2016年10月31日月曜日

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音

日本経済新聞朝刊1面で連載していた「働く力再興~改革に足りぬ視点」も31日でようやく最終回を迎えた。第5回の「会社にしがみつく時代は終わった 原動力は個々の意欲に」もやはり苦しい内容だった。記事の中身を見ながら、問題点を指摘していく。
佐賀大学(佐賀市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

会社は長らく、終身雇用や年功序列で労働者に安心して働ける環境を提供してきた。日本経済が難所にさしかかり、企業と働き手は新しい関係を築く必要に迫られている。腕一本をたのみとする自立した労働者を増やさないと日本は沈む。

 「土日は休みたい」「残業代もほしい」。エアコン修理のKAISEIエンジニアリング(東京・港)は倒産の危機で泣き言を言う社員に引導を渡した。10人ほどの技術者を個人事業主として独立させたのだ。定時はない。客の要望があれば深夜12時でも修理に赴く。

一方、年収が正社員時代の倍となる1千万円に届くつわものも出た。自らの働き次第。「技術者に経営意識を持ってほしい」。鈴木ひろ社長(47)の狙いは当たった。年商は5年前の1億円から6億円に伸びた。

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◎倒産の危機ならば「サービス残業」は当然?

上記のくだりには、取材班の本音が透けていて興味深い。 「土日は休みたい」「残業代もほしい」との従業員の要望を記事では「泣き言」と切って捨てている。「会社が傾いた時には残業代なしで休日を返上して働くのが当たり前」との価値観がなければ、こういう書き方にはならないだろう。

だが、年商1億円の中小企業であれば「倒産の危機」と隣り合わせなのが当たり前だ。社長に「倒産の危機だから残業代なしで働いてくれ。休日出勤も頼む」と言われて素直に応じていたら、身が持たない。取材班の記者には「会社の危機ならばサービス残業も厭わない」という滅私奉公型の人が多いのだろうが…。

続いて、2番目の事例を見ていく。

【日経の記事】

バブル崩壊後に破綻したレーザー機器専門商社の日本レーザー(東京・新宿)は、多様な人材を集めようと通年採用を導入した。選考基準は「社風にあうか」。能力に見合う仕事で空きがあれば採る。年齢や学歴をもとにした賃金制も廃止。課長格への昇進は「TOEIC(英語能力テスト)700点以上」など明快な基準で決める。

橋本和世課長(43)は出産を機に、新卒入社した別のレーザー商社を退職。子育てが一段落し同業他社の日本レーザーに入った。子育て中も在宅で働いていたが、IT(情報技術)や翻訳など腕に磨きをかけた。今の会社での販促やホームページ制作に生かす。社員に力の発揮を求める会社は、パートから課長へと処遇を高めて応えた。

戦後の雇用慣行を断ち切ったところに、企業の成長の源泉が生まれつつある。終身雇用や年功序列では働き手の力を十分引き出せない。実力があれば、随時契約を結んだり、中途で採用したりして働いてもらうのが手っ取り早い。

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◎「戦後の雇用慣行を断ち切った」?

日本レーザー」の「橋本和世課長」の話は「戦後の雇用慣行を断ち切ったところに、企業の成長の源泉が生まれつつある」具体例なのだろう。だが、中身は「子育てが一段落」して再就職した女性を紹介しているだけだ。「出産を機に会社を辞めて、子育てが一段落したらまた働き始める」のは、そんなに新しい動きなのか。「戦後の雇用慣行を断ち切った」とは到底思えない。「会社での販促やホームページ制作」は立派な仕事だが「企業の成長の源泉が生まれつつある」とまで評価するのは無理がある。

最後は記事の結論部分を論評したい。

【日経の記事】

ITエンジニアの浦田理絵さん(27)。バイト先のゲーム会社で開発技術者の仕事ぶりに触発された。大学まで文系だったが、独学でプログラミングを習得。ITベンチャーでの実務経験を経て独立した。「腕を磨き世の中を変えるウェブサービスを作る」

米国には個人の才覚で働くフリーランサーが5500万人いる。労働人口の3分の1を占める。自己研さんに励み、企業に寄りかからない。将来の技術革新やサービス開発の土壌と期待される。日本も増えたとはいえ、健康保険など社会保障面の後押しも足りない。その厚みは見劣りする。

企業が労働者に多様な働き方を認め、労働者はそれを生かして成果を出す。そうした好循環を生むのが働き方改革の主眼だ。政府も個人の選択を尊重し、やる気をそがない税制や社会保障制度を整えねばならない。

従来の労働政策を見直すぐらいなら日本経済を押し上げはしまい。企業と働き手の双方の働き方の常識が変わりつつある今、国の制度もまた一から作り直すときだ

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従来の労働政策を見直すぐらいなら日本経済を押し上げはしまい。企業と働き手の双方の働き方の常識が変わりつつある今、国の制度もまた一から作り直すときだ」とまで言うならば、具体策を提示してほしかった。「従来の労働政策を見直すぐらい」ではあまり意味がないとすると、「脱時間給制度」も「従来の労働政策」の見直しなので導入は見送った方がいいことになるが…。

取材班では「企業と働き手の双方の働き方の常識が変わりつつある」と考えているのに、どう変わりつつあるのかも描けていない。子育てが一段落した女性が働き始めたり、会社を辞めた人がフリーになったりする動きが広がったとしても、それは「企業と働き手の双方の働き方の常識が変わりつつある」わけではない。

連載を最初から最後まで読んでも「働き方の常識が変わりつつある」とは思えなかった。だとすると、「国の制度もまた一から作り直すときだ」との主張に説得力はあるのだろうか。


※連載全体の評価はD(問題あり)。取材班に関しては関連記事に「大滝康弘、長谷川岳志、中野貴司、藤野逸郎、鈴木健二朗、高野壮一、湯浅兼輔、福山絵里子、佐野敦子、小川和広、中村亮、三木理恵子、福本裕貴が担当しました」と出ていた。大滝康弘氏を担当デスクの筆頭だと見なして、同氏への評価を暫定でDとする。他の担当者への評価は見送る。

※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html)

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html)

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_30.html)

2016年10月30日日曜日

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」

日本経済新聞の朝刊1面で「働く力再興~改革に足りぬ視点」という連載が始まった時に「脱時間給や解雇規制緩和で無理のある主張を展開してくるのではないか」と予想したら、やはりその通りになった。第3回で「欧米では失業しても悲壮感が乏しい」と根拠なく唱えたのに続いて、第4回の「『モーレツ社員』がいてもいい 時間の管理、私に任せて」では「成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している」と訴えている。
角島大橋(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

電通の女性社員の過労死が大きな問題となっている今の日本で、「脱時間給」が本当に「いまの労働実態に即している」のか、記事の中身を検証してみたい。

【日経の記事】

現有戦力が今まで以上に力を出すしか日本経済が伸びる道はない。といって無軌道に働き続ければ、貴重な働き手にダメージを与える。時間の使い方を変えれば生産性は上がる。こなすべき仕事にどう取り組むか。働き手の判断ひとつだ。

サイバーエージェントの山内隆裕取締役(33)は時間を気にせずバリバリ働く新人時代を過ごし「筋肉営業」とやゆされた。今は平日午後8時に帰る。子会社社長も兼務する慌ただしい日々で、「1時間あたりの価値の最大化」を意識する。

60分の会議は50分に短縮。浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る。定例会議はやめた。昼食も打ち合わせに使う。子育て中の女性や束縛を嫌う技術者も、会社にいる時間は短いほうが力が出る。そう考えた。

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◎「午後8時に帰る」のは凄い?

なぜ最初に「サイバーエージェントの取締役」を取り上げたのだろうか。役員ならば「時間の管理」はかなり自由にできるのが当然だ。サイバーエージェントが「時間の管理」で先進的な企業ならば、普通の社員を取り上げた方が説得力はある。

山内隆裕取締役」の話も大したことがない。仮に朝9時から働いているとすると、「午後8時に帰る」まで昼休みも仕事に使って連続11時間働いている計算になる。今でも十分に「バリバリ働く」側の人だ。

60分の会議は50分に短縮。浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る」という話も苦しい。「浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る」のは会議と大差ない。会議で「社員と意見を交わし、企画を練る」こともできるのだから。

昼食も打ち合わせに使う。子育て中の女性や束縛を嫌う技術者も、会社にいる時間は短いほうが力が出る」との説明も引っかかった。「子育て中の女性や束縛を嫌う技術者」と昼休みに打ち合わせをしているのだろうか。だとしたら、打ち合わせの相手をする社員らは昼休み返上で働くしかない。その分、早く帰れるとしても、社員らの労働時間は減らないし、社員に休憩なしで働かせているのであれば、労働基準法違反の疑いもある。社員は打ち合わせ終了後にきっちり休憩を取っているのであれば「会社にいる時間」を短くする効果は見込みにくい。

2つ目の事例もまた苦しい。

【日経の記事】

楽天を辞めフリーで働く日下朋子さん(36)。市場調査や広報支援など常時5つほどの仕事をこなす。ベンチャー経営者とは二人三脚で事業開発を進める。さぞモーレツな働きと思いきや、1日を仕事、遊び、勉強、睡眠に分け、働く時間は「6時間」に限定。2年前の病気が転機になった。

基本原則がある。1つは働く場所を選ばない。東京の自宅、福島の実家、貸しオフィスを活用する。2つ目は得意な仕事だけやる。苦手な作業は他人に任せる。3つ目は1日1分でも前進する。「毎日がオーディション。1回のメールや提出物に魂を込める」。収入は正社員時代と比べても満足のいく水準という

2人の共通点は、時間を自分の判断で使うところだ。働く時間を抑えても成果は落とさない。安倍晋三首相(62)は働き方改革を巡り「モーレツ社員の考え方が否定される日本にしたい」と宣言した。長時間働きづめは時代遅れだが、成果が出なくては元も子もない。

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◎「取締役」の次は「フリー」?

フリーの人が「時間を自分の判断で使う」のは当たり前だ。取締役やフリーの人を取り上げないと「時間を自分の判断で使う」事例が見つからないとすれば、日本の普通の会社員は「時間を自分の判断で使う」ような環境にないと言えないだろうか。

日下朋子さん」の収入が「正社員時代と比べても満足のいく水準」となっているのも気になった。「増えている」とは書いていないので、減収なのだろう。だが、労働時間も減っているから「満足」なのではないか。その辺りを曖昧にしているのにズルさを感じる。

付け加えると「1つは働く場所を選ばない。東京の自宅、福島の実家、貸しオフィスを活用する」と言われても「働く場所を選ばない」ようには見えない。例えば「美容院で髪を切ってもらいながらプレゼン用の資料を作ったり、スポーツジムで筋力トレーニングをしながら取引先と電話で交渉したりする」と書いてあれば、確かに「働く場所を選ばない」んだなと納得できる。

3番目の事例にもツッコミを入れておこう。

【日経の記事】

金属加工のオーザック(広島県福山市)は社員に1日8時間以上働かせない。仕事量も減らさない。社員は工夫した。1人が複数の機械を扱う「多能工」という仕組みを取り入れた。今は機械部門の7割にあたる11人が多能工。残業は6年で3分の1に減った

社内に休みやすい空気が生まれ、仕事と家庭の両立が進んだ。必要な仕事を短時間で終え、早帰りする人もいる。岡崎瑞穂専務(62)は「労働時間を減らして生産性を落とすわけにはいかない。社員が何をすべきか考えてくれた」と話す。

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◎「8時間以上働かせない」はずでは?

社員に1日8時間以上働かせない」のならば、普通は残業ゼロになる。だが、なぜか「残業は6年で3分の1に減った」だけだ。この「3分の1」は、従業員が時には「1日8時間以上」働いた結果ではないのか。

さて、最後に「脱時間給制度」の導入を求める取材班の主張を見ていこう。

【日経の記事】

時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く。成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している国が一律に労働時間や残業時間を決めれば、むしろ働く自由度が減る。寝食忘れて夢中に働くのもいい。1時間でやるべきことをやり、職場を離れてもいい。「9時~5時」で会社にいる必要はない。

一方で、たとえ本人にやる気があり、長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある。過労死や精神的ストレスの発症は防ぐ。時間管理の規制を緩めつつ、無理を強いる職場の監視は強める。そこは行政の出番だ。

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◎辻褄の合わない説明

まず、辻褄が合っていない。「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」としよう。だとすれば、過労で倒れるまで働くような「賢く」ない働き方をする労働者は、日本にはいないはずだ。働き過ぎの問題も起きない。めでたしめでたしだ。「過重労働にはブレーキをかける必要」など全くない。なぜなら「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」のだから。

ところが記事では「たとえ本人にやる気があり、長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」と説いている。「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」のではなかったのか。それとも労働時間の上限といった「時間の縛り」が必要なのか。

過重労働にはブレーキをかける必要がある」の方を受け入れて考えてみよう。その場合、「寝食忘れて夢中に働くのもいい」のか。新入社員が張り切って働いていて「最近は土日返上で、1日18時間以上働いているんですよ」と言っている場合はどうなるのか。「長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」のか。それとも、「寝食忘れて夢中に働くのもいい」と考えて放置すべきなのか。


◎「国が一律に労働時間や残業時間を決める」?

国が一律に労働時間や残業時間を決めれば、むしろ働く自由度が減る」という説明も分かりにくい。まず、そういう話はあるのか。「日本人の労働時間は1日8時間、残業は週2日で1日2時間。例外はなし」などと決めれば確かに「自由度」は減る。だが、そうした制度を実現しようという動きはなさそうに思える。

現状でも「週3日勤務で1日3時間労働」といった働き方は認められている。企業が従業員の効率性を高めて労働時間を減らしたいのであれば、それを妨げる規制は見当たらない。取材班は何を伝えたかったのだろうか。


◎「脱時間給制度はいまの労働実態に即している」?

成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している」と取材班は訴えるが、根拠は乏しい。どんな「労働実態」なのか明確ではないからだ。過労死が社会問題となるような「労働実態」が残る日本には、「名ばかり管理職」に残業代なしで働かせる手法を認めてあげた方が好ましいとでも言いたいのだろうか。

長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」と取材班が本気で思うのならば「脱時間給制度」はやめた方がいい。「今は残業代を払うのが嫌だから社員にそこまで働かせていないけど、残業代を払わずに済むならばもっと働かせたい」と考えている経営者にとって、「脱時間給制度」は渡りに船だ。

「長時間労働をさせたいわけでなない。ただ、無駄な残業代を払うのが嫌なんだ。給与は成果に応じて払いたい」と経営者が思っているだけならば、今の制度でも対応可能だ。まず「残業は原則禁止。どうしても必要な場合は許可を得てからやる」とする。その上で、成果に応じて給与を払えば終わりだ。「脱時間給制度」などなくても「残業なし。成果に応じて給与を支払う」という道は自由に選べる。

「脱時間給制度」の導入を望む経営者がいるとすれば、「残業(あるいは長時間労働)はしてほしい。でも残業代は払いたくない」との願望を抱えていると考えるべきだ。


※記事の評価はD(問題あり)。

※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html)

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html)

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_31.html)

2016年10月29日土曜日

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ

日本経済新聞朝刊1面で連載している「働く力再興~改革に足りぬ視点」の第3回「聞こえぬ『雇用流動化』の声 失業を生かせる国に」では、解雇規制の緩和を求める内容となっている。「失業でも明るい欧米、暗い日本」という対比を通じて、「失業してもいいじゃないか。解雇規制の緩和を進めようよ」と促すのが狙いのようだ。だが、取材班が言うように「欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。『無職』になると悲壮感が漂う日本と違う」のだろうか。
角島灯台(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

29日の記事の一部を見ていこう。

【日経の記事】

働く場所を持たない人のストレスは大きい。だが、欧米と日本の受け止めはだいぶ違う。欧米は失業期間を能力に磨きをかける時間ととらえ、前向きに職探しに励む人が多いようにみえる。ピンチをチャンスに変える。労働力は不断の鍛え直しがあってこそ輝く。

中略)欧州など海外は企業の内と外で労働者の磨き上げを怠らない。スウェーデンでは机上の勉強と就業体験を組み合わせた2年の公的な職業訓練が原則無料。教育訓練のための休暇取得も法律で認める。労働市場の流動化を前提としているから、欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。「無職」になると悲壮感が漂う日本と違う

失業してもスキルをあげて再就職の道が開けるとなれば、労働者は転職や離職を前向きに受け止められる。技能や経験値があがるから、再就職先での処遇がよくなる可能性もある。企業も有能な人材をためらいなく外から引き込むようになる。

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記事によると、欧米では失業しても「前向き」で「悲壮感」は乏しいらしい。しかし、実際にそうなのかは怪しい。例えば、「失業した時に悲壮感があったか」との問いに対し、欧州の失業経験者で「あった」と答えたのが30%に対し、日本では90%といったデータがあるのならば納得できる。だが、記事にはそうした話は出てこない。「欧米は前向き」というのは、あくまで取材班の持つイメージだ。

