2015年8月31日月曜日

東洋経済「郵政上場特集」 せっかくの力作なのに…(2)

買いますか 買いませんか 日本郵政株」という東洋経済9月5日号の特集に関して、気になった点を編集部に問い合わせたので、その内容を紹介しておく。今回の特集の内容自体はかなり充実していて評価できる。ただ、「郵趣 知られざる切手の世界」という88、89ページの記事は脱線が過ぎる。「買いますか 買いませんか 日本郵政株」というテーマとほぼ関係がない。とは言え、全体として「全診断 効率性・規模・収益力・成長性を徹底分析」とのうたい文句に偽りはなかった。

アントワープ(ベルギー)中心部とスヘルデ川
                ※写真と本文は無関係です

【東洋経済への問い合わせ】

東洋経済9月5日号の「郵政上場特集」についてお尋ねします。

(1)51ページには「ユニバーサルサービスのインフラである全国約2万4000の郵便局の存在が収益の重しになっている面もありそうだ」との記述があり、87ページの見出しは「ユニバーサルサービス 2600億円超の維持費用が重しに」となっています。「重し」を「重荷」の意味で用いるのは誤りです。8月29日号の「ライザップの真実」でも同じような使い方をしており、問い合わせに対して「『重し』ではなく、『重荷』とすべきでした」との回答を既に頂いています。なのになぜ、似たような表現を2カ所も使ってしまったのでしょうか。編集部内で情報共有はされているのでしょうか。

(2)53ページに「第一生命保険、みずほFGが上場するまで、NTTは最も株主数が多い銘柄だった」との記述があります。上場時期はみずほFGが2003年、第一生命が2010年と離れています。NTTが株主数で最多だった時期はどう理解すればよいのでしょうか。「2003年に株主数トップではなくなったが、その後に再びトップとなり、2010年に今度は第一生命に抜かれた」ということでしょうか。仮にそうだとしても「第一生命保険、みずほFGが上場するまで、NTTは最も株主数が多い銘柄だった」との説明は適切なのでしょうか。

(3)63ページの記事では、メルパルクについて「日本郵政が承継・運営してきたが、08年に挙式サービス会社・ワタベウェディングにゼロ円で事業譲渡された」と書かれています。しかし、その後に「(日本郵政の)宿泊事業の損益はかんぽの宿が赤字、メルパルクが黒字」との説明があります。後者を信じれば、日本郵政は現在もメルパルクの宿泊事業を自社で手がけていることになります。これはどう理解すべきでしょうか。日本郵政はメルパルク関連の不動産を保有しているようですが、それだけならば「宿泊事業」とは呼ばないはずです。


※上記の問い合わせに関しする回答は(3)で紹介する。今回の記事に多少の問題はあるが、全体の充実度を重視して、特集の評価はB(優れている)とする。山田雄一郎、山田徹也、茨木裕、福田淳、浪川攻、松崎泰弘の各記者も暫定でBと評価したい。

※(3)に続く。

「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解

日経の芹川 洋一論説委員長の記事が、またも苦しい。31日の日経朝刊オピニオン面に掲載された「核心~経済が首相を呼んでいる  中道寄り、支持回復の道」では、安倍政権を「株価連動政権」と分析しているが、現実とかけ離れている。記事に付いている「安倍内閣の支持率と株価」というグラフを見ても、それは明らかだ。芹川論説委員長はこのグラフを見て「株価が上昇局面で支持率が上向き、株価が落ちれば支持率も下降線をえがいた」と思えたのだろうか。だとすれば、書き手としては引退すべき時期を迎えていると思える。

記事では以下のように説明している。

【日経の記事】
リエージュ(ベルギー)の中心部に近いギユマン駅
                 ※写真と本文は無関係です

支持率の動向で忘れてならないのは、2012年12月の政権発足から14年夏まで、株価と動きが同じ株価連動政権だったことだ。株価が上昇局面で支持率が上向き、株価が落ちれば支持率も下降線をえがいた。

2度、違う動きもあった。13年末の特定秘密保護法と14年7月の集団的自衛権容認のときだ。逆にふれた。株価はあがっているのに、支持率はおちた。今年に入って、ワニの口のように大きく開いている。


グラフを見る限り、政権発足から14年夏までの大まかな推移は「株価が上昇基調で、支持率が低下基調」と言える。つまり「株価が落ちれば支持率も下降線をえがいた」のではなく、「株価が上昇基調だったのに支持率は下降線を辿った」わけだ。

芹川論説委員長は「2012年12月の政権発足から14年夏まで」で13年末と14年7月を例外と捉え、「株価はあがっているのに、支持率はおちた」と解説している。しかし、株価と支持率に正の相関が感じられるのは政権発足当初ぐらいだ。

しかも、今年の途中からは株価と支持率が逆相関の関係になっている。ちょっと前までは「株高で支持率低下」、直近では「株安で支持率上昇」だ。「14年夏まで」に絞ってもあまり正の相関が見られず、現在までで考えると逆相関と言った方がよさそうなのに、「株価連動政権だったこと」を「支持率の動向で忘れてならない」と訴えて意味があるのか。

問題は他にもある。記事で芹川論説委員長は首相に謙虚さや丁寧さを求めている。では自らを省みてどうなのか。以下の記述を見る限り、芹川論説委員長にも謙虚さや丁寧さが欠けていると言うほかない。


【日経の記事】

内閣の大きな政治的資源である支持率。その足をひっぱったのが、党内若手や首相側近の失言や問題発言であるのも否定できない。おごりや傲慢さが顔を出し、自民党に対する「嫌な感じ」(石破茂地方創生相)が広がった。首相への功名心と忖度(そんたく)による「功名が辻の脱線事故」でもある。

謙虚さをみせることが何より大事だ。維新の分裂騒ぎで先行きが読みにくくなっているものの、安保法案の修正協議など野党と丁寧に進め、合意形成への努力を示す必要がある。


功名が辻の脱線事故」と言われても、大河ドラマや小説を通じて「功名が辻」の内容を知っている人以外にはピンと来ないはずだ。慣用句として広く使われているわけでもない。「日経の読者ならば『功名が辻の脱線事故』で分かってくれるだろう」という前提で記事を作っているとすれば、やはり丁寧さが足りない。「維新の分裂騒ぎ」との表記も同様だ。初出なのに、なぜ「維新の党」と書かないのか。日経の他の記事では、基本的に初出では「維新の党」と表記しているはずだ。

論説委員長であれば、「功名が辻の脱線事故」でも、初出から「維新」でも、社内で文句は出ないかもしれない。それに甘えて完成度の低い記事を世に送り出しているのであれば、芹川論説委員長はやはり「裸の王様」だ。


※記事の評価はD(問題あり)、芹川洋一論説委員長の評価はE(大いに問題あり)を据え置く。芹川論説委員長のE評価については「日経 芹川洋一論説委員長 『言論の自由』を尊重?」を参照してほしい。

2015年8月30日日曜日

東洋経済「郵政上場特集」 せっかくの力作なのに…(1)

今後ますます誤字脱字のないよう、細心の注意を払って参ります」という東洋経済の回答は、行動を伴うものではなかったようだ。東洋経済9月5日号の「郵政上場特集」では、8月29日号に続いて「重し」を「重荷」の意味で使っていた。特集自体は46ページにわたる力作で、内容も全体として充実していた。全て読むのに時間はかかったが、読み進めるのが辛いとは思わなかった。ただ、「重し」の例のように、いくつか気になる点があった。そこが惜しい。まずは「重し」に関する部分から見ていこう。


【東洋経済の記事】
アムステルダム市立美術館 ※写真と本文は無関係です

ユニバーサルサービスのインフラである全国約2万4000の郵便局の存在が収益の重しになっている面もありそうだ。 (51ページ)

ユニバーサルサービス 2600億円超の維持費用が重し (87ページ見出し)


8月29日号の「ライザップの真実」という記事では「豆乳クッキーへの過大な依存は危険だと認識していた瀬戸は、M&A(合併・買収)で新たな商品・事業を模索していた。しかし、この買収資金が重しとなった」と書いていた。「重し」とは「物を押さえるのに用いる石など」を指すので、「物事を安定させる存在」を「重し」と呼ぶのは問題ないが、「重い負担」の意味で用いるのは誤りだ。

東洋経済からは「ご指摘のとおり『重し』ではなく、『重荷』とすべきでした。深くお詫び申し上げます」との回答を8月24日に得ている。その段階で編集部内での情報共有ができていれば、9月5日号で同じミスを繰り返す事態は避けられたはずだ。


※(2)へ続く。「重し」に関しては「東洋経済の誠実な読者対応 『ライザップの真実』について」を参照してほしい。

2015年8月29日土曜日

本当に持ち家有利? 日経「はじめの一家修業中」

29日の日経朝刊マネー&インベストメント面に出ていた「はじめの一家修業中~新婚、住まい購入は焦らず」では、かなり大胆に「賃貸よりも持ち家が有利」と示唆していた。これには納得できなかった。記事の筆者が持ち家有利とする根拠は以下のようなものだ。

アントワープ(ベルギー)にあるスヘルデ川西側の公園に建つ像
                   ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

たいきち また僕に丸投げですね。いいですよ。トウモロコシ、好物なんです。まず家を買う前に持ち家と賃貸の違いを確認しましょう。住宅ローンを毎月返済するのも家賃を払うのも、額が同じなら家計に与える影響は変わりません。違うのは住宅が自分のものになるかどうかです。持ち家は住宅ローンを完済すれば資産になりますが、賃貸はいくら支払っても自分のものにはなりません

とうしろう 「家賃がもったいない」というのは、そういう意味なんだ。

たいきち 賃貸は持ち家より老後資金が多くかかる点にも注意が必要です。厚生労働省によると日本人男性の約11人に1人、女性の4人に1人が95歳まで生きます。65歳でリタイアしてから30年間生きる可能性に備えるなら、毎月の家賃が10万円とすると計3600万円必要です。持ち家は定年退職までに完済するように住宅ローンを組めば、老後の住居費は維持費や修繕費程度ですみます

とうしろう 老後資金を3000万円以上多く用意するのは厳しいな。

たいきち 自宅を資産と考えると、持ち家の長所がわかります。例えば借り手が見つかれば、賃料収入を期待できます。いざというときに売却すれば、まとまった資金になる可能性もあるでしょう。持ち家を担保に生活資金を融資する金融機関も最近は増えています。

とうしろう つまり賃貸より持ち家の方が有利で、なるべく早く買った方がいいと助言すればいいんだな。

たいきち 生涯で得られる収入はある程度決まっている以上、自宅が資産になる持ち家は有利にみえます。でも家を買うときは資金計画を十分に考える必要があります。特に大切なのは頭金です。頭金なしで家を買うのはあまりお勧めできません。


持ち家は住宅ローンを完済すれば資産になりますが、賃貸はいくら支払っても自分のものにはなりません」というのは、何となく説得力がありそうだからか、持ち家有利説でよく持ち出される。しかし、まともな資産になるかどうかは考える必要がある。返済期間30年の住宅ローンを組んで新築マンションを購入した場合、完済時に残るのは築30年の中古マンションだ。それが資産として残ることに、そんなに価値があるだろうか。

記事では「65歳でリタイアしてから30年間生きる可能性に備えるなら、毎月の家賃が10万円とすると計3600万円必要です。持ち家は定年退職までに完済するように住宅ローンを組めば、老後の住居費は維持費や修繕費程度ですみます」と書いている。これは読者に誤解を与える説明と言える。

35歳で30年の住宅ローンを組んで新築マンションを購入し、95歳まで生きるケースを考えてみよう。この前提では最終的にマンションは築60年となる。なのに「維持費や修繕費程度」で済むだろうか。常識的に考えれば、建て替えが視野に入ってくる。建て替えを回避できても大規模な補修などは必須だろう。これは一戸建てでも似たようなものだ。

記事中の「住宅ローンを毎月返済するのも家賃を払うのも、額が同じなら家計に与える影響は変わりません」との解説にも同意できない。これも多くの人がはまりやすいワナだ。月々の住宅ローン返済額と家賃を比べて「ほぼ同じ額ならば、資産になる分、買った方が得」と考えてしまう人が多い。この場合、ボーナス時の返済額を考慮しているのだろうか。考慮した上でも返済額が家賃と変わらないとしても、持ち家には固定資産税や修繕積立金などの負担がある。「家賃とローン返済額がほぼ同じならば、返済後に資産が残る分だけ持ち家が有利」という単純な判断は非常に危険だ。

記事中にはさらに危険な説明もあった。「自宅を資産と考えると、持ち家の長所がわかります。例えば借り手が見つかれば、賃料収入を期待できます。いざというときに売却すれば、まとまった資金になる可能性もあるでしょう」との解説は、間違いではないにしても明らかに問題がある。

例えば、賃貸住宅に住み1000万円の預金を持っているAさんにとって、100万円を手元に残して900万円を頭金に充てて5000万円のマンションを買うと、そんなに長所があるだろうか。記事では「借り手が見つかれば、賃料収入を期待できます」と言うが、その時に自分はどこに住むのか。賃貸住宅に住むのであれば、元のままでいいのではないか。

それに、借り手が見つからない場合もある。売却しようとしてもなかなか買い手が現れず、ローン残額を下回る価格でしか売れない可能性も十分にある。一方、賃貸住宅に住んでいれば、1000万円の預金は困った時にすぐに使えるし、引き出さなければ名目額が目減りする心配はない。持ち家には地震などで被害を受けた場合、修復費用を自ら負担しなければならないリスクもある。

持ち家の最大のリスクは、資産内容が不動産に偏ってしまうことだ。Aさんの場合、預金100%だった資産内容が、住宅購入によって「ほぼ不動産のみ」に変わってしまう。しかもローンを組んでいるので、約5倍のレバレッジが効く。「不動産は他の資産に比べて高い値上がりが見込める」との判断ならともかく、不動産という流動性が低く価格下落リスクもそこそこ高い資産でポートフォリオのほとんどを占めてしまうのが健全だとは思えない。

原理的に言えば、持ち家と賃貸のどちらが得とははっきり言えない水準で家賃や不動産価格が決まっていくはずだ。どちらかが一方的に有利ならば、裁定が働いて価格は調整されるのが自然だ。であれば、住み続けたい場所が明確で資金的にも余裕がある場合、持ち家も否定しない。しかし、人口減少に転じて空き家が増えている日本で、住宅ローンによるレバレッジまでかけて持ち家を購入する理由を見出すのはかなり困難だ。


※今回の記事では「賃貸住宅にもメリットはあるんでしょ?」といった質問も設定していたので、バランスはそこそこ取れていた。「持ち家有利」と断定的に論じているくだりが気にはなったものの、記事としての完成度はそれほど低くない。記事への評価はC(平均的)とする。

2015年8月28日金曜日

レンタルもシェアの一部? 無理のある日経「持たざる経済」

消費トレンド関連の記事は無理のある展開になりやすい。28日の日経朝刊経済面に出ていた「持たざる経済(2)~「シェア」は節約にあらず ぜいたくの裾野広く」もその一例だ。シェアとは言えないものも強引に「シェア」に含めて記事を作っている。以下の話は「シェアリング」と呼べるだろうか。

