2018年3月21日水曜日

「普通大なのに異才」の説明に難あり 日経ビジネス高校特集

日経ビジネス2018年3月19日号の特集「大事なのは高校~人手不足に克つ新・人材発掘術」は悪い出来ではないが、いくつか問題を感じた。まず、特集の冒頭で「人事部が長年悩まされてきた、『一流大でもダメ社員』と『普通大なのに異才』の境界を見極め、真の有能人材を獲得するための全く新しいメソッドを提案する」と宣言しているものの、最後まで読んでもそんな「メソッド」は出てこない。
小長井駅(長崎県諫早市)※写真と本文は無関係です

強いて挙げれば「PART2~新説 人は高校時代が9割 『一流大でもダメ社員』の理由」という記事に以下の記述がある。

【日経ビジネスの記事】

多くの企業が、入社志望の学生を出身大学で選別する「学歴フィルター」を採用しているのは周知の事実だ。が、一流大なのに会社に入って鳴かず飛ばずの人材や、逆に普通の大学なのに入社後華々しい活躍をする人材はたくさんいる。

学歴欄の大学だけを見て採用を続ければ、「一流大でもダメ社員」の流入は防げない。だが、出身高校で真の有能人材がある程度、推し測れるのであれば、話は変わる。優秀な人間を見抜きやすくなり、「普通大なのに異才」な人材の発掘にもつながる

高校を見れば優秀な人材が見抜けるという仮説は良い着眼点。結論から言えば、大学、社会で伸びる人材になれるか否かは、高校の教育環境に大きく左右される」

こう話すのは、京都大学高等教育研究開発推進センターの溝上慎一教授。溝上教授は、大学生のGPA(成績評価指標)を1年前期と3年前期で比較したデータなどから「大学に入る時点でワークキャリア、ライフキャリアを意識していない学生は、その後、コミュニケーション能力や行動計画性、リーダーシップなど多くの項目で人間的成長が見込めない」と結論付ける。


◎「高校重視」が「全く新しいメソッド」?

結局、「高校を見れば優秀な人材が見抜ける」と言っているだけだ。これだと、「メソッド」と言うほどの具体性がない。記事では「大学の画一化と高校の多様化で、『出身高校こそ人材を見抜く鍵』との声が高まっている」とも書いているので、高校重視のアプローチには新規性も乏しい。

記事では「①早い時期から自分の適性を把握する作業をさせる高校 ②早い時期から自分のライフプランを意識させる高校」を「有能な人材を輩出する可能性が高い高校の特徴」だとしている。百歩譲って、こうした条件に当てはまる高校の卒業生は「普通大」を出ていても「異才」である可能性が高いとしよう。

だが、「一流大でもダメ社員」はどうやって見分けるのか。記事では、上記の基準に当てはまらない「自由放任主義」の高校の例として県立千葉高校と桐朋高校を挙げている。だとすると、県立千葉高校から東大に行ったような人材は「一流大でもダメ社員」になる可能性が高いとして採用候補から除外するのが正解なのか。

その辺りには触れないまま、特集は終わってしまう。これでは「『一流大でもダメ社員』と『普通大なのに異才』の境界を見極め」ることはできない。

記事では「『普通大なのに異才』のメカニズム」を以下のように説明しているが、これも「なるほど」とは思えなかった。


【日経ビジネスの記事】

大学のレジャーランド化がささやかれて久しい。が、こうした高校出身の学生にとって大学は遊び場にはならない。自らの将来を考え、単位選択から休日の過ごし方まで「成長を考えた生き方」をしているからだ。

目標を定めた学生は設備や研究室で大学を選ぶため、能力がありながら2番手、3番手の大学へ進学するケースも多い。一方で、学力だけ高い学生は偏差値ランキングで大学を選ぶしかなく、おのずと目標なき一流大志向になる。これこそが「普通大なのに異才」と「一流大でもダメ社員」が生まれる真の理由。企業が獲得を目指すのは前者であるべきだ。


◎「2番手、3番手」は「普通大」?

まず、記事で言う「普通大」がどの辺りの大学を指すのか明確ではない。仮に「偏差値50前後の大学」だとしよう。「普通大なのに異才」が生まれる理由は「能力がありながら2番手、3番手の大学へ進学するケースも多い」かららしい。だとすれば「2番手、3番手の大学」は「普通大」になるはずだ。
横浜赤レンガ倉庫(横浜市)※写真と本文は無関係です

入試の難易度では1番手が東大、2番手が京大、3番手が東工大だとする。この場合、例えばAIを学びたいと「目標を定めた学生」が「AIでは東大より難易度3番手の東工大の方が研究が進んでいる」と判断して、あえて東工大に進むとしよう。だとしても、この学生は「普通大なのに異才」にはなれない。東工大が「普通大」ではないからだ。

非常に特殊な研究分野でもない限り、「2番手、3番手の大学」は世間で言う「一流大」に属するだろう。偏差値50前後の「普通大」が入試の難易度で見て「2番手、3番手」になる研究分野が自分には思い浮かばない。

記事の筆者は「普通大なのに異才」を「一流大学に合格する実力がありながら、あえて一流大学を選ばない人」と捉えている。個人的には「普通大なのに異才」はいると思うが、「高い学力がありながらあえて普通大」という人はいてもわずかだと見ている。

一流大でもダメ社員」「普通大なのに異才」が生まれるのは、受験で問われる能力と、社会で求められる能力が異なるからだろう。

少し考えてみれば分かる。飛び込みの営業をさせた場合、偏差値の高い大学の学生ほど成績が良いとは限らない。こうした仕事ではコミュニケーション能力やある種の厚かましさが必要だ。一流大学出身者が営業成績で最下位となり、普通大学出身者がトップでも驚きはない。

これは、ゲームソフトの開発などでも言える。知的能力を求められる分野ではあるが、受験能力との関係は薄そうだ。だとすれば、「普通大なのに異才」がそこそこの確率で現れるだろう。しかし、そうした「異才」を「一流大学に行ける学力があったのにあえて普通大学を選んだ人」と捉えるのは違う気がする。

スポーツで言えば、水泳や陸上は得意ではないのに射撃が天才的に上手い人がいるようなものだ。この手の天才が水泳や陸上の試験を受けても、高い得点は得られない。


※今回取り上げた特集「大事なのは高校~人手不足に克つ新・人材発掘術
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/special/031300936/?ST=pc


※特集全体の評価はC(平均的)。担当者らの評価は以下の通りとする。

吉岡陽記者:暫定C→C
寺岡篤志記者:Cを維持
広田望記者:暫定C

0 件のコメント:

コメントを投稿