2021年1月2日土曜日

男女半々ならば「能力のある人」も半々? 出口治明氏が東洋経済オンラインで発信した誤解

 1日付の東洋経済オンラインに載った「日本の男は自分の履く『ゲタの高さ』を知らない~袋小路に入っている日本に突然変異は起こるか」という記事でAPU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明氏と東京大学名誉教授の上野千鶴子氏が対談している。その内容のいい加減さに驚いた。特に問題だと感じた部分を見ていこう。

耳納連山に沈む夕陽

【東洋経済オンラインの記事】

出口:方法としては、要職につく女性を一定数に定めるクオータ制を導入するしかないのではないでしょうか。そこから日本型経営を変えていく。

上野:最近「202030」が実現できないと、政府が声明を出しました。

2003年に小泉政権下で、社会のあらゆる分野において2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30パーセント程度にする、という数値目標を作った時は、17年もかけたらなんとかなると期待がありました。私はなぜ「202050」じゃないの? と思ったくらい。ところが2020年になっても状況はほとんど変わっていません。

出口:そもそもなぜ30だったのでしょう。

上野:経営学の用語に「黄金の3割」という言葉があります。「クリティカルマス(臨界質量)」とも呼ばれます。集団の中で少数派が3割を越すと、少数派は少数派でなくなって、組織文化が変わる。その分岐点だと言われています。ですから意味のある数字ではあります


◎「クリティカルマス」の説明が…

デジタル大辞泉によると「クリティカルマス」には以下の3つの意味がある。

臨界質量のこと。

広告で、ある結果を得るのに必要とされる数量。商品やサービスが広く普及するために、最低限必要とされる供給量。

自転車利用の促進をめざす市民運動の一。都市部を集団で走行するもので、1992年に米国サンフランシスコで始まった。


1の「臨界質量」ではなく2の意味で上野氏は使っているのだろう。「クリティカルマス(臨界質量)」と表記したのは編集側の問題かもしれないが好ましくはない。

2の意味だとしても問題は残る。シマウマ用語集では「クリティカルマス」について「商品やサービスの普及が爆発的に跳ね上がる分岐点、もしくはその爆発的な普及に必要な市場普及率16%のこと。アメリカの社会学者エベレット・M・ロジャース(Everett M. Rogers)が1962年に『イノベーター理論』で提唱した」と解説している。

こちらを信じれば「クリティカルマス」は「3割」ではなく「16%」だ。

続きを見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:フランスは2000年に、国会議員選挙の候補者は各政党で男女同数にしなくてはならないという「パリテ法」を制定しました。

それによって、制定当時、国会の女性議員の割合は日本とさほど変わらない1割程度だったのが、今では4割近くに達しています。

上野:それは強制力のあるクオータ制を作ったからですね。

出口:男女同数の候補者を揃えないと政党交付金が減らされるというものでした。

日本の候補者均等法にはペナルティがない

上野:日本の候補者均等法には、ペナルティがありません。

出口:インセンティブのない制度はワークしませんね。フランスのように思い切ってやらないと


◎フランスは良くなった?

クオータ制」が絶対にダメだとは言わない。しかし男女平等の原則に反する以上、導入には慎重であるべきだ。導入に当たっては男女平等の原則を崩しても余りあるメリットを提示してもらわないと困る。しかし上野氏も出口氏もフランスでどんな効果があったのか教えてくれない。なのに「フランスのように思い切ってやらないと」となってしまう。

さらに見ていく。

【日経の記事】

上野:韓国も改革のスピードが速く、あっという間に女性家族部という省庁ができました。性暴力禁止法も成立しました。日本は立ち遅れました。

出口:韓国は一度、経済が潰れそうになったので危機感が強くあったのかもしれません。

上野:やはり危機が来ないとダメなんでしょうか。日本の危機はすでに相当深刻だと思いますが。


◎それだけ?

韓国では「女性家族部という省庁ができ」て「性暴力禁止法も成立」したらしい。これが「クオータ制」とどう関係するのか上野氏は明らかにしていないが、クオータ制の成果だとしよう。だとしても、これだけならば導入の必要は乏しい。

日本では「性暴力」は元々禁止されている。後は女性関連の「省庁」を作るだけだ。それだけのために「クオータ制」を導入する必要はない。

導入後は国民の幸福度が急激に上昇したとか、そういう話が欲しい。ないのならば男女平等の原則を貫く方がスッキリする。

さらに見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

クオータ制は、これまでずっと女性団体が提案してきました。ですが日本では、政財界にいる人が、クオータ制は賛成できない。能力のない人をポジションにつけるという逆差別になるといいます。ある財界トップの、「クォータ制はわが国の風土になじまない」という発言を聞いてのけぞりました。反対の理由を合理的に説明できない、と言っているのと同じです


◎反対の理由は「差別だから」で十分では?

クオータ制」が「逆差別」かどうかは知らないが「差別」ではある。この「差別」によって不利益を被る男性も必ず出てくる。「反対の理由」としては「差別」だからでほぼ足りている。基本的には「差別」がない方がいい。

ただ、あらゆる「差別」を禁じるべきかと言うと話が難しくなる。「クオータ制」導入の余地もここにある。「わが国の風土になじまない」という「発言」の真意は分からないが「(男女平等を原則とする)わが国の風土になじまない」との趣旨であれば「反対の理由を合理的に説明できない、と言っているのと同じ」ではない。

次は明らかに間違いだと思える発言を見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:人口の男女比は半々ですから、能力のある人の割合も同じはずです。クオータ制がいちばん正しいと思います。逆差別だと騒いでいる人は、男性がいかに高いゲタをはいているかという実態に気づいていないのです。

上野:裏返せば、これまで男だというだけで能力のない人たちをポジションにつけてきたということです。


◎「能力のある人の割合も同じはず」?