アムステルダム(オランダ)中心部 ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

節約目的で注目され、普及しつつあるシェアリング(共有)ビジネス。効率よくぜいたくを楽しむ手段としても、利用者の裾野を広げている。

「シャネル」「エルメス」「グッチ」――。エス(広島市)が手掛けるブランドバッグのシェアリングサービス「ラクサス」の登録者は、今年2月のスタートから半年で4万人を超えた。

スマートフォン(スマホ)アプリで2000個のバッグから好きなモノを選び無期限で借りられる。児玉昇司社長は「初年度は1万件程度と思っていたのに」と驚く。

利用料金は月に6800円(税別)。年間8万円を超える。高級品も買えてしまう金額だが「気軽に次々お試しできるのが面白い」(主婦、32)、「新作を無期限で使えるのが最大の魅力」(会社員、35)という。

IT(情報技術)サービスのエアークローゼット(東京・港)が2月に始めた女性向け衣服のシェアサービスも登録者数が5万人を超えた。まず登録者はホームページで好みの服の写真や好きな色、挑戦したい色などを選択。これをプロのスタイリストが分析、好みと思われる服を3点選んで随時配送する。こちらも月額6800円(税別)。


エスもエアークローゼットも常識的に考えれば、やっているのは「レンタル」だ。これをシェアリングと呼ぶのであれば、レンタカーもシェアリングになってしまう。しかし、「カーシェアリング」はレンタカーとは別物として扱われている。「シェア」に絞ると記事の趣旨に合う事例がなかったのだろうし、「シェア」の範囲も曖昧ではある。だからと言って単なるレンタルまでシェアに含めてしまっては、記事に説得力は望めない。

以下の事例もかなり苦しい内容だ。


【日経の記事】

「割高でも他人とふれあえる場を」。不動産関連のグローバルエージェンツ(東京・渋谷)に、こんな若者からの申し込みが殺到している

 同社の「ソーシャルアパートメント」はワンルームマンションの部屋と大画面テレビ、バーカウンター、ソファなどを備えた豪華な共有スペースで構成する。いわばプライベートを完全に確保しつつ、住民と交流できるシェアハウスだ。

ソーシャルアパートメントの賃料は同水準のワンルームマンションに比べれば2割ほど高いが、年300~400戸の供給に対し、5千人から問い合わせがあるという。「広く、安く」というのが従来の賃貸住宅の常識だが「共有に価値を見いだしお金を払う若者が増えている」(山崎剛社長)。


記事で言う「ソーシャルアパートメント」を日経では「プライベートを完全に確保しつつ、住民と交流できるシェアハウス」と捉えているが、豪華な共有施設を備えたワンルームマンションと見なす方が自然だ。そもそもシェアハウスとは「複数の人が一戸建ての住居を借りて、台所・風呂・トイレなどを共同利用しているもの」だろう。ワンルームマンションとシェアハウスは両立しないはずだ。

それに、分譲マンションであれば、豪華なパーティールームなどを共有スペースとして用意している物件は珍しくない。記事では「『シェア』は節約にあらず」という見出しを立てて、新しいトレンドのように紹介しているが、分譲マンションも含めて考えると「節約ではないシェア」に新規性はない。

記事中の「若者からの申し込みが殺到している」という説明も引っかかる。「年300~400戸の供給に対し、5千人から問い合わせがある」らしいが、「問い合わせ=申し込み」ではないはずだ。問い合わせ件数としても、それほど多いとは思えない。「申し込みが殺到」と書くならば、入居申し込み件数を記事中で見せれば済む。なのに「問い合わせ件数」しか出していないところに怪しさを感じる。


※記事の評価はD(問題あり)。

2015年8月27日木曜日

原油40ドル割れは「歴史的な低水準」? 日経「マネー異変」

27日の日経朝刊1面に載った「マネー異変 きしむ世界経済(3)~『宴』去り、新興国に三重苦」は色々と気になる部分があった。まずは、筆者の吉田渉記者宛てに送った問い合わせから紹介したい。

ユトレヒト(オランダ)のドム塔 
           ※写真と本文は無関係です
【日経への問い合わせ】

記事中で「原油先物相場は1バレル40ドル割れと歴史的な低水準に下落」と書かれています。この説明は不適切ではありませんか。2003年頃まで40ドルを下回る水準は常態化していました。1998年には10ドル近くまで下げたはずです。10ドルに接近してきたならともかく、40ドル割れで「歴史的な低水準」とするのは無理があります。「問題ない」との判断であれば、その根拠を教えてください。


主観的な問題なので、40ドル割れを「歴史的な低水準」と強弁することはもちろんできる。しかし、こういう書き方をすると「この筆者は分かってないな」と読者に思われても仕方がない。日経から回答が届かないのは確実ではあるが、吉田記者には今後に記事を書く上での参考にしてほしい。

他にも気になる点を2つ挙げたい。


◎「一気に逆流」?

【日経の記事】

原油輸出国の同国は資源安が直撃して景気が減速し、米国の利上げ観測を受けて資金流出が続く。中国株式市場の異変が混乱に拍車をかけ、通貨リンギは1990年代後半のアジア通貨危機当時の水準に沈んだ。度重なる為替介入を背景に外貨準備高は1年で3割も減った。市場はナジブ氏の発言を「打つ手が細った」と解釈し、リンギ売りに拍車がかかった。

深刻な資金流出は新興国に共通する。インドネシアのルピアは17年ぶりの安値に沈み、ブラジルのレアルは左派政権が誕生した2003年以来の水準に落ち込んだ。

英マークイットによると、新興国に投資する上場投資信託(ETF)から50億ドル(約6000億円)を超す資金が7月以降に引き揚げた。高い成長を求めて舞い込んだマネーが一気に逆流する


資源安はここ数カ月の出来事ではない。原油で言えば昨年後半から下落傾向が続いている。記事に付いた新興国通貨のグラフを見ると、通貨安も2011年頃からのトレンドと言える。ロシアのルーブルに関しては、今年よりも14年の急落が際立っている。なのに「高い成長を求めて舞い込んだマネーが一気に逆流する」と言われても説得力はない。「流出傾向は以前からあったが、ここにきて拍車がかかっている」ぐらいに考えるのが妥当だろう。


◎「新興国に三重苦」?

【日経の記事】

新興国は08年の世界危機後の経済をけん引した。日米欧の金融緩和に伴うマネーの流入、中国の需要拡大、資源相場の高騰の3つが重なり、新興国ブームに沸いた

その構図が一変している。足元では米国の利上げが現実味を帯び、中国は景気の減速に直面する。原油先物相場は1バレル40ドル割れと歴史的な低水準に下落し、資源安に歯止めがかからない。成長を支えてきた条件が、逆に「三重苦」となって新興国の経済を襲う


最初の2つはともかく、資源安を単純に「新興国にとってマイナス」と断定しているのが引っかかった。原油安は産油国には不利だろう。しかし、「新興国=産油国」ではない。全体として新興国にとってプラスなのかマイナスなのかは分析してほしかった。

記事では「タイやトルコなど新興国の多くが政情不安を抱え、物価高が進めば政権への不満が高まるのは必至だ。物価を抑えるには利上げが選択肢だが、いま金融を引き締めれば景気が急減速しかねない」と書いている。ならば、物価上昇を抑える原油安は、タイやトルコにとってそれほど悪くない話ではないのか。一般的に、原油価格の下落は世界経済全体にとってのプラス要因と考えられている。だとすれば、新興国全体で見たときにも、原油安を前向きに捉えて良さそうな気がする。

通貨安に関しても「通貨安を受け、輸入に依存する食料品の価格上昇が続く」と吉田記者は描写するが、一面のみを強調しているように思える。通貨安が国内で食料品の価格上昇を招くのは当然だ。しかし、一方では輸出競争力を高めてもいるはずだ。両方を併せて経済への影響を考える必要がある。この記事には、そういった視点が欠けている。


※色々と指摘してきたが、全体としての出来はそれほど悪くない。記事の評価はC(平均的)、クアラルンプールの吉田渉記者への評価は暫定でCとしていたが、Cで確定させる。

日経が無視した問い合わせ(9) 2015年7月

「日経が無視した問い合わせ」をさらに紹介していく。山口聡編集委員の「けいざい解読」は、きちんとした説明を怠ったケース。次に出てくるロッテの記事の「代表権を返上」に関しては、「別に日経の表現で違和感はない」という人もいるだろう。しかし、個人的にはダメな使い方だと思う。


◆「けいざい解読~広がるか『社会的インパクト投資」』民間資金で福祉支える」(7月26日朝刊総合・経済面)について

【日経への問い合わせ】
リエージュ(ベルギー)の聖パウロ大聖堂 
                 ※写真と本文は無関係です

記事では横須賀市の社会的インパクト事業について「(浮いた行政コストの)一部を出資へのリターンとして払えば、出資者の利益も確保できる。縁組が成立しなかった場合のリスクは出資者が負う」と書かれています。しかし、事業の結果がどうなろうと、出資者(日本財団)にリターンは発生しません。発表資料でもそう明記しています。記事の説明は不適切ではありませんか。記事からは「縁組が成立すれば日本財団は出資を回収できる」と読み取れます。

※「山口聡編集委員の個性どこに? 日経『けいざい解読』」参照。



◆「ロッテ重光一族の乱~経営権巡り対立」(29日朝刊アジアBiz面)について

【日経への問い合わせ】

記事で「武雄氏が代表権を返上して、会長から名誉会長に退く人事を決めた」と書いていますが、この場合「返上」とするのは誤りではありませんか。この人事を決めた取締役会を武雄氏は欠席しており、代表権を剥奪された形です。「返上」とすると、武雄氏が自らの意思で返したことになってしまいます。前文では「武雄氏から代表権を外す人事を決めた」としており、これならば問題ありません。この問い合わせは、加藤宏一記者、宮住達朗記者、企業報道部担当デスク、記事審査部担当者・デスクに届けてください。

※「奪われても『代表権返上』? 日経『ロッテ重光一族の乱』」参照。

※(10)へ続く。

2015年8月26日水曜日

無意味な結論 日経 田村正之編集委員「マネー底流潮流」

この内容なら記事にする意味はない。25日の日経夕刊マーケット・投資2面に 田村正之編集委員が書いた「マネー底流潮流~米利上げ、前回との違いは」は、訴えたいことがないのに文字を連ねたように思える記事だった。それが顕著に表れている結論部分から見ていこう。

ブリュッセル(ベルギー)の聖ミッシェル大聖堂
                ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】  

日本株はどうなるのか。ニッセイ基礎研究所の井出真吾氏は「昨年度の平均よりまだ円安なうえ、原油安は日本にプラス。足元の株価水準は長期的には割安」とみる。ただし業績を支える円安が崩れれば、悲観ムードが高まる可能性もある


市場関連記事で気になる表現の1つが「可能性がある」だ。これが出てきたら「あまり意味のないことを書いている」と思ってほぼ間違いない。上記の「業績を支える円安が崩れれば、悲観ムードが高まる可能性もある」はどうだろう。市場には、為替相場の動向にかかわらず「悲観ムードが高まる可能性」は常にある。「有害なものを摂取すれば、健康を害する可能性もある」という話と同じぐらい自明な説明で記事を終えられては、書き手として田村編集委員を高く評価する気になれない。

しかも、何を以って「円安が崩れる」と判断するのか不明だ。最近の円ドル相場を見ると「既に円安基調は崩れている」との見方も十分できる。田村編集委員が「まだ円安基調は続いている」と考えるならば、それはそれでいい。しかし、「悲観ムードが高まる可能性もある」為替相場の水準がどの程度なのかは言及すべきだ。

株価についても同様のことが言える。相場はすでに大きく下げているのか、そうではないのか。記事を読んでいると迷いが生じる。田村編集委員は以下のように書いている。


【日経の記事】

最大の懸念は利上げがもたらす米国の景気・株価リスクだ。過去、米利上げに伴う大きな株価下落は、利上げ開始後数年たち、政策金利がかなり上昇して長期金利に近い水準になった後に起きてきた。このため今回も「いずれ大きな株価下落が起きるとしても、まだ数年の余裕はある」というのが多数派の見方だ


この書き方だと「まだ大きな株価下落は起きていない」との印象を受ける。記事で言う「株価」の対象が米国株なのか世界全体の株式なのか明確ではないが、米国株であればダウ平均は前週だけで1000ドル超下げており、週明け後も下落した。これを「大きな株価下落ではない」と解釈するのは田村編集委員の自由だが、それならば「大きな株価下落」とはどの程度の下落なのか、記事中で明示してほしい。

例えば「今後2年間はダウ平均の大幅な下落は起きない」という予想は確実に“当たる”。「大幅な下落」の定義を事後に設定すれば「外れ」を回避できるからだ。もちろん、こんな予想に意味はない。だとすると「いずれ大きな株価下落が起きるとしても、まだ数年の余裕はある」との見方に何か意味があるだろうか。

※記事の評価はD(問題あり)、田村正之編集委員の評価もC(平均的)からDに引き下げる。

2015年8月25日火曜日

中国「実は5%成長」は衝撃? 日経 大越匡洋記者に問う

25日の日経朝刊1面「マネー異変 きしむ世界経済(1)中国急減速、当局に不信」は悪くない。しっかり書けていると評してもいい出来だ。ただ、中国に関して「上半期の真の実質経済成長率は5%」とする論評が「市場関係者に衝撃を与えている」との説明は大げさすぎる。問題の部分は以下のようになっている。

北海に面したスヘフェニンヘン(オランダ)に建つクルハウス
                 ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

インターネット上に出回るある中国経済に関する論評が、市場関係者に衝撃を与えている。「今年上半期の真の実質経済成長率は5%」。中国政府の統計では同じ時期の成長率は今年の政府目標と同じ「7%」に踏みとどまったが、論評は「経済は悪い」と断じる。

筆者として記されているのは中国大手、国泰君安証券アナリストの任沢平氏。政府直属の国務院発展研究センターに在籍した経歴をもつ人物だ。仮に5%成長が本当なら、職を失う人が出て社会不安が起きてもおかしくない。中国では「失速」と呼んでいい水準だ。


中国の統計数字が当てにならないのは、専門家でなくても知っている「常識」だ。日経もその問題を記事で取り上げてきた。「7%」という上半期の成長率についても「実際にはもっと悪いのではないか」との見方は多い。なのに、「実は5%」で市場関係者に衝撃を与えられるだろうか。

例えば、8月6日付のロイターの記事では以下のように述べている。


【ロイターの記事】 

ロンドンに拠点を構える独立系調査会社ファゾム・コンサルティングのエリック・ブリトン氏は「中国の公式統計はファンタジーだと考えており、真実に近いということもない」と話す。

同社は昨年、公式GDPの予想を公表するのをやめ、実際の成長率とみなす数値を公表することを決めた。それによると、今年の中国成長率は2.8%、2016年はわずか1.0%にとどまると予想している。


中国の成長率が今年は3%を切るとすれば、そこそこの「衝撃」だ。しかし、日経の紹介した「論評」に衝撃は感じない。今頃になって「今年上半期の真の実質経済成長率は5%」と言われて、驚く市場関係者が本当にいるのか。いるとすれば、その人物はかなり情報に疎いはずだ。

日経の記事に関してついでに言うと、「仮に5%成長が本当なら、職を失う人が出て社会不安が起きてもおかしくない」との説明はやや引っかかる。7%成長ならば中国では「職を失う人」が出ないのだろうか。言いたいことは何となく分かるが、記事中で上手く説明できているとは言い難い。


