2020年10月3日土曜日

政府の「ゼロ回答」を批判する前に日経は自らの説明責任を果たせ

日本経済新聞には「異例の決定に至った経緯と理由をきちんと説明すべきである」などと「政府」に求める資格があるのか。3日の朝刊総合1面に載った「なぜ学者6人を外したのか」という社説では、冒頭で以下のように訴えている。

豪雨被害を受けた天ケ瀬温泉(大分県日田市)
        ※写真と本文は無関係です
内閣府の所管だが、学者が自由に政策提言をしてきた特別機関『日本学術会議』が推薦した新会員候補105人のうち、6人が任命されなかった。いまの仕組みになった2004年度以降で初めてのことだ。政府は異例の決定に至った経緯と理由をきちんと説明すべきである

読者からの間違い指摘を無視して多くのミスを放置してきた日経が「政府」に「きちんと説明すべきである」と求めても説得力はない。訂正を出した案件でさえ、日経は問い合わせに回答しない。つまり「自らに非があっても説明責任は果たさない」というのが日経の姿勢だ。なのになぜ「異例の決定に至った」だけで「政府」は「経緯と理由をきちんと説明すべき」なのか。自分に甘く他者に厳しい姿勢を日経はまず改めるべきだ。

もう少し社説の中身を見ておこう。


【日経の社説】

任命されなかった6人の経歴をみると、法学者や歴史学者がほとんどだ。特定秘密保護法や安全保障関連法の制定や共謀罪の新設に反対した人が含まれている。ときの政府の方針に従わなかったことが理由だとすれば、学問の自由を侵害しかねない

学術会議が2017年に大学が軍事研究にかかわることに歯止めをかけるように求める声明を出したことへの意趣返しとみる向きもある。野党は秋の臨時国会で、菅義偉首相による権力乱用だとして追及する構えだ。

法的な正当性がいずれにあるかはさらなる議論が必要だが、政府が長年の方針を変更したことは間違いない。加藤氏は「個々の選考理由はコメントを控える」としているが、これではゼロ回答だ

選考の内規のようなものがあって、6人の過去の業績の優劣で決めたのか。それとも特定の振る舞いを理由に除外したのか。問答無用ではすまない問題である。


◎ちょっと大げさでは?

ときの政府の方針に従わなかったことが理由だとすれば、学問の自由を侵害しかねない」という主張は多くなされているとは思うが、大げさな感じがする。「学問の自由」を「学問研究・研究成果の発表・討論・教授・学習などに関して、政治・宗教・経済などいっさいの外的権力からの干渉・制限・圧迫を受けることなく、活動しうること」(デジタル大辞泉)と定義するならば「日本学術会議」の「会員」になれなくても「自由」は確保できる。

また「経緯と理由をきちんと説明」することに、あまり意味があるとは思えない。「ときの政府の方針に従わなかったことが理由」だとしても、それをそのまま「政府」が説明するとは限らない。仮に「『6人の過去の業績』を総合的に見て、学者としての能力が低いと判断した」と説明した場合、どうなるのか。

「だったら仕方がない。納得」とはならないはずだ。本当の理由を隠しているとの疑いは残る。「政府」の介入が好ましくないことならば、推薦された学者を無条件に「新会員」とするよう制度を改めるしかない気がする。


※今回取り上げた社説「なぜ学者6人を外したのか


※社説の評価はD(問題あり)

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