2020年12月12日土曜日

「アクティブ型投信」は有力な選択肢? 日経 大場智子記者に考えてほしいこと

12日の日本経済新聞朝刊マネーのまなび面に載った「トップストーリー~投信、利回り改善の選択肢 リスク踏まえ積極運用型も」という記事を投資初心者は参考にしないでほしい。筆者の大場智子記者は「アクティブ(積極運用)型投信」を前向きに紹介しているが、ほとんどの投資家にとってまともな選択肢にはなり得ない。

耳納連山に沈む夕陽

記事を見ながら、その理由を述べてみたい。

【日経の記事】

指数(インデックス)の動きに連動するように組み入れ銘柄を選んで運用するのがインデックス型投信。目安とする指数に採用されている銘柄を中心に投資するので、運用担当者が独自に企業調査などをする手間が基本的に省けることが多い。このため、投資家が払う信託報酬などのコストも一般的に低くなりやすい。

ただ老後に向けて資産を少しでも増やしたいなら、指数を上回る成績が期待できる投信が選択肢だ。例えば毎月5万円を20年間積み立てて運用する場合、利回りが年3%なら元本1200万円が約1600万円に増えるが、年5%だと2000万円を超える。一案がファンドマネジャーが独自の運用方針に基づいて銘柄を選ぶアクティブ(積極運用)型投信だ。

「インデックス型を運用の中核に据え、一部の資金をアクティブ型に振り向けてはどうか」とファイナンシャルリサーチ代表の深野康彦氏は提案する。運用資金の中心は低コストで世界全体に幅広く分散投資し、資金の一部で個別株などに投資する手法を「コア・サテライト戦略」という。年金を運用する機関投資家などが採用することが多く、「資産全体の利回りを引き上げる効果が期待できる」(深野氏)。

とはいえアクティブ型の運用成績は玉石混交。国内のアクティブ型の信託報酬は年1~2%程度が多い。1%を下回ることが多いインデックス型より高いが、運用成績はインデックス型を下回る投信が少なくない。もちろんリターンが指数を大きく上回るアクティブ型もあるが、リスクは一般的に大きくなりやすい。


◎高い信託報酬を支払う意味ある?

コア・サテライト戦略」を否定するつもりはない。と言うより「アクティブ運用」も否定しない。しかし「アクティブ型投信」はダメだ。「国内のアクティブ型の信託報酬は年1~2%程度が多い。1%を下回ることが多いインデックス型より高いが、運用成績はインデックス型を下回る投信が少なくない」と大場記者も書いている。コストが高いことが「アクティブ型」を否定する唯一の理由だ。「インデックス型」とコストに差がないのならば「アクティブ型」も選択肢になり得る。

運用成績は玉石混交」なのだから「」を選べばいいと考えがちだ。しかし事前に「」を見極める方法はほとんどない。「信託報酬」が高いのだから「アクティブ型」の期待リターンが「インデックス型」をそれ以上に上回る必要がある。しかし「アクティブ型」の期待リターンは「信託報酬」がかさむ分、むしろ低くなると考えるべきだ。

大場記者は記事の中で「長期で運用実績を確認すること」の重要さを説いている。過去の「運用実績」に基づいて投資対象を決めると高いリターンが得られるというデータでもあるのだろうか。そうした戦略に有効性はないというのが定説だ。なのになぜ「運用実績を確認すること」を勧めるのか。

金融業界の人間が「アクティブ型投信」を組み込むべきだと訴えるのは分かる。「インデックス型」は儲けが少ないからだ。しかし記者が丸め込まれてはダメだ。今回の記事を読む限りでは、大場記者は業界関係者に上手く誘導されている気がする。


※今回取り上げた記事「トップストーリー~投信、利回り改善の選択肢 リスク踏まえ積極運用型も

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201212&ng=DGKKZO67239390R11C20A2PPK000


※記事の評価はD(問題あり)。大場智子記者への評価も暫定でDとする。

2020年12月11日金曜日

株式市場は「臆病村」だから「有望」? 塚崎公義 久留米大学教授の誤解

久留米大学教授の塚崎公義氏に関しては、信用すべきでない書き手だと繰り返し指摘してきた。週刊東洋経済12月12日号の特集「お金と株 超入門」の中の「『65歳までに2000万円』」が目標~いたずらに怖がらない 余裕資金は株式投資へ」という記事を読んでも、その評価は変わらない。

