グラバー園内の旧三菱第2ドックハウス(長崎市) ※写真と本文は無関係です |
【日経の社説】
働く女性の数は増え、仕事と子育ての両立支援も充実してきた。真の活躍につなげるうえで、欠かせないことがさらにある。「無意識の偏見」を克服することが、その一つだ。
無意識の偏見とは、誰もが気づかずに持っている、考え方、ものの見方の偏りのことだ。育った環境や経験などから培われたもので、必ずしも悪いものではない。だがときとしてそれが多様な人材の育成を阻害することがある。
例えば「女性はリーダーに向いていない」「男性は常に仕事優先」などだ。管理職が先入観を持っていると、男性か女性かで部下への仕事の割り当てや期待のかけ方に違いが生じやすくなる。とりわけ育児期には最初から「女性は家庭が優先。負担の重い仕事はかわいそう」となりがちだ。
◎誰もが「偏見」を持ってる?
筆者の考えでは、誰もが「無意識の偏見」を持っていて、「それが多様な人材の育成を阻害することがある」という。しかし、そう断定できる根拠は示していない。仮に筆者が言うような因果関係があるとしても、立証はかなり難しそうだ。
「無意識の偏見」の具体例として「女性はリーダーに向いていない」「男性は常に仕事優先」の2つを挙げている。
「女性はリーダーに向いていない」に関しては、「偏見」とは限らない。「全ての女性はリーダーに向いていない」との考えは偏見かもしれないが「女性は男性に比べてリーダーに向いていない人が多い」との趣旨ならば、「偏見」ではない可能性も十分にある。何を以って適性を見るかでも結果は変わってくる。
「男性は常に仕事優先」に関しては、そんな「偏見」を持っている人がいるのかとの疑問が湧く。「男性は総じて仕事優先」と思っている人はいるだろうが「男性は常に仕事優先」と信じている人は極めて稀ではないか。
「育児期には最初から『女性は家庭が優先。負担の重い仕事はかわいそう』となりがち」なのも筆者にすれば「無意識の偏見」なのだろう。だが「女性は家庭が優先。負担の重い仕事はかわいそう」と考えているのであれば、それはもう「無意識」ではない。
そもそも、「育児期」の女性に「負担の重い仕事はかわいそう」と考えるのは「偏見」なのか。「生まれたばかりの子供を抱える女性の部下にもどんどん厳しい仕事をさせる。俺は偏見のない上司だから泊まり勤務もやらせるし、長期の海外出張にも何度も行ってもらう。覚悟しといてくれ」と言う人が正しいのか。
「私には無理です」と女性の部下が言ってきたら「それは君の中に巣くう『無意識の偏見』だ。一緒に克服しよう。厳しい仕事も必ずできるから」と説き伏せるべきなのか。
社説の続きを見ていこう。
【日経の社説】
一つ一つは小さなことでも、積み重なって女性の成長機会を奪い「自分は期待されていない」などと、意欲がそがれることがある。男性にとっても、管理職の思い込みが本意でないこともあろう。
大事なのは、誰もが無意識の偏見を持っていると自覚することだ。意識すれば慎重に判断できるようになる。属性ではなく一人ひとりにきちんと目を向けること、コミュニケーションを密にし、ときに背中を押すことも必要だ。
◎「意識すれば慎重に判断できる」?
「大事なのは、誰もが無意識の偏見を持っていると自覚することだ。意識すれば慎重に判断できるようになる」との説明も納得できない。
例えば「背の高い人は仕事ができる」と判断してしまう「無意識の偏見」を持っている上司Aがいるとしよう。当然にこの「無意識の偏見」に気付いていない。しかし「誰もが無意識の偏見を持っている」とは自覚している。
この場合、Aが部下を評価する時に「無意識の偏見」を取り除いて「判断」できるようになるだろうか。外部からの働きかけがない限り、判断の歪みは修正できない気がする。A自身は「背の高い人は仕事ができる」という偏見が自分にあるとは全く思っていないのだから。
さらに続きを見ていこう。
【日経の社説】
一方、女性自身も「自分には管理職は無理だ」などと、最初から萎縮してしまうのは、良くない。これもまた、無意識の偏見の一つだ。
◎それこそ「偏見」では?
この説明は明らかにダメだ。筆者の方に「偏見」を感じる。
九重"夢"大吊橋(大分県九重町) ※写真と本文は無関係です |
まず「自分には管理職は無理だ」との意識があるのならば「無意識」ではない。また、全ての人が「管理職」に向いている訳でもない。やらせてみたら悩み苦しんでうつ病になるケースもあるだろう。そういう人が「自分には管理職は無理だ」と言っていても「無意識の偏見」なのか。
人にはそれぞれ適性がある。管理職に向かない女性に対して「最初から萎縮してしまうのは、良くない」と決め付ける方が「偏見」だ。「案ずるより産むが易し」の人もいるだろうが、潰れてしまう人もいるはずだ。
社説の結論部分に移ろう。
【日経の社説】
日本企業の管理職に占める女性の比率は、まだ1割ほどだ。女性の育成・登用を着実に進めるには、職場をあげての意識改革が欠かせない。先駆的な企業の一つ、ジョンソン・エンド・ジョンソンは複数の研修を開いている。
少子高齢化が進む日本では、性別はもちろん、年齢、病気や障害の有無などにかかわらず、誰もが自分の力を発揮できる環境を整えることが大切だ。多様な人材を生かす土壌をどうつくるか。誰もがまさに当事者として考えたい。
◎「1割」ではなぜダメ?
「日本企業の管理職に占める女性の比率は、まだ1割ほどだ。女性の育成・登用を着実に進めるには、職場をあげての意識改革が欠かせない」と筆者は言い切るが、「1割」ではなぜダメなのか。
海外に比べて低いからなのか。だとすれば、なぜ海外に追い付く必要があるのか。
それとも政府が比率を引き上げようと言っているからなのか。この場合、なぜ政府の方針に同調すべきなのかが知りたい。
例えば「『1割』を『3割』に引き上げると日本人の幸福度が大幅に向上する」と言えるのならば、頑張って引き上げたい。「女性管理職比率が100%になれば、日本の抱えるあらゆる問題が解決する」といった関係が成り立つのならば、100%への引き上げにも大賛成だ。
しかし、「海外より低いから」とか「政府もそう言ってるから」では納得できないし、今回の社説のように根拠を示さず「まだ1割ほどだ」「意識改革が欠かせない」と訴えられても同意する気にはなれない。
※今回取り上げた社説「『無意識の偏見』を克服しよう」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180930&ng=DGKKZO35929050Z20C18A9EA1000
※社説の評価はD(問題あり)。