2021年8月9日月曜日

「1964」との比較が苦しい日経 大島三緒氏の東京五輪解説

東京五輪の閉幕を受けて9日の日本経済新聞朝刊1面に大島三緒氏が書いた「続『1964』の夢と現実」という記事には無理を感じた。「1964」の東京五輪との比較がかなり苦しい。記事を最初から見ていこう。

夕暮れ時の筑後川

【日経の記事】

57年後の日本に「東洋の魔女」はいなかった

8月2日のバレーボール女子1次リーグ最終戦。日本代表はドミニカ共和国に敗れ、四半世紀ぶりに決勝トーナメント進出を逃した。ため息をついた人は多いはずだ。

1964年の東京五輪で全国を沸かせ、戦後昭和の成功物語を象徴する女子バレーチーム「東洋の魔女」――。

さきごろは菅義偉首相も栄光を語っていたが、五輪をやれば日本中が高揚し、きっと明るい未来がやってくると思わせる魔力が、たしかに彼女たちの歴史にはある。

そんなDNAを継ぐチームの退場が、こんどの五輪をめぐる光景に重なるのだ


◎女子バレーでの比較に意味ある?

1964年の東京五輪」は盛り上がったが、その再現はならなかったーー。大島氏はそう訴えたいのだろう。そこで「女子バレー」を取り上げて、今回は「四半世紀ぶりに決勝トーナメント進出を逃した」と嘆いている。

女子バレー」を語る記事なら、それでいい。しかし、この記事では東京五輪を総括しているはずだ。ならば「女子バレー」の敗退に焦点を当てて「57年後の日本に『東洋の魔女』はいなかった」と言い切っていいのか。

金メダルのソフトボール。格上を破って決勝に進出した女子バスケット。こうしたところまで視線を広げれば「57年後の日本にも『東洋の魔女』はいた」とも言える。男子も含めて多くの日本選手が活躍し過去最多となる58個のメダルを獲得したのに、「女子バレー」のみを「1964年の東京五輪」と比べて「そんなDNAを継ぐチームの退場が、こんどの五輪をめぐる光景に重なるのだ」と言われても「なるほど」とは思えない。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

競技会自体は、長丁場をよく乗り切ったものだと思う。これほどの巨大イベントをそつなく運営したのは日本の「現場の力」である。

名場面も多かった。地の利も寄与したにせよ、日本選手の活躍のなんと目覚ましかったことか。バスケットボール女子準々決勝での劇的な逆転シュートは、今風に言えば「鳥肌が立った」。銀メダルへとつながった奇跡だ。


◎「1964」と大差ないような…

大島氏も「バスケットボール女子準々決勝での劇的な逆転シュートは、今風に言えば『鳥肌が立った』」らしい。だとすれば、やはり「東洋の魔女」はいたと見る方が自然だ。「きっと明るい未来がやってくると思わせる魔力」が1964年の「東洋の魔女」にあったとすれば、それは今回も同じではないか。

バスケットボール女子」チームには、勝利を信じて努力すれば「きっと明るい未来がやってくると思わせる魔力」がなかったのか。多くの10代選手がメダルを獲得したスケートボードは日本の「明るい未来」を期待させてくれるものではなかったのか。

1964年の東京五輪」に関する記憶はないので断言はできないが、選手たちの活躍に国民の多くが勇気づけらたという点で大差ない気がする。なのに「女子バレー」を今大会の象徴として取り上げるべきなのか。

さらに見ていこう。


【日経の記事】

しかし、それでも「1964」がもたらしたような多幸感は社会に見いだせない。聖火が消えて、コロナ禍の日常に引き戻されるだけでなく、そもそも往時との落差があまりにも大きいのである

この大会をなぜ、なんのために開催するのか。問われ続けた大義は曖昧なまま現在に至る。通奏低音として流れていたのは、やはり64年の再来を望む意識だろう。五輪の呪縛が、政治家や官僚を捉えて離さないともいえる。


◎「1964」を覚えてる?