※記事の評価はC(平均的)、北京支局の大越匡洋記者への評価も暫定でCとする。

東洋経済の誠実な読者対応 「ライザップの真実」について

「ライザップの真実」という記事に関する問い合わせを週刊東洋経済にしたら、その翌日には回答があった。質問に関してもきちんと答えている。問い合わせの内容自体は大したものではないし、日経であれば確実に無視で終わるだろう。そう考えると、メディアとしても「まともさ」に大きな差を感じる。東洋経済とのやり取りは以下の通り。

ヴェンツェルの環状城壁(ルクセンブルク) 
                  ※写真と本文は無関係です

【東洋経済への問い合わせ】

東洋経済8月29日号「ライザップの真実」という記事についてお尋ねします。

37ページの記事では「豆乳クッキーへの過大な依存は危険だと認識していた瀬戸は、M&A(合併・買収)で新たな商品・事業を模索していた。しかし、この買収資金が重しとなった」と書かれています。この「重し」の使い方は誤りではありませんか。「重し」とは「物を押さえるのに用いる石など」を指します。そこから転じて「人を制して鎮める力」といった意味でも使われます。ところが当該記事では、買収資金の負担が重かったことを説明する文脈で「重し」を用いています。その場合「買収資金が重荷になった」などとすべきではないでしょうか。

誤用には当たらないとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。


【東洋経済からの回答】

平素は週刊東洋経済をご購読いただきまして、誠にありがとうございます。

37ページの記事につきましては、ご指摘のとおり「重し」ではなく、
「重荷」とすべきでした。深くお詫び申し上げます。
今後ますます誤字脱字のないよう、細心の注意を払って参ります。
ご指摘いただきまして、誠にありがとうございました。

どうぞよろしくお願いいたします。


※経済メディアとして最上位の格付け(下記参照)にふさわしい回答だと思える。読者への誠実な対応が続くことを願いたい。


【経済メディア格付け】

週刊ダイヤモンド(A-)
週刊東洋経済(A-)
週刊エコノミスト(BBB)
FACTA(BBB)
日経ビジネス(BB+)
日本経済新聞(BB)
日経ヴェリタス(BB)
日経MJ(BB-)
日経産業新聞(BB-)

日経が無視した問い合わせ(8) 2015年7月

引き続き「日経が無視した問い合わせ」を見ていく。最初の事例は、自分の描いたストーリーに強引に当てはめてしまったために、おかしな説明になってしまったのだろう。2番目については、「戻し基調」と見出しに付いていて、社内の誰も違和感がなかったのかなとは思う。気になるのは自分だけなのだろうか…。
ルクセンブルクの旧市街  ※写真と本文は無関係です


◆「企業統治の意志問う」(7月22日朝刊1面)について

【日経への問い合わせ】

記事中で「委員会制をこぞって導入した電機大手は業績が伸び悩む企業が目立ち、非導入の自動車大手は快走する」と書かれていますが、事実誤認していませんか。東芝以外で委員会制の電機大手(日立、ソニー、三菱電機)を見ると、日立と三菱電機は2015年3月期に最高益を更新しました。一方、自動車大手でもホンダは減益です。「制度と業績が反比例」と言えるほど好対照とは思えません。記事の説明で問題ないとすれば、その根拠を教えてください。

※「日経『企業統治の意志問う』で中山淳史編集委員に問う」参照。


◆「アジアラウンドアップ 上海  株価対策が奏功、戻し基調」(7月24日日経夕刊マーケット・投資2面)について

【日経への問い合わせ】

見出しが「株価対策が奏功、戻し基調」となっていますが、相場に関して「戻し基調」とはまず言いません。「戻り基調」の誤りではありませんか。また、記事中の「成長率は7%増」という表現も不自然です。「成長率は7%」「GDPは7%増」などとすべきでしょう。

※「基礎力不足の日経 土居倫之記者『アジアラウンドアップ』」参照。

※(9)に続く。

2015年8月24日月曜日

筆者は「市場」が分かってない? 日経1面コラム「春秋」

コラムの筆者は市場の仕組みをあまり分かっていないのではないか--。24日の日経朝刊1面の「春秋」は、そんなことを思わせる内容だった。「新卒採用も労働市場の一部」との説明に異論はない。しかし、その後の記述には疑問が残る。記事の内容を見てみよう。


北海のビーチリゾート、スヘフェニンヘン(オランダ)
                  ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

「今後のご健闘をお祈りします」。そんな決まり文句から、大量に届く不採用通知が学生に「お祈りメール」と呼ばれ始めたのは遠い昔の話ではない。いまネットには学生向けに内定辞退の定型文が出回り、企業向けには「学生を辞退させないための内定者研修」も登場。企業と学生、片方が笑えばもう片方が泣く運命か

新卒採用も労働市場の一部だが、誰かが得をすればそのぶん誰かが損をするのは、市場のあるべき姿ではない。持てる価値を交換し、取引の参加者全員が幸せになるのが本来の市場だ。化かし合いめいた短期決戦よりも、互いの素顔を日常の中で理解する。そんな、お見合いより恋愛結婚に近い採用に変えられないものか


誰かが得をすればそのぶん誰かが損をするのは、市場のあるべき姿ではない」という説明が引っかかった。この考えに基づけば、日経平均先物などの先物市場は「あるべき姿」から外れていることになる。日経平均先物の売買で誰かが利益を得るには、誰かの損失が必須であり、市場全体としてはゼロサムゲームとなる。だからと言って「あるべき姿ではない」とは思えないが…。

労働市場はゼロサムゲームではないが、応募人数が採用数を上回る場合、誰かの採用決定は裏返せば誰かの不採用決定となる。優秀なAさんを巡って数社が採用を争っている場合、どこかの会社が笑えばどこかの会社が泣くことになる。しかし、それは「市場のあるべき姿ではない」のか。むしろ最適なマッチングを目指す「あるべき姿」とも言える。

化かし合いめいた短期決戦よりも、互いの素顔を日常の中で理解する。そんな、お見合いより恋愛結婚に近い採用に変えられないものか」と筆者は願っているようだ。それは悪い話ではないが、「取引の参加者全員が幸せになる」ことには結び付かないだろう。

「お見合いの後で交際を断られると不幸だが、失恋は辛くない」と多くの人が考えるならば別だが、恋愛結婚であっても、笑う人がいればその裏側に泣く人もいるはずだ。男女比のバランスが崩れた市場では男性と女性で「片方が笑えばもう片方が泣く運命」となる。これは見合い中心でも恋愛中心でも同じだろう。

新卒の就職活動が今のままで良いとは言わないが、「春秋」の嘆きに意味は感じられなかった。


※記事の評価はC(平均的)。

日経が無視した問い合わせ(7) 2015年7月

今回取り上げる「日経が無視した問い合わせ」は少し細かすぎると思える面もあるが、記事に問題なしとは言えない。クオリティペーパーを自負する新聞が無視してよい問い合わせではないだろう。


◆「地震保険のメリットは?」(7月11日朝刊マネー&インベストメント面)について

アムステルダム(オランダ)の運河 ※写真と本文は無関係です
【日経への問い合わせ】

記事で「地震への備えは必要ですね。揺れで被害が出るのはもちろん、地震で火事が起きても火災保険では補償されませんから」と書かれています。しかし、火災保険にほぼ自動的にセットされている地震火災費用保険(特約)で、地震に伴う火災による被害などは一部が補償されるはずです。地震保険に比べると補償の範囲や金額は小さくなるものの、「補償されませんから」と書くのは問題でしょう。記事中の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとすれば、その根拠も教えてください。

※「日経は地震保険の販売員? 『はじめの一家修業中』」参照。



◆「実質賃金、マイナス脱す」(7月17日夕刊)について

【日経への問い合わせ】

記事では「5月の実質賃金が横ばいとなり、25カ月ぶりにマイナスを脱した」と伝えた上で「このまま安定してプラス基調が続くかどうかは不透明だ」と書いています。しかし、5月の実質賃金はあくまで「横ばい」なので「このままプラス基調が続くかどうか」と説明するのは不適切ではありませんか。この書き方では「実質賃金が5月にプラスへ転じた」と受け取れます。例えば「6月以降にプラス基調へと転じていくのかは不透明だ」とすれば問題は生じません。

※(8)へ続く。

2015年8月23日日曜日

日経「からだのフシギ」 当たり前過ぎる内容を載せるフシギ

23日の日経朝刊「日曜に考える」面のコラムを読んで「これを掲載する意味があるのか」と考えさせられた。「からだのフシギ~適度な食事、長生きの源」というそのコラムは、一般の人でも知っていそうな当たり前のことを書き連ねるだけで終わっている。

記事の全文を見てみよう。
夜のユトレヒト(オランダ)中心部 ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

もし、食事を取れないような環境に人間が置かれたら、どうなるだろうか。数日で衰弱し、ひどい場合は命すら奪われかねない。それほど食事は人間が生きていくのに重要だ。

食べ物には炭水化物、脂質、たんぱく質の3大栄養素のほかに、ビタミン、カルシウムや鉄などの無機質(ミネラル)など、さまざまな物質が含まれている。いずれも生命活動に大切な役目を果たしている。

炭水化物や脂質はエネルギー源となり、私たちが動いたり考えたりする活動に重要だ。眠っているときでも心臓や肺などは働いており、ここでもエネルギーは欠かせない。たんぱく質は筋肉など人体を形作るのに必要だ。神経や筋肉などの生理的活動がスムーズに進むのはビタミンやミネラルのおかげだ。

これらの栄養素は、適切な量と質を保つことが大事だ。たんぱく質が不足すると、筋肉がやせおとろえてしまう。ビタミンB1が不足すると、かっけになり心不全などを招く。鉄が不足すると赤血球のヘモグロビンがうまく作られず、貧血になる。

多すぎてもいけない。炭水化物や脂質を取り過ぎれば、やがて肥満になる。高血圧、糖尿病、動脈硬化症などの生活習慣病を引き起こす。心筋梗塞や脳梗塞などの発症リスクも高まる。何事もそうだが、適量を保つことが、健康で長生きする秘訣だ。

(順天堂大学医学部特任教授 奈良信雄)


改めて読んでみても「何だこの記事は?」と思ってしまう。生きていく上で食事が重要なのは当然だ。様々な栄養素が生命活動にとって大切なのも、知らない人はまずいない。体内に鉄分が不足すると貧血になるのも「常識」と言えるだろう。栄養過多が好ましくないのも自明だ。この記事の中に、わざわざ順天堂大学医学部の特任教授に語ってもらうべき内容があるだろうか。

コラムのタイトルは「からだのフシギ」なのに、「本当に人間の体って不思議だなぁ…」と思えるような内容にもなっていない。こういう記事が紙面に出てくるのは、まず編集者の責任だ。筆者に働きかけて「まともな記事」になるように手を打つべきだし、筆者が応じてくれないのならば別の筆者を探す必要がある。

どうでもいい内容を漫然と紙面に載せていては、読者はさらに離れていくだけだ。

※記事の評価はD(問題あり)。筆者である奈良信雄氏の評価も暫定でDとする。

2015年8月22日土曜日

日経 松崎雄典記者へ問う 「0.07ポイント差は有意?」 

22日の日経朝刊マーケット総合1面「スクランブル~買い戻されない主力株」はあまり読む意味のない記事だった。特にデータの選び方に疑問が残った。松崎雄典記者がなぜこうした選択をしたのかは不明だが、まずは問題の部分を見てみよう。


デュッセルドルフ(ドイツ)のラーメン店
     ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

海外勢はさらにリスクに敏感だ。企業統治改革や好業績に期待して日本株を買い増してきたが、その勢いが鈍ってきた。主力株の値動きがそれを示す

「東証株価指数(TOPIX)100」は時価総額の大きい銘柄で構成する指数だ。相場の急落時には海外勢や年金が主力株の下値を拾うため、日経平均より下落率が小さくなることが多かった。ところが中国への不安が高まった7月以降は日経平均より下落率が大きい。相場下落を先導しているのは主力株になる。

21日のTOPIX100の下落率も3.05%と、2.98%の日経平均より大きかった。三井住友フィナンシャルグループが5%安、東海旅客鉄道が4%安になるなど主力株の下げがきつくなっている


下落率は日経平均が2.98%で、TOPIX100が3.05%。差はわずか0.07ポイントだ。記事に付いているグラフでは、今年に入って日経平均が2%以上下落した6日間について2つの指数の差を比べている。差は開いても0.3ポイント程度。しかも7月8日には0.2ポイント程度TOPIX100の下落率が上回っていたのが、8月21日には差がほとんどなくなっている。これで「主力株の下げがきつくなっている」と書かれても説得力はない。

そもそも日経平均とTOPIX100を比べるのが適当だとは思えない。 TOPIX100の構成銘柄を「主力株」と考えるならば、TOPIX Mid400やTOPIX Smallと比べれば主力株と非主力株の動きの差はすぐに分かる。「日経平均が大幅安となった要因を分析しているのだから、日経平均は外せない」と松崎記者は考えたのかもしれない。しかし、TOPIX100を持ち出すならば、日本株全体を見る指数もTOPIXを使った方が分かりやすい。その上でTOPIX Mid400やTOPIX Smallを使って主力株と非主力株の動向を分析する方がシンプルだ。

さらに言えば、主力株の値動きから海外勢の動きを推測するのも無理がある。記事には「相場の急落時には海外勢や年金が主力株の下値を拾うため、日経平均より下落率が小さくなることが多かった」と書いてある。ならば、リスクに敏感になっているのは海外勢ではなく年金かもしれない。

また、「主力株の方が非主力株より下落率が大きい」という傾向があるとしても「海外勢や年金は相変わらず主力株の下値を拾っているが、最近は割安感のある非主力株にも手を広げている。だから主力株の下落率が相対的に大きくなる(非主力株の下落率が相対的に小さくなる)」とも解釈できる。そこまで言うと、やや意地の悪い見方になるかもしれない。それでも注文を付けたくなるのは、当初決めたストーリーに強引にデータを当てはめている印象が今回の記事で強かったからだろう。


※記事の評価はD(問題あり)、松崎雄典記者の評価はC(平均的)からDに引き下げる。

2015年8月21日金曜日

日経 武智幸徳編集委員はスポーツが分かってない?(2)

日経の武智幸徳編集委員に関して「基礎的な知識はあるのかな」と不安になってしまう過去の記事を紹介しておこう。2014年7月13日の朝刊スポーツ1面に載った「アナザービュー~W杯を『黒船』にするな」というコラムには驚くような記述が出てくる。



デンハーグ(オランダ)に建つ像 ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

W杯ブラジル大会は「チリ」と「地理」からサッカーを考える大会に個人的にはなった。4強は欧州と南米で分け合ったが、16強はコロンビア、チリ、コスタリカ、米国などアメリカ大陸勢が半数を占めた。時差がほとんどない大会は彼らに有利に作用したのだろう。

 中でもベスト8を懸けた戦いで開催国を仕留めかけたチリの闘争心あふれる戦いには心を揺さぶられた。うらやましかったのは戦い方に1ミリの迷いもないこと。チリの集団戦法の土台をつくったのはアルゼンチン人のビエルサ元監督といわれるが、ハードワークでビエルサ流に応える勤勉精神はこのチームに昔から脈々と流れるものだ。

