2022年4月20日水曜日

「抜かれる」「落とす」を容認しない坂夏樹氏の新聞記者論に異議あり

15日付でプレジデントオンラインに載った 「昔は宝くじ以上の競争倍率だった…憧れの職業だった『新聞記者』がここまで没落したワケ」という記事には全く共感できなかった。筆者は元全国紙記者の坂夏樹氏。坂氏のような考えの人物が新聞社の幹部クラスにはまだ大勢いるのだろう。それが「『新聞記者』がここまで没落したワケ」ではないのか。

夕暮れ時のうきは市

特に引っかかった部分を見ていく。

【プレジデントオンラインの記事】

一人当たりの仕事の負担はどんどん増えているのに、休日を増やせるわけがない。「どんなことをしても休日をとれ」という指示が「抜かれても、落としてもいいから記者を休ませろ」という“具体的でわかりやすい”指示になったわけだ。

「抜かれても、落としてもいい」などと口にしなければならない幹部には大いに同情する。しかし、新聞記者が絶対口にしてはいけない言葉だ。禁句を口にして指示した罪はとても重い。

新聞記者に対して「君はもう記者でなくてもいいよ」と死刑宣告したようなものだ。

誤解のないようにしてもらいたい。100~200時間の基準外勤務をしなければ、新聞記者とは言えないなどという気はまったくない。

海外には1日8時間勤務でしっかりと取材して良質の報道をしているジャーナリストがたくさんいる。長時間労働は当たり前と考えている新聞記者は、社会の感覚からズレており、よい取材はできないし、よい原稿が書けるわけがない。

しかし、「抜かれる」ことと「落とす」ことを容認してはいけない

ましてや休みを取るための代償として「特ダネはいらないし、特落ち(他社が扱ったニュースを自社だけ落とすこと)もOK」などと公言するのは言語道断だ。


◎「特ダネはいらないし、特落ちもOK」でいい!


待っていれば発表されるネタに関しては「抜かれても、落としてもいい」。「長時間労働の是正のためには仕方がない」といった消極的な理由ではない。

抜かれても、落としてもいい」という発言を「新聞記者」への「死刑宣告」と捉える坂氏のうな考えが新聞をダメにしてきたと思えるからだ。

『抜かれる』ことと『落とす』こと」が「容認」されないとなると「新聞記者」はどんな行動に出るだろうか。例えばトヨタ自動車の担当記者ならば「トヨタの首脳陣に嫌われたらネタがもらえない。首脳陣の機嫌を損ねないような記事を書かないと」となるのが自然だ。そんな記者に「良質の報道」を期待できるだろうか。

『抜かれる』ことと『落とす』こと」が部数に大きく響くというならば「容認」できないのもまだ分かる。しかし、ほとんど関係ないと言われている。

社会的意義が大きいというのならば、これまた分かる。しかし「待っていれば発表されるネタ」を発表前に報じる社会的価値はほぼない。当然だろう。「A社とB社が合併」という記事を発表前に載せたからといって社会が良くなる訳ではない。

特落ち(他社が扱ったニュースを自社だけ落とすこと)」ももちろん「OK」だ。坂氏は「特落ち」が嫌いなようだが、そもそも「他社が扱ったニュース」は「自社」も扱うべきなのか。その横並び意識が要らない。

坂氏の言う「他社」とは新聞社のことだろう。しかし新聞社だけで考えても意味がない。新聞社もネットに先に情報を出したりしている。朝刊を並べて「他紙には載っているのにウチだけ載っていない」などと気にして何になる。

これは読者ベースで考えれば昔からそうだった。ネットの普及で、さらに意味がなくなってきた。やはり「抜かれても、落としてもいい」で「OK」だ。

『抜かれる』ことと『落とす』こと」を嫌えば、取材先に忖度するのが当たり前になってしまう。近年、政治家絡みの不祥事などの「特ダネ」の多くは週刊文春など新聞以外のメディアから出てくる。

取材先にとって不都合な「特ダネ」なぜ新聞社から生まれにくいのか。そこを坂氏には考えてほしかった。


※今回取り上げた記事「昔は宝くじ以上の競争倍率だった…憧れの職業だった『新聞記者』がここまで没落したワケ

https://president.jp/articles/-/56554


※記事の評価はC(平均的)

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