6日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「分断招く中ロの五輪政治利用を憂える」という社説は筆者の「中ロ」嫌いが強すぎるのか無理のある主張になっている。中身を見ながら具体的に指摘したい。
久留米教会 |
【日経の社説】
北京冬季五輪を主催する中国の習近平国家主席は4日夜の開会式の直前、ロシアのプーチン大統領と会談した。両首脳はロシア軍侵攻が取り沙汰されるウクライナ問題での共闘を演出した。
ひたすら技を競い合うべき平和の祭典に軍靴の音さえ聞こえかねない国際政治上の対決を持ち込んだ責任は重い。
◎「ウクライナ問題での共闘を演出」?
そもそも「開会式の直前」に「会談」するのは「五輪政治利用」なのか。「開会式」の中に「会談」を組み込むのならば「政治利用」だろうが…。
百歩譲って「開会式の直前」の「会談」でも「政治利用」だとして、それは好ましくないのか。日経は2018年に「安倍首相、平昌五輪開会式出席へ 文大統領と会談~慰安婦合意の履行求める」と報じている。こうした動きも「五輪政治利用」として避けるべきなのか。首脳同士が「会談」する絶好の機会なのだから、なるべく積極的に外交を展開した方が良いのではないか。
「両首脳はロシア軍侵攻が取り沙汰されるウクライナ問題での共闘を演出した」との説明も引っかかる。どんな「演出」があったのか。
「会談」の中身を伝えた「中ロ蜜月、五輪で新段階 『民主主義を口実に介入反対』~孤立の両国、互いに依存」という5日付の日経の記事を読んでも「ウクライナ問題での共闘を演出した」と取れる記述はない。
「会談後に公表した声明は『民主主義や人権を口実にした内政干渉に反対』と明記した」らしいが、この程度ならば「ウクライナ問題での共闘を演出した」とは感じない。
「軍靴の音さえ聞こえかねない国際政治上の対決を持ち込んだ」と見るのはさらに苦しい。例えば、米ロ首脳会談が「開会式の直前」に実現して「ウクライナ問題」で非難の応酬となったのならば「軍靴の音さえ聞こえかねない国際政治上の対決を持ち込んだ」と見るのもまだ分かる。しかし、そういう話ではない。
社説の続きを見ていく。
【日経の社説】
会談後、北大西洋条約機構(NATO)拡大に反対する共同声明を出し、その足で開会式に臨んだ。見下ろす位置にいるプーチン氏を感じつつ入場行進したウクライナ選手は、心がざわついたに違いない。
◎ざわつかせるのはアウト?
「見下ろす位置にいるプーチン氏を感じつつ入場行進したウクライナ選手は、心がざわついたに違いない」などと推測する意味があるのか。「入場行進」する選手の心をざわつかせる可能性のある政治家は「開会式」に出席すべきではないと言いたいのだろうか。
さらに見ていく。
【日経の社説】
中国は、欧州の安全保障に関してロシアが米国などに示した提案も支持した。露骨な五輪の政治利用であるのは明らかだ。
◎どこが「政治利用」
「中国は、欧州の安全保障に関してロシアが米国などに示した提案も支持した」と言うが、これのどこが「露骨な五輪の政治利用」なのか。「開会式」で選手たちを前に「支持」を宣言したのか。
今回の社説には「開会式に先立つ3日にはインドも『外交ボイコット』を発表した。2020年の中国とインドの衝突で負傷した中国人兵士が聖火ランナーに起用される政治利用への抗議だった」と記している。これはインドによる「五輪の政治利用」にはならないのか。「政治利用」当たるとすれば、なぜインドの動きは社説で批判しないのか。
「外交ボイコット」を発表した国は「五輪の政治利用」に当たらず、「開会式の直前」に「会談」するのは「五輪政治利用」。筆者はそう考えるのか。やはり、かなりの無理筋だ。
※今回取り上げた社説「分断招く中ロの五輪政治利用を憂える」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220206&ng=DGKKZO79904470V00C22A2EA1000
※社説の評価はD(問題あり)
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