久留米市の石橋文化センター

特に違うと思えたくだりを見ておこう。

【東洋経済の記事】

「株式投資は怖い」と思っている人は多いが、それを裏返せば「期待値がプラスの株でもリスクを嫌う人々が買わないから、簡単に手に入る」ということだ

強欲村で拾った儲け話より臆病村で拾った儲け話のほうが有望なのと同じことで、カジノより株式市場のほうが期待値が高いのだ。配当利回りだけを考えても預金よりはるかに高いので、株価が長期的に値下がりしていくのでなければ、銘柄分散と時間分散をしっかり行うことによって預金より高い利益が得られる可能性が高い。

しかも上記のように株式はインフレに強い資産なのだから、資金配分を考える際には、いたずらに怖がるのではなく、ある程度は株式も組み入れるべきだろう。


◎裏返せてる?

『株式投資は怖い』と思っている人は多いが、それを裏返せば『期待値がプラスの株でもリスクを嫌う人々が買わないから、簡単に手に入る』ということだ」と塚崎氏は言う。これは「裏返せ」ているのか。「裏返せ」ている場合、「ほぼ同じことを言っている」必要がある。

例えば「日本は山地の占める割合が高い。裏返せば平地が少ない」といった具合だ。

リスクを嫌う人々が買わないから、簡単に手に入る」ということは「低リスクのものは簡単には手に入らない」と塚崎氏は考えているのだろうか。しかし個人向け国債など安全資産の多くは「簡単に手に入る」。

さらに言えば「期待値がプラスの株でもリスクを嫌う人々が買わない」のに「カジノ」が成立するのが謎だ。「カジノ」の期待リターンはマイナスだろう。それでも資金をつぎ込む人がいる。「期待値がプラスの株」であれば「強欲」な人々が放置してくれそうもない。

塚崎氏は「株式」市場を「臆病村」と見ているようだが「強欲村」だと考える方が自然だ。「臆病村」でもバブルが発生するものなのか。だとしたら誰がファンダメンタルズを無視して強気に買ってくるのか。

強欲村で拾った儲け話より臆病村で拾った儲け話のほうが有望」だとすれば株式ではなく個人向け国債を買うべきとの結論になるはずだ。この「臆病村」には「わずかだが金利が付くし証券会社がキャンペーンをやっている時には、それなりの金額が入ってくる。元本割れの心配もないからいいよ」という「儲け話」がある。

「うまく銘柄を選べば株価10倍だって夢じゃない」という「強欲村」の「儲け話」に比べれば大儲けは望めない。しかし塚崎氏の考えでは「強欲村で拾った儲け話より臆病村で拾った儲け話のほうが有望」なはずだ。なのに「株式投資」を勧めてしまう。

株式投資」は「預金より高い利益が得られる可能性が高い」という見方に異論はない。しかしそれは「臆病村」の住民だからではない。むしろ逆だ。預金や国債といった「臆病村」ではなく危険地帯である「強欲村」にリスクを負って足を踏み入れたことに対する見返りとして高い期待リターンが与えられたと考えるべきだ。

株式投資」の期待リターンが預金金利や国債利回りと同じならば、わざわざリスクを負って「強欲村」で「儲け話」を探す意味はない。

「だったら、期待リターンがマイナスなのになぜカジノが成り立つのか」との反論は考えられる。単純に言えば「投資」以外の魅力があるからだろう(他にもいくつか理由は思い付くが…)。

投資に関して塚崎公義氏の言葉を信じるな--。結論はやはりこれに尽きる。


※今回取り上げた記事「『65歳までに2000万円』」が目標~いたずらに怖がらない 余裕資金は株式投資へ

https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25376


※記事の評価はD(問題あり)。塚崎公義氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

久留米大学の塚崎公義教授の誤り目立つ東洋経済「50歳からのお金の教科書」https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/50_9.html

MMTの基礎を理解しない塚崎公義氏が書いたダイヤモンドオンラインの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/11/mmt.html