ブラジル、アルゼンチンの2強、古豪ウルグアイ、実力伯仲のパラグアイ、コロンビアといった中堅国と軒を接するからだろう。彼らとの戦いに何十年と明け暮れるうちに球際の強さを当たり前のように身に付けているのも頼もしい。


武智編集委員はチリについて「ブラジル、アルゼンチンの2強、古豪ウルグアイ、実力伯仲のパラグアイ、コロンビアといった中堅国と軒を接するからだろう」と書いている。しかし、この中でチリと国境を接しているのはアルゼンチンだけだ。コロンビアやウルグアイと「軒を接している」とは言い難い。「『地理』からサッカーを考える」と切り出したのに、地理に関する武智編集委員の知識がかなり危うい。しかも、その危うさはこれで終わらない。さらに記事を見てみよう。


【日経の記事】

チリやウルグアイ、コスタリカなどの「自分たちの戦い方」には徹底的に他者に鍛えられた「自分」が存在するように感じられる。彼らにはブラジルやアルゼンチン、米国やメキシコのような常に自分たちを圧迫する隣人がいる。そこから導き出される戦い方は付け焼き刃ではあり得ない。


上記の場合「コスタリカの隣人=米国やメキシコ」なのだろう。しかし、確実にコスタリカの隣人と言えるのはパナマとニカラグアぐらいだ。「隣人」を「近所の人」程度の意味で使っているとしても、米国を「隣人」とするのは無理がある。米国がコスタリカの隣人なら、ポルトガルがドイツの隣人でもおかしくない。武智編集委員は各国の位置関係を把握しているのだろうか。

ついでに薩英戦争に関する記述にも注文を付けておこう。


【日経の記事】

そんな話を聞きながら「ここは幕末か」と思ったものである。選手がまるで攘夷(じょうい)か開国かで揺れるサムライのように見えたのだ。自分たちの節を曲げないことが現実を変えることにつながるのか。現実を直視すべきなのか。

その議論は11月の欧州遠征でオランダと引き分け、ベルギーに勝ったことで棚上げされた格好になった。勝負事に「もし」は禁物だが、あそこで英国艦隊などに壊滅的な打撃を受けた薩摩、長州のような目に日本代表が遭っていたら、W杯での戦い方は違ったものになっていたのかもしれない。


英国艦隊などに壊滅的な打撃を受けた薩摩、長州」という記述にも問題を感じる。関連書籍によると、薩英戦争では「薩摩側の戦死者は5名、負傷者は16名、城下では500戸あまりが焼失した。英国側の被害も甚大で艦長を始め戦死者13名、負傷者50名。1862年7月2日に始まった戦闘は3日も小規模ながら続いたが、艦に被害を受け弾薬も乏しくなった英国艦隊が撤退した」。武智編集委員の書き方だと「薩摩が英国に一方的にやられた」という印象を受けるが、実際は違うのではないか。戦死者5人を「壊滅的な打撃」と評価するは、さすがに大げさだろう。

武智編集委員に関しては、様々な面で「ちゃんと分かっているのか怪しい記者」だと判断して間違いない。「要注意編集委員」として引き続き注視していく。

日経 武智幸徳編集委員はスポーツが分かってない?(1)

日経の武智幸徳編集委員はスポーツ選手を幅広く見てはいないのだろう。21日の日経朝刊スポーツ面には、驚くような記事が出ていた。経済記事の批評という趣旨からは外れるが、「アナザービュー~胆力練る甲子園」というコラムの中身を見てみよう。
ホフファイファ池から見たデンハーグ中央駅(オランダ)方面
                  ※写真と本文は無関係です


【日経の記事】

夏の全国高校野球、甲子園は本当にすごい舞台だな。早実の清宮幸太郎選手の、とても16歳とは思えない打棒にそんなことをあらためて感じた。

高校1年生といえば、この春まで中学生だったということ。普通の競技なら、どんなにすごい才能の持ち主でも「まだまだ子供なんで、そっとしておこう」という扱いをするものだ。「天才児」と呼ばれたタレントが長じて並の選手で終わる例は多い。ちやほやされた選手が勘違いしてテングにならないように、周りの大人たちが配慮する場合もあるだろう。


武智編集委員によれば、高校1年生に対しては「普通の競技なら、どんなにすごい才能の持ち主でも『まだまだ子供なんで、そっとしておこう』という扱いをするもの」らしい。本当にそうだろうか。卓球で言えば、13歳で国際大会に優勝した平野美宇と伊藤美誠は「そっとしておこうという扱い」を受けているだろうか。15歳でプロの試合に勝ったゴルフの石川遼が、そんなに「そっと」されていたとも思えない。フィギュアスケートの浅田真央や、競泳の岩崎恭子は10代半ばを静かに過ごせたのか。

ちょっと考えれば、スポーツ記者でなくても分かりそうなものだ。それとも武智編集委員にとっては、卓球もゴルフもフィギュアスケートも競泳も「普通の競技」には入らないのだろうか。だとすると、何を以って「普通の競技」と呼ぶのだろう。

※記事の評価はD(問題あり)、武智幸徳編集委員への評価もDとする。武智編集委員は以前にも「基礎的な知識がなさ過ぎる」と思える記事を書いていた。(2)では、その内容を紹介したい。

藤原和博氏への疑問「息子・娘を入れたい学校2015」(2)

ダイヤモンド8月22日号の特集「息子・娘を入れたい学校2015」に出てくる「藤原和博さん これからの子供に求められる力って何ですか?」という記事について、気になる点をさらに述べていく。まず、記事の中身を見てみよう。
マーストリヒト(オランダ)を流れるマース川 
                ※写真と本文は無関係です


【ダイヤモンドの記事】

さて、こうした視点から今の中学受験ブームを眺めると、問題点が多々あります。

単に難関といわれる大学に入って、公務員になったり普通の有名企業で課長になるのが目標ならば、中高一貫校の方が有利でしょう。6年間の履修を4、5年でやって、最後の1年間は受験対策に集中できるのだから。

でもしょせんそれは、大企業か官庁に入り、課長になって年収700万~800万円くらい、うまくすれば1200万円を目指すという旧来の生き方において有利ということにすぎない


この説明自体に問題ない。しかし、記事中の「ニッポン人の時給格差は100倍」という図と併せて考えると話は違ってくる。図では、「弁護士、医師=3万円」と医師の時給の高さに触れている。医師を目指して医学部に入るためには高い学力が求められるので、「中高一貫校から医学部」という生き方は高収入を得る手段として今も有効だ。なのになぜ、中高一貫校で受験技術を磨くことを「旧来の生き方において有利ということにすぎない」と切って捨てるのか。医師ならば、今でも1200万円を軽く超える年収を期待していいだろう。

ニッポン人の時給格差は100倍」という図の中の説明文はさらにツッコミどころが多い。そこには以下のように書かれている。


【ダイヤモンドの記事】

100倍の差を生む鍵は「大変さ」でも「年齢」でも「熟練度」でも「頑張り」でも「努力」でも「技術」でもない

「希少性」=自分を「レアカード化」せよ


まず「頑張り」と「努力」は意味が重なりすぎている。「熟練度」と「技術」もかなり似ている。編集側の責任ではあるが、この辺りはもう少し工夫すべきだ。

また「努力」や「技術」は鍵ではないとの主張にも同意できない。100倍の差を生む鍵が「希少性」だとしても、「何が希少性を生むか」は考慮すべきだろう。例えば、一流ピアニストに希少性があるとすれば、希少性を左右するのは基本的に演奏技術だ。そして演奏技術を磨くには努力が欠かせない。つまり希少性を確保するためには「技術」も「努力」も大きな要素となる。

「努力」や「技術」と無関係に「希少性」を確保して高収入を得られるケースはまれだろう。なのに、問題は「希少性」であり、「努力」や「技術」は収入の差を生む鍵ではないと訴えるのは適切なのか。

そもそも「時給1万円」のところには「熟練大工」が出てくる。単なる「大工」ではなく「熟練大工」ならば「時給1万円」が得られると言いたいはずだ。ならば「熟練度」は直接的な「鍵」となる。高い熟練度が希少性の源泉になることを考えると、「熟練度」とは関係なく「希少性」のみを「鍵」とする主張に耳を傾ける必要性は感じない。


※記事の評価はC(平均的)。今回は、書き手ではない藤原和博氏への注文が中心なので、書き手への評価を見送る。

2015年8月20日木曜日

藤原和博氏への疑問「息子・娘を入れたい学校2015」(1)

ダイヤモンド8月22日号の特集「息子・娘を入れたい学校2015」の最初の記事が「藤原和博さん これからの子供に求められる力って何ですか?」。ダイヤモンドは藤原氏がお気に入りのようだが、この人物の話にはツッコミどころが多い。これには編集側の責任もあると思える。

記事の中で気になった点を具体的に挙げてみよう。

デンハーグ(オランダ)のビネンホフ ※写真と本文は無関係です

【ダイヤモンドの記事】

ところが、21世紀に入ってガラッと状況が変わりました。実際には1997年、山一證券の破綻がその象徴なんですが、「正解が見えない社会」になった。

ここでは、ジグソーパズルの箱に描かれた見本の絵なんてない。レゴブロックを組み合わせて、自分の思うような形を創り上げていかなければならない。あるいは周りの人と議論して、考え方や見方を修正しながら、お互いに「納得解」を探っていく。いわば「情報編集力」が必要となるわけです。

正解がないから、もはや「みんな一緒」なんてことはないし、社会全体が「それぞれ一人一人」という志向に移っています。結婚式の引き出物って昔はみんなに同じものを渡していたけど、最近はカタログを渡して、好きなものを注文してくださいってことになっているでしょ。携帯電話会社も、コンビニも、通販会社も、もうかっている会社は全て、一人一人を相手にしている。その最たる例が米グーグルだったりするわけです。

実はもう一つ、今、教室で起こっているのが、学力の二極化なんです。昔は、できない子、普通の子、できる子の分布は一つの山の形をしていましたが、今はフタコブラクダ。なのに昔と同じように、真ん中に向けて一斉授業をやっても、そこには誰もいないという状況になっている


藤原氏によると、1997年を境に日本社会は「ガラッと」状況が変わったらしい。日経の1面企画などにもよく出てくるが、「××革命が起きて世の中が一変した」といった話は基本的に怪しい。例えば、この記事では「学力格差の時代に一斉授業は無意味」とのイメージ図が付いている。それによると、「1997年までの『みんな一緒』の社会」では学力分布はコブ1つの正規分布型だ。しかし、「1998年からの『それぞれ一人一人』の社会」では、2コブ型の分布になっている。これは日本全国で一斉に起きた変化なのだろう。イメージ図を信じれば、これだけの変化が1~2年で生じたことになる。

常識的に考えれば、これほど急激な変化がわずかな期間に起きることはあり得ない。本当にこうした変化が短期間で起きたのならば、イメージ図ではなく実際のデータで示すべきだろう。藤原氏が「根拠となるデータはない」と言う場合、編集側は記事の構成を考え直す必要がある。

さらに言えば、結婚式の引き出物の話も、例えとして成り立っていない。これは「社会における正解がなくなった例」として出てくる。「昔はみんなに同じものを渡していたけど、最近はカタログを渡して、好きなものを注文してくださいってことになっているでしょ」と藤原氏は説明している。しかし、この場合はむしろ「昔は正解がなかったが、最近はカタログを渡すという正解が見つかった」と考えるべきだ。特定の商品を全員に渡す時には「出席者の多くが喜んでくれる物は何か」などと悩んでしまう。しかし「カタログを渡す」のが通例になってしまえば、こうした悩みはなくなる。

97年までは「みんな一緒」で「何らかの正解」があったが、98年からは全く別の社会になった--。藤原氏が本気でそう考えているのならば、この人の話に耳を傾ける価値はなさそうだ。

「もはや『大衆』と1つには括れない。今は『分衆』の時代だ」と言われたのが85年だ。「みんな一緒」は97年よりずっと前になくなっていたとも主張できる。一方、今でも偏差値の高い大学に入った方が就職には有利だし、普通の中小企業に入るよりは三菱商事や電通で働く方が高収入と安定を期待できる。そういう意味で、「何らかの正解」は今も変わらずあるとの見方も成り立つ。

つまり、97年と98年でガラッと変わるほど社会の状況は単純ではない。社会構造の変化を単純化して語る人の話は信じない方が賢明だ。藤原和博氏も警戒して見るべき語り手の1人と言えるだろう。

※(2)へ続く。

2015年8月19日水曜日

手抜きが過ぎる櫻井よしこ氏  ダイヤモンド「縦横無尽」

櫻井よしこ氏に関しては、引退勧告を出した関係もあり、同氏の執筆するダイヤモンドのコラム「オピニオン縦横無尽」を時々読んでいるが、やはりレベルが低い。8月22日号の「大東亜戦争の本質を見れば分かる 『侵略』の一語でくくる危うさ」は手抜きが過ぎる。きちんと話を組み立てていれば、「侵略」と捉えるのが危うくても危うくなくても問題はない。しかし、この記事では、まともな説明を放棄している。

記事では、まず以下のように問題提起している。

ユトレヒト(オランダ)の中心部 ※写真と本文は無関係です

【ダイヤモンドの記事】

ポツダム宣言受諾から七〇年、さまざまな歴史論争が展開されている。本誌発売時点では安倍晋三首相の七〇年談話も発表されているだろう。談話に「侵略」の二文字を入れるべきだという要求もある。それには断固、反対だという声は、私も含めて、強い

そこで大東亜戦争の本質を考えてみよう。同戦争は大別して三つに分けられる。(1)日中戦争、(2)日米戦争、(3)ソ連参戦である。

三つの骨格を見るだけで「侵略」の一語で大東亜戦争をくくることが果たして適切なのかが、分かるだろう


この後に「ソ連」「米国」の話が続くが、ここは良しとしよう。問題は以下の部分だ。


【ダイヤモンドの記事】

最後に日中戦争。日中戦争は昭和六(三一)年九月一八日の柳条湖事件に始まる満州事変から昭和二〇(四五)年の敗戦までを指すという考え方がある。その考え方に沿って、満州事変が「侵略戦争」の始まりだと主張する人々にぜひ読んでほしい本がある。

一冊は国際連盟が派遣したリットン調査団の報告書を渡部昇一氏が解説した『全文リットン報告書』である。もう一冊は、満州事変当時、在北京米国公使だったジョン・マクマリー氏の報告書である。『平和はいかに失われたか』の邦題で単行本になっている。

少なくとも上の二冊を読めば、日中戦争さえも「侵略」の一語で定義することがいかに危ういか、気付いてもらえるだろう

歴史観ほど、国によって異なるものはない。個人も同様だ。国家間であれ、個人間であれ、歴史観の統一はなかなか難しい。私たちにできることは、可能な限り幅広く、当時の人々が見て、聞いて、考えてたどり着いた結論を学び、それらに基づいて考えることだ。そうすることが当時の状況のより深い理解につながると私は信じている。


「いくら何でもそれはないでしょ」と思わせる書き方だ。「二冊を読めば、日中戦争さえも『侵略』の一語で定義することがいかに危ういか、気付いてもらえるだろう」と主張するのは問題ない。しかし、「本を読めばなぜ気付けるのか」は説明すべきだ。わずかな説明さえ放棄して「私の主張が正しいのは、本を読めば分かるから」と言われても、納得できるはずがない。