人口の男女比は半々ですから、能力のある人の割合も同じはずです」と出口氏は言う。根拠なくそう信じているのだろう。だが明らかに間違いだ。「同じ」にならないケースも当然にある。

例えば、国際数学オリンピックの日本代表は男性ばかりだ。これは選抜方法に不正があるからなのか。代表が6人ならば、成績で劣っていても3人は女性から選ぶべきなのか。海外でも約9割の代表選手が男性だ。これは、どの国も正しい能力判断ができていないからなのか。

仮に「能力のある人の割合も同じ」だとしても、だから「クオータ制」を導入すべきとは限らない。男性は「国会議員」になりたがる人が多いが、女性は敬遠するとしよう。その場合、日本全体で見れば「国会議員」の適性を持つ人の「割合」が同じだとしても、「国会議員」志望者の中で「能力のある人」の割合は男性が高くなる。「国会議員」志望者の9割が男性の場合、「国会議員」志望者の中で「能力のある人」も9割は男性だ。

その状況で「クオータ制」を導入すると、男性の中の「能力のある人」をはじいて、能力のない女性を選ぶ結果になりやすい。基本的に「クオータ制」は問題をはらんでいる。やはり、導入するならば難点を補って余りある大きなメリットが要る。

話はさらに「ロールモデル」に及ぶ。そこも見ておこう。


【東洋経済オンラインの記事】

出口:ある企業の研修に講師として呼ばれて行ったことがあります。次の幹部候補生を20人くらい集めていたのですが、そこには女性が1人もいませんでした。

上野:幹部候補生の20人に?

出口:はい。社員の男女比は6対4なのに。それで、僕は社長に「なぜ女性がいないんですか?」と聞いたら、「この1年間、女性を抜擢しようと思って目を皿のようにして探しましたが、見つかりませんでした」と言われたので、「その考えが間違いです」と答えました。

これまで幹部に女性がいなければロールモデル自体がないわけですから、ふさわしい人が育っているはずがない。だから、「あみだくじでいいから最低3割くらいは女性幹部を任命してください」と述べました。

最初の1年は社長の目にかなわないかもしれませんが、2年、3年と続ければ立派な人は必ず出てきます。「それがクオータ制の本当の意味です」と話しました。


◎「ロールモデル」がないと育たない?

出口氏はこの「ロールモデル」の話が好きなようだ。ここでも「これまで幹部に女性がいなければロールモデル自体がないわけですから、ふさわしい人が育っているはずがない」と述べている。これは2つの意味で問題がある。

ロールモデル」がないと成長できないのが女性だとしたら、それは女性の能力的な欠点と言える。男性は多くの分野で未知の領域を開拓してきた。例えば坂本龍馬は誰かを「ロールモデル」として脱藩し、亀山社中を設立して薩長同盟を仲介したのか。歴史に詳しい出口氏ならば分かるだろう。

自分も人生で「ロールモデル」となる人物がいた時期はない。それでも、それなりに成長できたのは男性だからなのか。だとしたら「ロールモデル」なしで成長できるという点で男性(少なくとも一部の男性)は女性より優れている。であれば「幹部候補生」を男性から選ぶことに合理性が出てくる。自分が「社長」ならば「ロールモデル」なしでも成長できそうな人物に会社を託したい。

仮に「ロールモデル」が必要だとして、なぜ「社内」の「同性」でなければならないのかとも思う。他の人の生き方や仕事の進め方を参考にすることは自分にもあった。しかし職場内の同性でなければダメとは考えなかった。

最初の1年は社長の目にかなわないかもしれませんが、2年、3年と続ければ立派な人は必ず出てきます」と出口氏は言うが、根拠に欠ける。国会議員で考えてみよう。女性国会議員は何十年も前からいる。党首を務めた人物も出ている。こうした女性を「ロールモデル」として次々と優秀な人材が政界入りし、国会議員に占める女性の割合は「クオータ制」など必要ないレベルに達したのか。

国会議員に占める女性比率の推移を見れば、「ロールモデル」を作ってもあまり意味がないと分かるはずだ。


※今回取り上げた記事「日本の男は自分の履く『ゲタの高さ』を知らない~袋小路に入っている日本に突然変異は起こるか

https://toyokeizai.net/articles/-/399762


※記事の評価はD(問題あり)

2021年1月1日金曜日

日経の「革命」好きは2021年も不変? 正月連載「第4の革命 カーボンゼロ」の危うさ

日本経済新聞が大好きな「世界一変」系の連載は危ないと繰り返し訴えてきた。しかし、やめられないようだ。1日の朝刊1面で「第4の革命 カーボンゼロ」という連載が始まった。この手の連載に頻繁に出てくる「革命」という言葉がタイトルに入っている。そのせいか、初回の「脱炭素の主役、世界競う~日米欧中動く8500兆円」という記事で既に危うい雰囲気が漂っている。

夕暮れ時の筑後川

最初の段落から見ていこう。


【日経の記事】

世界がカーボンゼロを競い始めた。日本も2050年までに二酸化炭素(CO2)など温暖化ガスの排出を実質ゼロにすると宣言した。化石燃料で発展してきた人類史の歯車は逆回転し、エネルギーの主役も交代する。農業、産業、情報に次ぐ「第4の革命」を追う。


◎「逆回転」?

人類史の歯車は逆回転」するという説明が引っかかる。「化石燃料」の利用をやめて馬車や帆船で移動する生活に戻るのならば「逆回転」でいいだろう。しかし、そういう話ではないはずだ。

革命」を打ち出す難しさはここにある。大変なことが起きないと「革命」にはならないが、実際には日経の思い通りの「革命」的な動きが出てこない。なので物事を大げさに表現してしまう。「逆回転」もそうだ。

化石燃料」の利用が減っても、再生エネルギーで代替して人類としてのエネルギー消費量が増え続けるのならば「逆回転」ではない。

次は「カーボンゼロ」について考えてみよう。


【日経の記事】

カーボンゼロの奔流が世界を動かす。国連環境計画によると世界の3分の2にあたる126の国・地域がCO2など温暖化ガスの実質ゼロを表明した。米国も追随すれば、温暖化ガス排出量で世界の63%の国・地域がゼロを約束する


