2022年3月29日火曜日

女子大を「ジェンダーの枠がない環境」と藤田盟児 奈良女子大教授は言うが逆では?

女子大は問題を抱えた存在だ。「男子大のない日本に国立女子大があるのは明らかな性差別」とこれまでも訴えてきた。国立女子大を前向きに捉えようとすると、どうしても無理が生じる。29日の日本経済新聞朝刊教育面に載った「広く学び『創造』目指す~女子大初の工学部、構想を聞く」という記事でも、「学部長に就任する」藤田盟児奈良女子大学教授がおかしな主張を展開している。そこを見ていく。

巨瀬川のカモ

【日経の記事】

――女性エンジニアの必要性が高まっています。

「産業革命が蒸気機関から始まったように、人間の筋肉を機械に置き換えたのがかつての工業だった。だが20世紀後半から、コンピューターという脳を使った工業、工学に転換した。メカ、つまり筋肉の工学は男性向きだが、プログラミングなど脳の工学は男女等しく興味の対象になる


◎根拠ある?

筋肉の工学は男性向き」「脳の工学は男女等しく興味の対象になる」という決め付けが引っかかった。根拠となる調査結果などは示していない。偏見の臭いがする。

それ以上に気になったのが以下のくだりだ。


【日経の記事】

――創造には多様性が必要です。女子しかいない環境はマイナスでは。

異質な人間を混ぜるだけで何かが起こると単純に考えてはいけない。創造は形式化されたものの見方、習慣化した考え方の枠を外したときに起こる。それを可能にする知識と技術を身につける訓練が必要だ。私たちはそれらをSTEAMのA、アートで養う」

「そのためにはジェンダーの枠がない環境も有効だ。私の専門は建築史で、新しい町や建築は従来の形式を外したときに生まれることを知っている。(男性のいない環境で)ジェンダーという既成の枠組みを外したときに女性の創造性はより発揮される。これが女子大の価値だと思う


◎逆では?

創造には多様性が必要」とは思わない。1人でも「創造」はできる。一卵性双生児が協力して何かを「創造」することもできるはずだ。そこにメンバーの「多様性」はほぼない。

なので「異質な人間を混ぜるだけで何かが起こると単純に考えてはいけない」という藤田教授の意見に賛成だ。ただ、その後におかしな話になっている。

そのためにはジェンダーの枠がない環境も有効だ」「(男性のいない環境で)ジェンダーという既成の枠組みを外したときに女性の創造性はより発揮される」などと藤田教授は訴えている。

女子大」=「ジェンダーの枠がない環境」と見ているようだが、普通に考えれば逆だ。学生は女性に限るという「ジェンダーの枠」をあえて設けたのが「女子大」だ。

男性のいない環境」では「ジェンダーという既成の枠組み」が外れるという考え方も理解に苦しむ。「女子大」にいる時だけは女子学生が自らを「女性でも男性でもない存在」と認識するということか。ちょっと考えにくい。

百歩譲って「ジェンダーという既成の枠組みを外したときに女性の創造性はより発揮される」としよう。ならば「創造性」が求められる状況では女性に対して「男性のいない環境」を提供すべきなのか。「女子大」を正当化しようとして無理な主張になっている気がする。


※今回取り上げた記事「広く学び『創造』目指す~女子大初の工学部、構想を聞く」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220329&ng=DGKKZO59453800Y2A320C2CK8000


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