櫻井よしこ氏は書き手としての基礎的資質を欠いており、こうした記事が生み出されるのは、ある意味で必然だ。ダイヤモンド編集部に対しては、1日も早いコラム執筆者の交代を求めたい。


※記事の評価はD(問題あり)、櫻井よしこ氏への評価はF(根本的な欠陥あり)を維持する。F評価の理由については「櫻井よしこ氏へ 『訂正の訂正』から逃げないで」などを参照してほしい。

2015年8月18日火曜日

日経が無視した問い合わせ(6) 2015年7月

投資に関する日経の記事はおかしな内容が目立つ。アクティブファンドに関する過大な評価もその1つかもしれない。下記の記事を書いた記者は「アクティブファンドの7割が市場平均を下回るなんて異常事態だ」と思い込んでいるようだ。その前提となる知識はどこで手に入れたのだろうか。投資関連の本を少し読んだだけでも、そのおかしさに気付けるはずだが…。

「逆手に取る」の使い方と併せて、日経が無視した問い合わせを2つ紹介する。


◆「真相深層~緩和マネーが経験則覆す」(7月4日朝刊総合1面)について

【日経への問い合わせ】
ケルン(ドイツ)の大聖堂近くの駅 ※写真と本文は無関係です

記事で「7割の投資信託で運用成績が市場平均を下回るという異常事態」と書かれています。「投資信託」はアクティブファンドを指すのでしょう。5年で見ればアクティブファンドの7割程度が市場平均を下回るのは「常識」です。期間半年とは言え、今年に入って7割が市場平均を下回るのは「十分あり得ること」ではありませんか。記事の説明は不適切と考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断ならば、その理由を教えてください。


※「日経『真相深層~緩和マネーが経験則覆す』への疑問」参照。



◆「試練のユーロ、もがく欧州」(7月7日朝刊1面)について

【日経への問い合わせ】

記事では、ギリシャのユーロ導入を「地政学上の重要性に加え、民主政発祥国としての崇拝」から独仏の指導者が認めたと書いています。その後「チプラス・ギリシャ首相はそれを逆手に取り、国民投票に打って出た」と続きます。これは「逆手に取る」の誤用ではありませんか。「逆手に取る」とは「機転を利かせて不利な状況を活かすこと。相手の責め立てを逆に反論・反撃に利用すること」です。当時の独仏のギリシャへの対応は「不利な状況」「相手の責め立て」とは言えません。誤用でないとお考えであれば、その根拠も教えてください。


※「なぜ大林尚編集委員? 日経『試練のユーロ、もがく欧州』」参照。

※(7)へ続く。

2015年8月17日月曜日

「都市集中社会」? 日経「データディスカバリー」の無意味

16日の日経朝刊特集面「データディスカバリー」はデータを分かりやすく見せる作りになっている。しかし、データの扱い方がまずい。「都市にますます密集」の根拠となっているデータはあまり意味がない。

ユトレヒト(オランダ)のドム塔 ※写真と本文は無関係です
記事では「世界トップレベルの都市集中社会に(日本の都市部に居住する人口の割合)」と訴えており、その割合は53.4%(1950年)→76.2%(1980年)→90.5%(2010年)となっているらしい。しかし1980年から2010年にかけての変化は割り引いて考えるべきだ。ここで言う「都市部に居住する人口の割合」とは「日本の場合は全国の市(東京都特別区部を含む)に住む人の割合を国連がまとめた」ものだ。

2010年と1980年の間には平成の大合併があった。そこで町や村の多くが消えて市になっている。つまり、この間に人々の居住実態が大きく変わらなくても、「都市部に居住する人口の割合」はかなり上昇するはずだ。そこに触れずに「都市にますます密集」と断定されても納得できない。

そもそも「市に住んでいる=都市部に居住」という前提が日本で成り立つだろうか。今や市にも当たり前に過疎地がある時代だ。記事では「国連の予測では、日本は2050年にシンガポールや香港に続く、都市集中社会になる見通し」と書いている。しかし、山間部のさびれた集落に住む「市」の住人まで「都市部に居住」へ含めているのに「都市集中社会になる」と論じても、ほとんど意味がないだろう。

日本で三大都市圏に人口が集中する傾向はあるのだから、「都市集中社会」になっているとの見方が間違っているとは言わない。ただ、適切なデータを使わないと、説得力はない。

※記事の評価はD(問題あり)。

2015年8月16日日曜日

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)

15日の日経朝刊1面に載った「過去を変えるのは未来だ」という記事について、問題点をさらに指摘していく。筆者の芹川洋一論説委員長に問いたいのは「どの世代を念頭に記事を書いているのか」という点だ。以下の記述で20代や30代の読者に伝わるだろうか。


【日経の記事】
アムステルダム(オランダ)の運河 ※写真と本文は無関係です


第3は人である。首脳間の信頼関係を含めた人的なつながりだ。中曽根康弘首相と各国首脳との関係などを思いおこせばいい。摩擦をふせぎ、問題をおさめるネットワークの存在も大きかった。


中曽根氏が首相を務めていたのは1980年代だ。何の説明もなく「中曽根康弘首相と各国首脳との関係などを思いおこせばいい」と言われて当時を想起できるのは、ほぼ中高年読者に限られる。もちろん、当時の状況を学んで知っている若者もいるだろう。しかし、「20代や30代の読者も中曽根氏が各国首脳とどんな関係を築いていたかは当然知っているはずだ」との前提で記事を書くのは感心しない。

中曽根氏がいつ頃、どんな首脳と、どういう関係を築いたかは簡単に説明した方がよい。今回のような書き方をしていると「中高年しか相手にしていない新聞なんだな」と若者に思われても仕方がない。日経のCMなどを見る限り、中高年読者しか相手にしないとのスタンスは取っていないはずだ。

また、芹川氏の記事では平仮名の多用が気になる。中学生でも読めるような漢字を使わずに平仮名表記している意図が理解できない。意図などないのかもしれないが、読みにくさも感じるので、普通に漢字を使ってほしい。この辺りも、社内の誰からも意見が届かない「裸の王様」になっていると考えれば、納得できる。


漢字表記した方がよいと思える表現を一部紹介する。


荷物をおろす→荷物を降ろす

政治的な意味をもつ→政治的な意味を持つ

現在との対話であらわれてくる→現在との対話で表れてくる

思いおこせばいい→思い起こせばいい

摩擦をふせぎ→摩擦を防ぎ

談話のいうとおりだ→談話の言う通りだ


※今回の記事での芹川氏の主張についても検討したかったのだが、その前の段階で問題が多く、主張の妥当性を論じるところまで到達できなかった。記事の評価はD(問題あり)とし、芹川洋一論説委員長への評価はE(大いに問題あり)を維持する。芹川氏のE評価については「日経 芹川洋一論説委員長 『言論の自由』を尊重?」を参照してほしい。

2015年8月15日土曜日

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)

「論説委員長が書いた記事がこの出来では…」と嘆きたくなる内容だった。15日の日経朝刊1面に載った「過去を変えるのは未来だ」という記事の問題点は後述するが、「これではダメだ」と気付いている者が社内にもいるはずだ。「論説委員長の記事に注文を付けるのは気が引ける」との雰囲気が社内にあるのだとすれば、芹川洋一論説委員長は「裸の王様」とも言える。誰か「王様、裸でいいんですか」と伝えてあげてほしい。

この記事に関しては、日経に2件の問い合わせをした。記事の当該部分と問い合わせ内容を見ていこう。

デンハーグ(オランダ)のホフファイファ池 
                  ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

戦後をふりかえってみてもそうだ。現在との対話であらわれてくる過去には3つの変数がある。歴史摩擦の値はその関数で決まってきた

第1は安全保障である。共通の敵があれば摩擦は小さくなる。日中国交正常化の背景には中ソ対立があった。日韓をつないでいたのも米ソ冷戦だった。北朝鮮の脅威の大小が日韓関係に影響を及ぼす。

第2は経済である。日本経済が圧倒的に優位だった1980年代までは中韓両国とも協力をあおいだ。今や名目GDP(国内総生産)で中国に抜かれた。日本の比較優位は失われた。

第3は人である。首脳間の信頼関係を含めた人的なつながりだ。中曽根康弘首相と各国首脳との関係などを思いおこせばいい。摩擦をふせぎ、問題をおさめるネットワークの存在も大きかった。

戦後70年、摩擦の関数はおそらく最大値を示している。

安倍談話をきっかけに、これから摩擦関数の値を小さくしていくにはどうしたらいいのか。安全保障が望み薄なうえは経済だ。アベノミクスで日本経済を立て直し、国力を高めていくのが結局、一番の近道だろう。


【問い合わせ(1)】

記事中で芹川洋一論説委員長は「歴史摩擦の値はその関数で決まってきた」「戦後70年、摩擦の関数はおそらく最大値を示している」「これから摩擦関数の値を小さくしていくにはどうしたらいいのか」などと書かれています。しかし「摩擦関数」とは聞き慣れない言葉です。調べてみても、どういう数値なのか分かりませんでした。「摩擦関数」は「摩擦係数」の誤りではありませんか。これなら意味も明確です。「摩擦関数」で正しいとの判断であれば、その根拠を教えてください。


【問い合わせ(2)】

記事では「日本経済が圧倒的に優位だった1980年代までは中韓両国とも協力をあおいだ。今や名目GDP(国内総生産)で中国に抜かれた。日本の比較優位は失われた」と書かれています。この「比較優位」の使い方は正しいのでしょうか。特定の財・サービスを生み出すための機会費用が中韓を下回る状況を指して「日本は中韓に対して比較優位がある」と考えるはずです。記事からは「名目GDPで中国に抜かれると、中国に対する比較優位を失ってしまう」と受け取れます。しかし、「名目GDPの総額で上回っていれば比較優位を保てる」といった関係はないはずです。経済学的な意味で「比較優位」を用いているわけではないとの可能性も考慮しましたが、無理があります。言葉の使い方として問題がないとの判断であれば、その根拠も教えてください。


※通例に従えば、日経から回答は届かないだろう。(2)でさらに指摘を続ける。

日経が無視した問い合わせ(5) 2015年7月

問い合わせに対する日経の姿勢は基本的に「無視」なのだが、だからと言って紙面に全く影響を与えていないかというと、そこは微妙だ。商品市場に関する記事で、市場全体が買い越しや売り越しになっているような書き方を日経は当たり前のようにしてきた。しかし、ここ1カ月ぐらいは「投機筋の買い越し残高」といった表現を使えるようになってきている。指摘が効いたとはもちろん言い切れないが、未来に期待を抱かせる話ではある。

この件に関しては、2つの問い合わせを紹介しておく。


◆「穀物、国際価格が大幅高」(7月2日朝刊マーケット総合2面)について

北海のビーチリゾート スヘフェニン(オランダ)の日本料理店
                 ※写真と本文は無関係です
【日経への問い合わせ】

「建玉明細によると6月23日時点で大豆は買い越しに転じた」と書かれていますが、「大豆では投機筋が買い越しに転じた」の間違いではないでしょうか。大豆が全体として買い越しになることはありません。

また「天候悪化や在庫水準が市場予想を下回ったことを背景に」と書くと「天候悪化が市場予想ほどではなかった」と解釈できますが、それでは辻褄が合いません。「天候悪化や、在庫水準が~」などと表記すべきではありませんか。商品部の担当記者・デスクにお伝えください。

※「単なる無知? 日経『穀物、国際価格が大幅高』」参照。



◆「穀物市場に資金流入 トウモロコシ買い越しに」(7月8日朝刊マーケット総合2面)について

【問い合わせの内容】

記事で「シカゴ市場のトウモロコシは6月30日時点で11万569枚の買い越しとなった」とシカゴのトウモロコシ市場全体が買い越しになったような書き方をしていますが、誤りではありませんか。買い越しになったのは投機筋(非商業部門)に限った話でしょう。ロイターなどはこうした点をきちんと明示して報じているのに、なぜ日経は基本知識の欠如をさらけ出すような記事を垂れ流し続けるのでしょうか。

※「日経の商品担当記者が垂れ流し続ける『間違い』」参照。

※(6)へ続く。

2015年8月14日金曜日

物足りない日経 岩本貴子記者の「真相深層~コメ先物」

一言で言えば「物足りない」。13日の日経朝刊総合1面「真相深層~大阪堂島商取、農協参加へ『待ち』に徹す  コメ先物の試験上場継続 反発弱まり出方見極め」はこれまでの経緯をなぞった部分が多く「真相深層」というタイトルに負けている。不十分な説明も目立つ。問題点を列挙してみよう。


◎「不認可になると再申請は難しい」?

【日経の記事】
デンハーグ(オランダ)の平和宮(国際司法裁判所)
                  ※写真と本文は無関係です

国内商品取引所が新規に取引品目を上場する場合、まず監督官庁に期間限定の試験上場を申請する。監督官庁は先物市場の開設で現物取引に影響が出ていないか、安定した取引ができるかを見極める。問題がなければ、取引所の申請を受けて本上場が認可される。一度不認可となると、事実上再度申請するのは難しくなる

(中略)

05年12月、同商取(当時は関西商品取引所)は東京穀物商品取引所とともにコメ先物の上場を初めて申請した。この直後、両商取に全国の農協からファクスなどで抗議が殺到した。「主食のコメを投機の対象にするな」などと書かれ、組織的な反対行動が起きた。

JAグループの強い反発もあり、翌06年4月に農水省は「生産や流通に著しい影響を及ぼす」としてコメ先物の上場を不認可とした。先物市場への上場申請が不認可となったのは初めてだった。

両商取は11年に上場を再申請し、同年7月に試験上場が認められた。この時も全国農業業協同組合中央会(JA全中)が反発し、農協組織は取引に参加していない。市場が思うように拡大せず、東京穀物商品取引所が13年2月に解散する要因の一つとなった。


一度不認可となると、事実上再度申請するのは難しくなる」と書いてあるので、そういうものかと思って読み進めていくと「(06年に不認可になった後の)11年に上場を再申請し、同年7月に試験上場が認められた」との記述が出てくる。これだと「最初の方の説明は何だったの?」との疑問を読者に抱かせてしまう。「コメの場合、2度目の申請で試験上場に至っているので、次に不認可となれば再申請は難しい」との趣旨かもしれない。だとしたら、それが分かるように書くべきだ。


◎不自然な文

【日経の記事】

本上場の申請に慎重になっているのは、コメ先物の上場を巡り、JAから反対されてきたことが背景だ。JAグループは13年産の国内コメ生産量で約45%の流通を担う。


本上場の申請に慎重になっているのは、コメ先物の上場を巡り、JAから反対されてきたことが背景だ」という文に不自然さを感じる。理由はうまく説明できないが、例えば「本上場の申請に慎重になっている背景には、コメ先物の上場を巡り、JAから反対されてきたことがある」とした方がしっくり来る。


◎なぜ説明なし?