2020年12月10日木曜日

「政治家にとってトリアージは禁句」と日経ビジネスで訴える小田嶋隆氏に異議あり

より良い社会を築くためには自由な議論が欠かせない。改めて言うまでもない当然の話だ。しかしコラムニストの小田嶋隆氏は違う考えのようだ。日経ビジネス12月7日号に載った「小田嶋隆の『pie in the sky』~絵に描いた餅ベーション ハードボイルドに酔う見苦しさ」という記事で、同氏は以下のように書いている。

大阪城

【日経ビジネスの記事】

はるか関東から浪速のパンデミックを見て、私が危うさを感じるのは、各種の数字よりは、むしろ彼の地のリーダーの資質に対してだ。

吉村洋文大阪府知事は、感染患者の急拡大を受けて、11月19日「大阪全体で救急病床のトリアージ(選別)をしていく」と述べている。この第一報を読んで、文字通り、驚倒した。

「トリアージ」とは、災害や事故現場で、医療者が「生存可能な患者を優先して治療する生命の選別」を含意する言葉だ。最近では、2008年の秋葉原無差別殺傷事件で、現場に倒れる多数の被害者の救命に当たった医師たちが直面した事態を物語る用語として知られている。いずれにせよ、普通の医療現場の話ではない。言ってみれば「戦場の」「修羅場の」ための言葉だ。

あるいは、トリアージは、テロや災害の現場でのみ想定されている「最悪の事態における最も残酷な決断」で、医療従事者にとってのトロッコ問題に相当すると申し上げてもよい。

とすれば、政治家が安易に口にしてよい言葉ではない。無論、医療崩壊の可能性が囁かれている現在の状況では「もののたとえ」としてさえ禁句であるはずだ。ところが吉村知事は、むしろ得意げにこの言葉を振り回している。まるで「命の選別」という「冷徹な判断」が「政治家だけに許された究極の決断」であるとばかりに、だ。


◎許されない理由がないような…

まず「トリアージは、テロや災害の現場でのみ想定されている『最悪の事態における最も残酷な決断』」という説明が怪しい。千葉県のホームページでは「災害時だけでなく、救急受診した患者さんがたくさんいるときに、診療の優先順位をつけ、緊急度の高い患者さんから診療を行うことを指す場合もあります」と解説している。

トリアージ」という言葉を使うのがいかにダメかを訴えるために小田嶋氏は「トリアージ」の使用範囲を限定したかったのだろう。しかし、少なくとも千葉県の説明とは整合しない。

百歩譲って小田嶋氏の「トリアージ」に関する説明が正しいとしよう。それでも「政治家が口にしてよい言葉」だと思える。理由は2つある。

まず自由な議論が大切だからだ。「トリアージ」が「禁句」となれば、自由な議論への制約となる。罵詈雑言の類を禁じるのならともかく、ものの考え方として役立ちそうな用語まで「禁句」にしていくのは適切なのか。

2番目の理由は「テロや災害の現場」に近付いているからだ。小田嶋氏自身が「医療崩壊の可能性が囁かれている」と「現在の状況」を認識している。

必要な医療を十分に提供できない状況を「医療崩壊」と呼ぶのならば「テロや災害の現場」で「トリアージ」を行っている時には「医療崩壊」が起きている。助かりそうもない人や軽傷者は放置されやすくなる。

医療崩壊の可能性が囁かれている」状況で「トリアージ」の手法を参考に対応策を議論するのは「許される」と言うよりやるべきことだ。医療の供給が難しくなってきた時に「大阪全体で救急病床のトリアージ(選別)をしていく」のは当然ではないか。

誰かを生かすためには、ほかの誰かを殺さなければならないとする前提が、そもそも狂っているということに、できれば、気づいてほしいものだ」と小田嶋氏は記事を締めている。これは前提が違う。「トリアージ」に関しては「誰かを生かすためには、ほかの誰かを放置するしかない状況もあり得るとする前提」だ。

これは「狂っている」のか。「狂っている」から、そういう状況が起きそうな時は考えないことにするのか。議論を封じるのか。声を上げようとする人がいたら「禁句」を作って黙らせるのか。

命を懸けて戦っている兵隊さんがいるのに『降伏』なんて言葉はもののたとえとしてさえ禁句だ」という主張がまかり通って、圧倒的劣勢の中でも「降伏」に関する議論さえしない国があったらどうか。その方が「狂っている」のではないか。そんな国が昔あったような気もするが…。