◎遠い先でも実現が難しそうな…

例えば、2025年に世界で「カーボンゼロ」が実現するとしよう。この場合は、かなり大きな変化が起きそうだ。しかし「日本も2050年までに二酸化炭素(CO2)など温暖化ガスの排出を実質ゼロにすると宣言した」だけ。目標を達成できたとしても30年近く先の話だ。

記事によれば「米国も追随」と仮定した場合でも「温暖化ガス排出量で世界の63%の国・地域がゼロを約束する」に過ぎない。最後まで「約束」しない国もあれば「約束」したものの目標を達成できない国も出てくるという状況は十分に考えられる。

2050年」(日本の場合)という遠い未来の「約束」を基に「革命」が起きると読者に訴えるのが今回の連載だ。苦しい内容になるのは避けられそうもない。

無理は既に出ている。1面の記事の終盤を見てみよう。


【日経の記事】

人類は18世紀の農業革命で穀物生産を伸ばし、産業革命では工業生産を飛躍的に増やした。20世紀末の情報革命は社会をデジタル化し、経済や雇用の姿も変えた。カーボンゼロは人類の営みでこれまで増え続けたCO2を一転して減らす革命で、世界の産業や暮らしのあり方も塗り替わる。


◎「一転して減らす」?

カーボンゼロは人類の営みでこれまで増え続けたCO2を一転して減らす革命」なのか。世界が足並みをそろえた上で目標を達成したとしても「カーボンゼロ」だ。その後は減少に転じるかもしれないが、それまでに30年近い年月をかけるのならば「一転して減らす」とは言えない。

第2回以降ではさらに苦しくなるのだろうか。見守っていきたい。


※今回取り上げた記事「第4の革命 カーボンゼロ(1)脱炭素の主役、世界競う~日米欧中動く8500兆円」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1689Q0W0A211C2000000


※記事の評価はD(問題あり)

2020年12月31日木曜日

間違い指摘の無視も「感情で判断」? 週刊エコノミスト藤枝克治編集長の編集後記に思うこと

2020年の最後は、週刊エコノミストの藤枝克治編集長が2021年1月12日号に書いた編集後記を取り上げたい。読者からの間違い指摘を無視して多くのミスを放置する雑誌の編集長の言葉として読むと色々と考えさせられる。
大阪城


全文は以下の通り。

【エコノミストの記事】

分断は、トランプ大統領による米国の話、と思っていたが、新型コロナが日本にもたらしたのも社会の分断だった。恐怖にかられてマスク着用や自粛に従わない者を犯罪者のごとく非難する人々と、コロナを風邪やインフルエンザと同様に捉えて無用の自粛に憤る人々の間には、憎しみに似た溝がある。

まだコロナがどういうものか、はっきりしなかった昨年春ごろは、それも仕方ないと思ったが、1年たって多くを学び、同じデータを見ているのに、両者の対立は先鋭化している。

要するに人は自分が知りたい事実や数字しか見ないのだろう。トランプ氏に投票した支持者は、4年たって減るどころか、逆に増えた。論理で説得しようとしても無駄だ。トランプ氏が好きか嫌いか、コロナは怖いかどうか、人は感情で判断し、理屈は後から付いてくる。数年たち冷静になって反省するのはどちらだろうか。


◎藤枝編集長を「論理で説得しようとしても無駄」?

人は自分が知りたい事実や数字しか見ないのだろう」とは思わない。そうではない「」も当たり前にいるはずだ。藤枝編集長は自分自身にも「知りたい事実や数字しか見ない」傾向があると気付いているようだ。でないと、こういう書き方にはならない。

そして「論理で説得しようとしても無駄だ」「人は感情で判断し、理屈は後から付いてくる」と続けている。

雑誌の編集長を務めるほどの人物だから、読者からの間違い指摘を無視してミスを放置するのがなぜ好ましくないか「論理で説得」できると信じて、これまで藤枝編集長にメッセージを送ってきた。しかし藤枝編集長は「感情で判断」する人であり、無視を正当化する「理屈は後から」いくらでも付けられるのだろう。

自分は藤枝編集長の「感情」に基づいて、気に食わない読者と「判断」されているのかもしれない。その場合は「論理で説得しようとしても無駄だ」。

12月25日にも藤枝編集長には問い合わせを送っている。やはり回答は届いていない。少なくとも自分は「憎しみ」とは無縁だが、藤枝編集長から見れば、「自分が知りたい事実」とは正反対の「事実」を突き付けてくる読者との間には「憎しみに似た溝」を感じるのだろう。

冷静になって反省」すべきなのは自分なのか。それとも藤枝編集長なのか。結果が出る日が来ると信じたい。

ついでに細かい注文を1つ。

恐怖にかられてマスク着用や自粛に従わない者を犯罪者のごとく非難する人々」と書くと「マスク着用や自粛に従わない者」が「恐怖にかられて」いるように見える。「マスク着用や自粛に従わない者を恐怖にかられて犯罪者のごとく非難する人々」などとした方が好ましい。

25日に送った問い合わせを再掲しておく。記事の説明で問題ないという「理屈は後から付いて」きたのだろうか。


【エコノミストへの問い合わせ】

岩田太郎様 週刊エコノミスト編集長 藤枝克治様 

12月29日・1月5日合併号の特集「世界経済総予測 2021」の中の「インタビュー1~ジム・ロジャーズ『21年の株は最後のひと上げ まだ割安の日本は“買い”だ』」という記事についてお尋ねします。記事中で「米国や日本の株式市場は過熱しており、史上最高値圏にある」とロジャーズ氏は述べています。

日経平均株価で見ると「史上最高値(終値)」は1989年に付けた3万8915円です。2020年に関しては3万円にも届かない状況が続いており「史上最高値圏にある」とは言えません。しかもロジャーズ氏自身が記事の中で「日本株」について「史上最高値よりまだ4割も安い」と述べており、発言に矛盾があります。

米国や日本の株式市場は過熱しており、史上最高値圏にある」というのはロジャーズ氏の発言を忠実に訳したのかもしれませんが事実関係が誤っているのではありませんか。回答をお願いします。間違いであれば次号で訂正してください。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

