マーストリヒト(オランダ)を流れるマース川 ※写真と本文は無関係です |
【ダイヤモンドの記事】
さて、こうした視点から今の中学受験ブームを眺めると、問題点が多々あります。
単に難関といわれる大学に入って、公務員になったり普通の有名企業で課長になるのが目標ならば、中高一貫校の方が有利でしょう。6年間の履修を4、5年でやって、最後の1年間は受験対策に集中できるのだから。
でもしょせんそれは、大企業か官庁に入り、課長になって年収700万~800万円くらい、うまくすれば1200万円を目指すという旧来の生き方において有利ということにすぎない。
この説明自体に問題ない。しかし、記事中の「ニッポン人の時給格差は100倍」という図と併せて考えると話は違ってくる。図では、「弁護士、医師=3万円」と医師の時給の高さに触れている。医師を目指して医学部に入るためには高い学力が求められるので、「中高一貫校から医学部」という生き方は高収入を得る手段として今も有効だ。なのになぜ、中高一貫校で受験技術を磨くことを「旧来の生き方において有利ということにすぎない」と切って捨てるのか。医師ならば、今でも1200万円を軽く超える年収を期待していいだろう。
「ニッポン人の時給格差は100倍」という図の中の説明文はさらにツッコミどころが多い。そこには以下のように書かれている。
【ダイヤモンドの記事】
100倍の差を生む鍵は「大変さ」でも「年齢」でも「熟練度」でも「頑張り」でも「努力」でも「技術」でもない
「希少性」=自分を「レアカード化」せよ
まず「頑張り」と「努力」は意味が重なりすぎている。「熟練度」と「技術」もかなり似ている。編集側の責任ではあるが、この辺りはもう少し工夫すべきだ。
また「努力」や「技術」は鍵ではないとの主張にも同意できない。100倍の差を生む鍵が「希少性」だとしても、「何が希少性を生むか」は考慮すべきだろう。例えば、一流ピアニストに希少性があるとすれば、希少性を左右するのは基本的に演奏技術だ。そして演奏技術を磨くには努力が欠かせない。つまり希少性を確保するためには「技術」も「努力」も大きな要素となる。
「努力」や「技術」と無関係に「希少性」を確保して高収入を得られるケースはまれだろう。なのに、問題は「希少性」であり、「努力」や「技術」は収入の差を生む鍵ではないと訴えるのは適切なのか。
そもそも「時給1万円」のところには「熟練大工」が出てくる。単なる「大工」ではなく「熟練大工」ならば「時給1万円」が得られると言いたいはずだ。ならば「熟練度」は直接的な「鍵」となる。高い熟練度が希少性の源泉になることを考えると、「熟練度」とは関係なく「希少性」のみを「鍵」とする主張に耳を傾ける必要性は感じない。
※記事の評価はC(平均的)。今回は、書き手ではない藤原和博氏への注文が中心なので、書き手への評価を見送る。
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