慶応大学准教授の小幡績氏によると、日本で「確実に財政破綻は起きる」らしい。「アフターバブル~近代資本主義は延命できるか」という著書で繰り返し訴えている。しかし、どういう経路で「財政破綻」に至るのかはっきりしない。
大雨で増水した筑後川(福岡県うきは市) ※写真と本文は無関係です |
主張の一部を見ていこう。
【本の引用】
日本は、これまでも、財政ファイナンスではないと強く否定しながら、政府の政策、意向に合わせて、大量の国債購入を続けてきただけでなく、それを加速度的に拡大してきた。建前はかろうじて守られているものの、この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた。景気がよくなっても、出口には向かわず、国債保有残高を増やし続けた。
この経緯からすると、財政出動の規模が米国政府よりも日本政府のほうが小さいことから、日銀は、とりあえず、実質的な財政ファイナンスであると半ば認めたような米国FEDのようなスタンスはとらないだろう。しかし、いやだからこそ、なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い。明確な説明をしないまま、建前は財政ファイナンスでないと言い続けながら、政府の財政政策の言いなりになって無限に国債を買い続ける可能性もある。
実際、MMTという世界的には眉唾物の経済理論が日本では注目を集めている。さらに悪いことに、MTTに誤った拡大解釈を加え、インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えて構わない、それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない、という暴論が日本では蔓延している。さらにこのような論調が力を増している雰囲気が、ネット論壇(そういうものが存在するとすれば)に見られる。しかも、コロナ対策として、とにかく何でも金を配れ、という雰囲気があることから、今まで以上に歯止めが利かなくなる恐れがある。
中央銀行は財政政策に乗っとられつつある。
この結果、確実に財政破綻は起きる。日本経済と日本社会は真の危機に陥る。これが、現在の日本における最大のリスクである。このリスクシナリオは、ほぼ実現しつつある。
もはや手遅れに近いが、最後の望みをかけて、「無制限」の国債購入という文言を変更するしかない。「無制限」ではなく、国債購入の方針として、「量の明示はしない」という見解を公式に表明する。それが現在の日銀の最優先課題であり、唯一できることだ。
◎「無限に国債を買い続ける」能力があるのに「破綻」する?
「この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた」「中央銀行は財政政策に乗っとられつつある」という見方に異論はない。だが、そこから「この結果、確実に財政破綻は起きる」と飛躍した結論を導く根拠がこの本には見当たらない。
「(日銀は)政府の財政政策の言いなりになって無限に国債を買い続ける可能性もある」と小幡氏は書いている。つまり日銀には「無限に国債を買い続ける」能力があると認めている。「実質財政ファイナンス」を続けるためには日銀が「国債を買い続ける」必要があり、その能力が限界に近付いているのならば「確実に財政破綻は起きる」との結論に辿り着くのも分かる。
しかし「無限に国債を買い続ける」能力があると知っていながら「確実に財政破綻は起きる」と見るのはおかしい。「長期金利ターゲットのゼロ%付近という目標は維持する」というのが小幡氏の考えだ。つまり、国債を増発しても利払いの負担は非常に軽い。そして日銀には「無限に国債を買い続ける」能力がある。なのに「財政赤字」の拡大が続くと「もう償還も利払いもできません。日本国債の債務不履行を宣言します」と政府は白旗を上げるのか。さらに国債を発行して日銀が買い支えれば済む話だ。
インフレなどの問題は起きるかもしれないが「財政破綻」となる道筋は見えてこない。小幡氏には見えているのならば、それを具体的に教えてほしい。
「MMT」についても「世界的には眉唾物の経済理論」と言い切っているが「眉唾物」と見なすべき根拠は教えてくれない。「MMT」では「自国通貨建ての国債は債務不履行にならない」と考える。当たり前の話にも思えるが、小幡氏は「違う」と確信しているのだろう。だったら日銀が「無限に国債を買い続ける」意思を明確にして政府を支えても円建ての国債が債務不履行になる理由も示してほしかった。
そこに触れないで「確実に財政破綻は起きる」と言われても納得はできない。
「確実に財政破綻は起きる」のならば、回避策を考えても意味はなさそうだ。しかし「もはや手遅れに近いが、最後の望みをかけて、『無制限』の国債購入という文言を変更するしかない」と小幡氏は訴える。「国債購入の方針として、『量の明示はしない』という見解を公式に表明する」だけで「財政破綻」を避けられるのならば、随分とお手軽な話ではある。なぜそうなるのか。再び本の中身を見てみる。
【本の引用】
要は、無制限の買い入れというイメージを払拭し、財政ファイナンスはしない、という建前を再度前面に押し出す、ということである。
ただし、建前の確立に成功したとしても、政府の要求や世論(エコノミストを含む)からの圧力により、現実には、実質財政ファイナンスに陥る可能性も十分にある。しかし、それは残念だが仕方がない。無制限を残したままでは抵抗もできず、ただ財政ファイナンスになってしまうし、このリスクシナリオの実現可能性も高くなってしまうだろう。そのリスクを少しでも抑えるために「建前」という防御壁をつくり直すということだ。
◎「建前」に意味ある?
「実質財政ファイナンスに陥る可能性も十分にある」と書くと、現状は「実質財政ファイナンス」ではないとの印象を受けるが「この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた」と小幡氏は見ているはずだ。「実質財政ファイナンスが続く可能性も十分にある」などとした方が良いだろう。
「『建前』という防御壁をつくり直す」ことが大事だと小幡氏は説く。だが疑問が2つ湧く。黒田東彦総裁は記者会見でも「日銀を含めた中銀が国債を大量に買い入れているのは、あくまでも金利を低位で安定させる金融政策のためで、財政ファイナンスではない」と発言している。「財政ファイナンスはしない、という建前」は今もあるはずだ。なのに、さらに「建前」を「つくり直す」のか。
しかも「実質財政ファイナンス」は「仕方がない」と小幡氏は言う。「建前」を「つくり直す」と「実質財政ファイナンス」から抜け出せるのならば「建前の確立」にこだわるのも分かる。しかし、そうではないようだ。
なのに「建前の確立」によって「リスクシナリオの実現可能性」を「抑える」ことができるらしい。「確実に財政破綻は起きる」のだから「リスクシナリオの実現可能性」を仮に99.9%としよう。小幡氏の求める「建前の確立」に成功すると、これはどう変わるのだろう。99.8%辺りか。だとしたら「建前の確立」に実質的な意味があるとは思えないが…。
※今回取り上げた本「アフターバブル~近代資本主義は延命できるか」
※本の評価はD(問題あり)。小幡績氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。
小幡績 慶大准教授の市場理解度に不安を感じる東洋経済オンラインの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/03/blog-post_18.html
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