例えば7月27日の日経の記事で鳳山太成記者は以下のように書いている。

【日経の記事(7月27日)】

フランスでイスラム過激派によるテロが止まらない。26日に北部ルーアン近郊で発生した教会襲撃事件でも、犯人がイスラム過激思想に染まっていたことが明らかになった。欧州で特に仏がテロの標的となっている背景には、経済低迷に伴う失業率上昇や社会の閉塞感などで、国内のイスラム教徒や移民が不満を強めていることがある

中略)大多数のムスリムは穏健な市民だが、一部の若者が過激思想に染まっている。仏経済の低迷で若者の失業率は20%強と高く、特に移民は差別を受けて就職が難しい。ムスリムの平均年齢は全国平均より若く、将来に希望が持てない若者がシリアのIS支配地域に向かう事例が後を絶たない

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労働市場の流動化を前提としているから、欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。『無職』になると悲壮感が漂う日本と違う」という話が本当ならば、なぜ「若者の失業率は20%強と高く、特に移民は差別を受けて就職が難しい」フランスでは「将来に希望が持てない若者がシリアのIS支配地域に向かう事例が後を絶たない」のか。日本以上に「悲壮感」が漂っているように思える。

8月10日のニューズウィーク日本版には「失業と競争のプレッシャー、情け容赦ないフランスの現実」という記事が出ている。

【ニューズウィーク日本版の記事】

<リストラで1年半も失業中の中年男。やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れるが、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにする。フランスで観客の共感を呼び大ヒットとなった社会派ドラマ>

社会の片隅に生きる人間を見つめるフランス人監督ステファヌ・ブリゼの『ティエリー・トグルドーの憂鬱』では、失業によって悪戦苦闘を強いられる男の姿が描き出される。主人公のティエリー・トグルドーは1年半も失業中の中年男だ。職業訓練を受けても就職できなかった彼は、やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れる。ところが、これで家族を養いローンも返済できると思ったのも束の間、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにすることになる。

この映画はシリアスな題材を扱っているにもかかわらず、フランス本国で100万人を動員する大ヒットになったという。フランスでは失業率が10%に近く、深刻な社会問題になっている

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欧州では失業しても「悲壮感」がないのが当たり前だとしたら、「失業によって悪戦苦闘を強いられる男の姿が描き出され」た映画が、なぜ「フランスで観客の共感を呼び大ヒットとなった」のか。日経の取材班は欧州の現実を本当に正しく理解しているのか。

10月6日の日経の社説「反グローバル化の動きに歯止めかけよ」では、「若年層を中心に失業率が高止まりしている先進国は多い。経済のグローバル化の恩恵が一部の富裕層に偏っていると受け止められ、反グローバル化の世論が高まりやすい面はある」と訴えていた。欧米では失業しても悲壮感が乏しいのであれば、なぜ「反グローバル化の世論が高まりやすい」のか。「働く力再興」の取材班は「欧米では失業しても悲壮感が乏しい」とのイメージを根拠なく振りまいているように見える。

記事の最後の方で取材班は以下のように話をまとめている。

【日経の記事】

失業してもスキルをあげて再就職の道が開けるとなれば、労働者は転職や離職を前向きに受け止められる。技能や経験値があがるから、再就職先での処遇がよくなる可能性もある。企業も有能な人材をためらいなく外から引き込むようになる。

政府の改革論議では「流動化」という言葉遣いを避けていないか。不当解雇を巡る紛争を金銭補償で解決する仕組みも議論は膠着。職業訓練の充実や、退職した正社員の復職支援などとあわせ、働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない

職のない期間は苦境でない。雌伏の時だ。

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働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない」と書いているので、取材班では「働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組み」になっていないと判断しているのだろう。これはおかしい。働き手が自由に企業の間を動き回ろうとするのを妨げる規制はほぼない。働き手の離職の自由は認められているし、企業は離職した働き手を原則として自由に採用できる。

例えば、トヨタの技術者が会社を辞めて日産に移り、さらにホンダに転職しようとする時に、どんな規制がそれを妨げるのだろうか。「ホンダに移りたいのに、今の法律では日産の許可がないと移れない」といった縛りはない。

働き手が勤務先と「競業避止義務契約」を結んでいれば、同業他社への転職が認められない場合も例外的にはある。取材班がこれを問題にしているのならば、解雇規制の緩和ではなく「競業避止義務契約」の完全無効を求めるべきだ。

取材班が本当に訴えたいのは「不要な働き手を自由に捨てられる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない」ということではないか。本音を隠さず、「自由に労働者の首を切れる社会にしよう。その方が良い社会になる」と主張すればよいではないか。それができないのは、何か後ろめたさがあると疑われても仕方がない。


※記事の評価はD(問題あり)。

※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html)

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_30.html)

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_31.html)

2016年10月28日金曜日

実力不足が過ぎる日経「スズ、2年ぶりの高値」の問題点

書き手としての技量も市場への理解も不十分だと思える記事が、28日の日本経済新聞朝刊マーケット総合2面に出ていた。「スズ、2年ぶりの高値 国際価格 産地、雨期控え供給不安」という記事の全文を見た上で、問題点を指摘したい。
赤間神宮(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

スズの国際価格が1トン2万ドルを突破し、約2年ぶりの高値を付けた。指標となるロンドン金属取引所(LME)の3カ月先物は日本時間27日、2万500ドル前後で推移している。

産地の供給不安が価格を押し上げた。有力産地のインドネシアで生産量が減る雨期を迎える。「中国向けに輸出しているミャンマーの鉱石が枯渇するとの情報が市場に流れたのが強材料になった」(三菱商事RtMジャパンベースメタル事業部の藤原美樹副部長)

在庫も大幅に減少している。スズのLME指定在庫は26日時点で2930トン。昨年末の6675トンに比べ56%減った。現在の指定在庫には売約済みの商品が約1130トンあり、実際の在庫量は1800トン程度との見方もある。供給不安を理由に実需やファンド勢の買いが膨らんでいる。

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◎問題その1~相場の変動幅に触れていない

この記事から、スズの国際価格について「2年ぶりの高値」で1トン当たり「2万500ドル前後」ということは分かる。だが、どの程度の上昇なのかは全く分からない。

スズ、2年ぶりの高値」というテーマで記事を書くならば、いつと比べてどの程度の上昇なのかは必ず入れてほしい。「1カ月前に比べてで30%の上昇」と「年初に比べて15%の上昇」では、同じ「2年ぶり高値」でも印象が大きく変わる。仮に「1カ月間で3割高」ならば、この1カ月の市場の変化を中心に記事をまとめる必要がある。


◎問題その2~市場の仕組みを理解していない

見出しで「雨期控え供給不安」と打っているが、常識的に考えれば「雨期」にもうすぐ入るからと言って「供給不安」は台頭しない。「雨期」は毎年巡ってくる。スズは倉庫に置いておくとすぐに腐ってしまうわけでもない。例年、雨期に供給が減るならば、需要家はそれに備えて在庫を積み増すはずだ。

もちろん「今年の雨期は雨が例年以上に激しそう」といった条件があれば別だが、記事にそうした記述は見当たらない。「産地の供給不安が価格を押し上げた。有力産地のインドネシアで生産量が減る雨期を迎える」との説明からは、市場に関する知識を欠いた素人くささが漂ってくる。


◎問題その3~肝心の話を詳報していない

中国向けに輸出しているミャンマーの鉱石が枯渇するとの情報が市場に流れたのが強材料になった」と三菱商事の人がせっかく教えてくれたのに、なぜそれを深掘りしないのか。この情報が流れたのはいつなのかを確認して、材料が出た後の価格変化をまず押さえたい。

その後に「枯渇情報の確度は?」「供給国としてのミャンマーの存在感は?」といった読者の疑問できるだけ答えてあげたい。「LME指定在庫」の話や、「供給不安を理由に実需やファンド勢の買いが膨らんでいる」といった漠然とした情報は思い切って削っていい。ミャンマーの話の後で余裕があったら触れれば十分だ。


※記事の評価はD(問題あり)。コモディティー市場への理解が足りない記者と、記者への指導力に欠けた商品部デスクの“共同作業”の結果として、今回のような完成度の低い記事を世に送り出してしまったのだろう。日経商品部の部長・デスクの責任は重い。

「包括利益は含み損」に関するFACTAの回答に抱いた期待

FACTA11月号の「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事に関する問い合わせに対し、FACTA編集部から回答があったので内容を紹介したい。「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」という記事中の説明は誤りではないかとの問いには、まともに答えていない。だが、全体としては今後に期待の持てる中身だった。

問い合わせと回答は以下の通り。
震災後の熊本城(熊本市) ※写真と本文は無関係です

【FACTAへの問い合わせ】

FACTA 発行人兼編集主幹 阿部重夫様

11月号の「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事についてお尋ねします。記事には「日経は中間決算で累積為替差損480億円を『包括利益』の喪失として計上した。包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」との記述があります。「包括利益」は純利益に有価証券など保有資産の時価変動分を加味した利益のことです。これを「平たく言えば、含み損のこと」と捉えるのは無理があります。「包括利益が100億円」という場合、例えば純利益120億円から含み損20億円を差し引いたものとなります。しかし「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」であれば、包括利益は20億円に近い金額となるはずです。

また、「包括利益=含み損」と理解すると、今回の記事では「日経の為替差損480億円=日経の含み損の喪失480億円」となってしまい、為替差損が日経の業績のプラス要素となってしまいます。「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」との説明は誤りと考えてよいのでしょうか。「平たく」が入っているとは言え、記事の解説は「包括利益」の正確な定義と大きく乖離しています。記事中の説明に問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

ついでで恐縮ですが、以下のくだりも理解に苦しんだので、問い合わせさせていただきます。

「FT買収でマンパワーを関連部門にとられ、従来もひどかった現場の負担はますます重くなった。『お前ら、原稿製造機になりきらないと過労死するぞ』と、飲み屋で先輩記者が後輩を叱る光景が目に浮かぶ」

これを読むと「原稿製造機になりきれば過労死を避けられる」との印象を抱きます。しかし「原稿製造機になりきれ」と言われると「仕事を選り好みせず、会社に言われるままひたすら原稿を吐き出し続ける疲れを知らない機械のような記者になれ」と求められているような気がします。それはむしろ過労死への道ではありませんか。

上記のくだりはどう解釈すればよいのでしょうか。個人的には「お前ら、原稿製造機になりきって会社から求められるままに記事を書き続けていたら過労死するぞ」となっている方が、日経記者への助言としては違和感がありません。


【FACTAからの回答】

日頃よりご愛読、真に有難うございます。会計の専門家ならではのご教示、ご叱声、心より感謝申し上げます。本件記事の掲載にあたり、ご指摘の「包括利益」の解釈を含め、為替差損発生の経緯と、今後の会計処理等について日経新聞に対して、文書により取材を申し込み、諸々の説明を求めましたが、「開示事実の通りである」と、事実上(一切)の取材拒否を受けました。「平たく」との表現に、その含意(ブラックボックス)をお汲み取りいただきたく存じます。

下段の書き方は、確かに分かりにくく、誤解を招く舌足らずの表現だったと反省しています。
「官庁や企業の記者発表を鵜呑みにして、裏付け取材もせずに、どんどん書き飛ばさないと過労死するぞ」という、現場記者の嘆き、自虐とご理解ください。

貴重なご指摘とご叱声を賜り、心から御礼申し上げます。簡略ではございますが、日経との取材経緯を含め、ご理解を賜りたく存じます。引き続きご愛読の程、お願い申し上げます。

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阿部氏からの回答ではなかったが、当該記事に阿部氏がかなり関与していると見たのは、こちらの勝手な「憶測」なので、編集部からの回答で十分だ。

自分は明らかな「会計の素人」なのに、なぜか「会計の専門家」と断定されてしまった。これは何かの皮肉だろうか。ちょっと気になった。

包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」との説明が正しいかどうかに、日経の取材拒否は関係ない。「包括利益とは平たく言えば、純利益に含み損益を加味したもの」とでも書けば問題はなかったと思える。

ただ、「原稿製造機」のくだりに関しては「確かに分かりにくく、誤解を招く舌足らずの表現だった」と率直に認めている。これは前向きに評価したい。


※「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事に関しては「包括利益は『平たく言えば含み損』? FACTAへの質問」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/facta.html)、「FACTA『日経が中間決算で480億円の為替差損』に思うこと」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/facta480.html)も参照してほしい。

2016年10月27日木曜日

「悩める空売り投資家」日経 川崎健次長の不可解な解説

27日の日本経済新聞朝刊マーケット総合1面に載った「スクランブル~悩める空売り投資家 パッシブ台頭、歪み戻らず」はかなり苦しい内容だった。筆者の川崎健 証券部次長は空売り投資が機能しない理由をパッシブ運用の広がりに求めているが、説明には不可解な点が多い。まずは問題のくだりを見ていく。

二重橋近くから見た丸の内周辺のビル(東京都千代田区)
                ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

1月の日銀のマイナス金利政策の発表以降、ファンド勢は夏場にかけて銀行株の空売りを積み増していった。そして9月には日銀が「総括的検証」を発表。これを機に銀行株の空売りは買い戻された。次なる空売りの標的はディフェンシブ株(生活必需品とヘルスケア)。ディフェンシブ株の空売り残高はここにきて、銀行株を上回ってきた。

だが、ファンドの思惑通りに下げないのが今の相場。例えば、25日の取引時間中に通期業績予想を上方修正した雪印メグミルク株。当日こそ材料出尽くしで下げたが、26日は急反発した

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◎銀行株への空売りは「機能した」ような…

記事の冒頭で「日銀の買い増しよりずっと前から日本では空売りが機能しなくなっているのだ」と川崎次長は書いている。一方で「ファンド勢は夏場にかけて銀行株の空売りを積み増していった。そして9月には日銀が『総括的検証』を発表。これを機に銀行株の空売りは買い戻された」とも述べている。銀行株の値動きから考えると、空売りは今年に入ってからも利益を得る手法として「機能した」のではないか。

◎上方修正ならば下がるはず?

ディフェンシブ株が下がらない例として川崎次長は「通期業績予想を上方修正した雪印メグミルク株」を挙げている。上方修正するような銘柄ならば「思惑通りに下げない」のは当然ではないか。例示するならば「大幅な業績下方修正があっても株価が下がらないディフェンシブ株」に言及した方が説得力はある。

記事の後半も見てみよう。

【日経の記事】

空売りが多い銘柄の騰落率を国際比較すると、今の状況はもっと複雑だ。

2015年初から日米欧アジア各市場で騰落率を比べると、日本だけが空売りの機能しない市場になっているのが一目瞭然。しかもこの傾向は日銀がETF買い入れ増額を決めた7月より前から顕著だ。つまり、日本で空売りが効かない「主犯」は、日銀のETF買いではないことになる

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◎「日銀のETF買い」は「主犯」ではない?

上記の説明は意味不明だ。日本が「空売りの機能しない市場」になったのが15年の初めからで、「日銀がETF買い入れ増額を決めた」のが今年の「7月」。これで「日本で空売りが効かない『主犯』は、日銀のETF買いではないことになる」だろうか。

増額」を決める7月より前にも「日銀のETF買い」はあった。「増額」が「主犯」ではないというなら分かるが「『主犯』は、日銀のETF買いではない」と断定する根拠は見当たらない。

最後に、この記事の最大の問題点に触れたい。

【日経の記事】

グラフをより詳しく見ると、16年に入ると日本だけでなく、世界各市場でほぼ同時並行的に空売りが機能しなくなってきているのが分かる。「今年は世界でロングショートの投資家が苦戦していることを映し出している」。野村証券の村上昭博チーフ・クオンツ・ストラテジストはいう。

なぜそうなったのか。「根本的な原因は、世界のマネーがアクティブ運用からパッシブ運用へとシフトしているからでしょうね」。野村のある幹部はいう。

よくよく考えれば、日銀のETF買いも指数を買うパッシブ運用の一つ。「コスト対比で最も効率的な運用」という大義名分が幅をきかせ、市場の「総パッシブ化」は世界で同時進行的に広がる。世界のヘッジファンドの運用成績さえも指数化され、ETFで安く買える時代だ。ただ、それが市場や株価の歪みを放置させている原因だとするなら、今の相場の「やりにくさ」の真相は「官製相場」よりもっと根深い。

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◎なぜ15年は「日本だけ」空売り機能せず?

川崎次長を信じるならば、15年は「日本だけが空売りの機能しない市場」だったのに、「16年に入ると日本だけでなく、世界各市場でほぼ同時並行的に空売りが機能しなくなって」いる。その「根本的な原因」は「世界のマネーがアクティブ運用からパッシブ運用へとシフトしている」ことだと分析している。

これは奇妙だ。15年に日本でまずパッシブ運用へのシフトが起こり、16年に入ると日本以外でもそれに続いたのならば分かる。しかし、記事ではアクティブからパッシブへのシフトがどの地域でいつ頃に進行したのかは触れず、「市場の『総パッシブ化』は世界で同時進行的に広がる」と書いているだけだ。だとしたら、なぜ15年に日本だけが「空売りの機能しない市場」になったのか。肝心な分析を欠いたまま記事は終わってしまう。

◎「日銀のETF買い」はやっぱり「主犯」?