※今回取り上げた記事「小田嶋隆の『pie in the sky』~絵に描いた餅ベーション ハードボイルドに酔う見苦しさ

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00106/00093/


※記事の評価は見送る

2020年12月7日月曜日

30年前の「女性の官房長官」は忘れた? 日経「池上彰の大岡山通信」の誤解と偏見

7日の日本経済新聞朝刊18歳プラス面に載った「池上彰の大岡山通信 若者たちへ(255)米新政権の閣僚顔ぶれ~進む女性登用 日本は…」という記事に引っかかる記述があった。

大阪城

【日経の記事】

ホワイトハウスの大統領報道官に起用されるのはジェン・サキ氏。彼女はオバマ前政権でホワイトハウス広報部長や国務省報道官を歴任しています。また2004年大統領選で民主党候補ジョン・ケリー氏の選挙陣営、08年と12年大統領選でオバマ陣営の広報を担当した経歴を持っています。

この経歴を見ると、女性だから起用されたのではなく、広報の分野で豊富な経験を持っているから選ばれたことがわかります。人気取りで人事配置をしているのではなく、米国の政治・経済の分野では多数の女性が活躍しているのですね。

こんな様子を見ると、それに引き換え日本は……と言いたくなってしまいます。日本も安倍晋三前政権は「女性活躍社会」を謳(うた)っていましたが、ちっとも進まないまま退陣。菅義偉内閣でも女性閣僚の数は少なく、バイデン政権で多数の女性たちが活躍するようになると、これまで以上に「日本の女性の地位の低さ」が目立つことになりそうです。

今年の新型コロナウイルス対策では、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相など女性首脳の国民向けメッセージが国民の心をつかみました。メルケル首相は、スーパーマーケットのレジで働く人たちに感謝を伝え、アーダーン首相は子どもを寝かしつけた後、自宅からカジュアルな姿でメッセージを送りました。

いずれも生活感があふれ、その言葉には国民への共感がありました

ホワイトハウス報道官の仕事は、日本に置き換えれば官房長官の役割。女性の官房長官が生活感あふれるコメントで国民に呼びかけるようになるのは、いつのことになるのでしょうか


◎嘆く必要ある?

ホワイトハウス報道官の仕事は、日本に置き換えれば官房長官の役割。女性の官房長官が生活感あふれるコメントで国民に呼びかけるようになるのは、いつのことになるのでしょうか」と書くと日本ではまだ「女性の官房長官」が誕生していないと理解したくなる。

しかし1980年代末の日本には既に「女性の官房長官」がいた。海部内閣で森山真弓氏が官房長官を務めている。「生活感あふれるコメントで国民に呼びかけ」ていたかどうかは分からないが「それに引き換え日本は……」と嘆く必要はない。

池上氏も世代的には森山官房長官時代を知っていておかしくないが、記憶に残っていなかったのだろう。

ついでに言うと記事には男性への偏見を感じる。

メルケル首相」や「アーダーン首相」の「メッセージ」には「生活感があふれ」ていて「国民への共感」を得た。だから日本でも「女性の官房長官」が「生活感あふれるコメントで国民に呼びかける」ようにするべきだと池上氏は考えているのだろう。

首相」や「官房長官」が発する「メッセージ」に「生活感」は要らないと思うが、あった方が良いとしよう。その場合でも「女性」である必要はない。男性の「官房長官」でも「生活感」は出せる。

スーパーマーケットのレジで働く人たちに感謝を伝え」たり「子どもを寝かしつけた後、自宅からカジュアルな姿でメッセージ」を送ったりするのは「女性」にしかできないことなのか。


※今回取り上げた記事「池上彰の大岡山通信 若者たちへ(255)米新政権の閣僚顔ぶれ~進む女性登用 日本は…

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201207&ng=DGKKZO67047120U0A201C2TCL000

2020年12月5日土曜日

間違い指摘を当たり前に握り潰す日経に首相の「説明不足」を責める資格ある?