【日経の記事】

農協の反発は弱まっているようにも見える。7月31日、農水省は食料・農業・農村政策審議会の会合で、試験上場の再延長申請について説明したが、JAの委員から反対意見はなかった。13年の同じ会合で反対が表明されたのとは対照的だ。

全国の農協を束ねるJA全中のトップ交代に注目が集まる。11年8月の就任以来、一貫してコメ先物に反対していた万歳章会長の後任に、奥野長衛氏が11日に就任した


コメ先物反対派の会長の後任となった奥野長衛氏が反対派なのか賛成派なのか、あるいは中間派なのか何の説明もない。これは記事を構成する要素として必須だろう。奥野氏の考えが不明ならば、それを読者に伝えるべきだ。「不十分な説明で読者を怒らせようとしているのか」と思わせる書き方だ。


◎JAが容認しないと生産者は取引に参加できない?

【日経の記事】

米国では穀物などの生産者の4割が先物市場を利用しているという。相場が上昇すると農家が手持ちの在庫を売ることも珍しくない。政府は18年にコメの生産調整(減反)をやめる方針を打ち出している。JAが先物を容認すれば、日本でも生産者が先物市場でコメを売ることができる


この説明は腑に落ちなかった。常識的に考えれば、生産者も先物市場での売買は可能なはずだ。「JAが全てのコメ生産者に先物市場での取引を禁止できる」というのならば話は別だが…。JAを通さないで流通大手と直接取引する大規模生産者に対し、JAが「先物市場を利用するな」と命令できるだろうか。「JAグループは13年産の国内コメ生産量で約45%の流通を担う」らしいが、逆に言えば55%の流通はJAを通していないことになる。この程度のシェアで全生産者への強い影響力行使が可能ならば、なぜそうなるのか記事中で説明すべきだ。


◎ぼんやりした結論

【日経の記事】

JAはコメ先物への反対より環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉への対応を優先しているとの見方もある。新体制となるJA全中は農家や農協が先物に参加するのを認めるのか。農水省は3度目の試験上場の延長を今後認めない方針。本上場申請に踏み切らなかった大阪堂島商取は、JAや生産者を取り込みたい考えだ。


繰り返し訴えていることだが、「真相深層」のような囲み記事は、結論に強い説得力を持たせるように書いてほしい。言い換えると、記事を書く際には「どういう結びにしたいか」を第一に考えるべきだ。今回の記事の結びは「本上場申請に踏み切らなかった大阪堂島商取は、JAや生産者を取り込みたい考えだ」。これが岩本貴子記者の最も訴えたかったことなのか。「(市場参加者として)JAや生産者を取り込みたい」というのは、当たり前すぎる。

JAや生産者を取り込むために何をすべきなのか。そもそも取り込みは可能なのか。記事中で提示してきた材料を基に、岩本記者だからこそ書ける結論へと導いてほしい。そういう視点を持ちつつ改めて最終段落を読んでみると、いかに「ぼんやりした」結論なのか分かるはずだ。


※記事の評価はD(問題あり)。岩本貴子記者の評価も暫定でDとする。

2015年8月13日木曜日

日経が無視した問い合わせ(4) 2015年7月

数多くの日経への問い合わせで、反応があったのは2回。そのうち1回が以下のケースだが、これも最終的には無視で終わり、メディアとしてのレベルの低さを証明する結果となった。「最初の問い合わせ」「日経の回答」「それに対する再度の問い合わせ」を以下に記す。


◆「投資『リバランス』の効用」(7月1日朝刊マネー&インベストメント面)について

【日経への問い合わせ】
ルクセンブルクのノートルダム大聖堂 ※写真と本文は無関係です

1日のM&I面「投資『リバランス』の効用」で「5%乖離でするよりは10%乖離でする方が成績はいい」と書いておられますが、グラフを見るとどちらでもリターンはほぼ同じです。これで「10%乖離でする方が成績はいい」と書く意味があるのでしょうか。「年に1度、誕生日や正月などに資産を見直すといった方法がよさそうだ」との説明にも疑問があります。理由を書くと長くなるのでkagehidehiko.blogspot.comを参照してください。記事の問題点を詳しく解説しています。


【日経の回答】

いつも日本経済新聞をご愛読いただき、ありがとうございます。
情報提供は郵送でお願いしています。
日本経済新聞社編集局編集委員田村正之まで資料をお送りください。
よろしくお願いします。


【日経への2回目の問い合わせ】

1日のM&I面「投資『リバランス』の効用」で「5%乖離でするよりは10%乖離でする方が成績はいい」と書いておられますが、グラフを見るとどちらでもリターンはほぼ同じです。これで「10%乖離でする方が成績はいい」と書く意味があるのでしょうか。--この問い合わせに対し、「情報提供は郵送で」との回答を頂きました。読んでいただければ分かりますが、これは情報提供ではなく問い合わせです。質問に対する回答をお願いします。


記事に関する問い合わせをしているのに「情報提供は郵送でお願いしています」と回答する的外れな対応も問題だが、もっと大きな問題がある。「日経は読者の指摘をきちんと筆者に届けていない」と推定できることだ。「読者が問い合わせフォームを使って記事の問題点を指摘すれば、少なくとも筆者には情報が届く」と一般の読者は考えるだろう。しかし、そうではない。日経が上記の指摘を筆者に届けているのならば、「情報提供は郵送でお願いしています」と回答する必要はない。読者の指摘の多くは、筆者にも届かず握りつぶされていると考えるのが妥当だ。

筆者に指摘を届けるのに多くの労力を要するのなら、握りつぶすのもまだ分かる。実際には、メールでの転送も簡単にできるし、印刷して社内便で送ってもいい。その手間を惜しんで「情報提供は郵送で」と回答するメディアを、読者は高く評価してくれるだろうか。しかも、「記事の説明に問題があるのではないか」との問い合わせはいつも通り無視で済ませている。これで「最強のコンテンツ企業集団を目指す」と言われても、むなしく響くだけだ。


※「リバランスは年1回? 日経 田村正之編集委員に問う」参照。

※(5)へ続く。

2015年8月12日水曜日

日経が無視した問い合わせ(3) 2015年6月

「日経が無視した問い合わせ」をさらに紹介していく。下記の2つは、いずれもデータに関する説明が雑な事例と言える。雑さが度を越して、間違いレベルにまで行ってしまったと言うか…。


◆「プラチナ、長引く逆転相場」(6月17日朝刊マーケット総合2面)

ブリュッセルの聖ミッシェル大聖堂 ※写真と本文は無関係です
17日の「プラチナ、長引く逆転相場」についてお尋ねします。記事では「プラチナの生産量は年間200トン」と書いています。これを信じれば、プラチナの生産量は年間200トンで一定でしょう。しかし調べてみると2012年が176トン、13年が180トン、14年が159トンで、15年の見通しも180トン前後のようです。記事では「約」や「前後」も付けず、時期も特定せずに「生産量は年間200トン」と言い切っています。記事の説明は誤りですか。正しいとすれば、その根拠を教えてください。

※「年産量は『200トン』? 日経『プラチナ、長引く逆転相場』(2)」参照。


◆「ゴルフ会員権 価格低迷」(6月27日朝刊企業総合面)

27日付の記事「ゴルフ会員権価格低迷」で「関東圏の平均価格(指定150コース)は206万5千円で、年初比6万6千円下落した。ピークだった2013年5月に比べると27%(76万4千円)下がった」と書かれていますが、間違いではありませんか。関東圏の平均価格は1990年2月が「ピーク」のようです。記事の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとすれば、その根拠も教えてください。「直近のピーク」であれば「2013年」かもしれませんが、そうは書いていません。

※「ピークは2013年? 日経『ゴルフ会員権 価格低迷』」参照。

※(4)へ続く。

2015年8月11日火曜日

日経が無視した問い合わせ(2) 2015年5月

引き続き「日経が無視した問い合わせ」を見ていく。1つは朝刊1面で「企業は設備投資に積極的」と書き、翌日の1面では一転して「設備投資の伸びは鈍い」と解説していた件。もう1つは「イオンが東南アジア最大規模のSC開業」と書いてあったら「イオンが東南アジアで展開するSCでは最大」とは受け取らず、「東南アジアのSC全体の中で最大」と理解してしまうのではないかという問題。いずれも「無視していい問い合わせ」とは思えないが…。


◆「株主配当 初の10兆円」「薄曇りの世界景気(5)」(5月16~17日朝刊1面)について



ルクセンブルクの銀行   ※写真と本文は無関係です
「株式配当初の10兆円」では「企業は成長に向けた支出にも積極的」「決算で設備投資の計画を示した178社を集計したところ15年度に1割強増える見通し」と説明する一方、「薄曇りの世界景気」では「企業活動の水位が高まらない」「日銀の調査では大企業の15年度の設備投資は前年度比1.2%減」「設備投資の伸びは鈍い」と見解が逆転しています。同じ新聞の1面に1日違いで出てくる記事としてはブレが激しすぎます。こうした点をどう理解すればよいのか教えてください。


※「設備投資に積極的? 消極的?」参照。



◆「インドネシア1号店オープン イオン、280店入居 東南アジア最大規模」(5月31日朝刊企業面)について

31日朝刊企業面のイオンの記事についてお尋ねします。イオンが30日に開業したショッピングセンター(SC)に関して、本文・見出しともに「東南アジア最大規模」となっています。しかし、実際にはより大きなSCが東南アジア内に多数存在します。「イオンとしては東南アジア最大規模」の誤りではありませんか。確認の上、ご連絡をお願いします。ちなみにNHKは「売り場面積は7万7000平方メートルとイオンが東南アジアに展開する店舗としては最大」と報道しています。


※「『東南アジア最大規模』と言われたら…」参照。

※(3)に続く。

2015年8月10日月曜日

「中国抜き」が気になる日経 吉田渉記者の「けいざい解読」

9日の日経朝刊総合・経済面「けいざい解読~東南ア、溶けた『反日』 円高・デフレが触媒」はそれなりにしっかり書けている。ただ、同じような事情を抱える中国を抜きに論じているのが気になる。筆者であるシンガポール支局の吉田渉記者は記事の前半で以下のように述べている。
ケルン(ドイツ)の大聖堂  ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

東南アジアから日本を訪れる観光客が急増している。今年1~6月に主要国からの旅客数は前年同期に比べて15~60%増えた。円安や観光ビザの発給規制緩和が直接の原因だが、この地域の人々が日本を見る視線が変わったことも見逃せない

 ジャカルタで反日暴動、日系企業次々襲う――。1974年1月16日付日本経済新聞1面トップ記事の見出しだ。田中角栄首相(当時)のインドネシア訪問に反対する市民が暴徒化し、日本車が焼き打ちされる事態に発展した。同じ時期にタイでは日本製品不買運動が広がった。

当時は第2次世界大戦中に日本がシンガポールやマレーシアを占領した記憶が生々しく残っていた。そして終戦後の輸出攻勢は「経済侵略」と反発を受けた。

それから40年。外務省が東南アジアで昨年実施した意識調査では「日本を信頼できる」と答えた人が9割を超えた。街には日本ブランドの製品があふれ、若者のデートの定番コースは和食店だ。


東南アジアからの観光客が増えた要因として「この地域の人々が日本を見る視線が変わったことも見逃せない」と吉田記者は解説している。しかし、訪日外国人の急増と言えば、まず思い浮かぶのが中国人だ。尖閣諸島の国有化問題で反日暴動が起きたのは2012年。お世辞にも中国人の対日感情が良いとは言えない。それでも観光客は増えているのだから、東南アジアの場合も「日本を見る視線が変わったこと」に大きな意味はなさそうな気がする。

根深い不信を溶かした要因」についても中国と共通する要素が多い。再び記事の中身を見てみる。


【日経の記事】

根深い不信を溶かした要因は何か。地道な外交努力や民間の交流拡大が大きな役割を果たしたことはいうまでもない。だが、それとは別に大きな触媒がある。日本経済を見舞った2つの激震だ。

最初の転機は85年のプラザ合意に伴う円高の進行だ。価格競争力の低下に直面した日本企業はタイやマレーシアに工場を移した。タイのバンコク日本人商工会議所の会員企業は85年に394社だったが89年には696社に急増した。その後も右肩上がりで、2015年は1615社に達する。

プラザ合意後に東南アジアに進出した日本企業は、自動車や電機関連の付加価値が高い製造業が主流だ。雇用の吸収を通じて各国の都市化を後押しし、この地域の急速な経済成長を支えた

日本との経済格差をみると理解しやすい。タイの1人当たり名目国内総生産(GDP)は85年時点で日本のわずか6.5%だったが、今は15%にまで上昇した。シンガポールは2000年代後半に日本を超えた。日本企業の進出を通じて日本と東南アジアの共存関係が強まり「一方的な搾取」との批判が薄れた。

もう1つの転機は日本を覆ったデフレだ。日本は消費者物価が伸び悩み続け、85年に1杯370円だった吉野家の牛丼は今でも380円にとどまる。一方で東南アジアは賃金上昇が続き、現地管理職の給与水準は95年から5割以上上がった。豊かになった消費者にとって日本は物価高の国ではなくなっている

80年代に日本に留学したシンガポール人男性は「高い外食を楽しむ日本人がうらやましかった」と振り返る。だが今は「何を食べてもシンガポールより安い」。かつての「反日」の背後にあった高い生活水準への羨望と反発は薄れた。


生産拠点を移して進出先の経済発展に貢献したという意味では東南アジアも中国も似たようなものだろう。日本との経済格差が縮小しているのも共通だ。中国人観光客が大量の買い物をしてくれるのも「日本は物価高の国ではなくなっている」からだろう。しかし「羨望」はともかく、中国人の「反発」が薄れている感触は乏しい。東南アジアに関する分析はそれほど的外れではないのだろうが、「だったら中国はどうなの?」という疑問が今回の記事には付いて回る。

記事の最終段落に関しては、言葉の使い方に注文を付けておきたい。


【日経の記事】

日本経済が低迷を続けた大きな要因は長引く円高とデフレだ。だが、その見返りに東南アジアからの「友情」を勝ち得た。いま日本は過度な円高修正を背景にデフレからの脱却に動き始めた。東南アジアとの共存を深める新しい青写真を描く時期が来ている。


過度な円高修正」に関しては「過度な円高が修正されている」という意味で使っているのだろう。しかし「円高修正(=円安)が過度に進行している」とも解釈できる。これは表現を工夫した方がいいだろう。

さらに言えば、「過度な円高が修正されている局面」との現状認識にはややズレを感じる。黒田東彦日銀総裁も述べているように、実質実効レートで見れば歴史的な円安水準にある。もちろん、もう一方の「円高修正が過度に進行している(過度な円安)」という意味で吉田記者が「過度な円高修正」と書いている可能性は残るのだが…。


※記事の評価はC(平均的)。吉田渉記者の評価も暫定でCとする。

2015年8月9日日曜日

理工系女性増やすべき? 日経 辻本浩子論説委員に問う

「理工系学部の学生に占める女性比率」というのは理想の数値があるのだろうか。あるいは女性が多ければ多いほど望ましいのだろうか。辻本浩子論説委員が9日の日経朝刊 日曜に考える面に書いた「中外時評~理工系の女性にエールを ロールモデルで活躍後押し」という記事では、理工系女子を増やすべきだと訴えているが、その根拠が薄弱だ。記事の一部を見てみよう。


【日経の記事】
ベルギーのブリュッセル  ※写真と本文は無関係です

理学部や工学部を選ぶ女性は、男性に比べて少ない。全学部に占める女性の割合は44%だ。だが理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない

