2016年3月6日日曜日

いきなり解読困難 日経1面「大震災から5年~再生への闘い」

この時期に恒例の「震災物」はあまり好みではないのだが、朝刊1面トップに持ってきていることもあり、6日の日本経済新聞の「大震災から5年~再生への闘い(1) 復興 日本の映し絵」を読んでみた。これが最初から解読に苦しむ内容で、終わりまで読むのが辛かった。準備の時間はたっぷりあったのだから、もう少し完成度を高めて世に送り出すべきだろう。
久留米市立南筑高校(福岡県久留米市)※写真と本文は無関係です

まずは最初の事例から見ていく。

【日経の記事】 

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく5年。1万8千人超の犠牲者を出した惨劇を胸に、新たな日常が芽生え始めた。震災の傷はあちこちに残るが、立ち止まっているわけにもいかない。復興の行方はこの国の再生への課題とも重なる。

その瞬間、そばにいた兄を振り返る余裕はなかった

11年3月11日午後3時20分、岩手県大槌町。浪板観光ホテルリゾート社長の千代川茂(63)は轟音(ごうおん)と共にホテルの階下から押し寄せた津波に、脇目も振らず坂の上へ走った

それでも、最大20メートルの津波に巻き込まれ、気を失った。15分後に意識を取り戻したが兄の姿が見当たらない。避難先で迎えた夜、自問した。「私は兄を見捨てたのか」。町に戻ると、足元の残骸から誰とも判別できない遺体の一部がのぞいていた。妹とホテルの従業員3人もなくなった。そう聞いたが涙すら出ない。心は凍り付いていた。

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まず「ホテルの階下から押し寄せた津波に、脇目も振らず坂の上へ走った」との説明がよく分からない。素直に考えると、千代川さんはホテルの上の方の階にいて、「階下から押し寄せた津波」に危機感を持ったのだろう。上の階にいたのならば、津波が押し寄せている階下に逃げる選択はない。当然、屋上など建物の上部に逃げるはずだ。しかし、ホテルの上の階にいたはずの千代川さんはなぜか「脇目も振らず坂の上へ走った」らしい。どうやってホテルの上の階から「坂の上へと走れる場所」に行けたのだろうか。特殊な状況を想定すればあり得なくもないが、記事からは推測さえ困難だ。

私は兄を見捨てたのか」と千代川さんが自責の念にかられるのもやや無理がある。津波に飲み込まれる瞬間に「兄を振り返る余裕」がないのは当然だし、「津波に巻き込まれ、気を失った」千代川さんに兄を助ける余力があったとは思えない。「本人がそう思っているんだから」と言われればそれまでだが、記事で使うのであれば「自分も同じ状況に遭遇していたら同じような自責の念を抱いただろうな」と共感できる話にしてほしかった。

ここでは「その瞬間=千代川さんが津波に飲み込まれる瞬間」と便宜的に仮定してみたが、「その瞬間=千代川さんが津波を目にして坂の上に逃げ出す瞬間」との解釈も成り立つ。こうした曖昧で読者を迷わせる書き方は避けてほしい。

2番目の事例も疑問が残る内容だった。

【日経の記事】

千代川が奈落に沈んでいたころ東京電力福島第1原子力発電所ではメルトダウン(炉心溶融)が発生。放射性物質拡散の恐怖が日本列島を覆った。

日本が主権国家でなくなる」。首相だった菅直人(69)は焦った。メルトダウンの収拾の遅れに業を煮やした駐日米大使ジョン・ルース(61)が「米国の専門官を首相官邸に常駐させるべきだ」と求めた時のことだ。

この国そのものが瀬戸際に追い詰められている」。経済産業相だった海江田万里(67)は菅のつぶやきを聞きながら「第二の占領」という言葉が脳裏にちらついたことを覚えている。

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この国そのものが瀬戸際に追い詰められている」というカギカッコのところが「菅のつぶやき」なのか海江田万里氏の思いなのか判然としない。7割ぐらいの確率で「菅のつぶやき」だとは思うが、「日本が主権国家でなくなる」が「菅のつぶやき」だとの解釈もできそうだ。

原発事故への対応として「米国の専門官を首相官邸に常駐させるべきだ」との米国側の求めに応じると「日本が主権国家でなくなる」という話も、これだけだと説得力に欠ける。例えばコメント部分が「米国の専門官を首相官邸に常駐させて、米国主導で事態を収拾すべきだ」なってくれば話は変わってくる。一方で、別室に待機していて必要に応じて情報を共有するぐらいであれば、米国の専門官が官邸に一時的に常駐しても日本の主権を揺るがすとは思えない。

この調子で3月11日まで連載が続くのだろう。そう考えるとかなり心配ではある。

※記事の評価はD(問題あり)。

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