川崎次長は「日本で空売りが効かない『主犯』は、日銀のETF買いではない」と言い切っていたはずだ。そして空売りが機能しない理由を「パッシブ化」に求め、「よくよく考えれば、日銀のETF買いも指数を買うパッシブ運用の一つ」と流れつく。日本市場ではパッシブ運用の中でも「日銀のETF買い」の存在感が大きい。それは2015年についても言える。

日本で空売りが機能しない理由をパッシブ運用比率の高まりに求めるのが正しいとすれば、パッシブ運用の中心的存在である「日銀のETF買い」を「主犯」と捉えるのが妥当だとも思える。そうなると、川崎次長の当初の分析は何だったのかという話になる。


※記事の評価はD(問題あり)。川崎健次長への評価もDを据え置く。同次長については「川崎健次長の重き罪 日経『会計問題、身構える市場』」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_62.html)、「なぜ下落のみ分析? 日経 川崎健次長『スクランブル』の欠陥」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/09/blog-post_30.html)、「『明らかな誤り』とも言える日経 川崎健次長の下手な説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/02/blog-post_27.html)、「信越化学株を『安全・確実』と日経 川崎健次長は言うが…」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/07/blog-post_86.html)も参照してほしい。

2016年10月26日水曜日

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文

嫌な予感のする連載が日本経済新聞朝刊1面で始まった。「働く力再興~改革に足りぬ視点」というその連載の第1回は「『同一労働同一賃金』の迷路 努力の成果 どう報いる」だ。今回は触れていないが、いずれは「脱時間給や解雇規制緩和が労働者のためになる」との強引な論理展開をしてきそうな気がする。第1回の内容もかなり苦しい。まずは記事の最初の事例に注文を付けたい。
山口県下関市側から見た関門橋  ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

もっと活躍したい。もっと成果を出せる。そんな意欲と能力に満ちた労働者に日本の賃金制度は応えているか。同じ働きぶりなら、同じ賃金を与える「水平方向」の議論は必要だが、経済や企業を引っ張る「けん引車」に報いる議論は置き去りになっていないか。

 1年で平社員から部長に昇格できる会社に求職が殺到している。人材派遣のジェイウェイブ(福岡市)。最大4~5段飛びの昇級制度を取り入れている。70人ほどの営業担当のうち、2人が最大飛びを果たし、1年で部長職まで上り詰めた年収約1千万円。月額の固定給はあるが賞与はなく、獲得した売り上げに応じ1~3%を還元する。

営業は中途採用が9割。実力主義に魅力を感じる働き手は多い。「横並びの賃金だと生活は安定するが、実力を試したい人やもっとキャリアを積みたい人には向かない」。山下裕司社長(57)は社員の背中を押す。成績が悪いといってすぐ放り出すこともしない。能力底上げへ教育メニューも充実。職位ごとに年2~3回、専門家を招き契約を勝ち取るノウハウをたたき込む。

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◎「殺到」だけでは…

1年で平社員から部長に昇格できる会社に求職が殺到している」と書いているが、具体的なデータはない。これは困る。「日ハムの大谷がものすごく速い球を投げた」と伝えながら、具体的な球速には触れないスポーツ関連記事のようなものだ。


◎どのぐらいの期間で「2人」?

70人ほどの営業担当のうち、2人が最大飛びを果たし、1年で部長職まで上り詰めた」というものの「2人」に達するまでにどの程度の期間を要したのか謎だ。制度導入後1年で「2人」出たのか、過去30年で「2人」が「最大跳び」を果たしたのかでは印象がかなり変わってくる。


◎本当に「部長」?

年収約1千万円。月額の固定給はあるが賞与はなく、獲得した売り上げに応じ1~3%を還元する」という部分は解釈に迷った。「1千万円」は部長の年収なのだろうか。しかし「獲得した売り上げに応じ1~3%を還元する」とも書いてある。あり得ないとは言わないが、部長も自らの営業成績を上げるように求められるのならば、「部長」らしくはない。

それに「獲得した売り上げに応じ1~3%を還元する」場合、収入は大きく変動するはずだが、「最大飛びを果たし」た「2人」はそろって「1千万円」のようだ。固定と歩合の比率が分からないので何とも言えないが…。

次に記事の終盤を見ていく。

【日経の記事】

安倍政権は労働者の配分を増やす政策に力を入れてきた。働き方改革で導入をめざす同一労働同一賃金もその一つ。非正規労働者の処遇を改善し、正規との格差を埋める狙いだ。この仕組みが根付く欧州では、労働者を年齢や性別で差別せず、仕事内容に応じて平等に賃金を払う。雇用の流動化を促す効果もある。

最先端技術に詳しい坂村健東大教授(65)は「政府は個人のキャリアや能力を同定する仕組みづくりをやるべきだ。適材適所を徹底しないと日本は衰退する」と話す。同一労働同一賃金だけで、働き手の処遇を巡る議論が終わるようだと不十分だ。成果を生み出すトップランナーの力を適切に評価する仕組みを整える必要がある

戦後の日本企業は労働者の潜在能力を推し量って「職能給」を支払ってきた。年齢や学歴を反映し、横並びでやる気を出させたい企業の思惑と期待が込められていた。いまやそんな当たり外れを気にしない悪平等を続ける余裕はない。成果をもとにだれもが納得できる評価制度があれば、賃金差がつくのも悪くない

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記事では政府に対して「成果を生み出すトップランナーの力を適切に評価する仕組みを整える必要がある」と求めている。そういう仕組みを導入したくても規制があってできないのならば「働き方改革」で制度を見直すのもいいだろう。

しかし、そんなのは昔から可能ではないのか。証券会社の歩合外務員のような人は以前からいた。営業成績に応じて賞与に差を付けるといったことも簡単にできるはずだ。1990年代には「成果主義」が流行語にもなった。記事でも「人材派遣のジェイウェイブ(福岡市)」の事例を紹介しているではないか。

成果を生み出すトップランナーの力を適切に評価する仕組みを整える必要がある」としても、特に規制に問題がないのであれば、後はそれぞれの企業の判断だ。政府の「働き方改革」で何をさらに「議論」する必要があるのか。

ついでに言うと「成果をもとにだれもが納得できる評価制度があれば、賃金差がつくのも悪くない」とは思うが、「だれもが納得できる評価制度」は実現可能なのか。個人的には「どんな制度にしても必ず納得しない人が出てくる」と思える。


※記事の評価はC(平均的)。第2回以降で「脱時間給」や「解雇規制の緩和」にどう触れるのか注目したい。

※今回の連載については以下の投稿も参照してほしい。

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html)

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_30.html)

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_31.html)

「解雇規制の緩和」に関するコメントを受けてさらに説明

「解雇規制の緩和」に関して再度コメントが届いたので、さらに説明を追加したい。ただ、「経済記事への論評を通じて優れた経済メディアを育成する」という、このブログの本来の趣旨からは逸脱する内容となる。
福岡県立浮羽工業高校(久留米市) ※写真と本文は無関係です

「shirou9237」さんから届いたコメントの最初の方を見ていく。

【コメントの内容】

まず僕の立場は前のコメントで書いたように「転職しやすさは労働市場のタイトさ≒(自然失業率を基準にした)失業率の趨勢で決まる」です。

その上であなたの書いた二例、

①>求人100人に対し、転職市場のプレーヤーが90人~新たに解雇された30人のプレーヤー~20人があぶれてしまう
②>30人を解雇した企業が新たに30人を雇えば需給には中立

①は失業率が上がり、自然失業率を超えてしまっています。労働市場はゆるんでおり、当然労働者側不利な環境になります。②は失業率が変わっていません。

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◎どうやって失業率を計算?

①は失業率が上がり、自然失業率を超えてしまっています」というのは不可解だ。厳しく言えば間違っている。①の条件からは、そもそも失業率の水準を決められない。なので「自然失業率を超えてしまっています」と断定する根拠はない。

①の場合、「失業者20人」とは言えるかもしれない。失業率を求めるには分母の労働力人口が必要だが、何ら前提を置いていない。仮に労働力人口を2000人、自然失業率を3%としよう。失業者は20人なので失業率は1%だ。自然失業率の3%を下回っている。shirou9237さんの考えでは、労働市場の需給はタイトなはずだ。しかし、なぜか「労働市場はゆるんでおり、当然労働者側不利な環境になります」との結論になってしまう。

以下の部分にも異議を唱えたい。

【コメントの内容】

>解雇規制の緩和によって新たな供給を生み出すことが「労働者側有利」に働くとは考えにくい

繰り返しますが解雇規制は有利不利とは「別問題」なのであって、当然解雇規制を緩和することが(労働需給的に)労働者有利に働くことはありません(同様に、不利になることもありません)。そして肝心の失業率は、基本的に経済政策で短期的に調整するものであって、解雇規制のような長期的な構造変化をもたらす政策で調整すべきものではありません。政策割り当てを間違ってはいけない。

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◎「労働者不利」はあり得る!

上記のコメントに対しては「解雇規制の緩和が労働者不利に働くことはあり得る」と言い切れる。単純化したモデルを考えてみよう。

太平洋の孤島のA国には100人の労働者がいる。全員が外資系企業のB社で働いていて、他に働く先はないとする。A国ではB社に労働者全員の雇用を義務付けており、解雇は禁止だ。全員の給与は国の定める最低賃金に張り付いていて、B社は利益を全て海外の親会社に配当として支払っている。B社としては「事業を継続する上では80人で十分だ。20人を解雇して親会社への配当を増やしたいが、解雇規制が厳しくてできない」と考えているとする。

ここで解雇規制を緩和して解雇自由に転換したらどうなるか。B社は20人を解雇し、人件費が浮いた分は利益を増やして配当の形で海外の親会社に流してしまうはずだ。A国の失業率は0%から20%に跳ね上がる。これでも「解雇規制は有利不利とは『別問題』」なのか。

「だから解雇規制は緩めるな」と言っているわけではない。B社の株主の立場で言えば「余計な規制のせいで株主の利益が侵害されている」との主張は可能だし、説得力はある。

だが「解雇規制は有利不利とは『別問題』なのであって、当然解雇規制を緩和することが(労働需給的に)労働者有利に働くことはありません(同様に、不利になることもありません)」というshirou9237さんの主張には同意できない。

なぜ自分とshirou9237さんの主張が食い違うのか。ヒントを与えてくれる記述があったので、そこを見ていく。

【コメントの内容】

そしてよく考えて欲しいのが次の点。仮にその人が本来800万円分の働きしかなかったとする。それでも1000万円で雇われていたとすると、別の人材から無用に200万円分奪っているのです。

1000万円もらい続けられる無能な社員には「やさしい環境」が、その分犠牲になってるスキルある人間にとっては、努力してるのに報酬をもらえない「厳しい環境」なのです。もしくは非正規でいいから200万円くらい稼ぎたい共働き主婦の働き口をひとつ奪っているかもしれません。

社会全体でこういうロスを抱える構造問題になっているなら、解雇規制緩和は、有能な社員に対して囲い込むための労働環境改善や賃上げをうながしうるし、また人々も、より正当な対価を得られるなら努力するインセンティブになるでしょう。

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◎定額の人件費を分け合ってる?

仮にその人が本来800万円分の働きしかなかったとする。それでも1000万円で雇われていたとすると、別の人材から無用に200万円分奪っているのです」という断定は引っかかった。「別の人材から無用に200万円分奪っている」かどうかへの答えは「分からない」だ。

ほとんどの企業では、人件費の総額が絶対なものとして決まっているわけではない。1000万円もらっている人の給料が多すぎるから800万円に減らしたとしても、他の人の収入が増えるとは限らない。社用車の購入費や社長の交際費に回る可能性もある。shirou9237さんの主張には「労働者はあらかじめ決められた金額を奪い合っている」との前提を感じる。だが、現実はそうではない。

さらに言えば、800万円の年収が適正なのに1000万円もらっている“無能社員”がいるとしても、それは給与削減で対応すれば済む。浮いた200万円でパートを雇うのもいいだろう。解雇規制を緩和しなければ解決できない問題ではない。


※今回の件については「『転職しやすさが高成長を生む』? 日経の怪しい説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_75.html)、「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けての追加説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_90.html)を参照してほしい。

2016年10月25日火曜日

訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う

週刊東洋経済10月29日号に掲載された「10月15日号 訂正情報」に間違いを見つけたので、同誌の西村豪太編集長に問い合わせを送ってみた。内容は以下の通り。記事中の間違い握りつぶしに関して確信犯かつ常習犯の西村編集長が正しい判断を下せるとは考えにくい。それでも指摘はしておくべきだろう。

【東洋経済への問い合わせ】
床屋発祥の地碑(山口県下関市)
     ※写真と本文は無関係です


週刊東洋経済編集長 西村豪太様

10月29日号に掲載された「10月15日号 訂正情報」についてお尋ねします。「訂正情報」では「70ページの福岡県立筑紫丘高校の教訓が、『猷知』とあるのは、正しくは『叡智』です」(「猷」は実際には「八」の部分が逆さまになった字体)となっています。しかし、10月15日号で「猷知」となっているのは筑紫丘の「教訓」ではなく「校訓」です。

「訂正情報」の「教訓」は「校訓」の誤りだと考えてよいのでしょうか。「教訓」で問題ないとの判断であれば、その根拠を教えてください。誤りであれば、次号での訂正情報の訂正をお願いします。記事を訂正したのに、その訂正記事がまた間違っていたというのは、屈辱的な出来事だとは思います。しかし「読者の皆様のニーズを満たすべく努力を重ねています」と高らかに宣言した西村様に「逃げ」は許されません。「過ちて改めざる是を過ちという」。この言葉は西村様もご存じのはずです。訂正の訂正から目を背けずに、日本を代表する経済メディアとしての責務をしっかりと果たしてください。

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猷知叡智」の訂正については、筑紫丘の関係者やOB・OGから抗議が殺到したので、やむを得ず訂正に応じたのではないか。だが、訂正の訂正となるとハードルはぐっと高くなる。それだけに、訂正の訂正を出せたら東洋経済の英断に拍手を送りたくなるのだが…。


※西村豪太編集長については「道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html)、「『過ちて改めざる』東洋経済の西村豪太新編集長への手紙」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html)を参照してほしい。

追記)結局、回答も次号での再訂正もなかった。

「解雇規制の緩和」に関するコメントを受けての追加説明

10月7日の日本経済新聞朝刊総合・経済面に載った「エコノフォーカス~転職しやすさ、賃上げを刺激 勤続短い国は潜在成長率高め」という記事の問題点について「『転職しやすさが高成長を生む』? 日経の怪しい説明」という投稿で触れたところ、コメントが寄せられた。この件に関して追加で説明を試みたい。
つづら棚田(福岡県うきは市) ※写真と本文は無関係です

まず、以前には投稿で以下のように説明した。

【投稿の内容】

「解雇の金銭解決制導入」が「転職しやすい環境」につながるとも思えない。解雇規制を緩めれば「やむなく転職市場に放り出される人」は増えるだろう。しかし「転職しやすい環境」になるかどうかは別だ。常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはずだ。

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これに関して、以下のコメントが届いた。

【コメントの内容】

>常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはず

労働市場がダブついてればそうですけど、タイトなら労働者側有利になるでしょう。

あなたが自分で直前に「>『転職しやすい環境』になるかどうかは別」と言っておられてこれは賛成。なのになぜ次の瞬間「>採用されにく(い環境になる)」と言い出すのか。「>別(問題)」なんじゃなかったのか。

転職しやすさは労働市場のタイトさ≒(自然失業率を基準にした)失業率の趨勢で決まると考えるのが経済学を踏まえた普通の見解でしょう。そしてこれは金融・財政政策で調整する話。

問題はタイトなのに転職がしやすくならない場合、解雇規制緩和で長期的に労働環境を変えるべきかもしれない(これはまた別の分析が必要で当該日経記事では説明しきれてないのは事実)。また労働市場がダブついた場合セーフティネットできちんと対応する必要は当然ある。

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◎労働市場がタイトならば解雇規制緩和は「労働者側有利」?

