河合薫氏が相変わらず雑な主張を続けている。ここでは、ITmedia ビジネスオンラインに27日付で載った「河合薫の『社会を蝕む“ジジイの壁”』~10%に満たない女性管理職 なぜ『上』に行けないのか」という記事にツッコミを入れていきたい。タイトルに「ジジイ」という言葉を使うのは感心しないが、とりあえず受け入れて中身を見ていこう。
夕暮れ時の耳納連山 |
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
東京五輪の開催前のすったもんだの影響でしょうか。「意思決定の場に女性を!」「若い人は男女平等は当たり前!」「昭和おじさんは撤退させるべし!」といった空気が息を吹き返してきました。
といっても、残念なのは社会全体に「女性を!」という空気があるわけではないってこと。
◎属性で見るべき?
まず属性重視なのが気になる。優れた人であっても「昭和おじさんは撤退させる」べきなのか。あるいは「昭和おじさん=全員ダメな人」なのか。いずれも無理がある。
ちなみに自分は「若い人」ではないが「男女平等」主義者だ。「男女平等」を是とする立場から河合氏への批判を展開したい。
続きを見ていこう。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
女性活用の数値目標や、クオーター制へのアレルギーはいまだに強く、
「女性だから優遇されるとか、逆差別では?」
「女性だからって能力不足の人をリーダーにするのは、会社にとってマイナスでしょ?」
「優秀な男性がやる気をなくす」
などの意見は、むしろ以前よりも多くなったのでは? と感じることもしばしばあります。
女性軽視発言やセクハラについては多くの人たちが問題にするのに、いったいなぜ、「女性リーダーの数を増やす」ことには否定的なのでしょうか。
◎「クオーター制」がダメなのは「当たり前」では?
「クオーター制」に関する「女性だから優遇されるとか、逆差別では?」「女性だからって能力不足の人をリーダーにするのは、会社にとってマイナスでしょ?」「優秀な男性がやる気をなくす」という疑問はもっともだ。河合氏はこうした意見が「以前よりも多くなった」と嘆くが「差別」に反対するのはそんなに悪いことではない。
議員や管理職に関して一定数を女性に割り当てる「クオーター制」は明らかな性差別だ。男女平等主義者としては「否定的」に捉えるしかない。「クオーター制」導入論者は性差別容認論者でもある。「若い人は男女平等は当たり前」という状況があるのならば「若い人」にとって「クオーター制」の否定は「当たり前」と言える。
続きを見ていこう。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
「だって若い女性の専業主婦志向、高まってるし」
「だって女性は管理職になりたがらないし」
「まずは女性の意識改革でしょ?」
といった声が聞こえてきますが、「日本」が女性活躍後進国であって、「女性」が問題ではないのです。
◎日本は「女性活躍後進国」?
まず、日本は「女性活躍後進国」なのか。先進国かどうかは分からないが、日本では十分に「女性活躍」ができていると感じる。河合氏は「女性管理職比率が低い=女性活躍後進国」と見ているようだ。しかし、「専業主婦」も子育てなどで立派に「活躍」している。平社員やパート・アルバイトとして働く女性も、その「活躍」で社会を支えている。
なぜ平社員や「専業主婦」を「活躍」していない人々と捉えるのか。その気持ちが理解できない。
さらに続きを見ていく。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
「社会の問題」から「個人の問題」にすり替えてしまうことは、問題の本質に向き合っていません。
女性は人口の半分いるのに、衆議院議員に占める女性の割合が9.9%なのは明らかに不自然です。
◎すり替えてる?
「女性は人口の半分いるのに、衆議院議員に占める女性の割合が9.9%なのは明らかに不自然」だとは思わないが、仮に「不自然」だとしよう。「女性」がこの状況をおかしいと思うのならば「女性」だけの力で簡単に解決できる。「女性」が新党を立ち上げて大量の「女性」候補者を擁立し、その候補者を「女性」有権者が支持する。これだけで「衆議院議員に占める女性の割合」は確実に向上できる。
選挙権も被選挙権も男女平等に与えられているのに、なぜそれを生かそうとしないのか。「女性」にやる気がないからというのなら、それこそ「まずは女性の意識改革でしょ」。
続きを見ていこう。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
労働力人口総数に占める女性の割合は 44.4%なのに、管理職に占める女性の割合が8.9%なのも明らかにおかしい。
入社したときには「4割超」が女性なのに、管理職になると「1割以下」になってしまう正当な理由を、私はいままで聞いたことがありません。結局、階層組織の「上」の人たちが、女性に期待していないのです。
◎「正当な理由」はあるのでは?