日本経済新聞は読者からの間違い指摘を当たり前のように無視してきた。長く続く悪しき伝統だ。改まる気配はない。紙面に載る訂正で見えるのは氷山の一角に過ぎない。記事を書かれた当事者らから直接の抗議を受けると訂正が出る可能性は高まるが、一般読者からの指摘の多くは握り潰してしまうのが常だ。

中之島公園内にあるGARB weeks

以上のことが事実と反するならば名誉棄損に当たるだろう。だが訴訟リスクはほぼゼロだ。事実だと裏付ける材料が山のようにあるからだ。だから日経としては沈黙を決め込むしかない。

そんな新聞社が一国の首相の「説明不足」を責めて説得力が出るだろうか。5日の朝刊1面に載ったコラム「春秋」では以下のように書いている。


【日経の記事】

 日本人は背中が好きだ。師匠の生きざまは背中で学び、親の背を見て子は育つ。高倉健さんも緒形拳さんも、背中で演技ができる名優と評された。だからといって後ろ姿で何かを語ろうとしたわけではなかろう。先月の末、菅義偉首相が見せた背中が記憶に残っている。

場所は官邸のエントランスだった。新型コロナの感染拡大を受け、マスク着用などの対策を改めて呼びかけた直後、記者団から追加の質問が相次いだ。だが首相はそれらにまったく応じることなく、足早に立ち去った。記者会見を開かない。国会の答弁では官僚のメモを棒読みする。説明に対する首相の姿勢は評判が悪い

そんな菅さんが、国会が事実上閉幕したきのう、就任以来2回目となる会見に臨んだ。官邸での「ぶら下がり」と呼ばれる一方的な発信とは違う、久しぶりのやり取りの場である。コロナ対策や「桜を見る会」の前夜祭をめぐる疑惑などで質疑応答がなされたが、自らの思い、自らの言葉で語ったようには聞こえなかった。

ドイツのメルケル首相や米ニューヨーク州のクオモ知事など、コロナ禍の中で発する海外の指導者の言葉に心打たれることがある。国民性の違いなどもあり同じようにはいかないだろうが、菅さんにもセールスポイントであるたたき上げならではの、実直な言葉を期待したい。説明不足は国民に「背を向ける」ことになる


◎読者に「背を向ける」新聞社に言われても…

記者会見を開かない。国会の答弁では官僚のメモを棒読みする。説明に対する首相の姿勢は評判が悪い」と筆者は言う。

ならば読者からの間違い指摘を無視して多くのミスを放置してきた自分たちはどうなのか。この問いに日経は答えられるのか。答えられないのに「首相の姿勢」を問題視する資格があるのか。

「(首相の)説明不足は国民に『背を向ける』ことになる」のは、その通りだ。ならば新聞社の「説明不足」は読者に「背を向ける」ことにはならないのか。

人の振り見て我が振り直せ

この言葉を日経には贈りたい。

どうしても「我が振り」を直せないのならば他者への批判は控えるべきだ。今の日経に他者の「説明不足」を責める資格はない。


※今回取り上げた記事「春秋

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201205&ng=DGKKZO67048980V01C20A2MM8000


※記事の評価は見送る

2020年12月3日木曜日

書き手の拙さ感じる日経「ホンダ、早期退職を優遇」

3日の日本経済新聞朝刊企業1面に載った「ホンダ、早期退職を優遇~来年度から 55歳以上、再就職も支援」という記事には色々と問題を感じた。全文は以下の通り。

JR下関駅前

【日経の記事】

ホンダは2021年度から中高年やシニアの正社員向けに早期退職時に割増退職金を払う制度を導入する。55歳以上が対象で、希望すれば再就職支援も実施する。ホンダは17年に定年を60歳から65歳に延長したが、車の電動化などが急速に進み若手やソフトウエア技術に強い中途社員へのニーズが強まっている。新制度で年齢構成や人員配置の適正化を進める。

21年4月から「ライフシフト・プログラム」と名付けた制度を新たに導入する。早期退職の募集人数や期限は定めない。初年度は55歳以上64歳未満、2年目以降は59歳未満の社員を対象とする

ホンダはかつて早期退職者の退職金を割り増しで払う制度があったが、11年に終了していた。当時は45歳以上が対象だった。

今回は直近の定年延長に伴い生じつつあるシニア人材の余剰感に対応する。自動車業界では自動運転や電動化など「CASE」と呼ばれる新領域の発展により求められる技術も変わってきている。長年の経験よりも新たな知識が必要な場合も多く、新制度で組織の新陳代謝を進めやすくする。