まず、労働市場がタイトな場合、解雇規制の緩和によって転職市場で「労働者側有利」になるかどうか考えてみよう。

求人100人に対し、転職市場のプレーヤーが90人しかいないタイトな状況だと仮定する。ここに解雇規制の緩和によって新たに解雇された30人のプレーヤーが登場するとどうなるだろうか。求人に変化がなければ、少なくとも20人があぶれてしまう。この場合、「労働者側有利」にはならない。

30人を解雇した企業が新たに30人を雇えば需給には中立だが、日本の現状では解雇規制の緩和は企業に「社内失業者」を吐き出させる方向に働くとみている。なので新規の雇用は見込みにくい。

需要(求人)と供給(転職希望者)の関係で見ると、供給は少なければ少ないほど「労働者側有利」になる。解雇規制の緩和によって新たな供給を生み出すことが「労働者側有利」に働くとは考えにくい。労働市場がタイトな場合、供給が増えても大きな混乱なく吸収されるかもしれない。だが、それは「労働者側有利」に傾いているわけではない。

例えば、大手新聞社のバブル入社組が年収1000万円前後を得ているとしよう。解雇規制の緩和を受けて、大規模な解雇が相次いだとする。年収200万~300万円の仕事ならば山ほどあるが、年収800万円超の転職先はわずかしかない場合、それでも「労働市場はタイト」とは言える。

だが、この前提において、大手新聞社を解雇される年収1000万円の労働者は転職しやすいだろうか。「転職しやすさ」の定義次第だが、自分だったら「ただでさえ少ない椅子を、さらに多くの人間で奪い合い、それに失敗したら一気に年収を落とすしかない。環境は厳しいな」と思うだろう。少なくとも「労働者側有利だ」と喜ぶ気にはなれない。


◎「別(問題)」なんじゃなかったのか」について

次は「やむなく転職市場に放り出される人が増えること」と「転職しやすい環境になるかどうか」は別だと書いた件について。これはやはり「」だ。そして「常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはずだ」と続けた点にも問題は感じない。

今回の「別だ」とは「やむなく転職市場に放り出される人が増える=転職しやすい環境になる」ではないとの意味だ。「やむなく転職市場に放り出される人が増えることは転職のしやすさに影響を及ぼさない」と言っているわけではない。

以下の例文と構造は似ている。「自宅を何度も訪問して売り込めば熱意は伝わるだろう。だが、契約につながるかどうかは別だ。しつこい奴と思われて売り込みに失敗する可能性の方が高い」--。これで分かってもらえただろうか。


※追加での説明は以上。コメントしてくれた方が誰だか分からないが、拙文を読んでいただいたことには深く感謝したい。今回の件については「『転職しやすさが高成長を生む』? 日経の怪しい説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_75.html)、「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けてさらに説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_42.html)を参照してほしい。

2016年10月24日月曜日

日経「経営の視点~上場10年、出光の宿題」の曖昧な中身

何が言いたいのか判然としないボンヤリした内容と言えばいいのだろうか。24日の日本経済新聞朝刊企業面に載った「経営の視点~上場10年、出光の宿題  『話せば分かる』は通じない」という記事は、「『話せば分かる』は通じない」と言いながらも、「大切なのは、互いが『出光のために』という判断の軸を守る知恵と不断の対話である」などと話し合いの重要性も説いている。筆者の武類雅典コンテンツ編集部次長は「出光興産の上場10年に絡めて何か書こう」と考えたのだろう。だが、何を訴えるべきかは武類次長の中でも明確になっていないように思える。
水前寺成趣園(熊本市) ※写真と本文は無関係です

記事の具体的な中身を順に見ていこう。

【日経の記事】

ユーモアに富む書画で知られる江戸時代の禅僧、仙厓(せんがい)の展覧会が東京・丸の内の出光美術館で開催中だ。出光興産の創業者、出光佐三氏による出光コレクションの第1号作品である「指月布袋画賛」も展示されている。

この作品は、子供と月夜のそぞろ歩きを楽しむ布袋さんを描きながら、悟りに至る難しさをやさしく説く。佐三氏が19歳のとき、ほほえましい画に引きつけられ、購入したという。

厳しくも心温まる仙厓の禅画と比べ、今の出光のお家騒動はお寒い限りだ。昭和シェル石油との合併計画に対し、大株主の創業家が猛反対。ついには経営陣と創業家が没交渉となり、合併延期に追い込まれた。これでは、佐三氏が掲げた「人間尊重」や「大家族主義」の理念もかすむ。

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まず冒頭の絵の話が無駄だ。「厳しくも心温まる仙厓の禅画と比べ、今の出光のお家騒動はお寒い限りだ」といった程度の関連しか提示できないのならば、最初の2段落を使うのはやり過ぎだ。

指月布袋画賛」という作品から出光の経営問題解決のヒントが探れるというなら分かるが、そういうでもないようだ。これだけの紙幅を割くのであれば、記事の最後で「指月布袋画賛」の話に戻って「なるほど。これが言いたいために、冒頭であれだけ長く説明したのか」と思わせて着地させたい。しかし、そういう構成にはなっていない。

記事の続きを見ていこう。

【日経の記事】

創業家と経営陣の対立は多くの企業にとって無縁ではない。上場企業の過半数が「同族経営」という調査もある。セブン&アイ・ホールディングスのカリスマ経営者の退陣も、大戸屋ホールディングスの内紛も、大株主の創業家の意向を経営陣が読み誤ったことが一因だった。どうしたら、両者の足並みがそろうのか。

ヒントは世界有数の同族企業の再生に見つけられるかもしれない。ビッグスリー(米自動車大手3社)で唯一、法的整理にならずにリーマン・ショック後の苦境を乗りきった米フォード・モーターである。

「彼の下で世界的な経済危機を生き延び、極めて強い自動車会社になれた」。創業一族出身のビル・フォード会長は2年前、退任間近のアラン・ムラーリー社長兼最高経営責任者(CEO)の労をねぎらった。

ムラーリー氏は米ボーイング出身。2006年にスカウトされた。フォード入りの条件の一つはフォード氏が創業一族をまとめることだったという。雑音があったら、経営改革に専念できない。名門ゆえに難しい自動車ブランドの削減など大規模な合理化に踏み切れたのは、フォード氏の側面支援があったからだろう。

2人が「フォード」のロゴまで担保に入れて資金調達に走ったときは創業一族から心配の声が漏れた。しかし、このお金なしにフォードがリーマン後の窮地をしのぐことは難しかった。創業一族と経営陣のキーマンはどんなときでも「フォード第一」。互いの役回りを忠実に果たし続けた。

それこそ、フォード再生の土台であり、今の出光に欠けている規律である

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フォードは創業家と経営者が「フォード第一」という理念を共有していたから乗り切れた。しかし出光にはその「規律」が欠けていると武類次長は見ているようだ。経営陣も創業家も少なくとも表向きは「出光のため」と大義を掲げているのではないか。「出光は経営陣も創業家も出光第一になっていない」と武類次長が考えるのならば、「出光の場合は何が優先されているのか。そう言える根拠は何か」を示してほしかった。

さらに言うと、「出光第一」の理念を共有できていれば「両者の足並みがそろう」との考え方は甘すぎるのではないか。経営陣も創業家も「出光第一」に判断した結果、合併反対と賛成に分かれる可能性は十分にある。例えば、全ての政治家が国民第一に考えれば、国の舵取りで足並みがそろうだろうか。説明するまでもないだろう。

記事の残りも見ていこう。結論に納得できるかどうか考えてほしい。

【日経の記事】

出光は10年前のきょう、東京証券取引所第1部に上場し、経営陣は一般株主への責任も負った。そうした経営陣の役割に対し、創業家は十分に理解を示しているのか。一方、経営陣は、上場後も大株主の創業家と意思疎通に万全を期す工夫を重ねてきたのか。

合併問題がどんな形で決着するにせよ、大切なのは、互いが「出光のために」という判断の軸を守る知恵と不断の対話である

経営陣と創業家の考え方は代替わりや経営環境によって変わっていってもおかしくない。「話せば分かる」という、あいまいな関係に頼っていたら、経営の根っこが揺らぐ。長年の宿題を解かない限り、出光の将来に禍根を残す。

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自分が出光の経営陣か創業家の1人だとする。武類次長の助言を受け入れて、行動を改めるとしよう。では、具体的にどうすればよいのだろう。

大切なのは、互いが『出光のために』という判断の軸を守る知恵と不断の対話である」と書いてあるので、まずは「互いが『出光のために』という判断の軸を守る知恵」を出さなければならない。だが、「知恵を出せ」と言われても、今の状況でどうすべきかは武類次長も教えてくれない。「知恵」を求めているだけだ。

不断の対話」はまだ分かる。とにかく「話せば分かる」と考えて、粘り強く話し合うしかないか…と思っていると、次の段落では「『話せば分かる』という、あいまいな関係に頼っていたら、経営の根っこが揺らぐ」と出てくる。「ダラダラと話し合っても無駄。それぞれが合理的に判断して、それぞれの権利を行使すればいい」と理解すべきだろうか。だとすると「不断の対話」が大切という話は、どこに行ってしまうのか。

結局、どうしたらいいか分からなくなっていると、武類次長は「長年の宿題を解かない限り、出光の将来に禍根を残す」と記事を締めてしまう。だが、記事を読み直してみても、具体的にどうすれば「長年の宿題」が解けるのか見えてこない。

「囲み記事を書くときは結論部分から考えよう。その結論に説得力を持たせるように話を組み立てれば、今回のような何が言いたいのか分からない展開にはなりにくい」と武類次長には助言したい。そして、訴えたい結論部分が見つからない場合は、主題を見直した方がいい。


※記事の評価はC(平均的)。武類雅典コンテンツ編集部次長への評価もCとする。

2016年10月23日日曜日

キヤノン、栄研化学…基礎力を欠いた日経の企業関連記事

日本経済新聞の企業関連記事が相変わらずひどい。基礎力に欠けた記者が記事を書き、企業報道部のデスクがまともな手直しもせず紙面に載せているのだろう。今回は23日朝刊の企業面から2本のベタ記事を取り上げてみたい。
佐賀大学(佐賀市) ※写真と本文は無関係です

まずは「ロボアーム先端、3次元認識可能 キヤノンがシステム」という記事を見ていく。

【日経の記事】

キヤノンは産業用ロボットアームの先端に取り付けられる小型・軽量の3次元認識システムを開発する。ロボットの目として機能し、位置と向きを自動で解析しながら、アームにどこでどのように対象物をつかませるかの指示を出す。生産工程の自動化に生かせる新しいシステムとして工場向けなどに販売する考え。

3次元認識システムは可動式のため、様々な角度から対象物を認識できる。キヤノンは2014年に新規事業として同事業に参入した。

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開発した」と過去形になっていれば別だが、「開発する」ならば「いつから」は欲しい。さらに言えば、開発を終えて製品化に踏み切る時期をどう見ているかも入れた方がいい。

今回の記事では「産業用ロボットアームの先端に取り付けられる小型・軽量の3次元認識システムを開発する」という話が柱だ。だとすれば、従来の機種に比べてどの程度の「小型・軽量」を目指すのかも必須だ。「小型・軽量」の3次元認識システムをキヤノンがなぜ開発しようとしているのかも触れたい。従来のシステムでは「産業用ロボットアームの先端」に取り付けられないという問題があり、それを解決するための「小型・軽量」化かもしれないが、記事からは何とも言えない。

キヤノンは産業用ロボットアームの先端に取り付けられる小型・軽量の3次元認識システムを開発する」という記事を書こうとする時に基礎的な技術が身に付いていれば、どんなことが頭に浮かぶだろうか。

「いつ開発を始め、いつごろの製品化を目指すのか。何のために小型化や軽量化を進めるのか(従来のシステムでは何が足りないのか)。どの程度の小型化・軽量化になるのか。その開発はどの程度の難しさなのか。小型化・軽量化で他社に先行できるのか。どの程度の販売を見込むのか。価格は従来型と比べてどうなるのか」--。このぐらいは当たり前に思い付いてほしい。それができていれば、今回のように重要な部分がごっそり抜けた記事にはならないはずだ。

ついでに言うと「キヤノンは2014年に新規事業として同事業に参入した」の中の「新規事業として」は不要だ。「参入」するのであれば「新規事業」なのは自明だ。

次は「栄研化学 大腸がん検査薬、中東地域で拡販」という記事に注文を付ける。

【日経の記事】

臨床検査試薬大手の栄研化学は中東地域で大腸がん検査薬を拡販する。カタール政府が大腸がん検診を普及させる方針を決め、同社の大腸がん検査薬が採用された。来年から同国へ向けて納入を始める。今後、サウジアラビアなど中東地域の市場開拓を進める

栄研化学にとって大腸がん検査薬は海外向けの主力製品。16年3月期の海外向け売上高は約25%増の24億円

世界保健機関(WHO)によると2012年の世界のがん患者のうち10%は大腸がん患者で、国家による検診の導入が盛んだ。

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記事の冒頭に「拡販」という言葉が出てきたら、非常に高い確率で出来が悪いとみていい。日経産業新聞や日経MJで「埋めるための記事」を書くときによく使われる言葉だからだ。この記事を書いた記者も、日経産業新聞などを「埋める」過程で悪い知恵を得たのだろう。

中東地域で大腸がん検査薬を拡販する」という話で記事を作るならば、「大腸がん検査薬の中東での売上高が現状はどの程度で、それをどのぐらい増やすのか」は必ず入れてほしい。記事には「16年3月期の海外向け売上高は約25%増の24億円」と出ているだけだ。

この記事ではキヤノンの記事と同様に「Why」が抜けている。「なぜ中東なのか」は記事に欠かせない要素だ。「世界保健機関(WHO)によると2012年の世界のがん患者のうち10%は大腸がん患者で、国家による検診の導入が盛んだ」といった関連情報は、記事に欠かせない要素を全て盛り込んだ上で、それでも行数に余裕がある場合に入れればいい。

付け加えると「中東地域」は「中東」で十分だ。無駄な言葉はできる限り省いてほしい。

今回取り上げた2本の記事の筆者は「この記事に必ず入れるべき要素は何か。どの要素の優先順位が高いか」といったことをあまり考えずに書いているのだろう。「自分が仕入れてきた情報を何となく並べて、書こうとしていた行数に達したら終わり」といった作り方をしているのが透けて見える。

本来は企業報道部のデスクが指導すべきだが、それができていない。デスクが怠慢だとは思わない。デスク自身が日経の粗製乱造文化の中で育ってきたので、記事の問題点に気付けていない可能性が高い。そこに問題の根深さがある。


※記事の評価はいずれもE(大いに問題あり)。

FACTA「日経が中間決算で480億円の為替差損」に思うこと

FACTA11月号の「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事では、フィナンシャルタイムズを1600億円で買収した日経が、英国のEU離脱決定後のポンド下落で多額の為替差損を計上したと伝えている。ただ「来年の株主総会は大荒れになるだろう」との見立てには同意できない。
柳川の川下り(福岡県柳川市) ※写真と本文は無関係です

記事の後半部分を見てみよう。

【FACTAの記事】

そこまでポンドが下落しなくとも、なぜ、為替ヘッジしなかったのか? 経理担当は間違いなく責任を問われる。「ずっと持っているつもりだった」という弁明は通用しない。日経は社内株主ばかりとはいえ、来年の株主総会が大荒れになるだろう

「会長、社長を直撃したい」という記者たちの冗談は、不満の表れでもある。FT買収でマンパワーを関連部門にとられ、従来もひどかった現場の負担はますます重くなった。「お前ら、原稿製造機になりきらないと過労死するぞ」と、飲み屋で先輩記者が後輩を叱る光景が目に浮かぶ。

経営環境も厳しい。広告収入の落ち込みは前年比で2割を超え、新聞販売部数も落ち込んでいる。優位とされた電子版も加入者の伸びが50万前後で止まっており、FTの為替損と合わせ「4重苦」と揶揄する向きもある。

そんな中で、組合に対しては「新人事制度」と称して、キャップ(現場の元締め)クラスで100万円近い賃金カットが提示されている。一方、会長の肝いりで、現社長が発刊を担当したニッケイ・アジアン・レビューは巨額の赤字を出しながら見直しの観測もない。中間管理職の間には「失政を現場に押し付けるな」という怒りの声が渦巻くが、会長、社長にもの申す空気は皆無だという。企業の経営に厳しい目を向ける日経が、自分に甘くて紙面を信用してもらえるだろうか。社長が為替差損を語るインタビューを紙面に載せる度量を期待したいが、無理だろう

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記事の筆者は不明だが、日経OBでありFACTA発行人兼編集主幹でもある阿部重夫氏が何らかの形で関わっていると推定して話を進めていく。

上記のくだりで最も気になったのは「来年の株主総会が大荒れになるだろう」との見通しだ。阿部氏は日経の株主総会に出席したことがあるのだろうか。OB株主で厳しい質問をする人はいる。ただ、出席者は従順な社員株主がほとんどで、荒れる雰囲気はない。「来年の株主総会が大荒れになる」ためには、「社内株主」の多くが会社に目を付けられることを覚悟の上で発言するしかない。

個人的には「来年の株主総会が大荒れになる可能性はゼロに近い」と見ている。その理由はFACTAの記事にも書いてある。「中間管理職の間には『失政を現場に押し付けるな』という怒りの声が渦巻くが、会長、社長にもの申す空気は皆無だという」。「会長、社長にもの申す空気は皆無」なのに、社内株主ばかりの株主総会がなぜ「大荒れ」になると予測するのか。阿部氏に聞いてみたい。

ついでに言うと「ニッケイ・アジアン・レビュー」の「巨額の赤字」に関しては、おおよその数字でいいので、どの程度の赤字額なのか入れてほしかった。「巨額」と聞くと年間100億円を超える規模だと思えるが、「ニッケイ・アジアン・レビュー」でそれほどの赤字が出るとは考えにくい。それに、本当に「巨額の赤字」を出しているのならば、日経は「4重苦」ではなく「ニッケイ・アジアン・レビュー」も含めた「5重苦」だろう。

社長が為替差損を語るインタビューを紙面に載せる度量を期待したいが、無理だろう」との見方には全面的に同意できるのだが、今回の記事はその他の問題が目立ち過ぎた。


※記事の評価はD(問題あり)。記事中の「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」「『お前ら、原稿製造機になりきらないと過労死するぞ』と、飲み屋で先輩記者が後輩を叱る光景が目に浮かぶ」との記述についてはFACTAに質問を送った。これに関しては「包括利益は『平たく言えば含み損』? FACTAへの質問」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/facta.html)を参照してほしい。