専攻する学生の少なさは、将来の進路にも影響する。総務省の科学技術研究調査報告によると、企業や大学などで働く研究者のうち、女性は14.6%だ。英国の37.8%、米国の33.6%など、他の先進国に比べ著しく低い。

とりわけ薄いのはトップ層だ。女性教授は理学部で5.2%、工学部で3.6%のみ。この傾向は、企業の管理職比率をみても明らかだ。全体の平均が8.3%(100人以上の企業)なのに対し、技術系の社員が多い製造業では3%にとどまる。

少子高齢化が進むなか、意欲と能力のある女性が活躍できるようにすることは、日本にとって欠かせない課題だ。とりわけ日本は科学技術立国を掲げている。このままでは国際的な競争でも後れをとりかねない


ほとんどの学生が自分の意思で進路を選んでいるとの前提が成り立つならば、「理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない」ことに何の問題もない。理工系の女性比率が低いとすると、理工系以外の比率は高いわけだ。女性が文系学部で学んで、それを生かして社会で活躍してはダメなのか。もし「理工系学部の女性比率を英米と同じ水準にそろえる」「どの学部でも女性比率50%を目指す」といった目標を立てるとしたら、それらに合理性があるだろうか。

辻本浩子論説委員の「このままでは国際的な競争でも後れをとりかねない」という主張も根拠が見当たらない。日本の理工系学部の定員を一定と仮定すると、女性比率が高まれば、その分は理工系学部で学ぶ男性が減ってしまう。男性を女性に置き換えるだけで国際競争力が高まるのであれば話は別だが、仮に男女の能力に差がないとすると、学部の男女の比率が自然な形で変わっても影響は出ない。能力が低くても女性という理由だけで受け入れて女性比率を高めるとすると、競争力はかえって低下しそうだ。ここまでに述べた前提を覆す統計的な根拠があるかもしれないが、それなら記事中で明示すべきだ。

大事なのは、一人ひとりの個性や興味を生かし、その人ならではの可能性、能力を伸ばすことだ」という結論には同意できる。その結果として「理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない」状況も十分にあり得るはずだ。「A大学の文学部の学生は70%が女性なのに、工学部には10%もいない」という事実があるとしても、だからと言って「本来なら理工系に進むべき女子学生が文学部に進学している」とは断定できない。

それとも「一人ひとりの個性や興味を生かし、その人ならではの可能性、能力を伸ばす」と理工系学部の女性比率がどうなるのか、辻本論説委員には見えているのだろうか。

記事の後半に出てくる「日本ではまだ『理工系の仕事は男性の仕事』『女子は文系』といったイメージが根強い」といった話にも説得力を感じない。統計的な根拠があるなら示してほしい。辻本論説委員の言うような実態があるとすると、なぜ「理学部では4人に1人」も女性がいるのか。ちょっと多すぎる。STAP細胞問題などもあり、「リケジョ」は広く世間に認知されている。今時、高校生レベルで「本当は理工系に進みたいけれど、男性の仕事だから諦めよう」などと考える女性がいるだろうか。いても、かなりの少数派だろう。こちらも統計的な根拠はないが…。

最後に、言葉の使い方で1つ指摘したい。記事の最初の方で、辻本論説委員は「残念ながら、道はまだ途上だ」と書いていた。「途上」には「道の上」という意味もあるので「道はまだ途上」にはダブり感がある。「残念ながら、まだ途上だ」「残念ながら、まだ道半ばだ」などとした方がよいだろう。


※記事も辻本浩子論説委員も評価はD(問題あり)とする。

日経が無視した問い合わせ(1) 2015年4~5月

今回は「日経が無視した問い合わせ」を取り上げたい。日経には4月以降、記事に関してかなりの問い合わせをしてきた。しかし、反応があったのは以下の2回だけだ。

ベルギーのアントワープ市街とスヘルデ川 ※写真と本文は無関係です
いつも日本経済新聞をご愛読いただきありがとうございます。このたびは、記事の内容に関し、貴重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。今後の紙面づくりの参考にさせていただきたいと存じます。今後とも日本経済新聞をよろしくお願いします

いつも日本経済新聞をご愛読いただき、ありがとうございます。情報提供は郵送でお願いしています。日本経済新聞社編集局編集委員田村正之まで資料をお送りください。よろしくお願いします

つまり、まともな回答は一度も得られていない。Wプランを契約して月5000円以上支払っている読者に対して、日経がどういう態度で接しているかよく分かる。4~5月は問い合わせを保存していないケースがあるので、日経が無視した問い合わせはこれから紹介するものより多い。

「最強のコンテンツ企業集団を目指しているメディアが以下の問い合わせを無視すべきか」という観点で読んでほしい。


◆「ここがポイント~フィリピンの出稼ぎ送金額」(4月8日 夕刊マーケット・投資2面)について

【日経が無視した問い合わせの内容】

夕刊の「ここがポイント」についてお尋ねします。「フィリピンは毎年100億ドル規模の貿易赤字を出している。だが送金がこれを補い、13年は103億ドルの黒字だった」という説明は意味不明ではありませんか。「13年の経常収支は103億ドルの黒字」との趣旨かと推測しますが、文字通りに解釈すれば「13年の貿易収支は103億ドルの黒字」となります。しかし、送金は貿易収支には影響を及ぼさないはずです。どう理解すればよいのか教えてください。


◆「コンシューマーX(2)~買い物はママと」(5月4日 朝刊1面)について

【日経が無視した問い合わせの内容】

4日付の「コンシューマーX」についてお尋ねします。記事では「マンダムの調査によると、男子高校生では2人に1人が母親の勧めをきっかけに化粧水を使い始める」と書かれておられます。この書き方だと「男子高校生全体のうち約半数が母親の勧めをきっかけに化粧水を使い始める」と解釈するしかありません。しかし、調査内容を見ると、分母は「男子高校生全体」ではなく「化粧水や乳液を使っている男子高校生」のようです。記事の説明は誤りなのか、正しいとすればその根拠は何かを教えてください。


いずれも記事の説明に問題があると思えるが…。


※上記の問い合わせに関しては「『103億円ドルの黒字』は何の黒字?」「分母は『男子高校生全体』?」を参照してほしい。

※(2)へ続く。

2015年8月8日土曜日

日経「外貨投資、思わぬ落とし穴」 佐伯遼記者への疑問

8日の日経朝刊マネー&インベストメント面の記事「外貨投資、思わぬ落とし穴~米利上げなら環境変化」は疑問が残る内容だった。特に「落とし穴(1)」が気になる。その中身は以下の通り。

ルクセンブルクのギヨーム2世広場に建つBierger Center
                ※写真と本文は無関係です

日経の記事】

日銀の大規模な金融緩和による歴史的な超低金利が長引くなかで、外貨投資を手がける人が一段と増えてきた。外貨預金に加え、最近は外国為替証拠金(FX)取引を始める例も目立つ。ただ外貨投資には思わぬ落とし穴が隠れており、慎重に運用することが大切だ。

落とし穴(1) マネーの収縮

世界的な金融緩和の下で円安相場が続いてきたが、今後は従来の為替予想が通用しなくなるかもしれない。米連邦準備理事会(FRB)が年内にも金融緩和から利上げへと政策を転換させる可能性が高まっているからだ。

米国が利上げに転じると、どうなるか最も可能性が高いシナリオは、FRBが市場に流してきた大量のマネーがFRBに吸い戻され、投資先だった新興国の通貨が大幅に下落することだ

円も新興国通貨に対して全面安傾向が続き、外貨で運用するだけで為替差益を得ることができた。だが新興国に流れていたマネーが米利上げを機に米国に戻れば、新興国通貨は対円でも大幅に下落する可能性が高い。しかも円の総合的な価値を示す実質実効為替レートは既に約40年ぶりの水準まで下がっており「さらに円安に振れていくことはありそうにない」(日銀の黒田東彦総裁)状況だ。

東京外国為替市場委員会によると、東京外為市場で取引される新興国通貨のうち、最も取引量が多い通貨は南アフリカランドだ。南アフリカは鉱物の輸出が多く、ランドは最近の国際商品市況の下落で「今後も下落リスクが高い」(邦銀ディーラー)。

同様に、先進国通貨の中でも鉱物や農産物の輸出が多いオーストラリアドルやニュージーランドドルも商品市況に影響を受けやすく、大幅下落のリスクが高い。


上記の内容に関して疑問点を列挙してみる。


◎「従来の為替予想が通用しなくなる」?

筆者の佐伯遼記者によると「世界的な金融緩和の下で円安相場が続いてきたが、今後は従来の為替予想が通用しなくなるかもしれない」そうだ。それは米国が利上げに転換する可能性が高まっているためらしい。

従来の為替予想」が何を指すか明確ではないが「世界的な金融緩和の下では円安になる」という予想だと推測できる。世界的な金融緩和の下ではなぜ円安になるのか疑問が残るが、そういうものだと受け入れてみよう。だとすると「世界的な金融緩和の流れが止まれば円高」なのだろう。「米国の利上げ→円高」となりそうならば、「従来の為替予想」で通用するのではないか。


◎むしろ「明確なチャンス」では?

米国が利上げに転じると「新興国通貨は対円でも大幅に下落する可能性が高い」と佐伯記者は解説している。しかも「実質実効為替レートは既に約40年ぶりの水準まで下がっており『さらに円安に振れていくことはありそうにない』(日銀の黒田東彦総裁)状況」らしい。ならば「落とし穴」というより「なかなかない明確なチャンス」と言えるのではないか。利上げが決まったタイミングで新興国通貨を売れば高い確率で大きな利益が期待できる。しかも、読みが外れて円安に振れる可能性は非常に低そうなので「ローリスク・ハイリターン」の取引だ。

実際にそんな期待が持てるとは、もちろん思わない。しかし、記事の説明をそのまま信じれば「大チャンス」だ。「実際にローリスク・ハイリターンを期待できる」と佐伯記者が考えるのであれば、記事でその点をはっきり伝えてあげてほしい。「違う」と思うのならば、記事の説明に問題があるはずだ。


◎佐伯記者が無視しているもの

米国が利上げに転じると、どうなるか。最も可能性が高いシナリオは、FRBが市場に流してきた大量のマネーがFRBに吸い戻され、投資先だった新興国の通貨が大幅に下落することだ」という説明の問題は「織り込み済み」を考慮していない点にある。米国の利上げが近いという情報は世界中で共有されている。つまり、利上げは現時点でもある程度織り込まれている。利上げが近づくにつれて、さらにその傾向が強まるはずだ。なので、実際に利上げに転じた時には、逆にドル安へと動く可能性も十分にある。

予想以上の利上げ幅だったりすれば、一気にドル高が進行する可能性ももちろんある。結局のところは「利上げに転じた後で為替相場がどう動くか」について明確なことは言いにくい。その点を頭に入れて、相場の予想をするのは構わない。しかし、佐伯記者の書き方からは「織り込み済み」を考慮している気配がうかがえない。


◎「市況が下落」?

最後に言葉の使い方で注文を付けておく。「国際商品市況の下落」という表現を用いているが「市況の下落」は避けた方がいい。「市況」は「市場の状況」という意味なので、基本的に下落しない。「国際商品相場の下落」などへの言い換えを薦める。


※記事の評価はD(問題あり)、佐伯遼記者の評価も暫定でDとする。

日経電子版の宿命? 「価格は語る」の低い完成度(2)

6日付のコラム「価格は語る~『グラス』に『皿』 使い捨て食器の高級品が人気」について指摘を続ける。「SNSに写真を投稿する際に紙コップではさみしいが、ぱっと目で豪華さが出る」との記述に対しては日経に以下の問い合わせをした。通例に従えば、回答はないだろう。

アムステルダムの運河を巡るボート ※写真と本文は無関係です

【日経への問い合わせ】

記事中で「ぱっと目で豪華さが出る」との表現を使っていますが、日本語として不自然です。「ぱっと見で豪華さが出る」の誤りではありませんか。電子版の記事なので今からでも修正した方がよいでしょう。記事の表現で問題ないと考えているのであれば、その根拠を教えてください。この問い合わせは、商品部の斎藤公也記者と担当デスク、記事審査部の担当者に届けてください。


問題はまだ続く。記事の後半部分は以下のようになっている。


【日経の記事】

インターネットや店舗(東京・世田谷のBEST WISHES SEIJO店)で販売している。シャンパングラスの売れ筋は10個1000円(税別)。「企業の飲食関連のイベントなどスーツを着た人が持っても違和感がない」(斎藤社長)という。

ホームパーティー需要のほか、訪日外国人客の増加も思わぬ追い風になっている。竹とサトウキビの搾りかすを原料として使うWASARA(東京・台東)の紙皿。宗教上の理由から一度乳製品をのせた皿を使えない訪日外国人向けにホテルがまとめて購入するケースが増えてきた。角皿や円皿(いずれもLサイズ)は6枚で640円(税別)。

割り箸を製造する磐城高箸(福島県いわき市)は2011年夏から正月や祝いの席などで使う割り箸などを手掛ける。2膳セットで150円(税別)する。1膳1円程度の中国製割り箸に比べ割高だが、国産の間伐材や端材などを使い環境配慮をアピールする。


この記事の最大の問題点は「価格が語る」になっていないことだ。価格情報は一応入っている。しかし、価格が何かを「語る」わけではない。「AとBの価格差が最近になって逆転した。その背景には市場のこんな変化がある」といった話ならば「価格は語る」の看板通りだ。しかし「値段が高いプラスチック製のグラスなどが人気で、Aは○円、Bは×円」と書くだけならば、「価格は語る」ではなく「消費最前線」にでもタイトルを変えた方がしっくり来る。

しかも「人気」の根拠は「アームカンパニー」という一企業の売上高だけだ。「WASARA」に関しては「訪日外国人向けにホテルがまとめて購入するケースが増えてきた」という数値抜きの話。「宗教上の理由から一度乳製品をのせた皿を使えない」というのはユダヤ教徒を指すのだろうか。違うよう気もするが、仮にユダヤ教徒だとして、そんなに訪日する人が増えているのか。増えていたとしても、絶対数が少ないので影響は小さそうだ。具体的な数字に触れていないことを考えると、やはり話として無理があるのだろう。「磐城高箸」に至っては、販売が伸びているのかどうかも分からない。


話が脱線気味なのも引っかかる。記事の冒頭では「ちょっぴり高い使い捨てのグラスや食器が人気だ。ガラス製より手軽に使え、紙製より高級感がある商品を買い求める人が増えている」と書いていた。しかし、2番目に取り上げたのは「紙皿」だ。これは「紙製より高級感がある商品」なのか。3番目に取り上げた「割り箸」も同様だ。一般的に、ガラス製や紙製と比較する商品ではない。

電子版の専用記事は読んでいる人も少ないし、記者のやる気も起きにくいのだろう。デスクのチェックも甘く、レベルの低い記事が大量生産されているはずだ。これは日経産業新聞や日経MJとも共通する構図で、記事の完成度が低いのは当然とも言える。

しかし、個々の記者の段階では「電子版専用記事でもしっかりした記事を書こう」という気概を持ってほしい。今回のような記事を署名入りで世に送り出していることは、しっかりと反省すべきだ。


