「クオータ制は男性への『逆差別』か?」に関しては、「逆」かどうかはともかく「差別」と考えるのが自然だ。「だから導入するな」とは言わない。「クオータ制」によって世界の諸問題が一気に解決するのならば「差別」に目をつぶって導入する選択もありだ。しかし、強引に「差別」ではないかのような主張をするのは感心しない。世界銀行上級エコノミストの田中知美氏が日経ビジネスに書いた「クオータ制は男性への『逆差別』か?~世界の調査から見えた事実」という11月12日付の記事も、無理のある論理展開が目に付いた。問題のくだりを見ていこう。
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【日経ビジネスオンラインの記事】
前述のスタンフォード大学のニーデルレ教授とピッツバーグ大学のヴェスターランド教授は、スイス・チューリッヒ大学のカーミット・セガール助教授との共同研究("How Costly Is Diversity? Affirmative Action in Light of Gender Differences in Competitiveness", Management Science, Vol 59, No.1, January 2013)で、米ハーバード大学の学生を被験者に、女性へのクオータ制を実験に導入してみた。
この実験ではグループあたりの人数を4人から6人に増やし、男女それぞれ3人ずつを1グループにした。そして競争による報酬の場合は各グループで2人の勝者に報酬が支払われることになった。
クオータ制のラウンドが実験に追加され、クオータ制のラウンドでは勝者2人のうち1人は必ず女性が選ばれるというルールが導入された。実験の結果、クオータ制がない場合には能力がある女性の多くが競争を選択しないがクオータ制が導入されると競争を選ぶようになったため女性の勝者が増えた。
能力が低いのに競争を選んでいた男性が競争に勝つ確率は低くなったが、能力が高い男性は以前と同じように競争に勝つので優秀な男性に不利になるというような逆差別の問題は起きなかった。つまり、クオータ制が導入される前は能力が高いトップ2人の男性が競争に勝っていたが、クオータ制の下では、最も能力が高い男性と最も能力の高い女性が勝者として選ばれることが多くなった。
能力が2番目に高い男性よりも最も能力が高い女性の方が高い能力を持つことが多いので、勝者の質も低下しなかった。この実験は大学生を対象に行われた人工的な設定であるため、実際の企業内の状況や企業文化を反映しているわけではない。しかしながら、クオータ制が必ずしも逆差別を生まない、そして企業の効率性も損なわない可能性があることを示唆している。
◎「能力が高い男性は以前と同じように競争に勝つ」?
「クオータ制が必ずしも逆差別(の被害者)を生まない」というのは間違いではない。企業が自由に管理職を選んだら、たまたま「クオータ制」が求める「30%以上は女性」という条件を満たしていた場合「差別」のせいで管理職になれない男性は生まれない。しかし、全体に当てはめていけば「クオータ制」は必然的に「差別」を生む。それを論証していきたい。
まず田中氏の説明には矛盾がある。「クオータ制」を導入しても「能力が高い男性は以前と同じように競争に勝つ」と田中氏は言う。しかし「クオータ制が導入される前は能力が高いトップ2人の男性が競争に勝っていたが、クオータ制の下では、最も能力が高い男性と最も能力の高い女性が勝者として選ばれることが多くなった」はずだ。「能力が高いトップ2人の男性」のうち1人は敗者となる。それでも「能力が高い男性は以前と同じように競争に勝つ」と言えるのか。
本題に移ろう。
「能力が2番目に高い男性よりも最も能力が高い女性の方が高い能力を持つことが多いので、勝者の質も低下しなかった」としよう。だから「差別」はないと言えるだろうか。「能力が2番目に高い男性よりも最も能力が高い女性の方が高い能力を持つことが多い」としても、一部の「グループ」では「能力が2番目に高い男性」と比べると能力が低い「女性」が勝者となる。この場合、敗者となった「男性」は明らかに「差別」の犠牲者だ。
「能力が2番目に高い男性よりも最も能力が高い女性の方が(必ず)高い能力を持つ」と言えるのならば議論の余地はあるが、そうではないのならば「差別」があると考えるしかない。
「この実験」では「勝者」を2人にしているが、これを1人にして「クオータ制」を導入するとさらに問題は大きくなる。「クオータ制が導入される前は能力が高いトップ2人の男性が競争に勝っていた」らしいので「勝者」を1人にしても当然に全員「男性」になる。「クオータ制」で3割の「勝者」を「女性」にすると、グループ内で最も「能力が高い男性」のうち3割は確実に敗者となる。「能力が高い男性は以前と同じように競争に勝つ」という田中氏の説明はさらに成立しなくなる。
「クオータ制」が「差別」に当たることは認めた方がいい。強引に正当化しようとすると「クオータ制」導入論者が無理筋を主張する人に見えてしまう。「差別」によって不利益を被る人もいるが、それを補って余りある社会的利益があるので導入しようと訴える他に「クオータ制」を正当化する道はないと思える。
※今回取り上げた記事「クオータ制は男性への『逆差別』か?~世界の調査から見えた事実」
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/20/00027/103000021/?P=1
※記事の評価はD(問題あり)
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