2016年10月22日土曜日

包括利益は「平たく言えば含み損」? FACTAへの質問

FACTA11月号に「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事が載っている。内容は興味深いのだが、用語の説明が雑すぎる。まずはFACTAへ送った問い合わせの中身を紹介したい。
下関側から見た関門橋 ※写真と本文は無関係です

【FACTAへの問い合わせ】

FACTA 発行人兼編集主幹 阿部重夫様

11月号の「日経が中間決算で480億円の為替差損!」という記事についてお尋ねします。記事には「日経は中間決算で累積為替差損480億円を『包括利益』の喪失として計上した。包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」との記述があります。「包括利益」は純利益に有価証券など保有資産の時価変動分を加味した利益のことです。これを「平たく言えば、含み損のこと」と捉えるのは無理があります。「包括利益が100億円」という場合、例えば純利益120億円から含み損20億円を差し引いたものとなります。しかし「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」であれば、包括利益は20億円に近い金額となるはずです。

また、「包括利益=含み損」と理解すると、今回の記事では「日経の為替差損480億円=日経の含み損の喪失480億円」となってしまい、為替差損が日経の業績のプラス要素となってしまいます。「包括利益とは平たく言えば、含み損のこと」との説明は誤りと考えてよいのでしょうか。「平たく」が入っているとは言え、記事の解説は「包括利益」の正確な定義と大きく乖離しています。記事中の説明に問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

ついでで恐縮ですが、以下のくだりも理解に苦しんだので、問い合わせさせていただきます。

「FT買収でマンパワーを関連部門にとられ、従来もひどかった現場の負担はますます重くなった。『お前ら、原稿製造機になりきらないと過労死するぞ』と、飲み屋で先輩記者が後輩を叱る光景が目に浮かぶ」

これを読むと「原稿製造機になりきれば過労死を避けられる」との印象を抱きます。しかし「原稿製造機になりきれ」と言われると「仕事を選り好みせず、会社に言われるままひたすら原稿を吐き出し続ける疲れを知らない機械のような記者になれ」と求められているような気がします。それはむしろ過労死への道ではありませんか。

上記のくだりはどう解釈すればよいのでしょうか。個人的には「お前ら、原稿製造機になりきって会社から求められるままに記事を書き続けていたら過労死するぞ」となっている方が、日経記者への助言としては違和感がありません。

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※今回のFACTAの記事には色々と考えさせられる部分があった。それらについては「FACTA『日経が中間決算で480億円の為替差損』に思うこと」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/facta480.html)で触れたい。

※上記の問い合わせに対するFACTAの回答は「『包括利益は含み損』に関するFACTAの回答に抱いた期待」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/facta_28.html)で紹介している。

2016年10月21日金曜日

色々と腑に落ちない日経「ミネラルウオーター増産」

何か決定的な問題があるわけではない。しかし、21日の日本経済新聞朝刊 企業・消費面のトップ記事「ミネラルウオーター増産 市場急拡大、昨年9%増  アサヒ、生産能力2.3倍 サントリーは88億円で増強」は腑に落ちないところが色々とあった。特に「炭酸水」を「炭酸飲料」ではなく「ミネラルウオーター」にしているのが気になった。もちろん間違いではないのだが…。
中津城(大分県中津市) ※写真と本文は無関係です

記事の前半部分は以下のようになっている。

【日経の記事】

飲料各社はミネラルウオーターを増産する。アサヒ飲料とサントリー食品インターナショナルは生産設備を増強し、来春から供給を大幅に増やす。健康志向を背景に従来の炭酸飲料やコーヒーの市場規模が減少となる一方、ミネラルウオーター市場は急拡大している。けん引役は炭酸水や味・香りを付けた「フレーバーウオーター」で、各社は増産対応で女性などの需要を取り込む。

アサヒ飲料は子会社、富士山仙水(山梨県富士吉田市)の工場に33億円を投じて製造ラインを刷新し、来年4月から稼働させる。生産能力が従来の2.3倍にあたる年間900万ケースに高まり、炭酸水の生産も可能になる。ペットボトル容器を工場内で生産する設備も新たに導入する。

アサヒは2010年からペットボトル容器で炭酸水「ウィルキンソン」を販売。1~8月の同ブランドの販売数量は前年比3割増と好調に推移しており、8月には年間目標を前年比19%増の1500万ケースに上方修正した。

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◎「炭酸水」は「ミネラルウオーター」? 

記事によると「健康志向を背景に従来の炭酸飲料やコーヒーの市場規模が減少となる一方、ミネラルウオーター市場は急拡大している」らしい。そして「ミネラルウオーター市場」の牽引役が「炭酸水」だと書いてある。だが、「炭酸水」は「炭酸飲料」とも言える。

アサヒ飲料のホームページを見ると、炭酸水「ウィルキンソン」は「炭酸飲料」に分類されており、「」の商品情報には「アサヒおいしい水」しか出てこない。少なくともアサヒ飲料は「炭酸水炭酸飲料」と見なしている。

記事には「調査会社の飲料総研(東京・新宿)によると、2015年のミネラルウオーターの市場規模は前年比9%増の2億5750万ケース。うち炭酸水は3570万ケースで18%増と伸びている。炭酸飲料やコーヒーは前年割れが続く」との記述がある。飲料総研は炭酸水をミネラルウオーターの一種に分類しているので、「炭酸水ミネラルウオーター」との考え方もあるのだろう。

しかし、どちらにも分類できるのに「炭酸水が伸びているからミネラルウオーターが好調。炭酸飲料は不振」と言われても、あまり説得力はない。炭酸水を炭酸飲料に含めれば「炭酸飲料が好調」に変わるかもしれないからだ。


◎ミネラルウオーター全体の増産規模は?

アサヒ飲料の場合、「生産能力が従来の2.3倍にあたる年間900万ケースに高まり、炭酸水の生産も可能になる」のは「富士山仙水(山梨県富士吉田市)の工場」の話だ。炭酸水「ウィルキンソン」だけで「1500万ケース」の年間販売を見込んでいるのだから、他にもミネラルウオーターの生産拠点があるはずだ。

記事の冒頭で「飲料各社はミネラルウオーターを増産する」と書いて、その最初の事例としてアサヒ飲料を取り上げているのだから「アサヒ飲料全体で見るとミネラルウオーターの生産規模はどう変化するのか」という情報は入れてほしい。

今回の記事に登場するのはアサヒ飲料、サントリー食品インターナショナル、日本コカ・コーラグループの3社。サントリー食品に関する記述も見ていこう。

【日経の記事】

サントリー食品は鳥取県内の工場で製造ラインを増設する。総投資額は88億円で、来春に年間生産能力は現行の7割増にあたる2500万ケースに高まる。他の工場で好調な炭酸水やフレーバーウオーター「ヨーグリーナ」を増産しており、鳥取工場は近畿や中四国向けのミネラルウオーターの生産を増やす。

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◎「ミネラルウオーター」らしくない「フレーバーウオーター」

フレーバーウオーター」を「ミネラルウオーター」に含めているのが引っかかる。これも間違いとは言わない。ただ、サントリー食品のホームページを見ると、記事で紹介している「ヨーグリーナ」の原材料は「ナチュラルミネラルウォーター、糖類(砂糖、高果糖液糖)、乳清発酵液(乳成分を含む)、はちみつ、食塩、ミントエキス、酸味料、香料、酸化防止剤(ビタミンC)」となっていた。一般的な「ミネラルウオーター」のイメージとはかなり異なる飲料ではないだろうか。


◎これも全体の増産規模が…

サントリー食品に関しても「ミネラルウオーターを全体でどのぐらい増産するのか」が見えない。「年間生産能力は現行の7割増にあたる2500万ケースに高まる」のは鳥取工場の話で、他の工場でも増産はしているようだが、その規模は謎のままだ。

最後は、日本コカ・コーラグループに関する部分へ注文を付けたい。

【日経の記事】

日本コカ・コーラグループは1月、岩手県内でミネラルウオーターの生産設備を稼働させた。従来の青森、秋田両県の工場からミネラルウオーターの生産を集約し、新型機などを導入した。総投資額は約80億円。

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◎これは「増産」?

これは「増産」になるのかどうか判然としない。「飲料各社はミネラルウオーターを増産する」という話の中で出てくるのだから、普通に考えれば「増産」の事例のはずだ。しかし「生産を集約し、新型機などを導入した」との説明からは増産が読み取れない。しかも「生産設備を稼働させた」のは今年の1月でかなり前だ。

まとめ物にするのに2社では寂しいと考えて、日本コカ・コーラグループも強引に潜り込ませたのだろう。日経のまとめ物(特に企業関連記事)は多くがこうした問題を抱えている。そして改善の兆しすら見えてこない。


※記事の評価はD(問題あり)。

2016年10月20日木曜日

「フォード減産」使い回す日経 中西豊紀記者 不治の手抜き

日本経済新聞の中西豊紀記者の手抜きが凄い。19日の夕刊では1面で「主力のピックアップトラック フォード、米で減産」という記事を書き、その内容を膨らませてマーケット・投資1面で「ウォール街ラウンドアップ~『国民トラック』減産の意味」というコラムにしている。同じ日の夕刊で大幅に内容をダブらせて書く度胸には驚く。

競秀峰(大分県中津市) ※写真と本文は無関係です

中西記者の「ウォール街ラウンドアップ」は米国の株式市場とほとんど絡めずに自動車業界の話をあれこれして終わるだけという手抜きパターンが目立つ。今回もその例に漏れない。なので、19日のコラムは二重の意味で手抜きになっている。

ウォール街ラウンドアップ」の最初の方を見ていこう。

【日経の記事】

18日のダウ工業株30種平均は反発。好決算を発表したゴールドマン・サックスが上げ、資産運用大手のブラックロックも買いが先行した。

米国でピックアップトラックといえば、フォード・モーターの「F150」を指すとされる。そんな「国民車」の一時的な減産をフォードが決めた。F150を含めたFシリーズのトラックは9月の販売が前年同月比2.6%減。同社は「需要に生産量を合わせるため」とし、よくある生産調整の一環と説明する。

だが、額面通りに受け止める業界関係者はいないだろう。原油安と低金利でいまや米国の新車市場の6割はピックアップトラックなどの大型車。けん引役がFシリーズだったからだ。F150の需要減は米市場全体の冷え込みを連想させる。

実際は何が起きているのか。調査会社オートデータによると、9月の米新車販売は前年同月比0.5%減。前年割れは2カ月連続で、6年にわたり拡大を続けてきた新車市場は天井を付けた可能性が高い。フォードも7月時点で「2016年後半は販売が減る」との見通しを示している。

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米国の株式市場については「18日のダウ工業株30種平均は反発。好決算を発表したゴールドマン・サックスが上げ、資産運用大手のブラックロックも買いが先行した」と書いただけで、次の段落から何のつながりもなくフォードのピックアップトラックの話に移っている。記事では最後まで自動車業界絡みの話が続く。これでは「ウォール街ラウンドアップ」とは言い難い。

例えばフォードの株価動向と絡めて論じるのは難しくないはずだが、中西記者はそうした分析を試みようとはしない。市場関連記事を書くのが得意ではないのは分かる。だからと言って怠慢を続けていいわけではない。

自動車業界話としては出来がいいのかと言えば、そうでもない。例えば「よくある生産調整の一環」というフォードの説明を「額面通りに受け止める業界関係者はいないだろう」と述べた後に、その理由として「原油安と低金利でいまや米国の新車市場の6割はピックアップトラックなどの大型車。けん引役がFシリーズだったからだ」と解説している。

これでは「額面通り」に受け取れない理由になっていない。「よくある生産調整ですよ。心配は不要です」といった説明を額面通りに受け取れない場合、その会社の業績悪化が深刻であることを多くの人が知っているといった理由があるはずだ。記事にはその辺りの説明がない。

1面の記事と重複する情報が多いのも気になる。列挙してみたい。

【1面】

米フォード・モーターは18日、ピックアップトラックの旗艦車種「F150」の一部生産を24日から7日間休止することを明らかにした。(中略)ミズーリ州カンザスシティーの工場でラインを止める。

【マーケット・投資1面】

フォードの減産は24日から7日間、ミシガン州とミズーリ州にある2工場のうちミズーリを止める。

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【1面】

減産理由についてフォード広報は「需要に生産レベルをあわせるため」としている。

【マーケット・投資1面】

同社は「需要に生産量を合わせるため」とし、よくある生産調整の一環と説明する。

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【1面】

一部米報道ではFシリーズの販売店在庫は約3カ月と、健全水準の2カ月を大きく上回っているもよう。在庫のさらなる増加を防ぐため、早期の生産調整に踏み切ったとみられる。


【マーケット・投資1面】

一部報道では、9月末のFシリーズの店頭在庫は93日と年初の83日を上回っているもよう。65日程度が健全域とされる中、約3カ月もの在庫は調整が不可欠だ。

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【1面】

調査会社オートデータによると、9月の米新車販売は前年同月比0.5%減。6年拡大が続いた新車市場に飽和感が強まるなか、人気のピックアップトラックも例外ではなくなっている。

【マーケット・投資1面】

調査会社オートデータによると、9月の米新車販売は前年同月比0.5%減。前年割れは2カ月連続で、6年にわたり拡大を続けてきた新車市場は天井を付けた可能性が高い。

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「『ウォール街ラウンドアップ』のために新たなネタを用意するのは労力の無駄だ。こんなコラムはネタの使い回しで対応すれば十分」「『ウォール街ラウンドアップ』なんて、最初に米国の株式市場の話をちょっと入れれば、後は『ウォール街』と関係のない話に終始しても問題ない」--。中西記者にはこんな認識があるのだろう。そうでなければ、ここまでの手抜きはできない。

中西記者の手抜きについては「不治の病」だと思える。対処法としては「ウォール街ラウンドアップ」の筆者から外すしかない。市場関連記事を書きたいという意欲は中西記者にもないはずだ。やる気のないニューヨークの記者にコラムを任せるぐらいなら、東京本社の証券部で「NY市場に関して書きたいことがある」と手を挙げた記者に頼る方がはるかに好ましい。


※記事の評価はD(問題あり)。中西豊紀記者への評価もDを据え置く。同記者に関しては「日経 中西豊紀記者『ウォール街ラウンドアップ』の低い完成度」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_5.html)「苦しすぎる日経 中西豊紀記者『ウォール街ラウンドアップ』」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_45.html)「日経『ウォール街ラウンドアップ』中西豊紀記者の安易さ」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_61.html)も参照してほしい。

2016年10月19日水曜日

1割出資でもインドネシアのネット通販「参入」?日経の偽り

三井物産はインドネシアでインターネット通販に参入する」と聞いたら、どうイメージするだろうか。「三井物産が経営権を持つ子会社を通じてインドネシアでネット通販を始めるのだろう」と思うのが普通ではないか。しかし、19日の日本経済新聞朝刊企業面に載った「三井物産、インドネシアで通販 中間層に的 現地企業に出資」を読むと「参入」とは言い難いようだ。
青の洞門(大分県中津市) ※写真と本文は無関係です

記事の前半部分を見てみよう。

【日経の記事】

三井物産はインドネシアでインターネット通販に参入する。大手財閥リッポー・グループで通販サイト「マタハリモール」を運営する企業に出資する。現地のネット通販市場は急拡大する見通し。人材を派遣して内部統制の強化や商品調達を支援する。日本企業の商品の浸透にもつなげる。全国に百貨店やスーパーを展開し、ブランド力を持つ財閥と組み、中間層の消費者を開拓する。

11月に数十億円を投じ、サイトを運営するグローバル・イーコマース・インドネシア(GEI)の株式の約1割を取得する。マタハリモールは15年9月にサービスを始めた。後発だが国内150店を展開するグループの百貨店「マタハリ」ブランドを掲げ、認知度を生かして消費者向けネット通販で上位に入る

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三井物産はインドネシアの大手財閥系のネット通販会社に約1割の出資をするだけのようだ。これで「三井物産はインドネシアでインターネット通販に参入する」と言われても困る。三井物産から社長を送り込んで、事業内容も同社主導で大幅に見直すというならば、1割出資で「参入」を使っても許容範囲かもしれない。しかし、記事には「人材を派遣して内部統制の強化や商品調達を支援する」としか書いていない。これだと市場への「参入」というより「大手財閥リッポー・グループ」との提携だ。

ただ、この記事では日経整理部の良心が感じられる。記事の書き出しが「三井物産はインドネシアでインターネット通販に参入する」となっていれば、普通は見出しにも「参入」を使う。だが「三井物産、インドネシアで通販 中間層に的 現地企業に出資」と「参入」を避けた上で「現地企業に出資」と入れている。「この内容で『参入』は無理がある」と整理担当者が判断したのではないか。

ついでに言うと「認知度を生かして消費者向けネット通販で上位に入る」という漠然とした書き方は感心しない。具体的な順位が無理ならば、せめて「10位以内に入る」ぐらいの情報は入れたい。「『上位』だとは分かってるが、それが10位以内なのか50位以内なのか分からない」といった状況ならば、「上位に入る」と記事に盛り込むのは見送るべきだ。