御誌では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。読者から購読料を得ているメディアとして責任ある行動を心掛けてください。


※今回取り上げた記事「From Editors」


※記事の評価はC(平均的)。ミス放置を続けている責任を重く見て藤枝克治編集長への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。藤枝編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

がん「早期発見→手術」がベスト? 週刊エコノミスト藤枝克治編集長の誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/11/blog-post_27.html

2020年12月29日火曜日

小田嶋隆氏が日経ビジネスで展開した「コロナ楽観論批判」への「反論」

25日付の日経ビジネス電子版に載った「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~来年が凡庸で退屈な一年でありますように」という記事の後半部分を見ながら問題点をさらに指摘していく。前半部分については以下の投稿を参照してほしい。

根拠示さず小林よしのり氏を否定する小田嶋隆氏の『律義な対応』を検証」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_28.html

夕暮れ時の巨瀬川
【日経ビジネスの記事】

新型コロナウイルスについては、まだまだわからないことがたくさんある

その一方で、はっきりとわかってきたこともたくさん出てきている。

無論、医師でもなければ感染症の専門家でもない私が、この問題を自分のアタマでどんなふうに読み解いているのかは、たいした問題ではない。

新型コロナウイルスへの対応のような「深い専門知識と広い視野の両方を持っていないと適切な解答にたどりつけないタイプの問題」については、そもそも「自分の頭」で考えることがむずかしい。

そこで、私は、この種の「自前の見識や思考力だけでは手に負えない論題」については、毎度

「どの専門家の見解を鵜呑みにしたら良いのだろうか」

という視点から対処している。そうすることによって、早呑込みを防ぐとともに、思考を節約している次第だ。

今回の新型コロナ問題について申し上げるなら、私は、この春以来、5人ほどの専門家の著書やツイートやインタビュー記事を参考にしながら、なんとか現状に追随しようと苦闘している。

もっとも、細かいことを言えば、私が信頼を置いているその5人ほどの専門家の間にも、多少の見解の相違はある。じっさい、特定の時期における特定のタームに関しては、正反対の見解が並んで、困惑したこともある。

とはいえ、大筋において、彼らの意見は一致している。

以下、現状の日本における新型コロナ理解のための手引きとして、長らく当欄の担当編集者をしてくれていたY氏が聞き手として編集した書籍をご紹介しておく。私の一押しと考えてもらって良い。

『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』峰宗太郎・山中 浩之著(日経プレミアムシリーズ)

というのが、その本だ。

扱っているテーマのバランスの良さや情報の充実度もさることながら、説明の順序や深さがとてもよく考えられている。

どういうことなのかというと、

説明しすぎないこと

断定しすぎないこと

深みにハマりすぎないこと

を注意深く考えた態度に終始しているということだ。

基礎的で大切で見逃してはならない重要なポイントについてだけ、何度も丁寧に、言い方を変えながら解説している。これはなかなかできないことだ。

いったいに、専門家は説明過剰になりがちだ。

知っている知識を全部並べないと気がすまない人も多い。

私自身、自分が多少ともくわしい分野についてはかなり説教くさいオヤジに変貌している自覚がある。

でも、この本は、読者の側が知っておくべきことを、順序正しく知らしめることに専念している。専門家が書いた書籍でこういう内容のものはめずらしい。おそらく聞き手として素人の立場の人間を立てたことが功を奏しているのだと思う。たしかに、ふりかえってみれば、Y氏は、こっちの説明がくどくなると、たちまち退屈そうな顔をしてみせる油断のならない聞き手だった。この種の書籍の進行役としてはまさにうってつけの人材だったわけですね。


◎その方法で大丈夫?

新型コロナウイルス」に関して上記のようなやり方で小田嶋隆氏は正しい判断ができると信じているようだ。同意できない。

まず「どの専門家の見解を鵜呑みにしたら良いのだろうか」というアプローチがダメだ。基本姿勢としては「どの専門家の見解」も「鵜呑み」にすべきではない。「この人はそういう見方なんだなぁ」ぐらいでいい。「新型コロナウイルスについては、まだまだわからないことがたくさんある」のならばなおさらだ。

説明しすぎないこと」「断定しすぎないこと」「深みにハマりすぎないこと」といった条件を満たしているからと言って「5人ほどの専門家」の主張が正しいとは限らない。「断定しすぎないこと」はまだ分かるが「説明しすぎないこと」と「深みにハマりすぎないこと」は正しいかどうかとほぼ無関係だ。

自分ならば「エビデンスに基づいて冷静かつ論理的に自論を展開している人をあくまで暫定的に信じる」といったところだろうか。

説明の順序や深さがとてもよく考えられている」ことは、著者としての優秀さの基準にはなるが、それを「主張がおそらく正しい」と結び付けてしまうのは危険だ。

記事の続きを見ていこう。


【日経ビジネスの記事】

さて、新型コロナについて楽観論を拡散している人たちは

ただの風邪と思って対応した方が害が少ない

「商業メディアは、コロナ脅迫が目先の視聴率や部数に結びつくからということを理由に、大げさに騒ぎ立てている」

「ウイルスの害そのものよりも、ウイルスによる経済の萎縮の害の方が大きい」

「新型コロナウイルスの死者は、例年のインフルエンザウイルス感染による死者よりも少ない」

「コロナ警戒の影響で経済が停滞すれば、食えなくなった商店主や従業員に給与を支給できなくなった経営者の自殺が増える」

「新型コロナウイルスで死ぬ可能性があるのは、ほぼ高齢者と基礎疾患を持つ人々に限られている。ということは、若者や働き盛りの人間に優しいウイルスと見ることも可能だ」

「ウイルス克服の最終シナリオが、集団免疫の獲得であるのだとしたら、時期の違いがあるだけの話で、だとすれば、ロックダウンで経済停滞を招くような小細工をせずに、自然でゆるやかな感染拡大と免疫獲得を待つのが得策だ」

てな調子の、コロナ疲れした人々に俗受けしそうなお話を繰り返している。

ひとつひとつ反論しても良いのだが、細かい論点のやりとりに巻き込まれることは控えようと思っている。なぜというに、「異端の説」は、それを論破するべく議論の対象とすることで、かえって広まってしまう性質を持っているものだからだ。