※記事の評価はD(問題あり)、斎藤公也記者の評価も暫定でDとする。

2015年8月7日金曜日

日経電子版の宿命? 「価格は語る」の低い完成度(1)

たまには日経の電子版専用記事を取り上げてみる。題材にするのは、6日付のコラム「価格は語る『グラス』に『皿』 使い捨て食器の高級品が人気」。電子版専用記事の宿命かもしれないが、完成度はかなり低い。まずは記事の前半部分を見てみよう。

ルクセンブルク旧市街 ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

ちょっぴり高い使い捨てのグラスや食器が人気だ。ガラス製より手軽に使え、紙製より高級感がある商品を買い求める人が増えている。割高な使い捨ての食器がなぜ売れているのだろうか。ネットと人々の生活が身近になったことが需要を広げている。

輸入雑貨販売のアームカンパニー(東京・世田谷)が販売する米モザイクのプラスチック製ワイングラスやシャンパングラスの売上高は今年5月以降、前年比2倍になっている。「ホームパーティー向け需要が増えている」(斎藤有弘社長)

ホームパーティーの様子を交流サイト(SNS)に投稿する人が増加、写真の見栄えが良くなるのも人気の背景にある。SNSに写真を投稿する際に紙コップではさみしいが、ぱっと目で豪華さが出る。

消費行動の変化や景気回復も割高な使い捨て商品が売れる要因となっている。東日本大震災以降、外食を控えて、自分で作ったり、総菜や弁当を買ってきて家で食事をする人が増えたといわれた。ここにきて、景気も持ち直し、消費は回復傾向にある。そのため、ホームパーティーでも割高な商品を使う人が増えているとみられる


上記のくだりだけでも疑問が次々に浮かぶ。値段が高めのプラスチック製グラスが人気になっている理由として「ホームパーティーの様子を交流サイト(SNS)に投稿する人が増加、写真の見栄えが良くなるのも人気の背景にある」と書いている。確かに紙コップでは見た目が良くないかもしれないが、ガラス製のグラスを使えば済む話だ。「ホームパーティーでも割高な商品を使う人が増えているとみられる」と筆者は言うが、ならば高級なガラス製のグラスに需要が向かってもいいのではないか。そうならず、プラスチック製の使い捨てグラスの人気が高まる理由がよく分からない。

ガラス製より手軽」というのが手がかりだが、「見た目にこだわるのに、ガラス製は嫌」となる要因としては弱い。ガラス製よりプラスチック製の方が見た目が良いのなら話は別だ。しかし、そうは書いていない。

しかも、人気の根拠としているのが「輸入雑貨販売のアームカンパニー」の売上高で、「今年5月以降、前年比2倍」らしい。4月までどうだったのかが気になるが、とりあえず「5月からいきなり人気が盛り上がった」と仮定しよう。それだと「景気も持ち直し、消費は回復傾向にある」ことが主な理由とは考えにくい。景気も消費もそれほど劇的には持ち直していないからだ。SNSにパーティーの様子を投稿する習慣も、ここにきて急に広がっているわけでなない。5月から販売倍増という劇的な変化がなぜ起きたのかに関しては、分析が足りない。

さらに言えば「ぱっと目で豪華さが出る」という表現が引っかかる。これについては(2)で述べる。

※(2)に続く。

古賀茂明氏の「甘さ」にあきれた エコノミスト「闘論席」(2)

エコノミスト8月11・18日号のコラム「闘論席」について、引き続き問題点を指摘してみる。


ベルギーのデュルブイ   ※写真と本文は無関係です
◎「不適切会計と言い続けた」?

【エコノミストの記事】

歴代3社長の責任で1500億円も利益を水増しし、株主に大損害を与えた東芝は「故意」はなかったと言い続け、マスコミも無批判に「不適切会計」と言い続けた。「不適切」には単なる過失も含まれる。


古賀氏のコラムを読むと、あらゆるマスコミが今でも「不適切会計」との表現を使っているような印象を受ける。しかし、毎日、産経、ダイヤモンド、東洋経済、日経ビジネスなどは「不正会計」という表現を採用している。古賀氏が寄稿しているエコノミストもその中の1つだ。

無批判に『不適切会計』と言い続けた」との批判をマスコミ全体に向けるのは、出発点から間違っていないか。第三者委員会の調査報告書を根拠に「これは『故意』であり『不正会計』である」と古賀氏は断定しているが、調査報告書の見解が完全に正しいとは言い切れない。調査報告書が出た直後に「不正会計」できっちり足並みが揃うより、メディアによって表記が分かれる方が健全だと思える。


◎見通しが当たってはダメ?

【エコノミストの記事】

また、マスコミは、今年5月に問題が報じられてからも、なぜか経営責任を追及する姿勢を見せず、経営陣の刑事責任についても、検察出身の弁護士などのコメントを流して「刑事責任の追及は難しい」という相場観作りをした実際、証券取引等監視委員会は東芝に対する刑事告発は見送り、課徴金処分を勧告する方針のようだ


「経営陣の刑事責任は問われなさそう」という感触を読者に伝えて、実際もそうなったのならば、問題はないだろう。褒めてもいいくらいだ。古賀氏を満足させるためには、取材の結果として「刑事責任の追及はなさそう」と分析できても、報道を自己規制するしかない。それが望ましいメディアの在り方だろうか。


◎大スポンサー様への気遣い?

【エコノミストの記事】

なぜ、こういうことが起きるのか。

まず、大スポンサー「東芝様」への気遣いがある。筆者が在京キーのAテレビ局関係者から聞いたところ、第三者委員会の調査報告書を受けて東芝が7月21日に記者会見する前、報道局長が朝の情報番組で東芝問題を取り上げるのに待ったをかけたという。驚くべき異常事態だ。

もう1つ、東芝の歴代の社長経験者は、産業競争力会議など、自民党政権の重要なポストに就いている。安倍晋三首相への気兼ねもこのような自粛を呼んだと見られる。


これは無理のある分析だ。Aテレビ局に関しては「東芝様」への気遣いがあるのかもしれないが、それをマスコミ全体に広げる理由は乏しい。既に述べたように、「不正会計」という表現を使うかどうかでメディアの対応は分かれている。ならば東芝への広告依存度によって、対応が分かれているのか。その辺りを調べてみないと、スポンサーへの気遣いなのかどうかは、何とも言えない。Aテレビ局関係者の話を基にするならば、批判の対象もAテレビに絞るべきだ。

安倍晋三首相への気兼ねもこのような自粛を呼んだと見られる」という解説に至っては、記事中に何の根拠も見当たらない。「大スポンサーだから」「政権に配慮する必要があるから」という理由ならば、マスコミは今も東芝批判を控え、経営責任を追及しないはずだ。しかし、実際には、歴代3社長がメディアからの激しい批判にさらされている。もちろん、政権に配慮して報道が控えめなメディアがあるかもしれない。しかし「マスコミ」「大手メディア」をまとめて批判できるほど単純な構図ではない。今回の件で報道姿勢を批判するならば、メディアの具体名を挙げるべきだ。

古賀氏の場合、東芝の件を「広告主や権力者に遠慮して大事な問題を報道しないマスコミ」という型に無理にはめ込もうとして、強引な展開なってしまったのではないか。筆者の確証バイアスが強く感じられる記事だった。


※記事の評価はD(問題あり)、古賀氏の評価も暫定でDとする。

2015年8月6日木曜日

古賀茂明氏の「甘さ」にあきれた エコノミスト「闘論席」(1)

マスコミ批判は悪くないし、どんどんやってほしい。しかし、古賀茂明氏がエコノミスト8月11・18日号に書いていた「闘論席」は無理のある批判だった。古賀氏は記事で「東芝の『粉飾』決算問題。マスコミ報道の『甘さ』には本当にあきれた」と訴えているが、むしろ古賀氏の批判の「甘さ」にあきれた。

まずは、エコノミスト編集部に送った問い合わせを見てほしい。

ユトレヒト(オランダ)のドム塔
    ※写真と本文は無関係です

【エコノミストへの問い合わせ】

週刊エコノミスト 担当者様

8月11・18日号の「闘論席」についてお尋ねします。筆者の古賀茂明氏は記事中で東芝の会計問題に関するマスコミ報道を批判し、「繰り延べ税金資産と東芝が2006年に買収した米ウェスチングハウスの問題」に言及しています。

古賀氏によると「前者は2600億円規模、後者は3000億円規模の特別損失につながりかねないが、大手メディアはその報道に二の足を踏む」状況のようです。しかし、毎日新聞は7月28日付でこの問題を報道しています。どこまでを「大手メディア」とするかは微妙ですが、週刊ダイヤモンドも8月1日号の記事でウェスチングハウスの減損リスクを大きく取り上げていました。

「大手メディアの全てがウェスチングハウスの減損問題を報じることに二の足を踏んでいる」と受け取れる書き方は不適切ではありませんか。古賀氏は毎日新聞の記事が出る前に出稿したのかもしれませんが、日程的には修正が可能だったと思えます。

記事の記述に問題はないのか、編集部としての見解を教えてください。お忙しいとは思いますが、早めの対応をお願いします。


これに対して編集部から以下の回答があった。


【エコノミストの回答】

いつも弊誌『週刊エコノミスト』をご愛読いただき、本当にありがとうございます。弊誌8月11・18日合併号に掲載した古賀茂明氏の「闘論席」につきお尋ねをいただいた件に関し、編集部の見解をお伝え申し上げます。

古賀氏は「闘論席」の中で、「繰り延べ税金資産と東芝が2006年に買収した米ウェスチングハウスの原発部門の「のれん代」の問題だ。全社は2600億円規模、後者は3000億円規模の特別損失につながりかねないが、大手メディアはその報道に二の足を踏む。」と記述しています。

編集部としましては、古賀氏は東芝の多額の損失計上の可能性に関する大手メディアの報道が全体としてあまりに少ないことを問題提起し、それを「二の足を踏む」と表現したものと考えています。

東芝の2014年3月期決算は8月中に提出されますが、不正会計のみならず繰り延べ税金資産とウェスチングハウスの会計処理については、今後も問題になりうる可能性があり、この点の指摘は妥当性があると考えているところです。

また、古賀氏が「二の足を踏む」という表現を用いている点について、本稿中で古賀氏自身が独自に聞いたテレビ局関係者の話などを傍証に、メディアと東芝の関係についても疑念を持っていることを示しています。メディアと東芝の関係は編集部としても確たる事実を知りえませんが、古賀氏の記述は自ら得た情報に基づき、その裏側を筆者として推測しているに過ぎず、表現の方法として問題はないものと考えています。

今後とも弊誌を変わらずご愛読いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。


まず、丁寧な回答が返ってきたことを評価したい。結論としては「記事に問題なし」との内容になっている。「大手メディアはその報道に二の足を踏む」とは、「大手メディアはその報道があまりに少ない」という意味らしい。古賀氏の書き方は「大手メディアは減損などの問題を全く報じていない」という印象を与えるものではあるが、「全く報じていない」と断定はしていない。「『二の足を踏む』との表現で、報道があまりに少ないことを問題提起した」との弁明は一応成立する。「毎日などがこの問題を報じているのだから、『大手メディアは二の足を踏む』という古賀氏の書き方は不適切」との考えは変わらないが、編集部の見解も否定はしない。

今回の記事に関しては、他にも問題を感じた。(2)でさらに指摘を続ける。

※(2)へ続く。

エコノミスト「日経がFT買収」 納得できる松田遼氏の分析

日経のFT買収に関して、経済誌(東洋経済、ダイヤモンド、エコノミスト)の記事を読み比べてみた。「買収額は適正なのか」という問題意識を持って記事を読んだところ、最もためになる分析をしていたのはエコノミスト8月11・18日号の「日経がFT買収~総資産の3分の1相当 相乗効果に高いハードル」という記事だった。

リエージュ(ベルギー)を流れるミューズ川 ※写真と本文は無関係です 

FT買収の金額については、「高い」との判断で3誌が一致。「買収額は約1600億円。FTの2014年12月期の営業利益は2400万ポンドで、その35年分と決して安くない」(東洋経済)との見方は共通だ。ダイヤモンドは「例えば米アマゾン創業者ジェフ・ベゾス氏による米『ワシントン・ポスト』紙の買収額が246億円、利益(EBITDA)の17倍だったことを鑑みても、確かに高額に映る」とも書いている。

最も詳細な分析をしていたエコノミストの記事は詳しく見てみよう。筆者は金融アナリストの松田遼氏。


【エコノミストの記事】

FTの時価総額は不明だが、仮に時価総額が総資産だとしても、買収プレミアムは2.4倍にもなる。また、FTが無借金だとすれば、のれん代も2.4倍だ。買収先に対して高い収益力や成長力を期待するベンチャー企業などのM&Aに表れる数字だが、日経のFT買収にはそれに相当する高いシナジー(相乗)効果を見込んでいるということだろう。

ただ、日本企業による海外の大型買収案件では、シナジー効果を事前に高く見積もり過ぎ、“高値づかみ”となった例が少なくない。日経のFT買収額は適正と言えるだけのシナジー効果をもたらすことができるだろうか。日経は有価証券報告書を提出しており、日経の14年12月期の連結財務諸表を基に試算する。

まず、FTの買収に費やす約1592億円の投資額に対して、どの程度のリターンを期待すべきか。日経は使用している資本(有利子負債及び自己資本)3215億円に対して約180億円の営業利益(または税引き前利益)を上げており、5~6%の利回りに相当する。国内の有力上場企業にはROE(株主資本利益率)として税引き後利益で8~10%程度を目指す動きが広がっているが、日経が税引き前で6%程度の投資利回りを期待することは決して高い目標ではない。

これをFT買収額に当てはめると、毎年100億円程度の営業利益(または税引き前利益)に相当する。これはFTの営業利益の約2倍であり、FTの収益力を維持したうえで、さらに50億円程度の利益を創出しなければならない。このシナジー効果による増益分50億円は、日経とFTの営業利益合計の2割程度に相当するが、FTの買収による共通コストの削減効果はほとんど見込めない。FTや日経は電子版の有料購読者拡大に力を注ぐが、少なくとも短期的にはかなり達成が難しそうだ。

総資産4669億円の日経にとって、FT買収額はその3分の1に相当する大きな買い物だ。FTが想定したような利益を生まなかった場合、のれん代の償却を迫られることになり、その分の純資産を毀損するリスクを抱える。日経は実質無借金経営だが、FTの買収資金は手元の現金と借入金で賄う方針を示しており、借入金の返済負担も加わる。FTが高い買い物だったかどうかは、シナジー効果を十分に生み出せるかどうかがカギになる。


納得できない部分はない。「かなり高い買い物なので、よほどうまく経営しないとマイナスの方が大きくなる」ということだろう。記事の評価はB(優れている)。筆者の松田遼氏に対する評価も暫定でBとする。

3誌の記事に順位を付ければ、1位がエコノミスト、2位がダイヤモンド8月8・15日号「特別レポート 英フィナンシャル・タイムズ買収~日経新聞 デジタル&グローバル化への大いなる賭け」、3位が東洋経済8月8-15日号「日経が英FTを傘下に 電子化が推した買収劇」となる。2位と3位についても、記事中に指摘すべき大きな問題はない。東洋経済は行数が少なかったこともあって、表面をなぞったような記事にとどまった印象があるので3位とした。