※記事の評価はD(問題あり)。

2016年10月17日月曜日

「転職しやすさが高成長を生む」? 日経の怪しい説明

経済記事では、データの扱いが非常に重要だ。そのデータの扱いで問題が生じやすいのは、相関関係に関するものだ。相関関係から勝手に因果関係を導き出すと、ご都合主義的な解説に陥りやすい。17日の日本経済新聞朝刊総合・経済面に載った「エコノフォーカス~転職しやすさ、賃上げを刺激 勤続短い国は潜在成長率高め」という記事にも、その危うさがある。
福岡県立浮羽究真館高校(うきは市) ※写真と本文は無関係です

筆者の川手伊織記者は記事の冒頭部分で「海外では転職のしやすさ(流動性)が高成長につながる傾向が認められ、賃上げへの波及効果も期待できそうだ」と書いている。この説明が妥当かどうか考えてみたい。

【日経の記事】

まず経済協力開発機構(OECD)や米労働省のデータをもとに、日米欧など35カ国の「勤続10年以上の従業員の割合」を調べた。データがそろう12年時点でみると日本は47%。ギリシャ、イタリア、ポルトガルの南欧3カ国に次いで高い。

経済の中長期的な実力を示す潜在成長率では日本は0.3%だった。こちらは南欧3カ国に次ぐ低さだ。

勤続年数が短い米国やオーストラリアは潜在成長率も高めだ。35カ国全体では「勤続10年以上の割合が10%低いと、潜在成長率は1.4ポイント高い」という関係性が浮かぶ

もちろん潜在成長率を左右する要素はその国の人口や投資(資本投入量)、技術革新の度合いなど様々だ。だが労働投入という切り口から見てみると、転職が活発になるほど人的資本が収益力のより高い成長部門に移動しやすくなり、経済全体を底上げするという流れを裏付けているようだ

潜在成長率の上昇に伴って経営者は経済成長の先行きに楽観的になる傾向も強い。強気の収益見通しを立てやすくなる分、賃上げにも応じやすくなる。内閣府の分析では、企業が成長率予測を1ポイント引き上げると、1人あたり人件費の前年比伸び率も1.3ポイント高まる。

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記事には「潜在成長率」と「勤続年数10年以上の従業員の割合」の関係を示すグラフが付いている。「労働市場で人の入れ替わりが活発なほど、潜在成長率が高い傾向にある」というタイトル通りのグラフになっている。両者に相関関係があるのは認めていい。

だが、因果関係に関しては特に根拠を示していない。川手記者の推測なのだろう。

「推測だから意味がない」とは言わない。ただ、因果関係は川手記者の推測とは逆だと考える方が自然だ。「勤続年数10年以上の従業員の割合」を低くすると「潜在成長率」が高まるのではなく、「潜在成長率」が高い社会だから「勤続年数10年以上の従業員の割合」が低くなるのではないか。

当然だが、若年層の比率が高い社会では「勤続年数10年以上の従業員の割合」は低くなる。こうした社会では出生率が高く、人口も増えやすい。ゆえに潜在成長率も高くなりそうだ。

人口増加以外の何らかの理由(例えば技術革新)で潜在成長率が高まった場合も、新産業が急成長してそちらに労働者が移るので「勤続年数10年以上の従業員の割合」は低くなるだろう。このように「潜在成長率が高くなると労働者の流動化も進む」という因果関係には説得力がある。

川手記者は「労働者の流動性を高める→潜在成長率が高まる→賃上げが進む」という関係を記事で提示している。しかし、実際には「潜在成長率が高まる→労働者の流動性が高くなる」という因果関係だとしたら、解雇規制を緩めたところで賃上げにはつながらない。

因果関係の説明が苦しい部分は他にもある。

【日経の記事】

野党などでは安倍政権が目指す解雇の金銭解決制導入や「脱時間給」で非正規化や賃金カットが広がるとの反発が強い。だが脱時間給で職務本位の採用が進むなどして転職しやすい環境になれば、経済の生産性が高まって働き手への恩恵も広がりそうだ

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上記のくだりはさらに強引だ。なぜ「脱時間給」にすると「職務本位の採用が進む」のか。ほとんど関係ないだろう。「解雇の金銭解決制導入」が「転職しやすい環境」につながるとも思えない。解雇規制を緩めれば「やむなく転職市場に放り出される人」は増えるだろう。しかし「転職しやすい環境」になるかどうかは別だ。常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはずだ。

「解雇規制を緩和したり、残業なしで働くようにしたりすれば、労働者にもメリットが大きいんですよ。経済が成長して賃上げも進むんですよ」と川手記者は訴えている。本気でそう思っているのか、日経の社論に合わせて仕方なく記事を書いているのかは分からない。

いずれにしても、解雇規制の緩和や「脱時間給」が経済を成長させ、賃上げを呼び込むと考えるのは無理がある。例えば、日本では1990年代以降に非正規雇用の比率が高まった。非正規だと雇用が安定しないので、実質的な“解雇規制の緩和”とも言える。非正規に関しては労働者の流動性も高い。それが日本の潜在成長率引き上げや持続的な賃上げにつながっただろうか。

今回の記事を読んで「そうか。解雇規制の緩和とかを進めた方が労働者のためなんだ」と素直に信じる人も少なくないだろう。そう考えると川手記者は罪深い。


※記事の評価はD(問題あり)。川手伊織記者への評価も暫定でDとする。この投稿に寄せられたコメントについては「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けての追加説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_90.html)、「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けてさらに説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_42.html)を参照してほしい。

サブローは「ロッテ一筋」?週刊ダイヤモンドに明らかな誤り

週刊ダイヤモンド10月22日号の「洞察 脇役が主役に変わるとき(#118)ロッテファンから愛され引退 PL後輩サブローとの思い出」という記事に間違いを見つけた。引退を表明したロッテのサブロー選手の写真に「ロッテ一筋でファンから深く愛されたサブロー」との説明文が付いていたが、サブローは巨人でのプレー経験がある。
震災後の熊本城(熊本市) ※写真と本文は無関係です

ダイヤモンドには、以下の内容で問い合わせを送っておいた。

【ダイヤモンドへの問い合わせ】

雑誌編集局長 鎌塚正良様 編集長 田中博様

10月22日号の「洞察 脇役が主役に変わるとき(#118)ロッテファンから愛され引退 PL後輩サブローとの思い出」という記事に誤りがあります。記事中のサブロー選手の写真に「ロッテ一筋でファンから深く愛されたサブロー」という説明が付いていますが、サブロー選手は2011年に巨人でもプレーしています。記事で触れた「引退試合として行われた9月25日のロッテ対オリックス戦(QVCマリン)」には、巨人で共に戦った選手らも観戦に訪れて声援を送ったようです。

今回の件に関して御誌の回答をお待ちしています。誤りではないとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。根拠を示せない場合、次号での訂正記事の掲載をお願いします。週刊ダイヤモンド編集部では、読者からの間違い指摘を無視したり、記事中の誤りを握りつぶしたりする対応が当たり前になっています。メディアとしての在り方を見つめ直した上で、責任ある行動を取るように心がけてください。

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ダイヤモンドのこれまでの対応を考えると、回答はないだろう。訂正が出るかどうかも微妙だ。ミスであれば、誤りを認める回答をして訂正記事を載せる。そんな基本的なことさえできなくなったダイヤモンドの惨状が悲しい。

今回、筆者の宮本愼也氏(プロ野球解説者)を責める気はない。写真に説明文を付けたのはダイヤモンド編集部だと思えるからだ。

ただ、編集部が宮本氏にゲラのチェックをさせたのかどうかは少し気になる。宮本氏がゲラを見て「ロッテ一筋」という言葉を目にしたら、誤りに気付いてくれただろう。もちろん「ゲラは見たが、写真までは注意していなかった」との可能性も残る。


※今回は整理担当者のミスだと思われるので、記事や筆者への評価は見送る。

追記)結局、回答はなかった。

2016年10月16日日曜日

日経 辻本浩子論説委員「育休延長、ちょっと待った」に注文

女性問題を論じる記事を女性が書くとある種のバイアスが働きやすい。「女性筆者バイアス」とでも名付ければいいのだろうか。世の中には様々な女性がいるが、記事を書くのは大学教授や大手メディアの記者といったいわゆるバリバリのキャリアウーマンがほとんどだ。女性の中で勉強ができる方から1%の層とも言える。そうした女性が女性問題を論じると、どうしても「キャリアウーマン目線」が強くなる。
佐嘉神社 松原恵比須社(佐賀市)
           ※写真と本文は無関係です

16日の日本経済新聞朝刊 日曜に考える面に載った「中外時評~育休延長、ちょっと待った 女性の活躍に水差す懸念」という記事にも、そうしたバイアスを感じた。辻本浩子論説委員が書いたその記事の一部を見てみよう。

【日経の記事】

働く側と企業側。それぞれ立ち位置が異なるからこそ、違う意見が出る。一方が強く推せば、もう一方が待ったをかける。国の審議会では長年、そんな光景が繰り返されてきた。

しかし今、労使がともに慎重な姿勢で一致している論点がある。何のテーマか。育児休業の延長だ。

9月から、労働政策審議会の分科会で議論が始まった。国からのお題は両立支援策。とりわけ、原則子どもが1歳になるまで、最長で1歳半までという育休の期間をどう考えるかだ。待機児童の問題が解消せず、この間に預け先が見つからない人がいることが背景にある。

選択肢が増えるのはいいことでは? そう思えるかもしれないが、慎重なのには理由がある。「女性の活躍に水を差す」。そんな懸念がぬぐえないのだ。

中略)むろん、育休の延長にメリットがないわけではない。働きたいのに保育所に入れず、やむなく退職していた人には大きな助けとなる。

待機児童がいる自治体は、全国の2割ほどだ。多くの地域では、現状の制度のなかで復帰できている。保育サービスを増やそうと、今年度から企業による事業所内保育の運営への新たな助成も始まった。こうした状況も考慮する必要がある。

審議会は延長についての意見を年内にまとめる予定だ。育休の取得率は、女性は8割を超えているのに対し、男性の取得率は2.65%だ。この状況にメスを入れないまま延長だけが進めば、デメリットは女性に偏ってしまう

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引っかかったのは「この状況にメスを入れないまま延長だけが進めば、デメリットは女性に偏ってしまう」との説明だ。「育児休業の延長」で何か女性にデメリットがあるだろうか。育休期間を強制的に延長させられるのであれば、デメリットはあるだろう。実際には、辻本論説委員も書いているように「選択肢が増える」だけだ。

それでも「女性の活躍に水を差す」と辻本論説委員は訴える。育休期間はなるべく短くして、女性が職場でキャリアを積むことが女性にとっての望ましい姿であり、それができなくなるのは「デメリット」だと辻本論説委員は思い込んでいるようだ。安倍政権の掲げる「女性活躍」にそうした価値観があるのは否定しない。しかし、それを辻本論説委員が支持する必要はない。政府の姿勢とは関係なく、女性全体(あるいは社会全体)で見れば何がメリットで何がデメリットなのかを考えてほしい。

さっさと職場復帰してキャリアを積みたいと考える女性に、それを妨げない制度を用意してあげるのはいいだろう。一方、長めに育休を取って、多少キャリアを犠牲にしてでも子供と過ごす時間を取りたいと考える女性もいるはずだ。子供を持つ女性を半ば強制的に前者へ誘導する社会よりも、幅広い選択肢を提示できる社会の方が望ましいと辻本論説委員は考えないのだろうか。

キャリア系女性筆者の多くは「自分と同じような働き方が素晴らしいんだ。だから他の女性ももっと働くべきだ」と考えがちだ。それが記事にも反映される。記事の中で辻本論説委員は「長期の育休で女性がキャリアを積む機会が減ってしまえば、本人の将来に響く」とも書いている。「将来に響いてもいいから長く子供と一緒にいたい」と願う女性は、辻本論説委員にとっては「間違った方向に進んでいるから正してあげるべき対象」なのだろう。

「育休期間が長くなる=女性活躍を妨げ、本人の将来にもマイナス」という考えに基づくと、子供の数はゼロがベストで、多ければ多いほど女性にとっての「デメリット」となってしまう。しかし、これに賛成する人は稀だと思える。

記事では、「少子高齢化が進む日本は、女性の力を生かさなければ立ちゆかない。そのためにどんな対策が必要なのか。各省庁にまたがる施策全体を見まわして、方向性を示すことは、13年に『女性活躍』を掲げて働く女性の後押しを約束した首相の役割だろう」と結論を導いている。

少子高齢化が進む日本は、女性の力を生かさなければ立ちゆかない」というと、まだ女性の力を生かしていないような印象を受ける。しかし、戦時中でも高度成長期でも日本にとって「女性の力を生かさなければ立ちゆかない」状況は変わらない。女性の力なしで戦後の復興を実現できたのだろうか。現代でも、その力の生かし方は多種多様だ。辻本論説委員と同じような働き方に女性を導くことばかりが「女性活躍」ではないはずだ。


※記事の評価はC(平均的)。辻本論説委員への評価はD(問題あり)を据え置くが、強含みとする。

2016年10月15日土曜日

説明不足が目立つ日経 高見浩輔記者の「真相深層」

13日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「真相深層~損保ジャパン、市場激変にらみ先手 電光石火の米大手買収 『15歳の巨人』開拓のテコに」という記事で「日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった」との誤りだと思われる説明があったことは既に述べた。ここでは、それ以外の問題点を指摘したい。
佐賀城 鯱の門(佐賀市) ※写真と本文は無関係です

記事を最初から見ていく。

【日経の記事】

SOMPOホールディングス(HD)傘下の損害保険ジャパン日本興亜が5日、米国で事業展開する企業保険大手エンデュランス・スペシャルティ・ホールディングスの買収を発表した。63億ドル(約6375億円)という買収額は国内金融機関で歴代3位。わずか半月の交渉で合意に至ったビッグディールは、激動期に入った保険業界のスピード感を象徴する。

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ビッグディール」は使う必要のない横文字だ。「大型買収」とでもすれば事足りる。高齢者も多い日経の読者に「ビッグディール」という言葉が十分浸透しているとは考えにくい。文字数も増えてしまう。筆者の高見浩輔記者は読者のことをあまり考えずに記事を書いているのだろう。

この後も問題は続く。

【日経の記事】

「会社を売るつもりはなかった。でも、コーヒーを飲んで話しているうちに気づいたんだ。これはチャンスだって」。エンデュランスのジョン・シャーマン最高経営責任者(CEO)の話し相手は、SOMPOでM&A(合併・買収)を担当する執行役員のナイジェル・フラッド氏。ディールが成立する半月前、9月中旬の出来事だった。

2001年組――。エンデュランスのほか、アライド・ワールドやアクシスキャピタルなど同年設立の保険大手をまとめて海外でこう呼ばれる。その成り立ちは劇的だ。きっかけは9月11日の米同時テロ。企業財産や航空機などあらゆる分野でテロという未知のリスクが生まれた。だがこれは同時に損害保険にとって巨大な市場が生まれた瞬間でもあった。

世界がぼうぜん自失としていた01年末までのわずか3カ月間。北大西洋に浮かぶ英領バミューダでは「ゴールドラッシュ」が起きていた。投資ファンドなどから合計で1兆円を超える資本が注ぎ込まれ、他の保険会社から保険契約のリスクを引き受ける「再保険」を目的に、相次いで保険会社が設立された。

そのさなかにアクシスキャピタルを創設したのが、すでに「ロンドン保険市場の王」と呼ばれていたシャーマン氏だ。13年に01年設立のエンデュランスのCEOに就任。15年には同じく01年組のモンペリエを買収して会社を急成長させた。

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コーヒーを飲んで話しているうちに気づいたんだ。これはチャンスだって」とのコメントがあるが、どんな話が出たから「チャンス」と気付いて心変わりしたのか、記事を最後まで読んでも分からない。このコメントを使うならば、チャンスだと感じた理由は必須だ。

きっかけは9月11日の米同時テロ。企業財産や航空機などあらゆる分野でテロという未知のリスクが生まれた」との説明も引っかかる。例えば1993年にもニューヨークの世界貿易センタービル地下駐車場で爆破テロ事件があったはずだ。

高見記者は2001年の米国同時多発テロによって「テロのない世界」から「テロのある世界」へ移行したと認識しているようだ。しかし、それ以前の世界でもテロは「未知のリスク」ではなかったと考える方が自然だ。

世界がぼうぜん自失としていた01年末までのわずか3カ月間」との記述も納得できない。米国は同時多発テロから間もない01年10月にはアフガニスタンへの侵攻に踏み切っている。それでも「世界が茫然自失となっていた」と言えるだろうか。当時、特に米国ではテロへの憎悪が燃え上がっていて「茫然自失」とは程遠い状況だった気がするが…。

さらに記事の続きを見ていく。

【日経の記事】

「15歳の巨人」はいま、次のゴールドラッシュを見据える。あらゆるモノがインターネットとつながるIoT、自動運転、人工知能(AI)――。産業構造は今後、劇的な変化が予想される。そこで生まれる新たなリスクは、保険業界にとってフロンティアとなる。