たとえばの話、「地球は平面だ」でも「月はアルミ製の黄色い円盤だ」でも良いのだが、この種のトンデモな主張は、マトモな人間が大真面目に反論することでいよいよ世間にあまねく知られることになる。しかも、世の中には何パーセントかの割合で「異端の説」を偏愛する人々が暮らしていて、そういう人たちは、言説の妥当性よりは、その独自性に誘引される傾きを持っている。

彼らは、

「自分が凡庸なマスコミ発の情報に踊らされ、退屈きわまりない定説をアタマから信奉してしまっている世俗的で集団主義的で臆病で平凡なあいつらとは違う、孤高で冷徹でユニークでとんがった独自路線の人間であること」

を証明するべく、より信じにくい言説を、アクロバティックな解釈を総動員して信じ込むことを好む。

逆に言えば、

「すんなりと説明されている、誰にでもわかるようなお話」

を、テンからバカにしてかかるわけだ。

コロナ楽観論がどれほどバカげた言説であるのかについては、さきほどご紹介した書籍を読んでもらえば、隅々まで納得できるはずだ。ちなみに私は発売初日にKindle版を手に入れて、その日のうちに読了している。

論争から逃げているように見えてしまうのもシャクなので、あまりにもあたりまえで凡庸なお話ではあるが、以下、「コロナ楽観論」への反論をひととおり書き並べておくことにする。

なお、この反論への反論にはお答えしない。理由はさきほども述べた通り、論争は、もっぱら異端の論を拡散せんとしている崖っぷちの人々の利益にしかならないからだ


◎どっちかにしたら…

論争から逃げているように見えてしまうのもシャク」なので「反論をひととおり書き並べておく」が「反論への反論にはお答えしない」らしい。「論争は、もっぱら異端の論を拡散せんとしている崖っぷちの人々の利益にしかならない」と信じているのならば「シャク」だとしても「論争から逃げ」るべきだ。

逃げているように見えてしまうのもシャク」ならば「反論への反論」にも「お答え」した方がいい。でないと結局は「論争から逃げているように見えてしまう」。「異端の論を拡散」させた上で「論争から逃げているように見えてしまう」やり方をなぜ選ぶのか。

さらに言えば「コロナ楽観論」は正しいかどうかを判定できる類のものではない。「ただの風邪と思って対応した方が害が少ない」かどうかは厳密に言えば検証不可能だ。

2020年を2回やれるのならば厳密な比較実験ができるかもしれないが、無理だ。2021年に「ただの風邪と思って対応」すれば、ある程度の比較はできるが厳密さに欠ける。

」をどう判断するのかも困難を伴う。自殺者についてもコロナ対策との因果関係を正確に判断するのは難しい。

月はアルミ製の黄色い円盤」かどうかと違って「コロナ楽観論」は厳密な検証ができない。それを「異端の説」で「バカげた言説」と斬って捨てるのは感心しない。かつて地動説は「異端の説」とされた。当時、小田嶋氏が生きていれば「バカげた言説」と相手にしなかっただろう。それが正しい態度かどうかは歴史が証明しているのではないか。

記事の続きを見ていく。


【日経ビジネスの記事】

「ゆるやかで自然な感染拡大」などという都合の良い感染形態は存在しない。じっさい、初期対応で放置に近い態度(経済優先のためにロックダウンを回避した)で臨んだスウェーデンは、近隣諸国に比べて人口比で何倍もの死者を出し続け、国王が政府を批判する事態になっている。


◎基準の問題では?

ゆるやかで自然な感染拡大」はある得る。「ゆるやかで自然な感染拡大」をどう定義するかの問題だ。「近隣諸国に比べて人口比で何倍もの死者を出し続け」ていることは「ゆるやかで自然」と矛盾しない。「死者」が多いから「感染拡大」が急だとも言い切れない(可能性は高いだろうが…)。

正確な「感染拡大」の状況が分からないので断定はできないが、日本でも「ゆるやかで自然な感染拡大」が続いていると個人的には見ている。

さらに続きを見ていく。


【日経ビジネスの記事】

「インフルエンザより死者が少ない」というのは、チェリーピッキング(←論者にとって都合の良いデータだけをつまみ食いにする態度)の結果にすぎない。例年と違って、多くの国民がマスク・手洗い・三密回避に気を配っている2020年シーズンのデータを見ると、インフルエンザの感染者は劇的に減少している。新型コロナウイルスが同じ状況下で、感染拡大しつつある現状を見れば、感染力においても、インフルエンザウイルスよりはるかに厄介な相手であることは明白だ。

老人と基礎疾患持ちだけを感染回避させるような小器用な対策は不可能


◎対策は可能では?

人との接触を避ければ「感染回避」の対策になるはずだ。「老人と基礎疾患持ち」で「感染」を恐れる人は実行に移しているのではないか。そんなに難しい話ではない。

さらに見ていく。


【日経ビジネスの記事】

ちなみに指摘しておけば、「基礎疾患を持った人間と老人しか殺さないから優しいウイルスだ」式の立論は、あからさまな優生思想でもあれば、「働き手」となる人間の価値ばかりを高く評価する狂ったネオリベ思想でもある


◎優生思想と関係ある?