女性の方が男性に比べて管理職になりたがらないという調査結果は出ている。よく言われることなので、河合氏も当然に知っているはずだ。これで「管理職に占める女性の割合」の低さはかなり説明できる。なのになぜ「階層組織の『上』の人たちが、女性に期待していない」となってしまうのか。
河合氏のような性差別容認論者が「クオーター制」の導入を訴えることを完全に否定はしない。強力なメリットがあれば、明らかな性差別である「クオーター制」でも賛成できる余地はある。しかし、導入論者が提示してくるメリットはいつも苦しい。そこも見ておこう。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
クオーター制を逆差別とする根強い意見がありますが、実際には、国内外の研究でクオーター制を導入した方が「男性の能力が引き出される」ことが示されています。
多くの実験研究で、男性の場合、競争相手がいる方がパフォーマンスが向上することが分かっていますが、同じグループに女性がいることで「僕は絶対に競争に勝てる」という自信が高まり、潜在的な能力を発揮しやすくなる可能性が分かっているのです。
日本では、大阪大学などの研究者たちが興味深い実験を行っています(「自信過剰が男性を競争させる」2009年)。
この実験では、グループの男女比にバリエーションをつけ、「全員男性」「全員女性」「男性3人女性1人」「男性2人女性2人」「男性1人女性3人」という5つのグループで、メンバーたちの競争への自信にどのような変化が生じるかを調べました。
その結果、男性は「全員男性」のグループで競争するときは、自信がなくなる傾向が認められたのに対し、女性が競争に加わったとたん競争に勝つ自信が出ることが分かりました。一方、女性では「全員女性」のグループで競争するときには、「勝つ自信」を持てるのに対し、男性が競争に加わった途端、自信がなくなることが分かったというのです。
「勝つ自信」は自分への信頼なので、自己効力感を高めます。人は「自分はできる」と信じる(=自己効力感)からこそ、能力を最大限に発揮できる。集中して、タスクに取り組むことが可能になります。
◎色々と問題が…
「クオーター制を逆差別とする根強い意見がありますが、実際には、国内外の研究でクオーター制を導入した方が『男性の能力が引き出される』ことが示されています」という説明がまず引っかかる。「クオーター制」にメリットがあるとしても、それは「逆差別」を否定しない。「クオーター制」導入を訴えるならば、それが「差別」であることから逃げない方がいい。そうしないと、どうしても無理が生じる。男女平等主義者からの批判に性差別容認論者として堂々と立ち向かってほしい。
「大阪大学などの研究者」による研究が「クオーター制」導入のメリットを示しているかどうかも見ていこう。
ここで言っているのは「女性が競争に加わったとたん(男性は)競争に勝つ自信が出る」というだけだ。端的に言うと、どうでもいい。メリットとして弱すぎる。しかも「自信過剰が男性を競争させる」というタイトルが付いている。「自信過剰」が好ましいとは限らない。
「女性が競争に加わったとたん競争に勝つ自信が出る」ことをプラスに捉えるとしても、だとしたら「競争」に加える女性は1人でいい。「女性では『全員女性』のグループで競争するときには、『勝つ自信』を持てるのに対し、男性が競争に加わった途端、自信がなくなる」のだから、男性が参加する「競争」に加える女性の人数は1人がベストだ。そうなると、既に「女性リーダー」がいる企業で「『女性リーダーの数を増やす』ことには否定的」となるのは理に適っている。
しかし河合氏は「『3割の女性』が必要不可欠」だと訴える。その根拠も見ていこう。
【ITmedia ビジネスオンラインの記事】
ただし、マイノリティーである「女性」が意見を堂々と言えるには、最低でもグループに「3割の女性」が必要不可欠です。1割=紅一点だと、男性に排除されるか、同化させるかのどちらかになり、2割だと遠慮して言いたいことが言えません。やっと3割になって意見が言えるようになり、4割になると「女性の視点って面白いね! もっと意見を聞きたい! みんなももっと意見だそうよ!」という空気が熟成され、性別などの属性の壁が崩壊します。
さて、あなたはいつまで「男だから~」「女だから~」と言い続けますか? あるいは、「壁崩壊」に向かうための「変革の担い手」を目指すか?
どちらが「自由」な社会なのか? 是非とも考えてみてください。
◎だったら女性国会議員は…
「『女性』が意見を堂々と言えるには、最低でもグループに『3割の女性』が必要不可欠」らしい。何を根拠にそう言っているのか分からないが、そういうものだとしよう。
「衆議院議員に占める女性の割合が9.9%」なので衆院の女性議員は「遠慮して言いたいことが言え」ない状況にあるはずだ。とてもそうは見えないが、河合氏の主張を信じれば国会の場で堂々と「意見が言える」女性議員は衆院にはいない。つまり役立たずだ。投票してくれた有権者の期待に応えていない。
「3割」もいないと「意見が言える」ようにならないのならば「女性リーダー」は要らない。例えば開発部門の取締役が「女性」になったとして、取締役の中で女性が2割以下の場合には「遠慮して言いたいことが言え」ない訳だ。そんな上司を持つ部下は辛い。商品開発にも悪影響が出そうだ。
「リーダー」になってもらうなら、少数派であっても言うべきことはきちんと言える人物が好ましい。それができる「女性」が皆無ならば、「リーダー」は全員男性でいい。
「あなたはいつまで『男だから~』『女だから~』と言い続けますか?」と問うているが「言い続け」ているのは河合氏の方だ。男女平等主義者の立場で言えば「リーダー」を選ぶ上で性別を考慮する必要はない。なので当然に「クオーター制」も要らない。「『男だから~』『女だから~』」は関係ない。例えば、企業で各部門の「リーダー」を選ぶときには「リーダー」として必要な資質を考慮するだけでいい。結果としての全員女性も全員男性もありだ。
河合氏は男女平等の原則という「壁」を壊して「クオーター制」を導入したいのだろう。だったら「クオーター制」に関する強力なメリットが要る。それを提示できないのならば男女平等の原則堅持でいい。
男女平等主義者からの批判に河合氏はどう反論するのか。注目したい。
※今回取り上げた記事「河合薫の『社会を蝕む“ジジイの壁”』~10%に満たない女性管理職 なぜ『上』に行けないのか」
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2108/27/news028.html
※記事の評価はE(大いに問題あり)。河合薫氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。
安倍首相らを「ジジイども」と罵る河合薫氏の粗雑さhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_7.html
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