たとえばサイバー攻撃で発生した情報漏洩などの被害を補償する保険はIoT時代には不可欠な金融商品だ。12年に8.5億ドルだったサイバーリスク保険の収入保険料は14年に25億ドルに拡大。プライスウォーターハウスクーパース(PwC)は25年には75億ドルまで拡大すると予想する。

今回はジャパンマネーが成長の原資となる。トムソン・ロイターによると15年の国内保険による海外買収は、170億ドルと過去5年平均の5倍に膨らんだ。東京海上日動火災保険が買収したトキオマリン・キルン、三井住友海上火災保険傘下のMSアムリン、SOMPOキャノピアス――。英ロイズのフロアは日系傘下に入った名門企業の名前であふれている

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注釈なしに「英ロイズのフロアは日系傘下に入った名門企業の名前であふれている」と言われて、事情を飲み込める読者がどの程度いるだろう。なぜ多くの保険会社が「英ロイズのフロア」にオフィスを構えているのか、ロイズとは何なのかの説明は欲しい。

サイバー攻撃で発生した情報漏洩などの被害を補償する保険」を「保険業界にとってフロンティア」と捉えるのも苦しい。デジタルデータの情報漏洩のリスクはかなり前からあった。「IoT時代」になって新たに現れたリスクのように書かくのは大げさだ。記事でも、2012年の段階で「サイバーリスク保険の収入保険料」は既に「8.5億ドル」あったと記している。

記事の残りの部分は以下のようになっている。

【日経の記事】

国内損保が海外に踏み出した最大の問題はやはり人口減少だ。損保会社の保険料収入は半分が自動車保険。だが人口が減れば、自動車販売も先細りになる公算が大きい。自動運転が普及すれば、ドライバーにかける保険の形も変わり、市場規模が急速に変化するとの見方もある。

自然災害によるリスクも徐々に深刻になってきた。ある損保大手で秘密裏に算出している台風など自然災害の発生に伴う損失の発生リスクは海面温度の上昇などで世界的に上昇する一方だという。海外買収には自然災害リスクの地理的な分散を図る狙いもある。

日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった。保険会社が企業に出資するケースが多く、外資系は企業向け取引に入りにくいためだ。サイバーリスク保険など次代を先取りする新商品の開発力も欧米勢に比べ見劣りする。

「グローバルな市場は変化が激しい。顧客ニーズにいち早く対応できる体制が大事だ」。10月5日、SOMPOの桜田謙悟社長と一緒に会見に臨んだシャーマン氏は「スピード」の大切さを強調した。「15歳の巨人」が体現するダイナミズムを取り込めるかどうか。国内保険に重要な転機が訪れた。

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買収対象となったエンデュランス・スペシャルティ・ホールディングスについて、記事では「米国で事業展開する企業保険大手」で、「再保険」を目的に2001年に設立されたといった程度の情報しかない。買収する側の事情は色々と書いているが、その状況に適した買収対象がなぜエンデュランスなのかは明確ではない。「自然災害リスクの地理的な分散を図る」だけなら、他の外資系保険会社でもいいはずだ。

この記事では、「なぜ買収対象はエンデュランスなのか」「なぜエンデュランスは買収を受け入れたのか」が、かなり漠然としたままだ。例えば「サイバーリスク保険でエンデュランスは圧倒的な強さを持つ」といった話があれば、買収理由については納得できるのだが…。

「自分が分かっていることは読者も分かっているはずだ」との前提で高見記者は記事を書いているのではないか。「読者にきちんと伝わるだろうか」との恐れをもっと強く持たないと、優れた書き手にはなれない。そこは強く認識してほしい。


※記事の評価はD(問題あり)。高見浩輔記者への評価も暫定でDとする。「日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった」という説明の問題点については「『損保市場は長らく鎖国状態』? 日経『真相深層』の誤り」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_13.html)を参照してほしい。

2016年10月14日金曜日

日銀の長期金利誘導は「世界初」? 日経「日銀ウオッチ」

13日の日本経済新聞夕刊マーケット・投資2面に載った「日銀ウオッチ~走った総裁、果たした責任」という記事では、日銀が「長期金利を金融政策の誘導目標に置く」ことを「世界で初めて」の試みだと書いていた。しかし、1940年代の米国で似たような政策があったはずだ。日経の別の記事でも「黒田日銀が9月に導入した長期金利誘導には『前例』がある」と述べている。
水前寺成趣園(熊本市) ※写真と本文は無関係です

この件で日経に以下の問い合わせを送った。

【日経への問い合わせ】

10月13日の夕刊に掲載された「日銀ウオッチ~走った総裁、果たした責任」という記事についてお尋ねします。記事には「予定通りにG20会議の席に着いた総裁は、異次元緩和の『総括的な検証』を踏まえ、新たな金融政策の枠組みへの移行理由を説明。世界で初めて長期金利を金融政策の誘導目標に置く試みを自らの口で伝えるという責任を果たした」との記述があります。

一方、10月6日付の日経電子版の「金利くぎ付け、米国の経験  日本国債 見えざる手を冒す(1)」という記事で石川潤記者は以下のように書いています。

「黒田日銀が9月に導入した長期金利誘導には『前例』がある。米連邦準備理事会(FRB)が1942年春に導入した長期金利を2.5%以下に抑え込む政策だ(中略)FRBが長期金利の操作を始めたのは、1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃がきっかけだ。政府が低利で戦費を調達できるように、42年春に短期金利(3カ月物)を0.375%に固定し、長期金利(25年債利回り)は2.5%を上回らないようにすることをひそかに決めた」

馬場記者を信じれば、世界で初めて「長期金利を金融政策の誘導目標に置く試み」を実行に移したのは日銀のはずです。しかし、石川記者は1940年代の米国に「前例」があると書いています。40年代の米国での長期金利の固定化政策に関しては、他のメディアも言及しており、日銀を「世界初」とする馬場記者の説明が誤りだと思えます。仮に馬場記者の説明が正しいとすれば、石川記者の解説が誤りとなります。

どちらの記事の説明が間違っているのでしょうか。いずれも正しいとの判断であれば、その根拠も併せて教えて下さい。

日経では、記事中の間違いを放置するのが当たり前になっています。憂慮すべき事態ですが、改善の兆しさえ見られません。日本を代表する経済メディアとして責任ある行動を心がけてください。

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黒田日銀が9月に導入した長期金利誘導には『前例』がある」ことを馬場記者は知らなかったのだろう。日銀担当記者としては勉強不足だとも言えるが、知らなかったこと自体を責めるのは酷だと思う。ただ、きちんと確認せず「世界で初めて」と書いたのは問題だ。

記事を書いた経験がそこそこあれば「初めて」と言い切るのは危険だと認識していなければならない。もし、この認識ができていれば今回のミスは生じなかっただろう。


※「日銀ウオッチ」の評価はD(問題あり)。馬場燃記者への評価も暫定でDとする。

追記)結局、回答はなかった。

2016年10月13日木曜日

「損保市場は長らく鎖国状態」? 日経「真相深層」の誤り

日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった」--。この説明は誤りだと思える。しかし、13日の日本経済新聞朝刊総合1面の「真相深層~損保ジャパン、市場激変にらみ先手 電光石火の米大手買収 『15歳の巨人』開拓のテコに」という記事で筆者の高見浩輔記者は「長らく鎖国状態にあった」と言い切っている。なので日経に問い合わせを送ってみた。内容は以下の通り。
門司港(福岡県北九州市) ※写真と本文は無関係です

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 高見浩輔様

10月13日付の朝刊に掲載された「真相深層~損保ジャパン、市場激変にらみ先手」という記事についてお尋ねします。記事の中に「日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった」との説明があります。しかし、「鎖国状態にあった」のは戦中の一時期ぐらいではありませんか。外国損害保険協会のホームページには以下の記述があります。

「1917年(大正6年)には、イギリス系を中心に外国保険会社は29社が営業し、約20%のマーケットシェアを占めていた。第二次大戦によりこれら外国保険会社は日本から撤退するに至ったが、第二次大戦の終結にともないGHQとともに外国保険会社は日本に再進出した。当初はGHQの営業免許により進駐軍の軍人・軍属等に限って営業していたが、1949年(昭和24年)に『外国保険事業者に関する法律』が制定されるにいたり、これらの外国保険会社も大蔵省の営業免許を取得し、漸次日本人・日本企業向けの営業を開始した」

例えば、米国系のAIU保険のホームページには「戦後間もない1946年、日本においてAIU保険会社の前身の会社が営業を開始して以来、外資系損害保険会社として長年にわたってお客さまからのご支援を賜り、60年以上の歴史の中で大きく成長してまいりました」との社長挨拶文が掲載されています。

こうした点を考慮すると「日本の損保市場は長らく鎖国状態にあった」との記述には疑問が拭えません。記事の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断であれば「鎖国状態=外資が日本に進出できない状態」が損保市場で長く続いたと言える根拠を示してください。

日経では記事中のミスを放置したまま闇に葬り去る例が後を絶ちません。読者からの間違い指摘も当たり前のように無視してしまうのが習い性となっています。メディアとして責任ある行動を心がけてください。

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高見記者に弁明させれば「『鎖国状態』というのは外資系のシェアが非常に低い状態を指している」とでも言いそうな気がする。だが、シェアが低いからと言って国を閉じているわけではない。例えば日本の自動車市場では国産車のシェアが圧倒的だが、それでも「鎖国状態」でないのは明らかだ。


※この記事には他にも問題が多い。それらは「説明不足が目立つ日経 高見浩輔記者の『真相深層』」で触れたい。

追記)結局、回答はなかった。

2016年10月12日水曜日

日経 藤井良憲記者「社債投資、安全性見極め」の罪深さ

投資初心者に参考にしてほしくない記事が12日の日本経済新聞朝刊マネー&インベストメント面に出ていた。「社債投資、安全性見極め  劣後特約を確認/国債と併せ持つ」というその記事では、個人向け社債について「信用リスクを見極め、個人向け国債と組み合わせるのが選択肢になりそうだ」と藤井良憲記者が書いている。しかし、個人向け社債の問題点に関する説明が不十分だ。例えば、今回の記事では個人向け社債の流動性問題に触れていない。
柳川の川下り(福岡県柳川市) ※写真と本文は無関係です

個人向け国債に関しては「発行後1年たてば直近2回分の利子相当額は引かれるが、国が元本で買い取ってくれる」と藤井記者も書いているように、流動性リスクを心配する必要はない。しかし社債の流動性は非常に低く、証券会社に買い取ってもらう場合、元本を割り込む可能性が十分にある。この点では明らかに個人向け国債に劣っている。

藤井記者は個人向け国債について「変動10年は半年ごとに適用利率を見直す仕組みなので、市場金利が上昇すると適用利率も上がり利子が増える。『マイナス金利はずっと続くわけではない。将来の金利上昇に備えるのに向いている』(根本氏)」とも書いている。この説明に問題はない。一方、個人向け社債はどうか。基本的に固定利率なので「将来の金利上昇に備える」のには向いていない。ここでも個人向け国債(変動10年)に見劣りする。

そもそも社債の利回りが魅力的なのかとの問題もある。

【日経の記事】

そこで運用成績の上乗せ手段として注目が集まるのが個人向け社債だ。元利を受け取れない可能性を示す信用リスクは個人向け国債より大きいが、その分高い金利が期待できるからだ。例えばANAホールディングスが9月に発行した4年債の利率は、年0.258%だった

個人向け社債の発行額は増えている。アイ・エヌ情報センター(東京・千代田)によると、1~9月の発行額は1兆5790億円。すでに前年通年を上回り、今年一年では2009年(2兆1602億円)以来7年ぶりの水準に達するのは確実だ。個人の需要が強いのに加え、企業は事業に必要な資金を超低金利で調達できることが発行額を押し上げている。

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ANAの個人向け社債への投資を考える場合、個人向け国債と比べてどの程度の上乗せが適正水準なのかを知りたい。しかし、藤井記者は何の手掛かりも与えてくれない。ただ、「ANAホールディングスが9月に発行した4年債の利率は、年0.258%だった」と述べているだけだ。

ANAと同格の格付けの社債利回りが市場でどの程度なのかぐらいは入れてほしい。個人的には(1)企業の信用リスクを負う(2)流動性が低い(3)将来の金利上昇に対応できない--という点を考慮すると、0.2%程度の利回り上乗せのために社債を買う気にはなれない。

「いや、個人向け社債もなかなか魅力的だ」と藤井記者が考えるのならば、そう納得できるだけの材料を提示してほしい。それがないのに「個人向け国債と組み合わせるのが選択肢になりそうだ」と安易に書くのは罪深い。

新型劣後債に関する説明にも問題が散見される。

【日経の記事】

今年に入って発行が目立つのが劣後債の一種で、新型劣後債やハイブリッド債などと呼ばれる債券だ。9月までの個人向け社債発行本数29本のうち12本と4割強を占める。劣後債は普通社債に劣後特約を付けたもので、発行企業が万が一経営破綻などをした際に元利返済が他の債務より後回しになる。その代わり利率が普通社債に比べ高い。新型劣後債はさらに利率が高い場合が多く、様々な条項や特約が付いているのが特徴だ。

まず代表的なのが期限前償還条項だ。発行企業の判断で満期前の特定日に償還することができる。実質破綻時免除特約は発行企業が法的に倒産する前でも、実質的に破綻していると政府が認めた場合に元利金の支払いが全額免除になる。こうした特約・条項のある新型劣後債は銀行が発行する例が目立ち、利率も高めだ。例えば、三井住友フィナンシャルグループが9月に発行した10年債は当初5年が年0.32%だ。

銀行で発行が相次ぐのは、リーマン・ショックを機に導入した金融機関の国際的な資本規制「バーゼル3」で劣後債の一部を自己資本に組み入れることを認めているからだ。同規制では残存期間が5年を下回ると、資本として計上できる額が減る。このためFPの深野康彦氏は「新型劣後債のほとんどが早期償還すると考えておいた方がよい」と指摘する。

銀行以外では損害保険ジャパン日本興亜やソフトバンクグループが発行している。いずれも利払い繰り延べ条項が付いている。発行企業の裁量で利子の一部またはすべての支払いを延期できるのが特徴だ。その分、信用リスクが大きくなるため利率も高くなりやすい。損保ジャパン日本興亜の30年債は当初10年が年0.84%、ソフトバンクの25年債は当初5年が年3%だ。

劣後債にはどんな投資スタンスで臨めばいいのだろうか。FPの和泉昭子氏は「資本として組み入れられる劣後債はリスクも株式に近いことを意識すべきだ」と指摘する。特約や条項によっては元本割れの可能性があるため、キャッシュフロー計算書や貸借対照表などの財務諸表をもとに投資判断をすることが一段と重要になりそうだ

実際に投資する際は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資産配分比率が一案になる。GPIFは14年秋に決めた新配分比率で、国内債券を35%、残り65%を国内株式・外国債券・外国株式とした。深野氏は「現役世代なら、劣後債は国内債券の約4分の1程度までに抑えるのが無難だろう」と助言している

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劣後債について「特約や条項によっては元本割れの可能性があるため、キャッシュフロー計算書や貸借対照表などの財務諸表をもとに投資判断をすることが一段と重要になりそうだ」と藤井記者は書いている。しかし、「特約や条項」がどうなっていようと「元本割れの可能性」は必ずあるはずだ。記事の説明だと、「特約や条項」次第では元本割れの心配なしとの印象を与えてしまう。

劣後債の「投資スタンス」に関する説明も奇妙だ。「実際に投資する際は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資産配分比率が一案になる。GPIFは14年秋に決めた新配分比率で、国内債券を35%、残り65%を国内株式・外国債券・外国株式とした」と述べた上で、「現役世代なら、劣後債は国内債券の約4分の1程度までに抑えるのが無難」との結論を導いている。

しかしGPIFが劣後債をどの程度組み込んでいるのかには触れていない。GPIFの「国内債券を35%、残り65%を国内株式・外国債券・外国株式」という配分比率をどう参考にすれば、「劣後債は国内債券の約4分の1程度まで」となるのか。話が飛躍し過ぎている。

また、藤井記者は「キャッシュフロー計算書や貸借対照表などの財務諸表をもとに投資判断をすることが一段と重要になりそうだ」と簡単に言うが、劣後債の発行企業の「キャッシュフロー計算書や貸借対照表」をきちんと分析した上で「特約や条項」なども十分に考慮しながら投資判断をすることが一般の投資家に可能だろうか。

投資初心者にはもちろん無理だし、財務分析の知識がかなりあっても難しい。現実的な助言としては「劣後債はもちろん個人向け社債には、よほどの知識がない限り近づくな」といったものになりそうな気がする。見出しにあるような「国債と併せ持つ」必要性は感じられない。


※記事の評価はD(問題あり)。暫定でC(平均的)としていた藤井良憲記者への評価は暫定Dへ引き下げる。藤井記者については「仕組み預金は『比較的安全』? 日経 藤井良憲記者に問う」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_16.html)も参照してほしい。

2016年10月11日火曜日

SBIの広告? 日経 田村正之編集委員「マネー底流潮流」

「これはSBI証券の広告?」と目を疑うようなグラフが、日本経済新聞夕刊マーケット・投資2面の「マネー底流潮流~個人型DC、割安投信続々」という記事の中に出ていた。筆者は田村正之編集委員。投信関連で業界の宣伝役を積極的に果たしてきた人物だけに、節操のなさが凄い。
旧秋田商会ビル(山口県下関市)
           ※写真と本文は無関係です