優生」とは「良質の遺伝形質を保つようにすること」(デジタル大辞泉)だ。「老人」はこれから子供を作る訳ではないので「優生」とほぼ無関係だ。それに「基礎疾患を持った人間と老人」が邪魔だから「ウイルス」に殺してもらおうと「コロナ楽観論」者が考えている訳でもないだろう。「あからさまな優生思想」という指摘は強引かつ的外れだ。

『働き手』となる人間の価値ばかりを高く評価する狂ったネオリベ思想」という見方もおかしい。「基礎疾患を持った人間と老人」は働いていないとの認識なのか。多くの「働き手」がいるはずだ。

個人的には「子供や若者がほとんど死なないという点で新型コロナウイルスは優しいウイルス」だと思っている。「老人」より子供を守ってあげたい。しかし子供は現時点で「働き手」ではない。将来の「働き手」だから助けたい訳でもない。まだ十分に人生を謳歌していないと思うから優先的に守ってあげたい。それは「『働き手』となる人間の価値ばかりを高く評価する狂ったネオリベ思想」なのか。

ようやく記事の終盤に来た。


【日経ビジネスの記事】

集団免疫の獲得が最終的な着地点であるのだとしても、それを「国民の多数派が感染すること」によって達成するのは、「棄民シナリオ」にほかならない。凡庸な言い方になるが、人々の活動を制御することを通じて感染をコントロールし、医療崩壊を回避しながら、ワクチン接種の効果を待つのが、最も穏当な集団免疫獲得のロードマップということになろう。

常識は、多くの場合、凡庸なものだ。

真実もまた、そのほとんどは凡庸に見える

来年が凡庸で退屈な一年になるようお祈りして、本年最後のごあいさつに代えたい。

よいお年を。


◎なぜ「棄民シナリオ」?

集団免疫の獲得が最終的な着地点であるのだとしても、それを『国民の多数派が感染すること』によって達成するのは、『棄民シナリオ』にほかならない」と主張する理由が分からない。

ワクチン」がない状態を考えてみよう。徐々に感染が広がり、最終的には「集団免疫の獲得」となる。それを「棄民シナリオ」とするならば、厳しい行動制限を課して感染のスピードを抑えたとしても「国民の多数派が感染すること」によって「集団免疫の獲得」に至るのは同じだから、やはり「棄民シナリオ」だ。

有効かつ安全な「ワクチン」があるのに使わないという主張に対して「棄民シナリオ」だと言うのはまだ分かる。しかし小田嶋氏が紹介した「コロナ楽観論」の主張の中に、そうした内容は見当たらない。

真実もまた、そのほとんどは凡庸に見える」というくだりに注文を付けておく。「真実もまた、そのほとんどは凡庸に見える」とは思わないが、とりあえず受け入れてみよう。ただし「だから凡庸に見えるものが真実だ」とは言えない。なので正しさを判断する時に「凡庸に見える」かどうかを考えても意味はない。

人々の活動を制御することを通じて感染をコントロールし、医療崩壊を回避しながら、ワクチン接種の効果を待つのが、最も穏当な集団免疫獲得のロードマップということになろう」と小田嶋氏は結論を導いているが、問題はどの程度「人々の活動を制御する」のかだ。

ロックダウンと呼ばれるようなやり方で「人々の活動を制御する」のならば「最も穏当」とは言い難い。「なるべくマスクをしましょうね」ぐらいの話で終わるのならば確かに「穏当」だが、これだと「コロナ楽観論」の主張と変わらなくなる。

この反論への反論にはお答えしない」と小田嶋氏は宣言したので、「お答え」になってしまうような主張は一切できなくなった。本当にこの宣言を遵守するのならば、悪くないのかもしれない。小田嶋氏は「コロナ楽観論」に関する「論争」に参加すべき人物ではない。「コロナ楽観論」は「バカげた言説」だと信じたままでいいので、「論争」からは距離を置いてほしい。


※今回取り上げた記事「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~来年が凡庸で退屈な一年でありますように

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00100/


※記事の評価はE(大いに問題あり)。小田嶋隆氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

どうした小田嶋隆氏? 日経ビジネス「盛るのは土くらいに」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2016/09/blog-post_25.html

山口敬之氏の問題「テレビ各局がほぼ黙殺」は言い過ぎ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/06/blog-post_10.html

小田嶋隆氏の「大手商業メディア」批判に感じる矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/blog-post_12.html

杉田議員LGBT問題で「生産性」を誤解した小田嶋隆氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/lgbt.html

「ちょうどいいブスのススメ」は本ならOKに説得力欠く小田嶋隆氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/ok.html

リツイート訴訟「逃げ」が残念な日経ビジネス「小田嶋隆のpie in the sky」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/pie-in-sky.html

「退出」すべきは小田嶋隆氏の方では…と感じた日経ビジネスの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_16.html

「政治家にとってトリアージは禁句」と日経ビジネスで訴える小田嶋隆氏に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_10.html

「利他的」な人だけワクチンを接種? 小田嶋隆氏の衰えが気になる日経ビジネスのコラムhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_15.html

根拠示さず小林よしのり氏を否定する小田嶋隆氏の「律義な対応」を検証https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_28.html

2020年12月28日月曜日

根拠示さず小林よしのり氏を否定する小田嶋隆氏の「律義な対応」を検証

小田嶋隆氏のコラムを長く愛読してきた。最近は衰えが目立つようにはなってきたが、それでも読むのを楽しみにしている。言ってみれば小田嶋氏寄りの人間だ。その自分から見ても25日付の日経ビジネス電子版に載った「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~来年が凡庸で退屈な一年でありますように」という記事は問題ありだ。

耳納連山に沈む夕陽

記事の前半を見た上で問題点を指摘したい。

【日経ビジネスの記事】

今年の当欄の更新は今回で最後だ。

なるべくなら明るい話題で2020年を締めくくりたかったのだが、諸般の事情から、どうやらそういうわけにもいかない。

12月21日、22日の両日、毎日新聞が有料契約者向けに公開しているWebコンテンツのひとつ「医療プレミア」内で、小林よしのり氏(67)のインタビュー記事を掲載した。

この記事に関連して、私は以下の2つのツイートを発信した。

《いま、この時期に、この状況で、よりにもよって小林よしのりの言い分をまるで無批判に垂れ流しにするインタビュー記事を掲載する毎日新聞の見識に心の底からあきれている。逆張り言説でメシを食おうとする人間がいること自体は個人の自由だが、新聞がそういうヤカラに翼を与えちゃダメだろ。午前9:19・2020年12月21日》

《(下)も小林よしのり氏の言いたい放題を拝聴するだけの翼賛記事ですね。論評も検証もゼロ。両論併記すらしていません。失望しました。午前9:39・2020年12月22日》