大島氏は1982年に日本経済新聞社に入社したらしい。だとしたら「1964」の記憶はほぼないはずだ。なのに「『1964』がもたらしたような多幸感は社会に見いだせない」と言い切っている。当時の「多幸感」は何で確認したのだろうか。

聖火が消え」た後に「日常に引き戻される」のは「1964」も同じだ。「コロナ禍」はないにしても、当時の暮らしが今よりずっと貧しかったのは間違いない。「往時との落差があまりにも大きい」と大島氏は言うが、根拠となるデータは示していない。本当に、そんなに「落差」があるのか。

この大会をなぜ、なんのために開催するのか。問われ続けた大義は曖昧なまま現在に至る」という問いにも、あまり意味を感じない。そもそも五輪を開催するのに「大義」が必要なのか。例えばサッカーW杯の開催に「大義」が要るのか。スポーツの大会を開くのにいちいち「大義」を明確にさせるべきなのか。大島氏には、そこを考えてほしい。

さらに続きを見ていく。


【日経の記事】

このパンデミックは、そういう幻想を揺るがせた。続「1964」への疑念は名古屋や大阪への招致時にも生じていたが、コロナ禍はそれを噴出させた。人々は競技に感動しても、五輪という仕掛け自体には酔っていない


◎なぜそう言える?

人々は競技に感動しても、五輪という仕掛け自体には酔っていない」と大島氏は言うが、これまた根拠は示していない。「競技に感動」したのならば「五輪という仕掛け自体」に酔ったとも言えるのではないか。

国を代表してトップアスリートが戦いメダルを争うという「仕掛け自体」に酔わないで「競技に感動」することが、そもそもできるのか疑問だ。

記事の終盤を見ていこう。


【日経の記事】

つかの間の夢から覚めれば、コロナ対応に手間取り、デジタル化は大きく遅れ、多様性尊重も掛け声ばかりという現実が目の前にある。そして急速な高齢化を伴った人口減が進んでいく。

どんなにカラ元気を出しても昭和には戻れない。しかし皮肉にも、この異形の五輪は、日本人にようやく64年幻想からの脱却を果たさせるかもしれない。それは戦後史の転換点ともなる変化だ。

連日の熱戦を眺めて感じ入ったのは、若いアスリートたちの自由さである。「この競技が大好き」。国や社会の重圧と闘った「東洋の魔女」が持てなかった言葉だろう


◎昭和は良かった?

どんなにカラ元気を出しても昭和には戻れない」との記述から、大島氏が「昭和」を肯定的に捉えているのが分かる。「昭和には戻れない」のは確かだが、戻れたとしたら国民は喜ぶだろうか。

1964」の日本にはインターネットも携帯電話もない。固定電話さえも十分に普及していない。テレビも多くは白黒だ。番組の録画など当然にできない。都市部では大気汚染などの公害問題が深刻化している。セクハラ、パワハラといった概念もない。体罰などにもずっと寛容だ。21世紀の暮らしに慣れた日本人が、そんな社会に本当に戻りたいだろうか。

この異形の五輪は、日本人にようやく64年幻想からの脱却を果たさせるかもしれない」と大島氏は言うが「64年幻想」など、そもそもあるのか。「五輪の呪縛が、政治家や官僚を捉えて離さない」のかどうかは分からないが、50代以下の「日本人」にはそもそも「1964」の記憶がない。個人的には「64年幻想」など全く持っていない。

記事の結びにも注文を付けておきたい。「東洋の魔女」は「この競技が大好き」という気持ちを持てなかったと大島氏は見ているようだ。これも根拠は示していない。勝手な推測で今の「若いアスリート」と比べて良いのか。

国や社会の重圧と闘った」のは今の「若いアスリート」も同じだ。開催反対の声が大きかっただけに「国や社会の重圧」は別の意味でも強かった。「1964」にはなかったSNSを通じた直接的な個人攻撃という問題も今はある。

1964」と今回の東京五輪の「落差」が大きいとの前提の方が記事をまとめやすいのは分かる。しかし、その比較には説得力がなかった。

ついでに言うと署名が「論説委員会 大島三緒」となっていたのが気になった。なぜ「論説委員」ではなく「論説委員会」なのか。「論説委員会」の総意としての記事という意味なのか。その説明は欲しかった。


※今回取り上げた記事「続『1964』の夢と現実」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210809&ng=DGKKZO74627620Z00C21A8MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。 大島三緒氏への評価は暫定C(平均的)から暫定Dへ引き下げる。大島氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「出口」見えたのでは? 日経 大島三緒論説委員「出口見えぬ学術会議問題」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_19.html

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