2021年8月20日金曜日

日経でのクオータ制導入論に説得力欠くウプサラ大学の奥山陽子助教授

性別に基づくクオータ制」の導入論は常に説得力がない。まず「導入したい」という気持ちが先にあって、後付けで「クオータ制」のメリットを探しているからだろう。どうしても強引に「素晴らしいものだ」と訴えてしまう。20日の日本経済新聞朝刊に経済教室面にウプサラ大学助教授の奥山陽子氏が書いた「経済教室~民主主義の未来(下)男女均衡参加、再生への鍵」という記事もそうだ。

アオサギ

中身を見ながら問題点を指摘したい。まずは「女性議員比率を押し上げる」効果について奥山氏の解説を見ていこう。


【日経の記事】

特に北京女性会議の頃から、各国で女性議員比率を押し上げる政策が目覚ましい。議員の候補者や議席の一定比率を男女それぞれに割り当てる「性別に基づくクオータ制」の導入などだ。こうした野心的な取り組みは影響への関心を呼ぶ。

政治経済学はその関心に答えようとする。女性比率が急上昇した四半世紀を実験室に見立て、「男女が均衡すると政策や経済はどうなるのか」という因果関係を検証してきた。以下では「民主主義は、全市民が参加するときに最もうまく機能する」ことの政治経済学的意味をひもといていく。

まず議員に占める女性比率の上昇は、政府予算配分上の優先順位を変えるという研究結果がある

インドでは93年、無作為に選ばれた村議会で、議長は女性でなければならないとされた。この実験的な政策について女性議員の因果効果を調べる好機ととらえたのが、エステル・デュフロ米マサチューセッツ工科大(MIT)教授らだ。

女性議長を選出した村では、とりわけ飲料水の確保により多くの村予算が割かれたことを明らかにした。日ごろ飲み水の確保を担うのは主に女性だ。「現場の声」が村政に届きやすくなることで、村民の健康や命の問題に関わる懸案が改善されたのである。


◎話が違うような…

議員に占める女性比率の上昇は、政府予算配分上の優先順位を変えるという研究結果がある」と奥山氏は言うが、そういう話になっていない。

議長は女性でなければならない」としても、それで「議員に占める女性比率の上昇」が起きる訳ではない。「議員」が全員男性の場合は追加で女性議員を入れるのかもしれないが、そうした説明はない。選ばれた「議員」の中から女性を「議長」にするだけならば「議員に占める女性比率」には影響しない。

政府予算配分上の優先順位を変える」という事例にもなっていない。出てくるのは「村予算」の話だ。

さらに言えば、「議長」が女性だと「飲料水の確保により多くの村予算が割かれ」るとしても、それが好ましいとは限らない。常識的に考えれば「議長」は中立の立場で議会を運営するはずだ。「議長」の力で「村予算」の配分が変わってしまうのならば、制度的には問題がある。

また「飲料水の確保により多くの村予算が割かれ」たことを前向きに評価すべきかどうかも微妙だ。代わりにもっと重要な「予算」が削られているかもしれない。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

またフランス議会を対象とした実証研究によると、女性議員の増加は議会でどんな立法活動が行われるかにも影響するという。仏政府が00年に候補者の男女均等を義務付けるパリテ法を制定して以降、女性の参画が急速に進んだ。

その実効性を検証するためクウェンティン・リップマン英エセックス大助教授は、議員が01~17年に提出した約30万件の法案修正案のテキストを分析した。女性議員は男女平等を実現するための諸法案、男性議員は軍事関連法案に関して、それぞれ修正案をより多く提出していたことを明らかにした。立法過程で多様な論点を網羅するには、男女バランスのとれた議会が不可欠なことを示唆する


◎「パリテ法」は足かせでは?

フランス」が抱える問題は「軍事」(男性が得意)と「男女平等」(女性が得意)しかないと仮定しよう。この場合「候補者の男女均等を義務付けるパリテ法」は有効だろうか。常に2つの問題の重みが変わらないなら有効かもしれない。しかし実際は状況変化が起きる。

軍事」に詳しい議員が多く必要な状況になった時に「パリテ法」は足かせになる。では、その状況判断は誰がすればいいのだろうか。最も簡単で公正なのは有権者の自由意思による投票に委ねることだ。

今は「軍事」より「男女平等」が大事だと思う有権者が多ければ、自然と女性議員が増える。その調整機能を「パリテ法」は奪ってしまう。やはり好ましくない。

立法過程で多様な論点を網羅するには、男女バランスのとれた議会が不可欠」とは言えない。女性比率が10%だとしても女性議員はいるのだから「男女平等」の「論点」を提供することは簡単にできる。10%の少数派では女性議員は沈黙してしまうというのならば、そもそもそういう人物は議員に向いていない。

さらに見ていく。


【日経の記事】

次に男女均等の推進は、経済成長にマイナスかプラスか。ソニア・バロトラ英ウォーリック大教授らが取り組むインドの州議会選挙の4265小選挙区に関する研究は注目に値する。

