「国家が介在しない生活圏」と言えるのか説明が欲しい。どこの国の規制も受けない「サイバー空間」限定の銀行に口座を開いて「サイバー空間」で働くとの趣旨なのか。記事からは判断が難しい。

次の事例も問題なしとしない。

【日経の記事】

「国家は丸ごとデジタル化できる」。ヌール氏と相似形の未来を見据える人物がスイスにいる。起業家ダニエル・ガシュタイガー氏は母国の全ての行政手続きをスマートフォンで済ませる事業を進める。投票から税の申告、省庁への問い合わせまで、スイスという国が手のひらに収まる。



◎無理な話では?

「全ての行政手続きをスマートフォンで済ませる」のは無理だと思える。例えば、税金滞納者の保有する高級外車を差し押さえる「行政手続き」を実行する場合、どうやって「スマートフォンで済ませる」のか。
平和祈念像(長崎市)※写真と本文は無関係です

百歩譲って「全ての行政手続きをスマートフォンで済ませる」ことができるとして、それで「スイスという国が手のひらに収まる」と考えるのも理解できない。この表現を用いるのならば、「スイス」全体を所有または支配している状況が欲しい。

ついでに記事の終盤も見ておく。

【日経の記事】

国家とは何か。「万国に共通する絶対的な善、正義を備える」。古代ギリシャの哲学者プラトンは理想の国家像についてこう説いた。だが人類はいまだその理想を実現していない。それどころか21世紀初頭の今、国境をひたすら固める自国第一主義や新たな覇権国家出現の可能性を人類は目にしている。

「共通の利害を持った人々が集まるサイバー共同体は、未来の世界で大きな役割を果たすだろう」。国際基督教大学の岩井克人特別招聘教授は語る。国境を決めるのは自分自身――。距離が消える究極のグローバル化の先に、人類はまったく新しい社会を切り開く。


◎「新幸福論」はどうなった?

今回は結局「国家論」になってしまった。「新幸福論」を展開する気はないのか。だったら最初から別のタイトルでやってほしかった。


※今回取り上げた記事「新幸福論 Tech2050(5)『国境』決めるのは自分」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190106&ng=DGKKZO39585160Q8A231C1MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。連載全体の評価もDとする。今回の連載に関しては「渡辺康仁、前村聡、西岡貴司、上阪欣史、鈴木輝良、堀田隆文、新井重徳、生川暁、加藤宏志、川上尚志、栗本優、小園雅之、佐藤亜美、佐藤初姫、佐藤浩実、高尾泰朗、舘野真治、深尾幸生、丸山大介、宮住達朗、村越康二、八木悠介、兼松雄一郎、細川倫太郎、強矢さつきが担当します」と出ていた。「渡辺康仁」氏を連載の責任者だと推定し、同氏への評価を暫定C(平均的)から暫定Dへ引き下げる。連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「産業革命」の説明に矛盾あり 日経正月企画「新幸福論Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050.html

「空飛ぶクルマ」で「痛勤一変」? 日経「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_4.html

説明が成立してない日経1面「新幸福論 Tech2050(4)」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech20504.html

失敗作と評価するしかない日経正月企画「新幸福論 Tech2050」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/tech2050_8.html


※渡辺氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経1面連載「砂上の安心網」取材班へのメッセージ
https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/02/blog-post_22.html