で、このツイートへの反応が軽く炎上している。

賢明な人間であれば、自分の炎上ネタは扱わない。

というよりも、賢い人間の振る舞いとしては、小林よしのり氏のような人物とのやりとりは黙殺することになっている。別の言い方をすれば、小林よしのり氏のようなタイプの言論人は、優秀な文筆家や賢明な有識者が、あえて相手にしないからこそ、メディアの中で生き残ることができているわけだ。

でも、私はあまり賢くない。

なので、今回は、新型コロナウイルスを軽視する論陣を張っている人々をあえてテーマとして持ってくることにする。

過剰に賢明でないことは、書き手としての私の数少ない長所のひとつだ。

というのも、賢明で先の見える人間は、面倒くさい仕事には関与しないものだからだ。

そして、厄介なやりとりや危険を伴う論争を回避する賢さを備えた書き手は、いつしか文筆の仕事から離れてしまうのだな。

私の知る限りでも、何人もの秀逸な文章家が、業界を見限っている。彼らはいまや別の世界でまったく違ったタイプの仕事をしている。

勘違いしてはいけない。出版業界が彼らを見捨てたのではない。彼ら優秀な書き手が、面倒くさいばかりでさしたるメリットを提供しない文筆の仕事に愛想を尽かしたのである。

しかしながら、もう一度言うが、私は賢くない。

なので、小林よしのり氏のような、対峙した相手になんらの利益をももたらさない面倒くさい人間にも、律義に対応する。わがことながら愚かなリアクションであることは自覚している。でもまあ、こうして相手をしてさしあげるのは、これが最後だ。クリスマスプレゼントだと思ってもらえるとありがたい。

さて、私がこの労多くして益少ない論争に片足を突っ込んだ理由は、必ずしも愚かさだけではない。

個人的な自覚としては、私がこのテーマをあえてテキスト化することにした理由は、新型コロナウイルスの感染危機が拡大すればするほど、世間にはびこっている「コロナ楽観論」(←と、勝手に名前をつけます)の有害さもまた巨大化しつつある、と、そう考えたからだ。

ということはつまり、この原稿は、世のため人のために為されている一種の慈善事業でもある。

私はサンタクロースなのかもしれない。


◎相手を否定するのならば…

小田嶋氏は「小林よしのり氏」をかなり激しく否定している。否定や批判は悪くないが、しっかりした根拠は欲しい。しかし小田嶋氏は「小林よしのり氏」の主張の問題点を全く指摘していない。記事の後半で一般的な「コロナ楽観論」に対する小田嶋氏の考えを示してはいる。だが、その前にやることがある。

小林よしのり氏の言いたい放題」の中に事実誤認があるのか。差別発言があるのか。そうした「論評も検証も」できる場を与えられたのに、なぜそれをしないのか。

相手をしてさしあげる」と小田嶋氏は言っているが「小林よしのり氏のような、対峙した相手になんらの利益をももたらさない面倒くさい人間」などと根拠も示さず悪く言っているだけだ。「律義に対応する」しているとは思えない。

そもそも話の展開もおかしい。

賢明な人間であれば、自分の炎上ネタは扱わない。というよりも、賢い人間の振る舞いとしては、小林よしのり氏のような人物とのやりとりは黙殺することになっている」と小田嶋氏は書いている。

小田嶋氏の「2つのツイート」に「小林よしのり氏」が嚙みついてきたのならば「小林よしのり氏のような人物とのやりとりは黙殺することになっている」と書くのも分かる。しかし「小林よしのり氏」がアクションを起こしたと取れる記述はない。なのに「小林よしのり氏」に対して「リアクション」してしまっている。

リアクション」するのならば「ツイートへの反応」に対してとなるのが自然だ。あらぬ方向へ「リアクション」が向かっている。「小林よしのり氏」としては「小田嶋氏の何のアクションも起こしていないのに…」となるのではないか。


※今回取り上げた記事「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~来年が凡庸で退屈な一年でありますように

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00100/


※今回取り上げた記事の後半部分については以下の投稿を参照してほしい。

小田嶋隆氏が日経ビジネスで展開した「コロナ楽観論批判」への「反論」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_29.html


※記事の評価はE(大いに問題あり)小田嶋氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

どうした小田嶋隆氏? 日経ビジネス「盛るのは土くらいに」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2016/09/blog-post_25.html

山口敬之氏の問題「テレビ各局がほぼ黙殺」は言い過ぎ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/06/blog-post_10.html

小田嶋隆氏の「大手商業メディア」批判に感じる矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/blog-post_12.html

杉田議員LGBT問題で「生産性」を誤解した小田嶋隆氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/lgbt.html

「ちょうどいいブスのススメ」は本ならOKに説得力欠く小田嶋隆氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/ok.html

リツイート訴訟「逃げ」が残念な日経ビジネス「小田嶋隆のpie in the sky」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/pie-in-sky.html

「退出」すべきは小田嶋隆氏の方では…と感じた日経ビジネスの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_16.html

「政治家にとってトリアージは禁句」と日経ビジネスで訴える小田嶋隆氏に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_10.html

「利他的」な人だけワクチンを接種? 小田嶋隆氏の衰えが気になる日経ビジネスのコラムhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_15.html

2020年12月27日日曜日

90年ごろの創価大学は9割が「非学会員」? 週刊ダイヤモンドの特集「創価学会90年目の9大危機」

週刊ダイヤモンドに久しぶりの間違い指摘をしてみた。「90年ごろ、非学会員の比率は、創価大学では9割、創価高校ではほぼ10割といわれていた」と書いているが「学会員の比率」の誤りではないかという内容だ。年明け後の対応に注目したい。

シップ神戸海岸ビル

【ダイヤモンドへの問い合わせ】

週刊ダイヤモンド 編集長 山口圭介様 担当者様

1月9日号の特集「創価学会90年目の9大危機」の中の「創価高の難関大合格者激減~“創価エリート教育”の迷走」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは以下のくだりです。

