新型コロナウイルスに対する恐怖心が高まると賢い人も冷静な判断ができなくなるということか。米プリンストン大学生命倫理学教授のピーター・シンガー氏が18日付で書いた「ワクチン接種は自由の侵害にならない、『個人の選択』ではなく強制すべき」というNewsweek日本版の記事は問題が多かった。
室見川 |
「強制すべき」とシンガー氏が考える根拠を見ていこう。
【Newsweekの記事】
コロナ禍では、ワクチン接種の義務化がミルの説く自由の原則を侵すことはない。ワクチン未接種のオリンピック選手は他者に感染リスクを負わせる。「個人の選択」だと言ったエリソンはワクチンを接種するか、でなければ自宅にいるべきだった。IOC(国際オリンピック委員会)が、競技に参加できるのは接種した選手のみだと言っていたら、多くのアスリートを感染リスクから救っていただろう。
◎接種すればリスクは消える?
ここで言う「ミルの説く自由の原則」とは「その人の意思に反して正当に権力を行使し得る唯一の目的は、他人に対する危害の防止」というものだ。「他者に感染リスクを負わせる」ことをシンガー氏は「他人に対する危害」と判断しているのだろう。賛成はしないが、とりあえず受け入れてみる。
この場合、そもそも「オリンピック」は開催できない。「接種した選手」であっても「他者に感染リスクを負わせる」からだ。「他人に対する危害」になってしまう。
「ワクチン」が完璧なものだとでもシンガー氏は思っているのか。シンガー氏の理屈を「オリンピック」に当てはめるならば、全ての「アスリート」が「自宅にいるべきだった」。「競技に参加」しても「他者に感染リスクを負わせる」可能性がなくなるような技術が開発されるまでその状況は続く。
「ワクチン未接種のオリンピック選手は他者に感染リスクを負わせる」のはその通りだが「ワクチン接種のオリンピック選手は他者に感染リスクを負わせない」とは言えない。そこをシンガー氏は理解していないようだ。
では「ワクチン」によって「他者」への「感染リスク」をゼロにできるならば「強制すべき」だろうか。「ワクチン」のリスクがゼロならば賛成できなくもない。
しかし「ワクチン」のリスクはゼロではない。接種すれば「他者」への「感染リスク」がゼロになるものの1万人に1人の確率で副反応による死者が出る「ワクチン」が開発されたとしよう。これを強制とする。日本で言えば1000人以上が「ワクチン」によって命を奪われることになる。このうち100人が接種を嫌がっていたとする。
この時に「死んだ(殺された?)100人には申し訳ないけどワクチンの強制っていいことだな」と思えるだろうか。「ワクチン」接種によって1万人の命が救われたのならば、救われた命の方が多いのだから強制も良しとなるのか。
「ワクチン」に関しては、強制によって「自由」だけでなく人の命を奪う可能性を秘めている。そのことにシンガー氏は思いが至っていない。そこが残念だ。
※今回取り上げた記事「ワクチン接種は自由の侵害にならない、『個人の選択』ではなく強制すべき」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/08/post-96926_1.php
※記事の評価はD(問題あり)
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