ネタに困っているのだろうが、11日の日本経済新聞朝刊 政治・外交面に吉野直也政治部長が書いた「Angle 弱い米国がもたらす世界~『二正面』放棄の仮想と現実」という記事は苦しい内容だった。特に後半が辛い。中身を見ながら問題点を指摘していく。
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【日経の記事】
二正面作戦の放棄と軌を一にして米国が打ち出したのは、中東からアジアに国防の軸足を移す「リバランス」(再均衡)政策だった。衰退するロシアではなく、軍事、経済で台頭する中国に照準を絞り、その脅威に対抗する狙いである。
中国という「一正面」に向けて戦略を練るのが、この二正面作戦断念の含意だとすれば、中長期的には米ロが接近する展開も排除されない。
米ソが対峙した冷戦下にニクソン大統領が電撃訪中して国交正常化に道筋をつけたのと似た発想だ。
◎当然すぎる話をされても…
「中国という『一正面』に向けて戦略を練るのが、この二正面作戦断念の含意だとすれば、中長期的には米ロが接近する展開も排除されない」という説明が引っかかる。
まず「米ソが対峙した冷戦下にニクソン大統領が電撃訪中して国交正常化に道筋をつけたのと似た発想」と見るのがおかしい。
記事の冒頭で「ソ連との冷戦に勝利したのは、この二正面作戦を可能にする圧倒的な軍事力だった」と吉野部長は書いている。つまり当時の米国は「圧倒的な軍事力」を前提に「二正面作戦」を採用していた。「『一正面』に向けて戦略を練る」今とは状況が大きく異なる。
「二正面作戦断念」を根拠に「中長期的には米ロが接近する展開も排除されない」と見ているのに、なぜ冷戦期の米中接近に「似た発想」と映るのか。
そもそも「長期的に」見れば、どんな国同士でも「接近する展開」はあり得る。「中長期的には米ロが接近する展開も排除されない」のは当然だ。改めて訴えるような話ではない。
続きを見ていこう。
【日経の記事】
ウクライナ情勢の緊迫というのは、米ロ融和の仮説と真逆になる。プーチン氏が米側の思惑を逆手にロシアの値をつり上げているようにも映る。
米ロ接近が長い目でみてあり得るとの考えに立つと、ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しないことになる。
◎どういう理屈?
「ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しない」と見るのは明らかな誤りだ。
吉野部長の考え方に従えば、冷戦期のソ連によるアフガニスタン侵攻は起きなかったはずだ。当時の米ソも「中長期的」に見れば「接近する展開」があり得る関係だった(冷戦終結時には実際に「接近」した)。しかし、ソ連はアフガニスタンとの「大規模な紛争」に乗り出した。辻褄が合っていない。
「米ロ接近が長い目でみてあり得る」ことが「ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しない」と言い切れる根拠とはならないはずだ。
続きを見ていく。
【日経の記事】
一方でウクライナ情勢の現状をみる限り、予断を許さない。米政府はロシアがウクライナに侵攻したら、最大5万人の民間人が死傷する恐れがあると予測する。
◎いきなり手のひら返し?
「米ロ接近が長い目でみてあり得るとの考えに立つと、ウクライナの軍事的な緊張は、小競り合いがあったとしても、大規模な紛争に発展しないことになる」と言い切った直後に「ウクライナ情勢の現状をみる限り、予断を許さない」「最大5万人の民間人が死傷する恐れ」と手の平を返してしまう。「大規模な紛争に発展しない」と見ているのならば「予断」が許される状況だ。
日本に関しても中身の乏しい話が続く。
【日経の記事】
岸田文雄首相は2つの点を留意しなければならない。ロシアがウクライナに軍事侵攻した時に対ロ制裁で米国と協調するものの、米ロには構造的に歩み寄る動機が残ること。
もう一つはウクライナ情勢での米国の「弱腰」が台湾有事での「弱腰」を必ずしも意味しないとの推論だ。二正面作戦の放棄の主眼がそのよりどころになる。
オバマ氏以降の「弱い米国」の流れはトランプ大統領、バイデン大統領でも、変わらない。「弱い米国」の国防は選択と集中の傾向が強まる。
日米豪印による「Quad(クアッド)」や、米英豪による安保の枠組み「AUKUS(オーカス)」は、米国の国防力を補う枠組みだ。
日本は米国との同盟を重視する半面、主体的な取り組みも必要になる。ウクライナ情勢でいえば、問われるのは、米欧とロシアの応酬を冷徹に分析する「日本の国益は何か」という眼と判断である。
◎で、どうすべき?
「米ロには構造的に歩み寄る動機が残ること」を「岸田文雄首相」が「留意」したとして、それをどう生かすべきか吉野部長は教えてくれない。ただ「留意」しておけばいいのか。
「日本は米国との同盟を重視する半面、主体的な取り組みも必要になる」とも書いているが、具体論はない。そして「問われるのは、米欧とロシアの応酬を冷徹に分析する『日本の国益は何か』という眼と判断である」と当たり前すぎる話で記事を締めてしまう。
こんな記事に何の意味があるのか。紙面の無駄遣いだ。
米国は「台湾有事」で「弱腰」にならない。そして「弱い米国」の「流れ」が変わらないとすれば「台湾有事」でも「米国との同盟を重視」したままでいいのかとの疑問は湧く。
個人的には「米国との同盟を重視」せず「台湾有事」には軍事面での不干渉を貫くのが日本の好ましい選択だと思っている。吉野部長が違う考えだとしても、それはそれでいい。
「台湾有事」で強気に出る「弱い米国」と共に中国と戦うべきだと信じるならば、その理由を堂々と述べればいいではないか。
それもできずに今回のような中身のない記事を書いてしまうのが残念だ。一生懸命に書いてこのレベルならば書き手としては期待できない。政治部長として管理職業務に専念すべきだ。
※今回取り上げた記事「Angle 弱い米国がもたらす世界~『二正面』放棄の仮想と現実」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220211&ng=DGKKZO80077790Q2A210C2PD0000
※記事の評価はD(問題あり)。吉野直也政治部長への評価はDを維持する。吉野部長に関しては以下の投稿も参照してほしい。
トランプ氏の発言を不正確に伝える日経 吉野直也記者
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html
トランプ大統領「最初の審判」を誤解した日経 吉野直也次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_13.html
日経 吉野直也記者「風見鶏~歌姫がトランプ氏にNO」の残念な中身
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/no.html
漠然とした訴えが残念な日経 吉野直也政治部長「政策遂行、切れ目なく」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_29.html
日経が好んで使う「力の空白」とは具体的にどんな状況? https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_30.html
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