「多様性」の確保を訴える記事で説得力のあるものに触れた記憶がない。週刊東洋経済10月23日に載った「少数異見~女性取締役が活躍するための条件」という記事も、やはり苦しい。
コスモスパーク北野 |
「多様性」の確保に関しては(1)メリットに関して根拠が乏しい(2)属性が同じでも「多様性」はある(3)「多様性」を追い求めるとキリがないーーという理由で「追求しても意味がない」と見ている。これを踏まえて記事の中身を見ていこう。
【東洋経済の記事】
「多様性」の重要性が叫ばれて久しい。多様性の中には性別、国籍、人種、年齢、ハンディキャップなどさまざまな属性(まさに多様)が含まれるが、目下、日本企業が対応を急いでいるのは女性の活用であろう。
女性の管理職比率の目標を定めて公表することは珍しくなくなった。女性の取締役も増えてきた。今年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードで、取締役会にジェンダーや国際性など多様性の確保が入ったことで、出遅れていた企業も動き出している。
ただ、年功序列、かつ女性の登用が遅れていた大半の日本企業では、取締役となりうるプロパーの女性自体が少ない。必然的に社外に人材を求めることになる。よって、取締役候補となりそうな経歴の女性は引く手あまただ。
◎どんなメリットが?
「『多様性』の重要性が叫ばれて久しい」と冒頭で宣言しているが、「多様性」を確保するとどんなメリットがあるのかには言及していない。「管理職」や「取締役」に「女性」を入れると業績が大幅に上向くのか。株価が飛躍的に上昇するのか。その辺りの話は欲しい。
続きを見ていこう。
【東洋経済の記事】
こうした状況に「女性というだけでポジションを与えられるのは悪平等」「女性という属性ではなく適材適所であるべき」といった反発の声を聞く。これらはポジションに女性枠を設けるクオータ制に対しても出てくる反論である。
だが、企業任せにしてきた結果、女性の活用が遅々として進まなかった以上、やはり一定の義務づけは有効だ。実際、予定調和となりがちな取締役会が、女性の取締役の「異議あり」という発言で活気づくという例も出てきている。
◎苦しすぎる…
「企業任せにしてきた結果、女性の活用が遅々として進まなかった以上、やはり一定の義務づけは有効だ」という主張が苦しすぎる。「企業」は経営に関する選択を誤れば破綻してしまう。なので人事に関する「義務づけ」には慎重であるべきだ。
なのに「義務づけ」のメリットが「実際、予定調和となりがちな取締役会が、女性の取締役の『異議あり』という発言で活気づくという例も出てきている」という話だとしたら漠然とし過ぎている。
会社名は不明。そうした「例」がどの程度あるのかも分からない。これで「義務づけ」は「企業」にもプラスと見る方がおかしい。「女性の取締役」を加えたものの「取締役会」の活性化につながらなかったケースも当然あるだろう。マイナス面も含めて総合するとどうなるのか。そのデータがないと参考にならない。
「企業」が本来適任だと判断した男性「取締役」を登用せず、その代わりに「企業」にとって本意ではない「女性の取締役」を選任せよというのが「クオータ制」だとしたら、明らかな性差別だ。絶対にダメとは言わない。企業価値を飛躍的に高めるといった大きな効果があるならば検討課題にしてもいい。そこを確認できないのならば、男女平等の原則を堅持すべきだ。
さらに記事を見ていこう。
【東洋経済の記事】
多様性の確保という意味ではまだ十分ではない。日本企業の場合、社内取締役はほぼその会社で出世した人だ。社外は親会社や取引先の出身者や弁護士、公認会計士、元官僚が目立つ。どちらも高齢の男性がほとんどだ。一方、女性取締役は弁護士、元官僚、大学教授が多いように思う。いずれにしろ、ずらりと並ぶ高齢男性の中、女性が1人でできることは限られる。
取締役会に多様性を確保するのは、異なった視点や意見を経営の意思決定に取り入れるためだ。ならば、女性取締役は1人といわず、最低でも2人。来年設立される東京証券取引所のプライム市場(現在の東証1部に相当)の企業なら3人を義務づけるべきではないか。
女性、女性と書いてきたが、「女性」を「外国人」「障害者」などと置き換えても構わない。多様性を生かすには少数派が活躍できるような、孤立しないような配慮が必要ということだ。
◎「クオータ制」の際限なく導入?