期間を設けて退職者を募るような措置はとらない。継続して働きたいシニア社員の雇用は続ける。希望する社員には再就職を手助けする。

ホンダは新型コロナウイルスの感染拡大を受けた販売減などで、21年3月期の連結営業利益(国際会計基準)が前期比34%減の4200億円となる見込み。早期退職の優遇制度の導入で、シニア社員を中心とする人件費の圧縮を進める狙いもありそうだ。


◇   ◇   ◇


気になった点を列挙してみる。

(1)「中高年やシニア」って…

冒頭の「中高年やシニア」が引っかかる。「シニア」も「中高年」ではないのか。

中高年やシニアの正社員向けに早期退職時に割増退職金を払う制度を導入する。55歳以上が対象」と書いているが「55歳以上が対象」ならば最初から「55歳以上の正社員向けに早期退職時に割増退職金を払う制度を導入する」と説明すれば済む。「中高年やシニア」がそもそも無駄だ。


(2)どの程度の「優遇」?

早期退職を優遇」と見出しでも打ち出しているが、どの程度の「優遇」なのか触れていない。「割増退職金を払う制度」であれば、どのくらいの「割増」なのかは欲しい。分からないのならば、その点は記事中で明示すべきだ。


(3)「期間」は定めない?

早期退職の募集人数や期限は定めない」「期間を設けて退職者を募るような措置はとらない」と繰り返す一方で「初年度は55歳以上64歳未満、2年目以降は59歳未満の社員を対象」とも書いている。だとすると59~63歳に関しては「初年度」しか制度を利用できないのではないか。「期間を設けて退職者を募るような措置」とも言えるはずだ。

定めない」と書きたいのならば「59歳未満の社員に関しては期間を設けて退職者を募るような措置はとらない」などと説明した方がいい。


(4)「若手やソフトウエア技術に強い中途社員」?

車の電動化などが急速に進み若手やソフトウエア技術に強い中途社員へのニーズが強まっている」という文には拙さを感じた。これだと「『若手やソフトウエア技術』に強い中途社員」と読み取りそうになる。書き方が上手くない。


※今回取り上げた記事「ホンダ、早期退職を優遇~来年度から 55歳以上、再就職も支援」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201203&ng=DGKKZO66901280S0A201C2TJ1000


※記事の評価はD(問題あり)

2020年12月2日水曜日

「重粒子線治療」は副作用の心配なし? 日経「大機小機」に見える過大評価

日本経済新聞のコラム「大機小機」の筆者である桃李氏によると「重粒子線治療」は「手術や副作用なく体内深部のがんだけを消滅させる革命的技術」らしい。「副作用」と無縁とは考えにくいので以下の内容で問い合わせを送ってみた。回答はないだろう。

錦帯橋

【日経の記事】

12月2日の日本経済新聞朝刊マーケット総合2面に載った「大機小機~技術進歩、加速する世紀」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは以下のくだりです。

日本では例えば、がん死ゼロを目指す、米国にもない最先端の重粒子線治療が6拠点で実施されている。炭素イオンを光速近くまで加速した量子メスを使い、手術や副作用なく体内深部のがんだけを消滅させる革命的技術である

これを信じれば「重粒子線治療」では「副作用」は起きないはずです。しかし「副作用」のリスクはあると思えます。例えば群馬大学 重粒子線医学センターのホームページでは「重粒子線治療では、がんを含む限られた範囲に必要な量だけ照射することができるため、一般の放射線治療に比べ、かなり副作用は軽くなっています。 ただ、副作用が全くないとはいえません」と説明しています。

副作用なく」との説明は誤りではありませんか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。御紙では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


記事はこの後「巨額投資が要るが1人当たり追加費用は少なく、保険全適用になれば利用者が増えるほどコスト回収ができる。世界に普及すれば人類への日本の貢献は計り知れない。この分野には国の関与が不可欠だ」と続く。「重粒子線治療」が先進医療として承認されたのが2003年。それから随分と時間が経っているが「保険全適用」には程遠い。本当に「がん死ゼロ」の実現を可能にする「革命的技術」ならば早々に「保険全適用」となるはずだ。

なぜそうならないのか。そこを桃李氏には考えてほしい。


※今回取り上げた記事「大機小機~技術進歩、加速する世紀」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201202&ng=DGKKZO66880480R01C20A2EN2000


※記事の評価はD(問題あり)