金融機関ごとの最も低コストの外国型投信で30年間運用した場合の信託報酬の累計額」というタイトルが付いたこのグラフでは「SBI証券」「A銀行」「B銀行」の信託報酬累計額を棒グラフで示している。もちろんSBIが最も少ない。

これに関する記事の記述は以下のようになっている。

【日経の記事】

個人型DCは自分で金融機関を選び毎月掛け金を拠出、運用次第で年金が変わる。掛け金の全額所得控除など税制優遇が大きい。企業年金のない会社員や自営業者などしか入れなかったが、来年から現役世代の大半が対象になる。ただ「もうからない」と意欲がない金融機関も多く、そうしたところでは、引き続き高コストの商品しか選べない

コストでどれくらいお得度が変わるか。外国株投信で毎月2万3千円(企業年金のない会社員の上限額)を積み立てた場合で試算した。SBI証券の外国株で最安商品の信託報酬は年0.23%。年4%で30年運用なら信託報酬の合計は50万円弱だ。同じ外国株インデックス投信でも、比較的高コストのA銀行なら信託報酬は年1.03%で計約170万円になる。

別のB銀行では外国株はコストが高いアクティブ型投信しかなく信託報酬は1.9%30年では約300万円だ。アクティブ型投信は運用担当者の腕で平均を上回ることを目指すが、長期のコスト差を取り返すのは容易でない。

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なぜ銀行名を伏せるのか。「手数料が高い金融機関の例として実名を出したら銀行に申し訳ない」といった意識が働いているとすれば、やはり田村編集委員は金融機関の回し者だ。「ここでは信託報酬の違いが30年でどの程度の差になるのかを見せるのが目的であり、金融機関の名前を出す必要はない」と判断したのならば、SBIの名前も出すべきではない。

「うちの会社はライバルのA社やB社よりこんなにお得です」といった類の比較広告は見た記憶がある。今回の記事に付けたグラフはまさにそれだ。「(個人型DCは)『もうからない』と意欲がない金融機関も多く、そうしたところでは、引き続き高コストの商品しか選べない」と田村編集委員は書いている。「意欲がない金融機関」がどこかも読者にとっては有用な情報だと思えるが、そこは金融業界への配慮優先らしい。金融機関と読者のどちらの利益のために田村編集委員が記事を書いているのかは明らかだ。

ついでに記事の終盤についても注文を付けておきたい。

【日経の記事】

低コスト化は通常の投信でも同様だニッセイは今回のDC向けとは別に「購入・換金手数料なし」という割安投信シリーズを持つ。しかし大和証券投資信託委託が先月発売した低コスト投信シリーズ「iFree」はさらに割安。個人投資家から「ニッセイは対抗上、DC用に続き、次は通常の投信も引き下げるのでは」との期待が出ている。

観測は正しそうだ。複数の投信販売会社幹部は「ニッセイは近く、購入・換金手数料なしシリーズの投信8本の信託報酬をiFreeよりさらに引き下げると聞いている」と話す。自分の知識と判断次第で低コストの大きな恩恵を受けやすくなっている。

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記事では「低コスト化は通常の投信でも同様だ」と書いているが、コストに関する具体的な数値は全く出てこない。これは苦しい。「ニッセイは今回のDC向けとは別に『購入・換金手数料なし』という割安投信シリーズを持つ」「大和証券投資信託委託が先月発売した低コスト投信シリーズ『iFree』はさらに割安」「ニッセイは近く、購入・換金手数料なしシリーズの投信8本の信託報酬をiFreeよりさらに引き下げる」などと書いてあげれば、良い宣伝にはなるだろうが…。


※記事の評価はD(問題あり)。田村正之編集委員への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。F評価については「ミスへの対応で問われる日経 田村正之編集委員の真価」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_58.html)を参照してほしい。業界寄りの記事作りに関しては「『投信おまかせ革命』を煽る日経 田村正之編集委員の罪」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/08/blog-post_3.html)でも触れている。

2016年10月10日月曜日

「公立の逆襲」は東京だけ? 東洋経済の特集「高校力」

週刊東洋経済10月15日号の第1特集は「大学より濃い 校風と人脈 高校力 公立の逆襲」。特集の冒頭で「凋落したかつてのエリート養成校、日比谷が復活を果たした。時を同じくしてほかの公立名門校も勢力を拡大。中高一貫校ブームが一服し、新たな地殻変動が起こっている」と謳っているが、東京以外での「公立の逆襲」が見えてこない。
福岡県立明善高校(久留米市) ※写真と本文は無関係です

まずは記事の総論部分を見ていこう。

【東洋経済の記事】

復権している公立の名門校は日比谷だけではない。本誌は国立の難関10大学の合格者数について、16年と06年を比較して増加数をランキングした。その結果が左上表だ。

トップは東大合格者数を大幅に伸ばしている私立の渋谷教育学園幕張高校だ。2位以下に目を向けると、神奈川では横浜翠嵐高校や湘南高校、大阪では天王寺高校や北野高校、東京では国立高校や西高校といった、首都圏や関西圏で抜群のブランド力を持ち、全国でも名前を知られる公立進学校が上位に食い込んでいる。

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その「左上表」には25位まで載っていて、内訳は私立10校、公立15校だ。10位(12校)までに限ると、私立5校で公立7校。「公立の逆襲」と言うほどではない。「東大」や「東大・京大+国立医学部」などで見れば、公立の勢いはさらに弱くなるだろう。

都の高校改革が結実 公立トップに返り咲き 日比谷復活の原動力」という記事に限れば、大きな問題はない。「最近は日比谷の進路指導や校風に期待し、筑波大附属を蹴って日比谷を選ぶ生徒が増えているほか、開成や筑波大附属駒場などを志望する生徒が、日比谷も選択肢に入れるようになった。10年前にはありえなかったことだという」などと「地殻変動」を描けている(「公立の逆襲」というより「都立の逆襲」ではあるが…)。

しかし「高校改革の効果が鮮明に 神奈川でも公立躍進 人気沸騰のSSKH」という記事では「SSKH翠嵐、湘南、川和、柏陽」の紹介に終始していて、私立との比較がなく「公立躍進」が伝わってこない。しかも「受験生からの人気に陰り 東京学芸大学附属の苦悩」という「公立の凋落」に関するコラムまで付けている。大阪についても似たようなもので「大阪の高校改革は最終段階 北野が突出する裏で選別進む府立高校」という記事には、やはり私立との比較が見当たらない。

埼玉に至っては「公立の逆襲」ではなく「私立の攻勢」だ。「名門校トップ対決(1)埼玉 栄東×浦和 東大合格数で首位陥落 浦和は小学生に照準」という記事では、「名門男子校の県立浦和高校が私立栄東高校に2016年の東京大学の合格者数で初めて抜かれ、県内トップの座を明け渡した」とはっきり書いている。

公立の逆襲」というからには「公立の凋落逆襲」の流れがあるはずだが、神奈川や大阪などでは「公立がかつてはダメだった」との話が出てこない。

日比谷高校をはじめとした都立高の話から広げて「公立の逆襲」というストーリーで特集を組み立てようとしたのだろうが、成功しているとは思えない。編集部の東京目線が強すぎるのかもしれない。

ついでに、気になった点をいくつか指摘したい。

【東洋経済の記事】

九州には、同じ福岡に久留米大学附設中学・高校、鹿児島にラ・サール学園という私立の中高一貫校があり、医学部を志望する家庭は公立高校ではなくこれら私立2校を第1志望とすることが多い。

ところが今年の九大医学部の合格者ランキングを見ると、久留米大附設が22人で1位、次にラ・サール、3位に9人を送り出した修猷館がランクインしている(筑紫丘3人、福岡2人)。修猷館の2~3年次に医進クラスが設置されており、これが私立中高一貫校に次ぐ合格実績を残した。

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上記のくだりで「ところが」を使っているのが解せない。「医学部に行くならば公立よりも久留米大附設かラ・サール」という認識があって、その2校が1位と2位を占めているのならば「順当」だ。この2校に次ぐのは九州では修猷館だから、3位も「順当」だ。「ところが」でつないで「意外な結果でしょ」と訴えられても困る。

この「名門トップ対決(2)福岡~九大合格者100人超 御三家の熾烈な争い」という記事では他にも気になる点があった。修猷館の校風だという「不羈独立(ふきどくりつ)」や、福岡高校の校訓「至誠勵業(しせいれいぎょう)」を振り仮名なしで記事に載せるのは感心しない。もう少し読者に親切な誌面作りを心掛けてほしい。

最後に「政界編~慶応と創価学園が2強 国会議員は名門私立が圧倒」(筆者はジャーナリストの横田由美子氏)に触れておこう。

【東洋経済の記事】

日能研のデータによると、中学受験の偏差値で灘や開成が70を超すのに比べて、創価中学は48と決して高いとはいえない。ただし創価学会の関係者にとっては特別な存在であるようだ。

「創価中学・高校は学会関係者にとって慶応よりも価値のあるブランドなのです。だから競争率は高く、8倍や10倍になる年もある。偏差値とは関係なく、簡単に入れる学校ではありません」(ある卒業生)。

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卒業生」はそう言うかもしれないが、だとしたら「なぜ偏差値が低いのか」の説明が要る。レベルの低い受験生が多く集まって競争率が高くなっている場合、難易度は低くなり得る。だから偏差値で難易度を見るのではないのか。日能研のデータが間違いでなければ、創価中学には高い学力がなくても入れるはずだが…。


※特集全体の評価はC(平均的)。暫定でCとしていた中島順一郎記者と鈴木良英記者への評価はCで確定とする。中原美絵子記者はCを据え置く。暫定でB(優れている)としていた二階堂遼馬記者は暫定Cに引き下げる。宮本夏美記者は弱含みながらBを維持する。

2016年10月9日日曜日

ヨイショ脱却?日経「井阪セブン 急いだ答案」に見えた希望

8~9日の日本経済新聞朝刊で連載した「井阪セブン~急いだ答案」という記事は、日経への希望を見出せる内容だった。8日の企業総合面の記事には「100日改革 遠い一枚岩  『選択と集中』事業会社に溝」、9日の企業面の記事には「『鈴木路線」否定前面に リターン重視、独自色薄く」という、いずれも厳しめの見出しが付いている。鈴木敏文氏が経営トップに君臨していた時のセブン&アイホールディングスに対して、日経はヨイショ一辺倒とも言える報道を続けてきた。それを考えると隔世の感がある。
山口県立下関西高校(下関市) ※写真と本文は無関係です

新体制が示したヨーカ堂の構造改革案は新味を欠いた

自ら設定した期限にせき立てられるようにまとめた構造改革案は結果として、井阪氏が掲げた『一枚岩』というグループの理想像を遠ざけた

マンションや病院、託児所などと組み合わせた複合施設への転換で収益向上を目指すという戦略に目新しさはない

今回の中期計画はオムニチャネル戦略の全面転換など「鈴木路線の否定」を前面に打ち出したものの、井阪氏の独自色は薄かった

連載には、上記のようなセブン&アイへの批判的な記述が目立つ。かつては「鈴木氏に気に入られればネタがもらえる(=鈴木氏に嫌われたらネタがもらえない)」という共通理解が企業報道部内にあり、鈴木氏率いるセブン&アイを批判的に取り上げるのは禁忌とも言える選択だった。

日経でセブン&アイの担当記者として優秀だと認めてもらうには、鈴木氏やセブン&アイを称えるしか道はない。これはメジャー企業の報道に共通する日経の問題点だ。企業報道部内で認められようとすればするほど、ヨイショ記者に成り下がっていく。

しかし、今回の連載は違っていた。理由は分からない。連載を担当した川上尚志記者が、たまたま企業報道部の色に染まっていないだけかもしれない。今回のセブン&アイの構造改革案を日経は発表前に報道できていないので「ネタをくれない井阪氏に忠誠を誓っても仕方がない」との判断が働いたのかもしれない。ただ、後者の可能性は高くない。「ネタをくれない」との判断を下すには早すぎる気がするし、日経の文化では、それでも何とかネタをもらおうと擦り寄っていくのが普通だからだ。

ただ、川上記者の資質のみに原因を求めるのも短絡的だ。企業報道部の部長・デスクが了承していないければ、セブン&アイに厳しい内容の連載が世に出ることはない。なので、日経企業報道部のヨイショ体質に何らかの変化が起きている可能性は否定できない。

井阪氏を含めセブン&アイがかつてのように日経にネタをくれないとしても、それはそれでいいではないか。待っていれば発表されるものを発表前に報道することの社会的な価値はほぼゼロだ。それよりも、メディアとしてのフリーハンドをしっかりと確保した上で、鋭い分析記事を届けてほしい。


※連載の評価はB(優れている)。川上尚志記者への評価も暫定でBとする。

2016年10月8日土曜日

「投信の手数料開示を促す」?日経「手数料にメス」に疑問

8日の日本経済新聞朝刊経済面に載った「手数料にメス 『対価』の実態(下) ~動く海外当局、悩める金融庁 ルール強化か 自主規制か」という記事に気になる記述があった。投資信託について「無理のある売り方が家計の金融資産の52%を現預金にとどまらせている一因と金融庁はみており第一歩として手数料の開示を強く促している」と説明している。これを読む限り「投信の手数料は開示されていない」と思えるが、実際には目論見書などで確認できる。
大分県立中津南高校(中津市) ※写真と本文は無関係です

日経への問い合わせ内容は以下の通り。

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 玉木淳様 亀井勝司様 斉藤雄太様 渡辺淳様

10月8日の朝刊経済面に載った「手数料にメス 『対価』の実態(下)」という記事についてお尋ねします。記事には以下の記述があります。

「日米市場の成長性の差も投信の規模に影響していそうだ。それ以上に無理のある売り方が家計の金融資産の52%を現預金にとどまらせている一因と金融庁はみており第一歩として手数料の開示を強く促している」

この前の段落でも投信の手数料について述べており、金融庁が「第一歩として手数料の開示を強く促している」のは投信の手数料としか解釈できません。しかし、投信の販売手数料や信託報酬は投資家に開示されているのではありませんか。9月28日の日経朝刊の記事でも「手数料に開示義務があり透明化が進んできたのが投資信託だ」と書いています。

記事の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとすれば、その根拠も併せて教えてください。日経では、読者からの間違い指摘の無視や、記事中のミスの握りつぶしが後を絶ちません。既に「伝統」と言える域に達しています。「クオリティ・ジャーナリズムを追求する」との表向きの方針とは完全に逆行しています。日本を代表する経済メディアとして、責任ある行動を心がけてください。

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第一歩として手数料の開示を強く促している」と書くまでの流れをもう少し長めに振り返ってみよう。

【日経の記事】

投信の規模に日本の手数料が割高になる一つの答えがある。投信の本数は約8000本の米国に対し、日本は5843本。ただ1本当たりの規模は160億円の日本と2300億円の米国とで大差がついている。

ロングセラー投信が多い米国と異なり、日本では短期間で売れ筋が入れ替わるため1本あたりの運用規模が小さい。スケールメリットが働かず、信託報酬を含めた管理費用が割高になる悪循環を招いている。

「手数料稼ぎのため頻繁に投信を乗り換えさせてきた金融機関の姿勢を映している」。投信が小粒な理由を金融庁はこうみる。銀行の投信販売額は09年度から14年度までの5年間で2倍強伸びたが投信残高は横ばい。商品を解約させて別の商品に乗り換えさせる動きが多く残高は増えづらい。

日米市場の成長性の差も投信の規模に影響していそうだ。それ以上に無理のある売り方が家計の金融資産の52%を現預金にとどまらせている一因と金融庁はみており第一歩として手数料の開示を強く促している

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筆者らに弁明させれば「『第一歩として手数料の開示を強く促している』のは投信ではなく『貯蓄性保険』についてだ」と言うだろう。記事の最初の方では「貯蓄性保険の手数料」の開示問題に触れている。ただ、その後に投信の話へ転じ、延々と投信の問題点を述べた後で「第一歩として手数料の開示を強く促している」と書けば、「手数料の開示を強く促している」のは投信に対してとしか受け取れない。

ついでに記事の書き方について指導してみたい。

【日経の記事】

海外ではオーストラリア政府が生保販売に伴い販売業者が受け取る手数料を下げる方針を掲げ、米国も販売会社に「顧客の利益のためだけに働く」という大原則を来春にも義務付ける。

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オーストラリア政府が掲げ」という主語・述語の間に「販売業者が受け取る」という主語・述語の関係が入ってきているので読みにくい。改善例を示しておく。

【改善例】

海外では、生保販売に伴い販売業者が受け取る手数料の引き下げ方針をオーストラリア政府が掲げるほか、米国も来春にも販売会社に「顧客の利益のためだけに働く」という大原則を義務付ける。

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※今回の記事の評価はD(問題あり)だが、3回の連載全体の評価はC(平均的)とする。玉木淳記者、亀井勝司記者、斉藤雄太記者への評価も暫定でCとする。暫定でDとしていた渡辺淳記者への評価は据え置く。