90年ごろ、非学会員の比率は、創価大学では9割、創価高校ではほぼ10割といわれていた。だが令和の今のそれは、大学で8割程度、高校で9割くらいと、じわりと『非学会員率』が増えつつあるという

この説明には矛盾があります。「非学会員の比率」は「創価大学」では「9割」から「8割程度」へ、「創価高校」でも「ほぼ10割」から「9割くらい」へと低下しているはずです。しかし「『非学会員率』が増えつつある」と書いています。

常識的には「90年ごろ」に「創価大学では9割、創価高校ではほぼ10割」が「非学会員」だったとは思えません。「非学会員の比率」となっているのは「学会員の比率」の誤りではありませんか。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「創価高の難関大合格者激減~“創価エリート教育”の迷走


※記事の評価はD(問題あり)

2020年12月26日土曜日

ROEは「分母と分子を複利で成長させ」ないと維持できない? 日経 中山淳史氏の誤解

日本経済新聞の中山淳史氏は書き手としてはやはり厳しい。少なくとも本社コメンテーターといった肩書を付けてコラムの執筆を任せるのはやめるべきだ。「ROE」に関して「10%の水準を守ろうとすれば、分母と分子をそれぞれ複利で成長させ続けないと実現しない」と説明しているが明らかに間違いだ。

大阪市内を流れる淀川

日経には以下の内容で問い合わせを送った。


【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 中山淳史様 

26日の朝刊オピニオン面に載った「Deep Insight~超過利潤生んでこそ経営」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは以下のくだりです。

ROEは純利益÷自己資本に100を掛けて算出する経営指標だが、例えば『優良』の入り口とされる10%の水準を守ろうとすれば、分母と分子をそれぞれ複利で成長させ続けないと実現しない

これを信じれば「ROE」で「10%の水準」を維持するためには「分母と分子をそれぞれ複利で成長させ続け」る必要があるはずです。しかし、そうしなくても「10%の水準」は維持できます。

自己資本」100億円、「純利益」10億円で「10%の水準」を達成しているA社について考えてみましょう。A社は「純利益」を全て配当に回します。なので「自己資本」は100億円のままで「複利で成長」はできません。

純利益」も10億円でずっと横ばいです。これも「複利で成長」には当たりません。つまり「自己資本」100億円、「純利益」10億円が続いていきます。にもかかわらず「ROE」は「10%」のままです。

ROE」で「10%の水準を守ろうとすれば、分母と分子をそれぞれ複利で成長させ続けないと実現しない」という説明は誤りではありませんか。そもそも「自己資本」は少ない方が「10%の水準」を維持する上で有利です。記事の説明に問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

追加でもう1つ指摘しておきます。以下のくだりについてです。

日本企業の平均的資本コストは約8%だとされている。安倍晋三政権では『ROEを8%に』とする号令が企業にかかったが、それはこの資本コストを意識した数字であり、あくまで『マイナス超過利潤をなくそう』との意味だった。つまり、8%ではお金が減りもしないし、増えもしない

ROE」が「資本コスト」を下回ったからと言って「お金」が減る訳ではありません。「8%ではお金が減りもしないし、増えもしない」と中山様は解説していますが、株主から見ると「お金」は増えます。100億円の「自己資本」を使って8億円の純利益を得れば「自己資本」は増えていきます。純利益の全額を配当に回せば別ですが、配当は株主が受け取るので、株主から見るとやはり「お金」は増えます。

資本コスト」を下回っている状態を中山様は「お金」が減っていると認識しているようですが誤解です。「株主の期待するリターンを得られていない状態」などと理解した方が良いでしょう。

問い合わせは以上です。回答をお願いします。御紙では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアの一員として責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「Deep Insight~超過利潤生んでこそ経営

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201226&ng=DGKKZO67720570V21C20A2TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。中山淳史氏への評価もDを据え置く。中山氏については以下の投稿も参照してほしい。

日経「企業統治の意志問う」で中山淳史編集委員に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_39.html

日経 中山淳史編集委員は「賃加工」を理解してない?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_8.html

日経 中山淳史編集委員は「賃加工」を理解してない?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_87.html

三菱自動車を論じる日経 中山淳史編集委員の限界
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_24.html

「増税再延期を問う」でも問題多い日経 中山淳史編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_4.html

「内向く世界」をほぼ論じない日経 中山淳史編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/blog-post_27.html

日経 中山淳史編集委員「トランプの米国(4)」に問題あり
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/blog-post_24.html

ファイザーの研究開発費は「1兆円」? 日経 中山淳史氏に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/08/blog-post_16.html

「統治不全」が苦しい日経 中山淳史氏「東芝解体~迷走の果て」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html

シリコンバレーは「市」? 日経 中山淳史氏に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2018/01/blog-post_5.html

欧州の歴史を誤解した日経 中山淳史氏「Deep Insight」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/deep-insight.html

日経 中山淳史氏は「プラットフォーマー」を誤解?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post.html

ゴーン氏の「悪い噂」を日経 中山淳史氏はまさか放置?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/11/blog-post_21.html

GAFAへの誤解が見える日経 中山淳史氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/gafa-deep-insight.html

日産のガバナンス「機能不全」に根拠乏しい日経 中山淳史氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_31.html

「自動車産業のアライアンス」に関する日経 中山淳史氏の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_6.html

「日経自身」への言及があれば…日経 中山淳史氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/deep-insight.html

45歳も「バブル入社組」と誤解した日経 中山淳史氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/45-deep-insight.html

「ルノーとFCA」は「垂直統合型」と間違えた日経 中山淳史氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/fca.html

当たり障りのない結論が残念な日経 中山淳史氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/11/deep-insight.html

中国依存脱却が解決策? 日経 中山淳史氏「コロナ危機との戦い」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/03/blog-post_26.html

資産は「無形資産含み益」だけが時価総額に影響? 日経 中山淳史氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/deep-insight_16.html

やはり苦しい日経 中山淳史氏の「Deep Insight~『時間経済』は商機か受難か」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/deep-insight_27.html

理解に苦しんだ日経 中山淳史氏の「Deep Insight~テスラが変える車のKPI」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/deep-insightkpi.html