「女性、女性と書いてきたが、『女性』を『外国人』『障害者』などと置き換えても構わない」と筆者の相思葉氏は言う。そうなると色々と疑問が浮かぶ。なぜ「女性」の「クオータ制」を優先させるのか。なぜ「外国人」や「障害者」は後回しなのか。
では「外国人」や「障害者」にも「クオータ制」を導入すれば問題は解決するのか。「若者」「同性愛者」など属性は無数に存在する。「多様性を生かす」ために「クオータ制」を導入するという話に終わりはない。
様々な国の人をひとまとめに「外国人」として扱ってよいのかといった問題もある。「ずらりと並ぶ高齢男性の中、女性が1人でできることは限られる」という理由で女性に関しては「3人を義務づける」のならば、他の属性についても「3人」以上となるはずだ。
とりあえず「女性」「外国人」「障害者」のそれぞれに「3人を義務づける」としよう。「取締役会」を10人で構成する場合、これだけでもの凄い制約となる。中国人と米国人の「外国人」がいる場合、これまたそれぞれ「3人」とすると「外国人」で6人が必要だ。
しかし「多様性を生かす」のであれば、ここでは終わらない。様々な属性に関して次々に「クオータ制」の導入を迫られる。それで「取締役会」は機能するだろうか。相思葉氏も少し考えれば分かるはずだ。
相思葉氏は記事の最後を以下のように締めている。
【東洋経済の記事】
今どき、「男性だから」、「女性だから」、「高齢者だから」などと属性で決めつけるのはNGである。そのことは十分に承知したうえで、あえて問題提起をしたい。
◎「属性で決めつけるのはNG」ならば…
「今どき、『男性だから』、『女性だから』、『高齢者だから』などと属性で決めつけるのはNGである」と思っているのならば、なぜ「クオータ制」導入を訴えるのか。同性だからと言って「視点や意見」が一致する訳ではない。「女性だから」男性とは「異なった視点や意見」を持っているとも限らない。
なのに、どうしても「属性で決めつける」罠にはまってしまう。「属性で決めつけるのはNGである」と自覚している相思葉氏でさえ、この罠から逃れられず性差別容認論に走っている。「多様性を生かす」という訴えはそんなに魅力的に見えるのか。自分にはよく分からないが…。
※今回取り上げた記事「少数異見~女性取締役が活躍するための条件」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28478
※記事の評価はD(問題あり)。女性への クオータ制に関しては以下の投稿も参照してほしい。
男女平等主義は韓国では危険思想? 週刊エコノミストの記事に思うことhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/10/blog-post.html
メリットがあれば差別じゃない? クオータ制導入を訴える河合薫氏の無理筋https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/08/blog-post_29.html
日経でのクオータ制導入論に説得力欠くウプサラ大学の奥山陽子助教授https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/08/blog-post_65.html
三浦まり上智大学教授が日経ビジネスで訴えたクオータ制導入論に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/05/blog-post_15.html
東洋経済でのクオータ制導入論にも無理がある三浦まり上智大教授https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/06/blog-post_36.html
エビデンスが足りない日経社説「政治でも経済でも女性の活躍をもっと」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/04/blog-post_11.html
男女半々ならば「能力のある人」も半々? 出口治明氏が東洋経済オンラインで発信した誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post.html
日経女性面での女性管理職クオータ制導入論が苦しい出口治明氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/04/blog-post_20.html
女性「クオータ制」は素晴らしい? 日経女性面記事への疑問https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/04/blog-post_18.html
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日経女性面でのクオータ制導入論が「非論理的」な上野千鶴子氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/01/blog-post_27.html
「クオータ制」は差別ではない? 日経ビジネスで田中知美氏が展開する無理筋https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/11/blog-post_13.html
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