25日付で時事ドットコムニュースに載った「なぜ増えない?女性議員 制度が壁、『クオータ制』導入を~三浦まり上智大教授に聞く」という記事では三浦氏のおかしな主張が目立った。中身を見ながら具体的に指摘したい。
夕暮れ時の筑後川 |
【時事ドットコムニュースの記事】
―初めて女性議員が誕生してから70年以上たつ。女性議員が増えない理由は何か。
選挙制度だ。(当時は)大選挙区制と戦後の女性解放の流れの中で、(政治分野に)出ようという女性たちがいた。(現行の)選挙制度は党利党略で、どの制度だと誰にとって有利・不利というのがはっきりしており改革が難しい。
政治分野における男女共同参画の推進に関する法律ができたにもかかわらず、昨年の衆院選では女性議員数が減ったことは教訓だ。日本は現職優先の仕組みが強すぎる。閉ざされた世界で公認権を政党が独占しており、民主的ではないことが最大の問題だ。ここを変えなければ、女性は増えないし、女性だけではなく多様性が確保されない。
◎女性のやる気の問題では?
「女性議員が増えない理由」を三浦氏は「選挙制度だ」と言い切るが、「選挙制度」のどこがどう問題なのか、まともに説明していない。
「(現行の)選挙制度は党利党略で、どの制度だと誰にとって有利・不利というのがはっきりしており改革が難しい」という説明は、厳しく言えば意味不明だ。「改革が難しい」ことは「選挙制度」を「女性議員が増えない理由」と見なす根拠にはなっていない。
「日本は現職優先の仕組みが強すぎる」「閉ざされた世界で公認権を政党が独占」などとも述べているが、これは「選挙制度」の話ではないだろう。「選挙制度」に関して言えば「現職優先」ではないはずだ。
「公認権を政党が独占しており、民主的ではないことが最大の問題だ」という説明も謎だ。「公認権を政党が独占」するのは当然ではないか。自民党がどの候補者を「公認」するのかは自民党の勝手だ。自民党の外部に「公認権」を譲渡せよと言いたいのか。
「政党」内部での決め方が「民主的ではない」というケースはあるだろう。それが「最大の問題」だとしたら「女性議員が増えない理由」は「選挙制度」ではない。「政党」の体質だ。
「ここを変えなければ、女性は増えない」と言うが、既存政党の体質を変える必要はない。新党を作ればいい。女性が新党を立ち上げて大量の女性候補者を擁立し女性有権者の圧倒的支持を得れば、それだけで「女性議員」は大幅に増える。
今の「選挙制度」は男女平等だ。新党立ち上げも自由だ。なのに、なぜ既存政党の枠組みで考えて「女性議員が増えない理由」を「選挙制度」のせいにするのか。今の「選挙制度」の下では、女性の力だけで「女性議員」を大きく増やせる。有権者は男性より女性の方が多いのだから女性有利だ。
男女平等が確保された現行の「選挙制度」の下で「女性議員が増えない」のだとしたら、その主因は「女性のやる気のなさ」に求めるべきだ。「やる気を出せ」とは言わない。ただ、女性がやる気になれば容易に女性議員を増やせる「選挙制度」は既にある。そのことを忘れてはならない。
「クオータ制」に関する三浦氏の主張も見ておこう。
【時事ドットコムニュースの記事】
―どのような形で「クオータ制」を導入すればよいか。
政党が自主的にクオータ制をやることは今すぐできるので、ぜひやってほしい。市民社会からのプレッシャーがない限り、政党が変わらないのはどの国も一緒だ。女性運動が一番重要で、社会として支援することで(運動を)大きくしていくことが不可欠だ。まず中道左派政党から始まり、選挙で勝てるとなると保守政党も変わる。日本は野党が弱いので、政権交代のダイナミズムの流れがない。社会党の土井たか子氏がマドンナ旋風を吹かしたことによって、90年代は自民党も女性を増やすという流れが確実にあった。その流れがまた出ないと変わりにくい。
もう一つは、法律で(クオータ制を)義務付けることだ。日本と選挙制度が近い台湾や韓国などでやっているので、その形で導入することがふさわしいと思う。
◎「クオータ制」のメリットは?
