30日付で現代ビジネスに御田寺圭氏が書いた「夕張の苦境に想う…都会人が言う『もう経済成長はいらない』は正しいか~無自覚に行われる『地方搾取』について」という記事には色々と問題を感じた。自分は田舎に住んでいるので「都会人」ではないが「経済成長はいらない」派だ。今回の記事を読んでも変化はない。その理由を記事を見ながら述べてみたい。
生月大橋 |
【現代ビジネスの記事】
私が見た一群の「街歩き系」動画では、いずれも夕張の中心部を散策していた。ホテルなどのレジャー施設は経営破綻してそのまま建物が放置されているのはもちろん、街の中心部にある市役所すらも修繕のための費用が捻出できず、役所として機能しながら廃墟化が進んでいる有様で、まさしく圧巻の一言である。
全盛期には10万人を超えていた人口も、現在では7000人近くにまで落ち込んでいるという。夕張市の高齢化率は最新の2021年統計で53%を超えている。*1 現在では市内の小中学校は2校で十分に収まるほどしか子どもがいない。よほどのことがないかぎり加速度的な人口減少に歯止めをかけることはできないだろう。
しかしながらこれは、夕張市だけが陥った特異的な状況というわけではない。全国各地の小規模な自治体では、同時多発的かつ緩やかに起こっていることだ。夕張市は日本の地方社会の各所で生じるであろう「未来の姿」を、それこそ10年20年のスケールで先取りしているにすぎない。日本の多くの自治体は夕張市と同じベクトルの未来に向かって進んでいる。歩みの速度がそれぞれ異なっているだけだ。
◎それでいいのでは?
「夕張市」の寂れた様子を見て「経済成長はいらない」という考えは間違いだと御田寺氏は感じたようだ。これがよく分からない。まず人口増加と「経済成長」は分けて考える必要がある。
個人的には「人口減少は放置でいい。日本の人口は1000万人もいれば十分」という立場だ。なので、「夕張市」の「人口減少に歯止めをかける」必要はないと感じる。仮に自分が住む自治体の人口がドンドン減って最終的にはゼロになっても何の問題もない。むしろ好ましい。最終的には、関東と関西を除くとほとんど人が住んでいないような国になるのが落ち着きどころかと思っている。
この前提で「経済成長」を実現しようと思うと1人当たりGDPをひたすら拡大していく必要がある。それは難しいし、やる必要もない。その意味で「経済成長はいらない」と訴えている。
自分は少数派かもしれない。ただ「都会人」でなくても「経済成長はいらない」と感じている人が存在することを御田寺氏には知ってほしい。
記事の続きを見ていこう。
【現代ビジネスの記事】
全国の自治体のなかで、東京圏だけが若者の人口流入を達成しており、次点で近畿圏がギリギリのところで踏みとどまっている。*2 他の地域は軒並みこの二大都市圏に若者を吸い取られ、若年人口減少に歯止めがかからない。経済的にも人口的にも衰退する自治体にとどまっていては、ろくな進学先や働き口がない若者は、当人の意思にかかわらず、結果的に「都会に出る」ことを選ばざるを得ない。
「地元で生活するための基盤をつくれないがゆえに、都会に出ざるを得ない若者」が増えていけばいくほど地元の生産人口は減少する。生産人口の減少にともない地域経済がシュリンクし、さらに若者が生活のために都会に出ていくことを余儀なくされる――この悪循環から抜け出す画期的な方法は、まだどの自治体も見出せていない。
◎やはり良いことでは?
「全国の自治体のなかで、東京圏だけが若者の人口流入を達成しており、次点で近畿圏がギリギリのところで踏みとどまっている。他の地域は軒並みこの二大都市圏に若者を吸い取られ、若年人口減少に歯止めがかからない」らしい。これは好ましい。
既に述べたように、関東と関西に人口が集中して、他はほとんど人が住んでいない日本の未来を望ましいと考えている。国民の自由な選択に任せている状況下で、それに似た傾向が強まっているのならば歓迎したい。
「生産人口の減少にともない地域経済がシュリンクし、さらに若者が生活のために都会に出ていくことを余儀なくされる」ことを「悪循環」と御田寺氏は言うが、自分に言わせれば「好循環」だ。「今の日本の人口は多すぎる」との立場からは、好ましい変化が起きていることになる。
さらに続きを見ていこう。
【現代ビジネスの記事】
昨今「経済成長よりも持続可能性を優先すべきだ」「これ以上の豊かさはいらない」といった論調を盛んに見聞きするが、夕張の《いま》こそが、こうした「脱成長論」的な思想が本当に達成されたときに、全国各地で見ることになる町々の光景である。
私個人はもともと都会の生まれなので、YouTubeで自分の故郷の街歩き動画を見ても、(たしかに昔より商店街にシャッターは増えたように見えるが)明白には衰退の色はまだ見えてこない。その点においてはやはり恵まれているといえよう。自分の故郷が夕張ほどではないにしても、しかし夕張と同じ未来に向かって着実に突き進んでいるという人は、いま全国には大勢いるはずだ。
◎悪い未来ではないような…
「脱成長論」者であっても「自分の故郷」が「夕張と同じ未来に向かって着実に突き進んで」は困ると思うはずだとの思い込みが御田寺氏にはあるのだろう。1人の「脱成長論」者として言わせてもらえば「自分の故郷」が「夕張と同じ未来に向かって」いても何の問題もない。人口がドンドン増えていく「未来」よりはるかに好ましい。
日本は人口が2億人になっても3億人になっても余裕でやっていける国なのか。地球は200億人でも300億人でも人類を養っていける惑星なのか。そうではないとしたら適正人口はどの辺りなのか。
まずは、そこを考えるべきだ。「経済成長」が必要かどうかは、適正人口をどう見るかで違ってくる。御田寺氏には、その視点が欠けているのではないか。
※今回取り上げた記事「夕張の苦境に想う…都会人が言う『もう経済成長はいらない』は正しいか~無自覚に行われる『地方搾取』について」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90908?imp=0
※記事の評価はD(問題あり)