日本経済新聞の正月1面企画「成長の未来図」はそれほど悪い出来ではない。日経が好む「世界一変系」の1面連載でないのは評価できる。ただ、5日朝刊に載った「(4)動くか『社会エレベーター』~めざす明日は見えますか」は苦しい内容だった。中身を見ながら具体的に指摘したい。
夕暮れ時の筑後川 |
【日経の記事】
一定の格差は今よりも良い未来を渇望する原動力になりうる半面、固定化すれば絶望や諦めにつながる。肝心なのは格差を乗り越えるという目標と手応えを持てるかだ。
経済協力開発機構(OECD)が提唱する「社会エレベーター」という指標は格差を克服する難易度を探るうえで目安になる。各国の所得格差の大きさや教育・雇用を通じ階層が変わる確率を2018年に分析した。
導き出された数値は最貧層に生まれた場合、1世代30年として平均所得に届くまで何世代かかるかを示す。エレベーターがうまく動けば成り上がるチャンスは早まる。
◎まず指標が分かりづらい…
まず「『社会エレベーター』という指標」が分かりづらい。「最貧層に生まれた場合、1世代30年として平均所得に届くまで何世代かかるかを示す」この指標で日本は「4世代」となっている。これをどう理解したらいいのだろう。
「最短でも4世代は必要」と言いたいのか。しかし、あり得ない。「最貧層に生まれ」たものの街を歩いていたらスカウトされ芸能人として大成する人もいるはずだ。
「社会エレベーター」で「4世代」という場合、平均で「4世代」かかるということか。しかし、そうは明示していない。
続きを見ていこう。
【日経の記事】
階級制度「カースト」が根強く残るインドは、はい上がるのに7世代(210年)と厳しい結果を突きつけられた。しかし急速な発展で変革の兆しが見える。
「IT(情報技術)の巨人を征服するインド人」。21年11月、同国はパラグ・アグラワル氏のツイッター最高経営責任者(CEO)就任に沸いた。地方の借家で育ち、インド工科大を経てビッグテックを率いる37歳は飛躍を遂げた象徴だ。
IT分野はカーストに規定がないため職業選択の制約を受けず、貧しくても秀でていれば競える。ユニコーン企業は21年11月時点で48社に上り日本(6社)を圧倒、年5万人超の人材が米国へ羽ばたく。地元メディアによると、グーグルCEOのスンダー・ピチャイ氏も冷蔵庫がない質素な家庭から上り詰めた。
10年の義務教育の導入により貧困地域にできた公立学校に通うスーラジ・ライタ君(13)は「二輪車のエンジニアになりたい」と目を輝かす。米ニューヨーク大の研究者らによると、格差の流動性を示す数値は18年以降も改善を続ける。
インドと対照的に日本のエレベーターの動きは鈍い。平均所得への道のりは4世代とOECD平均(4.5世代)より短いが、京都大の橘木俊詔名誉教授は「格差の大きさより全体的な落ち込みが問題だ」と指摘する。
◎インドに学ぶ?
「平均所得への道のりは4世代とOECD平均(4.5世代)より短い」日本は優等生とも言える。しかし「はい上がるのに7世代(210年)と厳しい結果を突きつけられた」インドに学ぶべきだと記事では示唆している。インドの「数値は18年以降も改善を続ける」としても、優等生が参考にすべき対象ではないだろう。
記事の冒頭で「一定の格差は今よりも良い未来を渇望する原動力になりうる」と書いていた。「4世代」はその「一定の格差」に収まっていないのか。収まっていないとすれば、どこに基準があるのか。そこは明確にしてほしかった。
今回の記事の前半では「格差」縮小を求めていると取れる内容が続くが、後半はむしろ逆になる。「格差の大きさより全体的な落ち込みが問題」という「京都大の橘木俊詔名誉教授」のコメントがその始まりだ。「だったら前半の記述は何のため」と言いたくなる。
続きを見ていこう。
【日経の記事】
低成長で賃金は約30年伸びず所得の低い層が膨らんだ。厚生労働省によると18年の年収400万円未満の世帯は全体の約45%を占め、1989年比で5ポイント近くも増えた。
「大人になったとき親世代より経済状況がよくなっているか」。ユネスコが21カ国の15~24歳に尋ねた調査で日本の「はい」の割合は28%で最低。ドイツ(54%)や米国(43%)を大きく下回る。
日本の問題は平等主義がもたらす弊害だ。突出した能力を持つ人材を育てる機運に乏しく、一方で落ちこぼれる人たちを底上げする支援策も十分でない。自分が成長し暮らしが好転する希望が持てなければ格差を乗り越える意欲はしぼむ。
北欧の施策が参考になる。最貧層から2世代で平均所得に到達するデンマークは義務教育を延長して遅れている子どもを支え、大学生の起業も促す。北欧各国の国内総生産(GDP)に対する教育の財政支出は4%を超え、2.8%の日本との差は大きい。
◎どこに「平等主義がもたらす弊害」?