人工衛星画像を活用して92~12年の夜の明るさを計測し、各区の経済成長の指標とした。女性議員を選出した区では、年平均成長率が高かった。それらの地区では、経済成長に必要とみられる公共財の供給量、特に道路建設事業の完了率が高かったという。社会の隅々に必要な資源を行き渡らせることで、経済成長につながった可能性は高い


◎色々と問題が…

これは「女性議員」を選出するデメリットを示しているのではないか。「女性議員を選出した区」では「公共財の供給量」が増えて「成長率が高かった」らしい。「公共財の供給量」が増えたのは「女性議員」の政治力だとしよう。一方、男性議員は自分の選挙区への利益誘導を避けて「」全体の利益になるよう活動している。なので地元の「公共財の供給量」は「女性議員」ほどには増えない。

こういう状況だとすると「女性議員」が増えるのは好ましいだろうか。記事の説明通りなら、この「研究」は「女性議員」が「社会の隅々に必要な資源を行き渡らせ」てくれる存在ではないと示している。むしろ逆で「女性議員を選出した区」に優先して「資源を行き渡らせ」てしまう。

さらに記事を見ていこう。いよいよクオータ制に話が移っていく。


【日経の記事】

こうした前向きな研究結果が蓄積されても「女性を意図的に増やすという介入は、選挙という競争をゆがませ、実力なき政治家を生む」という懸念は絶えない。

だがその懸念はスウェーデンの行政データを用いた実証研究により反証されている。英国・スウェーデンの研究チームが分析対象としたのは、70年代以降各政党が自主的にクオータ制を導入したスウェーデンだ。

93年、社会民主労働党は市議会議員選挙で、ジッパー方式のクオータ制を導入した。ジッパー方式とは、比例代表制の候補者リストに男女を交互に配するものだ。導入後、男女議員比率は均等になる。導入前に女性比率が少ない市ほど影響を強く受け、実力のない女性議員が急増するという反対の声もあったという。

だが研究チームが、当選議員の稼得能力や前職、学歴などに基づき「実力指標」を作成したところ、クオータ制の影響の大小は、女性議員の平均的な実力に影響しないことが示された。

この実証研究はさらに思わぬ発見をもたらした。クオータ制が実力の高い男性議員の誕生を促したというのだ。クオータ制の影響が強い市ほど、当選する男性の平均実力が上昇したという。研究チームは、この背後に候補者選定過程の変化をみる。クオータ制導入前、優秀な党員は、実力が必ずしも高くない党の地方幹部から、地位を脅かすとして疎んじられていたようだ。

だがクオータ制導入後、限られた男性議席をなれ合いで埋めていては、有権者の支持を十分に得られない恐れが生じた。よって優秀な男性候補者も高順位に登用されるようになった。すなわちクオータ制があしき慣例に風穴を空ける可能性もある。これもまた一つ、全市民に参加の機会が与えられた時に、議会制民主主義が最もうまく機能することの証しではないか。


◎やはりクオータ制に意味はない

まず「稼得能力や前職、学歴」で「実力」を測るのが適切なのか疑問だ。「女性を意図的に増やすという介入は、選挙という競争をゆがませ、実力なき政治家を生む」との懸念は自分も持っている。ただ「政治家」の「実力」を「稼得能力や前職、学歴」では見ていない。

政治家」の「実力」を点数化するのは至難だ。有権者に評価させても適切な指標にはならないだろう。なので「クオータ制が実力の高い男性議員の誕生を促した」かどうかは基本的に判定不能と思える。

とりあえずは、「クオータ制」を導入すると「稼得能力や前職、学歴」の面で上位の「男性議員」が増えるとしよう。だから「クオータ制」を導入すべきとなるだろうか。「稼得能力や前職、学歴」で見た「実力」が上の「議員」を増やしたいのならば、ここで言う「実力の高い」人々への「クオータ制」にした方が簡単だ。

実力指標」で上位10%に入る人々に90%の議席を割り当てるといった「クオータ制」はどうだろう。もちろん自分は賛成しないが…。

この「実証研究」については「各政党が自主的にクオータ制を導入したスウェーデン」を対象にしていることにも注意が必要だ。「各政党が自主的にクオータ制を導入」するのは何の問題もない。「各政党」の自由だ。歪みが生じるのは公的な選挙制度としての「クオータ制」だ。その問題点は「スウェーデン」からは学べない。

クオータ制があしき慣例に風穴を空ける可能性もある」とは言えるだろうが、そうならない「可能性もある」。「スウェーデン」の事例だけでは何とも言えない。

性別に基づくクオータ制」が国民にとって大きな利益をもたらすのならば、明らかな性差別である「クオータ制」を受け入れてもいい。だが、自分が知る限りでは「クオータ制」導入論者の誰もそうしたメリットを示してくれない。

だとしたら男女平等の原則堅持でいい。結論はやはり同じだ。


※今回取り上げた記事「経済教室~民主主義の未来(下)男女均衡参加、再生への鍵」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210820&ng=DGKKZO74922790Z10C21A8KE8000


※記事の評価はE(大いに問題あり)

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