聞き手の川上真央記者は「どのような形で『クオータ制』を導入すればよいか」と「クオータ制」導入を前提に質問している。これは感心しない。
「政党が自主的にクオータ制をやること」はいいとしても、議員の一定割合を女性にするなどと「法律で義務付けること」は明らかな性差別だ。川上記者も三浦氏も性差別容認論者なのだろう。とは言え「クオータ制」には男女平等主義者からの批判があると知っているはずだ。「クオータ制」導入を訴えるならば、性差別を正当化する根拠は欲しい。
自分は男女平等主義者ではあるが、性差別制度を完全に否定はしない。「クオータ制導入で国民の幸福度を大幅に引き上げられる」といったエビデンスがあれば導入を検討しても良い。だが、国民全体としての大きなメリットがないのであれば、男女平等の原則堅持でいい。
さらに記事の中身を見ていこう。
【時事ドットコムニュースの記事】
―出馬に当たり資金面での課題もある。
供託金は下げないといけない。そうすれば、政党はもっと名簿に女性を掲載できるようになり、当選しそうにない女性も名簿に載る。
ほかの国も全く同じで、見た目だけやる。そんなやり方は制度の趣旨と違うと社会が怒って、順位に規則を設けようと何度も何度も制度を改正して、良くなった歴史がある。日本も(クオータ制を導入すると)同じようなことが起きると思う。何かをやればそれをかいくぐるように、形だけのことをやり、それじゃだめだと、また変えていく。それを10年くらい繰り返していくことによって、より良い制度になってくる。日本はやっとそのスタートラインには立ったと思う。
ほかの国は具体的な制度を変えて、女性を支援している。日本は一切何もやっていない。これだけ制度が不利で支援もしなければ、増えないのは当然だ。
◎本当に「制度が不利」?
「これだけ制度が不利で支援もしなければ、増えないのは当然だ」と三浦氏は言うが、どこが「不利」なのか。選挙権や被選挙権は男女平等ではないのか。政党の立ち上げに際して女性が「不利」となる「制度」があるのか。
繰り返すが「女性議員が増えない」のは、女性のやる気の問題だ。「支援」を当てにする姿勢も頂けない。性差別容認論者ゆえに「女性限定の特別な支援はあって当然」と考えるのだろうが…。
さらに続きを見ていく。
【時事ドットコムニュースの記事】
―女性が活躍している分野は限られているのではないか。
重要な安全保障や金融など国の方針に関わるところは、男性ががっちり占めるというのはよくある話だ。金融や国際関係の知識が豊富で、いろいろな場面で活躍している女性はいる。その専門性を生かすべきだ。ありとあらゆる政策にジェンダーの視点を横串で刺していく必要がある。女性議員が3割を超えたら、(個人の)専門性に合わせて、もっと活躍できると思うが、女性議員数が3割以上にならないと数で負けてしまう。
―なぜ3割なのか。
ある一定を超えないと悪目立ちしてしまう。過度に女性であることが強調されると同時に、過度に男性に合わせなければならない。そこから少しでも外れると、「やっぱり女性だからだめだ」となり、無理をすることになる。しかし、女性の割合が3割を超えると、「女性だから」というものが当てはまらない。党派に関係なく、女性がその場にいるということが重要だ。
◎「3割を超えると」急変?
「女性の割合が3割を超えると、『女性だから』というものが当てはまらない」と言うが、何を根拠にそう断定しているのか。
女性議員比率が29%だと「やっぱり女性だからだめだ」という見方をする人も「女性の割合が3割を超えると」急に考えが変わるのか。ちょっと信じがたい。
「女性議員数が3割以上にならないと数で負けてしまう」「ある一定を超えないと悪目立ちしてしまう」ということは、これまで日本のすべての「女性議員」は「数で負けてしまう」上に「悪目立ちしてしまう」存在だったことになる。本当にそうか。
そもそも「女性議員」は、与野党関係なく団結して男性議員と戦う存在なのか。
個人的には「議員」の性別なんて、どうでもいい。なりたい人が立候補して多数の票を得た人が「議員」になる。それでいいではないか。男女平等の原則を崩してまで「クオータ制」を導入すべき理由は何なのか。あくまで「クオータ制」にこだわるのならば、三浦氏には説得力のある性差別容認論をしっかり組み立ててほしい。
※今回取り上げた記事「なぜ増えない?女性議員 制度が壁、『クオータ制』導入を~三浦まり上智大教授に聞く」
https://www.jiji.com/jc/v8?id=20220225seikaiweb
※記事の評価は見送る。三浦まり上智大学教授に関しては以下の投稿も参照してほしい。
三浦まり上智大学教授が日経ビジネスで訴えたクオータ制導入論に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/05/blog-post_15.html
東洋経済でのクオータ制導入論にも無理がある三浦まり上智大教授https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/06/blog-post_36.html