2020年6月29日月曜日

日経夕刊「プロムナード~がんばれ日経」に見出す希望

新聞に社会を動かす力がどのぐらい残っているのだろうか。ゼロではないとしても、かなり弱くなっているはずだ。全国紙(朝日、読売、毎日、日経、産経)が束になっても週刊文春に遠く及ばない気がする。
恵蘇宿橋(福岡県うきは市)※写真と本文は無関係です

29日の日本経済新聞夕刊くらしナビ面に「プロムナード~がんばれ日経」という記事が載っている。落語家の春風亭一之輔氏が「日経新聞」の影響力のなさを心配してくれる内容で、少し切なくなる。

記事の一部を見てみよう。

【日経の記事】

たしか第1回のとき「今まで日経新聞をちゃんと読んだことがない」と書いたはずだ。半年経(た)ち、相変わらずまだ読んでいない。連載が始まるからって急に購読するのもすり寄ってるようでなんだかな。だから他の曜日の連載陣がどんな面々なのか未(いま)だに知らない。最初に教えてもらったような気もするが、よく覚えていない。五木寛之さんとかかな? ようは「日経に連載」ということに対して過度な思い入れも喜びもなく、かつ半年限定というところがこの仕事の気楽さの所以(ゆえん)なのだろう。

そんな調子で臨んできたプロムナードなので「手応え」など感じたことは全くない。家内は読みもしない。昨日「そんな連載してたの?」と言われたし、ネットでも私の文章に対する感想らしきものも見当たらず、担当者の感想すら私の耳に入らない。手厳しい感想だからマネージャーが止めてるのだろうか? 友達からの意見も聴かない。ここまで反応がないと、失礼ながら逆に「日経大丈夫か?」と心配になってしまう。いらぬお世話だろうか?

そういえば一度だけ、仕事で会った女性に「読んでます」と言われたことがある。そう言われるとなんだかんだで嬉(うれ)しい。「ありがとうございます!」「楽しみにしてる、みたいですよ」「え、あなたじゃなくて?」「はい、私の夫の友達が……」。だいぶ距離がある。夫の友達。まるで赤の他人じゃないか。「会社帰りの電車で読んでるそうですよ。一之輔さんの文を読んでると自分が日経を手にしてることを忘れる、と、そんなことを言ってる友達がいるんだよ、うちの夫が教えてくれました。今日一之輔さんに会えると分かったんで夫に話したら、そんな友達がいると一之輔さんに伝えておいて、と言われたのでお伝え出来(でき)て良かったです」

会話を書き出してみて改めて「遠さ」を感じる……とはいえ、一応読んでいる人はいるとわかって少し嬉(うれ)しい。「旦那さんのご友人によろしくお伝えください」「私は会ったことないんですけど……」「ですね、じゃ旦那さんによろしくお伝えください」「はい」「ところで日経はお読みには……」「うちは新聞とってないので」「ですね」。やっぱりだ。日経新聞、もっとがんばれ。



◎載せたことに意義あり

結局、筆者も「日経新聞をちゃんと読んだことがない」らしい。連載を始めても「家内は読みもしない」。「仕事で会った女性」の「夫の友達」が確認できた唯一の読者だ。「一応読んでいる人はいるとわかって少し嬉しい」と言われると物悲しい。

1990年代ごろまでだろうか。朝の通勤電車に乗れば、1両の中で「日経新聞」を読んでいる人を何十人と見つけられた。今はスマホで電子版を読んでいる人も一部いるだろうが、影響力が大幅に減退したのは間違いない。この記事は、そのことを改めて教えてくれる。

ただ、希望もある。「失礼ながら逆に『日経大丈夫か?』と心配になってしまう」と言われた記事をきちんと載せて、そこに「がんばれ日経」という見出しを付けたことだ。

日経は読者からの間違い指摘を平気で握りつぶすダメな部分ももちろんある。ただ、今回のような記事を載せる度量もまだある。そこに光を見出したい。気持ちは春風亭一之輔氏と同じだ。

日経新聞、もっとがんばれ」!!


※今回取り上げた記事「プロムナード~がんばれ日経
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200629&ng=DGKKZO60685470T20C20A6KNTP00


※記事の評価はB(優れている)

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