「日本の問題は平等主義がもたらす弊害だ」と言うものの、何を以って「平等主義」と言っているのか、よく分からない。「突出した能力を持つ人材を育てる」ことも「落ちこぼれる人たちを底上げする支援策」も、その恩恵を受ける権利が平等に与えられていれば「平等主義」とも言えるはずだ。
「義務教育を延長して遅れている子どもを支え、大学生の起業も促す」デンマークは反「平等主義」なのか。全ての国民がこれらの政策の恩恵を受ける権利を等しく有しているのならば「平等主義」から外れている感じはしない。
「北欧各国の国内総生産(GDP)に対する教育の財政支出は4%を超え、2.8%の日本との差は大きい」とも書いているが、これも「平等主義」とは関係ない。「教育の財政支出」が多くても、例えば白人にしか教育の機会を与えないとすれば「平等主義」ではない。
記事の終盤を見ておこう。
【日経の記事】
日本は能力を高めた人に報い、生かす発想も乏しい。米ブルッキングス研究所によると日本の大学院修了者の所得は高卒者より47%高いが、増加率は米国(72%)やドイツ(59%)を下回る。同研究所のマーティン・ベイリー氏らは「日本企業は採用を見直し高度人材を厚遇すべきだ」とする。
世界は人材育成の大競争時代に入った。支援が必要な人たちを救って全体を底上げしながら、横並びを脱して新しい産業をけん引するトップ人材も増やす。一人ひとりの能力を最大限に生かす仕組みをどうつくり上げるか。さびついた社会エレベーターを動かす一歩がそこから始まる。
◎色々と引っかかるところが…
「日本企業は採用を見直し高度人材を厚遇すべきだ」としよう。人件費の総額が大きく変わらない前提で言えば、これは格差拡大策だ。それでいいのか。「高度人材を厚遇」すると「さびついた社会エレベーターを動かす」きっかけになるのか。基本的には逆になると考えるべきだ。
「高度人材」は自分の子供により潤沢な教育関連の投資ができるようになる。一方「最貧層」の家庭に生まれた子供が塾に行ったりするのは、一段と難しくなる。
さらに言えば「大学院修了者」が「高度人材」なのかも疑問だ。日本では「高卒者」と「大学院修了者」の能力差が米独より小さい可能性もある。だとしたら「大学院修了者の所得」が「高卒者」を上回る度合いが米独より小さいからと言って問題視する必要はない。
そもそも比較対象はなぜ米独限定なのか。ご都合主義的に比較対象を選んでいる疑いが残る。
付け加えると「大学院修了者の所得」がそれほど高くないからと言って「日本は能力を高めた人に報い、生かす発想も乏しい」と断じるのは無理がある。日本は「能力を高めた人」であれば高卒でも学部卒でも等しく「報い、生か」しているだけかもしれない。
やはり今回の記事は説得力に欠ける。それが結論だ。
※今回取り上げた記事「成長の未来図(4)動くか『社会エレベーター』~めざす明日は見えますか」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220105&ng=DGKKZO78945980V00C22A1MM8000
※記事の評価はD(問題あり)
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